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何のための信仰か?(星)

先日のことですが、知り合いから奥様が新興宗教を熱心に信仰されている方の話を聞きました。

何処でも同じような話はありますが、奥様は育児や家事よりも教団の活動を優先され、主婦としての仕事は放棄・・・・・

そのため、家の中はゴミ屋敷状態・・・・・

この話を聞き、ある夫婦のことを思い出しました。

随分と昔の話ですが・・・・・

熱心な新興宗教の信者であった知り合いが、同じ信仰を持つご夫婦から夕食の招待を受けたときのことを話をしていたことがありました。そのご夫婦は、ご主人が教団の職員、奥様が熱心な活動家と教団としては理想的な夫婦とされていました。

食事に招待された知り合いも熱心に活動していましたので、夫婦で教団の活動に熱心に取り組む姿を理想としていたとのことでした。また奥様は、人当たりもよく、家庭的な雰囲気を持っていたことからきっと料理も上手ではないかと考えていたようです。

知り合いは、一人暮らしであったこともあり、今晩は久々に家庭料理を食べられると期待に胸を膨らませて訪問したところ、テーブルにコンビニ弁当が三つ並んでいてがっかりしたとぼやいていました。

管理人の家のポストにもときどき新興宗教の新聞や小冊子、パンフレットが入っていることがありますが、布教活動に熱心な新興宗教は多いようです。当然の事ながら、配布する新聞や小冊子、パンフレットとは信者が購入、配布活動もボランティア、信者ならば当然の義務なのでしょうが、熱心な信者となれば、家の中には教団の新聞や小冊子が山積み、毎週のように自宅で集会となるようです。

また選挙の時期になると熱心な信者は、朝の早くから夜まで出掛けることが多くなる教団もあるようですが、どうしてそこまで熱心に活動できるのかと感心してしまいます。この問題に関しては、管理人の著書である「古代ギリシャの神霊の霊言 \嫻は澄廚涼罎痢嵜圭ゞ気諒棲押廚納藐醂遒詳しく解説しています。

守護霊の考え方ではありますが、この問題に関しては管理人も同じ考えを持っています。もっとも管理人の話よりも理路整然とした話となっていますので宜しければ、お読み下さい。ただ、簡単に書けば自己責任の放棄と思考停止と言うべきでしょうか。しかし、この問題はブログで取り上げることには限界がありますので、参考図書を紹介しておきます。

「マインド・コントロールの恐怖 スティーブン・ハッサン著 浅見 定雄訳」
この本を読んだのは、随分前のことなので絶版になっていました。m(_ _)m
脱洗脳の支援を仕事にしている著者が、その活動を紹介している本であり、脱洗脳の実態を知ることができるお勧めの一冊です。

脱洗脳の話は参考図書に譲りますが、信仰している教えがどんなに素晴らしい教えであり、その教えを信仰することがどんなに素晴らしいことであり、その教えを布教することがどんなに価値のあることであるとしても、家の中がゴミ屋敷状態では、何の意味もないと思います。

掃除で開運ではありませんが、 いつも家の中が散らかった状態では、運気が向上するとは難しくなります。このことは「開運の方法」にも書きましたが、部屋が散らかっていると邪気や悪想念が溜まりやすくなります。

その意味では、掃除や整理整頓は開運のための第一歩と言うことでしょうか?

at 07:21, 星 良謙・子授け地蔵, 新宗教批判

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信じることの意味(星)

暫く前のたく様のコメントに「理屈はいいからまず信じろ、反発ばかりするな!」と言われた体験がありました。本当はコメントの返事を書くべきなのですが、今回はこの話を取り上げたいと思います。

コメントの元記事

宗教においては信じることの大切さが説かれることは時々あります。その信じることを一番重視する宗旨は浄土真宗ではないかと思います。真宗の教えにおいては阿弥陀如来の慈悲を信じることを何よりも重視します。極論ではありますが阿弥陀如来の慈悲をどこまで信じることができるかが真宗の教えにおいては最大の課題であると言えます。

