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久々に呪いについて(星)

少しばかりブログの投稿を休んでおりました。(- .-)ヾ ポリポリ
仕事が忙しかったわけでもなく・・・・
病気にて寝込んでいたわけでもなく・・・・
未整理のままになっている霊界通信を整理していたわけでもなく・・・
占いの勉強をしていたわけでもなく・・・
何をしていたのか?????
自分でも悩むような日が続いていました。(-_-)ゞ゛ウーム

と言うわけでそんな人間が反省について書くのもおかしな話ですので・・・・
久々に呪いについて書きます。

本当に力のある霊能者や方術に精通している人、或いは密教に精通している人であるならば人を呪う方法は知っているか、教えられなくとも気が付いているはずです。

しかし、本当に力のある霊能者や祈祷師などは除霊などをお願いしたとしても二十万から三十万は覚悟していただけなければならないと聞いています。これは占いの世界でも似たようなもので第一人者と呼ばれる著名な占い師は一回に付き最低でも五万、人によっては十万は覚悟していただかなければなりません。
※管理人は低価格にて御奉仕させていただいておりますのでお悩みの節には是非とも御用命を・・・m( _ _ )m

一般的な除霊などでもこれだけの金額ですので誰も引き受けたがらない呪いとなればこの程度の金額ですむはずもありません。また仮にそれだけの金額を用意したとしてもそれなりの人脈がなければ巡り会うことすら不可能であると言えます。

呪いや呪い返しは基本的に殴り合いの喧嘩と同じです。相手を倒すか、倒されるかの二つに一つであり、余程力の差がない限りは呪った人も無事では済みません。そして相手を呪ったことで何の被害も受けなかったとしても最終的には呪ったことの報いを受けなければなりません。

呪いを引き受けている行者は例外なく非業の死を遂げているか、死の断末魔を体験することはこの世界に身を置く者ならば常識と言えます。そのため本当に力のある人であればあるほどその恐ろしさを知っていますので簡単には引き受けないのです。相手の事情を聞き、そして相応の謝礼(半端な金額ではありません)を受け取った後にしか引き受けません。

また一部の書籍などにおいては人の呪い方などが安易に紹介されていることもありますが本来の呪いとは相手を倒すだけで自分が何も被害を受けないと考えるべきではないことがまず書かれていません。昔から「人を呪わば穴二つ」と言いますが呪いとは自分の心が魔界へと通じる場合にその効力が発揮されるのです。つまり自分自身が鬼や夜叉になったときに呪いが成功するのであり、呪いの方法とは自分が鬼や夜叉になるための方法であると言えます。

そのため、世の中には念が強くて自分が恨んだ相手は必ず不幸になると自慢される人もいるようですがそれは自分の心が鬼や夜叉と同じであると自慢されているのと同じことなのです。

神仏にはどんな極悪人であるとしても救済の対象であり、どんなに暴悪な形相の仏であるとしても慈悲の姿なのです。そのため降魔折伏の祈願であるとしてもそれは相手の悪行を止めるための祈願であって相手の不幸を願う祈願ではありません。そのため真っ当な宗教であるならば降魔折伏の祈願はあっても呪いはありません。

降魔折伏を祈願して相手が辛い経験をしたとしてもそれは本人の学びであり、気付きの機会を与えられているのです。またその試練も本人が蒔いた種が原因であると言えます。そのため相手の不幸を願う心が僅かでもあるならば降魔折伏の願いが届くことは難しくなります。

また神仏の働きとは多くの人々が考えるほど単純ではありません。過去に降魔折伏の祈願をしたときの神仏の働きを書くことは可能ではありますがそれはまた別の機会にしたいと考えます。





at 11:23, 星 良謙・子授け地蔵, 呪いについて

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呪いと嫉妬心

 TVは朝から村上氏のインサイダー取引容疑での逮捕と秋田小一殺害時間の容疑者逮捕にて持ち切りのようです。管理人としては村上氏のインサイダー取引のニュースの方に関心があります。と言うのも村上氏