では、たく様に対して言われた「理屈はいいからまず信じろ、反発ばかりするな!」と真宗において説かれている信じることの大切さは同じなのでしょうか。管理人が真宗の教えを解説する立場にはありませんが真宗の教えにおいて説かれている信じることの大切さとたく様の言われた言葉には大きな違いがあると感じます。

これは何もたく様が縁のあった霊能者に限らず、新興宗教や霊能者は信者に信じることの大切さを説くことが多いようです。しかし真宗において説かれている信じることは阿弥陀仏の慈悲であり、宗祖親鸞聖人のお言葉でもなければ、高僧の残された教えでもないと言えるのではないかと思います。

それに対して新興宗教や霊能者の説く信じるとは、神仏に対する帰依を説きながらも実際には教祖や霊能者に対する帰依を説いていることが多いようです。つまり神仏に帰依すると言いながらもその神仏の教えは、教祖や霊能者を通して学ぶことであり、その教祖や霊能者を離れては理解できないと理屈です。

一見するならばもっともらしい話なのですが、特定の人物の説く教えを学ぶことでしか神仏に帰依できないのであるならば、その人物と神仏を同一に考えるのと同じでしかないことになります。しかし少なくとも仏教においては人を拠り所とすることなく、法に拠り所とせよとされていますので、その精神に反することになります。

真宗においても宗祖親鸞聖人や僧侶の方を敬うことは大切であるとされていますが同時に阿弥陀仏の前では平等であるとの教えがあります。これは僧侶といえども阿弥陀仏の偉大な慈悲の前では救いの対象でしかなく、阿弥陀仏の前では平等であるとの考えがあると思われます。

ただ何分にも管理人は真宗の教えについて専門的に学んでいませんので断定的なことを書くべきでもないのですが、少なくとも真宗の神霊から感じるのは阿弥陀仏の慈悲を説くこと以外には何の関心もないことです。そして阿弥陀仏の手足として働くことができることに限りない喜びを感じておられると思われます。

これはどの宗旨の神霊にも共通していますが、自分は仏の手足として働いているとの意識であり、個の意識を離れていると感じます。これが宗教家の本来の姿ではないかと思います。神仏の教えを伝えることは大切な役目であり、尊い役目ではあるとしても、その役目を担うことで特別な人間になることはないと考えるべきです。

しかしこのことは非常に誤解されやすい話だと思われます。神仏の手足として働くことに喜びを感じるのであるならば、神仏の言葉を伝える人間は神仏に近い人間であり、多くの人を導く使命を担っているのだから、その人間の手足として働くことに喜びを感じたとしても当然ではないかとの話となります。

また人間に帰依するのではなく、神仏に帰依すべきであると言ったとしてもその人間が神仏の意思として自分の説く教えに帰依することを説くならば人間に帰依しろと言っているのと同じことになります。

ではこの話に何か問題があるとするならば、個の意識ではないかと思います。この問題については色々な考え方はあると思いますが、古代ギリシャの神霊は無条件に信じることは自己責任の放棄でしかないと説きます。

これは非常に面白い論点であり、管理人も賛同している考えです。つまりどんなに霊格の高い神霊のお言葉であるとしてもその教えを自分が同意するかどうかは自分の責任であり、高い神霊のお言葉に従うとしてもそれで自分の責任がなくなることはないとの考え方です。

例えば日蓮上人は他力の教えを批判されていますが日蓮上人の教えが正しくて法然上人の教えが間違いでると考えるのか、法然上人の教えが正しくて日蓮上人の教えが間違いであると考えるかは本人の自由であり、またどちらが正しく、どちらが間違いであるかを議論したとしても答えのない話でしかありません。

最終的には自分がどちらの教えに共感して納得できるかだけの話でしかありません。そのことを無視して神仏のお言葉であるから信じるべきであるとか、神仏に限りなく近い境地に到達している人の言葉であるから信じるべきであるとの考え方をするならば、そこには自分の意思が存在しなくなります。

古代ギリシャの神霊は、自分の意思とは自分の判断に責任を負うことであり、自分の判断に責任を自覚しないのであるならば、そこに自分の意思はないと説きます。つまり神仏のお言葉であるから無条件に正しく、その正しさを疑う必要もないと考えるならば、自分の考えではなく、自分が学んだ教えを受け売りしているにすぎないと説きます。

しかし受け売りであるとしても、神仏の教えには違いがないのだから信じるべきであると考える方がおられるかもしれませんが、これは思考停止と同じでしかなくなります。膨大な教えを学び、その教えに忠実に生きるならば精神的な安定を得られるかもしれませんがその人生が本当に自分の人生かと言えば疑問が残ります。

以前にある教団を脱会された方が「心の王国とは言いながら、その玉座に座っていたのは教祖であった」と書かれていました。

如何に神仏の教えであるとしても無条件に信じるべきであると考えるべきでもなく、如何に神仏の教えであるとしても無条件に忠実でなければならないと考えるならば、排他的な考えに陥り、狂信者となる危険性が高いと考えます。

更に付け足すならば真宗の教えにおいて阿弥陀仏の慈悲を信じるとは、自分は修行を積むことや徳を積むことで悟りを得ることができない煩悩具足の身であるとの自覚することがその教えの裏側にあると言えます。つまり修行にも耐えられず、煩悩に翻弄されるだけの我が身を自覚するならば阿弥陀仏の慈悲にすがる他に道はないとの決意が求められるのではないかと思われます。

蛇足ながら管理人は浄土真宗ではなく、真宗と表記することが多いのですが、正式名称で浄土真宗と表記するのは、真宗教団連合においては浄土真宗本願寺派だけなのです。

真宗教団連合
浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・真宗高田派・真宗佛光寺派・真宗興正派・真宗木辺派・真宗出雲路派・真宗誠照寺派・真宗三門徒派・真宗山元派

at 21:42, 星 良謙・子授け地蔵, 新宗教批判

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前世と霊言

 久々にTBがありましたが、どうも前世の存在を否定していると受け取られているのかと少しばかり頭が痛くなりました。これまでにも何度か書いたつもりなのですが、前世を否定しているのではありません。

 著書を既に読まれた方はご存知のはずですが、心霊との対話の中には過去世の話もありますし、過去世の記憶や生まれてくる前の人生の計画についても触れています。

 心霊の話であるからとその内容に責任を持たない幸福の科学の大川隆法氏ようなことをする気持ちはありませんので、前世を否定する気持ちがあるならばその部分は削除します。

 大川氏は、初期の頃にはあれだけ霊言集を粗製乱造かと思うほど出版されていたのに最近は色々な人から内容の間違いを指摘されたためか、絶版にされているようですが潮文社にて出版された分については在庫が残っているようです。


坂本竜馬の霊言 高橋信次の霊言 ソラテスの霊言 空海の霊言
キリストの霊言 卑弥呼の霊言 孔子の霊言

 あら捜しのお好きな方はどうぞ(笑い)但し、間違いを発見できずに本物の坂本竜馬やキリスト、ソクラテス、卑弥呼、孔子からの霊界通信だと信じられたとしても管理人は責任は持てませんのでご注意を(大笑い)
 参考図書に「大川隆法の霊言」米本和広・島田祐巳著JIC出版局でも読まれるといいのですが、既に絶版となっていますので少し引用しておきます。

Q…12 キリストは復活しなかったて本当ですか?
米本 ではキリストは十字架にはりつけにされ、殺されたにもかかわらず、再びこの世に復活したという話についてはどうなんですか。
大川の霊 あれも誤り。『キリストの霊言』にはこう書かれている。
 「私の復活ということに関してですけれども、私(キリスト)は現象として、彼らの前に現れたのではないのです。彼ら自身が霊能力を持っていたと
いうことです。彼ら自身が私の姿を見ることができたのです。復活現象というものは、私が生きた人間と同じように、彼処に現れて歩いたということではないのです。」(P24)
米本 でも、『聖書』にはこう書いてるんです。
「あたしの手やあたしの足を見なさい。まさしくわたしです。(略)それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、『ここに何か食べ物がありますか。』と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それをとって召し上がった」(『新約聖書』ルカ伝24章39〜43節)
 参考までにお話をお伺いした、吉祥寺クリスチャンセンターの尾形守牧師(茨城キリスト教大学専任講師)も、こう言ってました。
「ちゃんと目に見える形、肉体として復活しているんですね。これがイエス・キリストを神として定義づける大切な要素です。この『霊言』に出てきたのが本当のイエスだとしたら、絶対にこんなこと言うはずがありません。」・・後略・・

Q…13 なぜ、孔子の霊は神の世界を説いているのですか?
米本 では、次に『孔子の霊言』なんですけど、ここんとこおかしないですか?
 「私(孔子)は、本来神の世界のことを説きたい人間ですから、地上のことは、本当はどうでもいいのです」(『孔子の霊言』P21)
大川の霊 どこがおかしい。これも孔子自身が私の口を借りて言ったセリフなのだ。
米本 でも、漢文の教科書で見たら、『論語』ではまったく逆のことを言っていますよ。
「季路 鬼神に事えんことを問う。子曰く、未だ事に事うること能わず、焉んぞ能く鬼に事えん。敢て死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」(先進第十一・264)
 現代語に訳すと、「季路(弟子の子路)が神霊への仕え方をおたずねすると、『うまく人にも仕えられないのに、どうして神霊に仕えられよう』と、(孔子)先生はおっしゃった。さらに『それなら、死後についてお教えください』と、申しあげると、『人生もわかっていないのに、死後がどうしてわかろうか』と、おっしゃった」となります。
 だいたい、孔子の思想の最大の特徴は現実主義。神とか霊といったものを、頭から否定するわけじゃないけど、むしろそいう不可知のことはそっちの方においといて、あくまで現実的な人間関係とか礼儀とかをしっかりさせることが大切だっていう考えなんですよ。・・後略・・
 

 大川隆法氏の霊言の批判記事になってしまいましたが、管理人は大川氏が意図的に人を騙そうしているとも考えませんし、心霊現象としての霊界通信は現実にあったと考えます。それは初期の頃の大川氏の著書を読んで感じたことです。つまり一人の人間として考えるならば大川氏は善意の人であったのかもしれません。

 しかし、大川氏は心霊の語った内容を何一つ検証してないのではないかと疑ってしまいます。引用しました「大川隆法の霊言」のQ21にて親鸞聖人霊示集の中で親鸞聖人が四十八の発願が書かれた経典を阿弥陀経と言われている間違いを指摘してあります。これは真宗の教えを学んでいる人間であるならば唖然とするような間違いです。正解は無量寿経(真宗では観無量寿経と区別するためか、大無量寿経と呼ぶことが多いようです)

 では大川氏の本が売れに売れたのはどうしてなのでしょうか。その理由は仏教の知識やキリスト教、古代史など関連する知識を持たない人間はその間違いに気付かないのです。つまり何も知らずに読むならばそれなりに納得させるような話になっているからです。

 恐らく大川氏は次から次へと降りてくる霊言を何も疑うこともなく、すべてを本物であると信じ込んだのではないかと思われます。心霊が空海を名乗れば空海と信じ、心霊がキリストを名乗ればキリストであると信じる。その結果は、検証に耐えられない内容の霊界通信の山です。

 大川氏の霊能力は、管理人よりも数段上であろうとは思います。しかし、管理人には心霊に振り回されているだけの人間に思えてしまいます。管理人が前世治療や前世を調べることに対して懐疑的な理由の一つが大川氏の存在です。

 話の内容に矛盾がないとか、話が一貫しているだけではその話が真実であるかどうかの検証にはなりません。事実関係を検証することでしか、検証にはなりません。

 同じように依頼人の前世を霊視したとしてもそれが本当にその人の前世であるかどうかの保障など何一つなく、また依頼人の守護霊を名乗る心霊が現れたとしても本当にその人の守護霊であるかどうかを確認する手段もありません。

 催眠術で記憶を後退させることで生まれる以前の記憶を探る方法も研究されているようですが、潜在意識との区別を明確でないなどの幾つかの問題点も多いようです。そして何よりも差別意識の助長や現実逃避などの弊害が大きすぎると考えます。

 管理人は釈迦が来世や死後の世界について説かなかった理由がわかる気がするようになりました。霊魂の問題にしてもわかればわかるほど言葉で説明することが不可能な気がしてしまいます。そして空海や最澄が限られ者だけにしか密教を学ぶことを許さなかったのもなんとなくわかる気もします。

 つまり心霊の世界は管理人がどれだけ詳しく説明したとしても到底伝えられる世界ではありません。しかし、誤解することは実に簡単なのです。それを危惧するがために不幸の原因を前世に求めることに疑問を投げかけているのです。

 
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at 14:37, 星 良謙・子授け地蔵, 新宗教批判

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スターウォーズとSF

 このところTBや記事の紹介ばかりが続いているので管理人が話のネタに困っているのではないかと考えているあなた!管理人は話のネタに困っているのではなく、考えるのが面倒になっているだけなのです。

 その気になれば書けるのですが!がしかし、元中日の選手の集団と言われているあの楽天にさよなら負け!しかも元中日の選手ばかりが大活躍!好きな選手もいるだけに何とも複雑!

 しかし負けは負け。と言うわけでやる気が起きない。と言うわけで今日の投稿記事は話が難しくなります。このサイトは管理人の気分で内容は変わるのですときっぱり言い切ってしまう管理人です。

1.スターウォーズとSF
 SF小説が好きな人がスターウォーズはSFではないと言っていたことがあります。しかし、本格的なSF小説だけがSFでもなく、科学的な裏づけなど全くない単なる空想小説もSFとされているのも現実であると言えるのではないでしょうか。

 ただ、問題は娯楽作品としてはスターウォーズが優れた作品ではあるとしても空想科学小説として考えるべきではないと思われます。つまりスターウォーズは科学を無視して娯楽に徹した作品であり、スターウォーズを見ることで宇宙を理解できると考えてはならないのです。

 しかし、残念ながら多くの人はスターウォーズにて描かれている宇宙を本当の宇宙であると信じているのではないかと思うことがあります。例えばアポロ宇宙船の月面着陸が実際にはなかったと主張する人がその根拠の一つとしてあれだけ激しくジェット噴射をしているのに何も音がしないからおかしいと言っていたことがありました。

 その瞬間に管理人の頭の中は思考停止しました。「?」「何を寝ぼけたことを言っているのか?」「こんな意見を一々TVで流すのか?」「TV局は視聴者を馬鹿にしているのか?」何の疑問も抱かずに音がしないことからおかしいと考えた人は音の伝わる仕組みをネットでも本でもかまいませんので調べてください。

 少し科学の知識のある人ならばどれだけスターウォーズが現実を無視しているかはすぐにわかるはずです。管理人は娯楽作品であると割り切ってはみたものの戦闘シーンのばかばかしさに耐えられませんでしたのでスターウォーズは二本しか見ていません。ちなみに二本とも友人とのお付き合いでした。

 誰ですか?管理人が軍事お宅ではないかと疑っている人は!架空戦記の本は山積みにはなっては軍事お宅ではありません。何か書けば書くほど疑惑が深まりそうなのでこの辺でやめておきます。

2.ジョン・ウェインの愛国作品
 ジョン・ウェインと言えばアメリカの栄光の時代を代表する映画俳優であり、さして映画に詳しくもない管理人がここでジョン・ウェインについて語る必要もないと思います。ただ若い方には知らない人もいるかと思いますのでそんな方は→こちら
 ここで管理人がジョン・ウェインを取り上げているのは良くも悪くもジョン・ウェインが愛国主義者であったことです。ジョン・ウェインは国威高揚のための作品を制作したり、また国威高揚を目的とはしていない作品でもどこかしらご都合主義を感じてしまいます。

 管理人は国を愛することは悪いことではないと考えますし、娯楽作品として考えるならばジョン・ウェインの作品は優れた作品は多いとは思います。しかし、管理人は如何に国威高揚が目的であるとしても戦争を美化する作品だけは好きになれません。

 戦争反対を叫び続ければ戦争がなくなるとも考えていませんし、軍隊をなくせば戦争がなくなると考えるほど能天気ではありません。また戦争でなくなられた方を侮辱するようなことはすべきではないと考えますが戦争を美化することだけには反対します。

3.人助けと戦争
 管理人は新興宗教の教祖の説く人助けとはスターウォーズや国威高揚の戦争映画とおなじではないかと考えます。別に自分は多くの人を助けてきたなどと自慢するつもりはありませんが、多少の霊能力があったことから多くの人から相談を受けてきました。

 その経験からするならば新興宗教の教祖の説く人助けは現実を無視した話の羅列です。胃潰瘍に苦しむ人に胃薬を与えるならば一時的に胃の痛みはおさまるかもしれませんが胃潰瘍が治るわけではありません。本当に胃潰瘍を治すためには専門知識も必要であり、素人の手に負える病気ではありません。

 それを一時的に胃の痛みがおさまったからと病気が治ったかのように説くことは許されるのでしょうか。これが病気ならば多くの人が理解できるのですが人間関係の問題となると簡単には理解してもらえません。

 新興宗教の教えは伝統的な宗教の継ぎはぎだらけの教えが大半です。どの団体にしても教えの体裁を整えることは簡単なことであると言えます。もっともらしいことをもっともらしく言っているならばぼろがでることはほとんどありません。

 しかし本当に人生の問題を解決したいと考えるのであるならばそんな道徳論の隣のような教えでは解決できないことの連続なのにすべてが解決できるような錯覚に陥っている人々が溢れています。

 仏教の教えを学んでいると言いながら教団の教え以外には何の知識もなく、専門書の一冊すら読もうともしないのはスターウォーズを見て宇宙のことがわかったつもりになっているのと同じであり、人の悩みを解決しできると言いながらも精神病について何も知らないのは国威効用の映画を見て英雄気取りになっているのと同じことなのです。

 これまでに何冊かの本を紹介しているのもそんな現実を知ってもらいたいからです。もっともこのブログを読まれている方は新興宗教に入信されている方は少ないとは思いますが、菩薩行に憧れる人は少なくないと思います。

 管理人からするならば新興宗教の教祖の説く菩薩行は国威高揚の映画と同じでしかありません。救急医療の医師はどんなに患者を助けたいとの情熱を持っていたとしても多くの患者の死に立ち会わなければなりません。

 それと同じよう本当に人を助けたいと思うならば多くの人間の心の弱さや醜さを見続ける覚悟が必要です。しかし新興宗教の狂信者たちはそんな現実とは無関係に菩薩行の雰囲気だけに酔いしれている人たちであるとしか思えません。


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at 00:00, 星 良謙・子授け地蔵, 新宗教批判

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幸福の科学の教えの間違い

暫く更新できないと書いたのに毎日投稿している。・・・・
以前よりも頻繁な投稿????
本来は占いのサイトの構築で忙しいはずなのだが・・・・
う〜ん、これでいいのか・・・・
やはり管理人がWBCに浮かれ過ぎれているためか・・・
それ以外に何があるとの陰の声・聞こえないふりをする管理人

実はHPを構築する前に占ってみたのですがろくな卦がでない・・・
一応管理人も占い師ですから念のため悪徳霊能者ではありませんから・・・
疑惑の冷たい視線を無視する管理人

火水未済初爻変 準備不足・実力不足 当たっているかな?・・・・
坤為地五爻変  現状維持のとき   沈黙・・・・
これでやる気をなくしてしまったんです。
しかし・・・ここでへそ曲がりな管理人は考えたのです。何かが変だ!
と言うわけで再度占ってみました。

もしかして・・・・そして結果はやっぱり・・・とため息・・・
指導霊の方々は占いのサイトよりも新宗教(新興宗教)の教えの間違いを指摘することを優先しろとのご意向らしいのです!
誰が記事を書くと思っていのだ!!!!怒りマーク
巨人の星ならばここでちゃぶ台(今時入手こんなんな商品)をひっくり返すところなのでしょうが・・・・

と言うわけで不本意ながらとり合えず幸福の科学の教えについて書きます。

 幸福の科学の本にて書かれている内容の間違いを探すのはそれほど難しいことではありません。少し専門的に仏教を学んだことがある人であるならば直ぐに幾つかの間違いを見つけることができるはずです。

 管理人は前回の記事にて正しさの基準は一つではないと書きましたがここで管理人が指摘したいのは説かれている教えが正しい教えか間違った教えであるかではなく、文献の引用の間違いや歴史的な事実の誤認、更には伝統的な教学の内容をすり替えていることなどです。

 しかし幸福の科学の教祖である大川隆法は自らを釈迦の生まれ変わりであると自称しているだけでなく、地球上の最高心霊であると自称していますがその真偽を証明することは管理人にもできません。
 また大川隆法は現在の文明とは別の超古代文明が存在していたと公言していましたがそれらが絶対に存在していないとの証明することも実質的には不可能なことでしかありません。

 つまり証明不可能な事柄を間違いであると否定してみたところで不毛な論争にしかならず、また2チャンネルにて繰り広げられているような非難合戦を繰り広げることに意味があるとも思えません。
 更に脱会者のサイトに掲載されているような幹部の腐敗や強引な布教活動の実態や集金活動などの記事を見受けましたが管理人が書いたとしても意味はないと思われます。

唐突ではありますが
祝WBC日本決勝進出拍手\(^o^)/と普段は使わない顔文字を使う管理人!当然の如くはしゃぎまわる。しらける周囲。無視する管理人。一人だけで騒いでいることに気が付き何事もなかったかのように話を戻す管理人。

 しかし幸福の科学の教えの間違いを指摘する内容の記事であるならば既に掲載しているのです。つまり「人間は何処から来て何処へ行くのか」「大乗仏教の成立」の二つは記事の内容は幸福の科学の教えの全面的な批判の記事にもなっています。

 前述の記事では主に縁起について書きましたが幸福の科学においても一応は縁起の教えにつていも説かれていますが縁起の教えとは原因と結果の連鎖であるとされています。しかしこれでは仏教の教えとしては何も説かれていないのと同じなのです。
 縁起の教えとは相互依存の関係を説く教えであり、釈迦は第一原因としての仏や神の存在を認めてはいないだけでなく、そのことを明確に否定したことが無視されています。

 ところが大川隆法はその教えの中で第一原因としての仏の存在を明確に認めているのです。そのためこの宇宙も地球上のすべての生命も根源の仏の意思にて創造されたと説いているのです。
 しかしこの考え方は釈迦が明確に否定したバラモン教の思想なのです。当時のバラモン教・後のヒンドゥー教の教えです。バラモン教の教えでは根源の創造原理であるブラフマン(梵)と個々の人間の有するアートマン(我)は同一であるとされています。それが梵我一如の教えなのですが釈迦はこの梵我一如の教えを否定しているのです。

 さらに大川隆法は第一原因の存在として根源的な仏の存在を認めているだけでなく、個々の人間は心の奥底に根源の仏と同じ心を持ち、その心を最大限に輝かせることこそが輪廻転生の目的であると説いています。
 つまり大川隆法の説いている教えは釈迦が否定されたバラモン教・後のヒンドゥー教の教えと同じなのです。釈迦が否定されたバラモン教を土台にしてその上に大乗仏教の教えを積み重ねるのですから当然の如く矛盾だらけの教えです。

 では大川隆法はどうしているかと言えば自分に都合の悪い部分の教えはすべて切り捨てて抜け殻となった教えだけを会員に説いているのです。そのため幸福の科学の教えは仏教とは名ばかりの教えなのです。

 その一つ一つを管理人が紹介することは可能ではありますが管理人はそれでは何も問題は解決しないと思います。自分自身で何が間違っていたかを知ることが教えの呪縛から開放される早道だと考えます。

 管理人はこの記事を書く前に幾つかの脱カルトのサイトや脱会した信者のサイトなどを見ましたが教えの間違いを指摘したサイトをほとんどありませんでした。管理人はそのことに疑問を持ちました。自分たちの心の傷を癒すことは必要でありますが過去を清算することも大切なことだと考えます。
 もし幸福の科学の会員の方であるならば推薦図書はサイドに掲載していますのでご自分で確認で確認してください。


続きは管理人の愚痴になってます。
後日記事を追加しました。

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at 23:02, 星 良謙・子授け地蔵, 新宗教批判

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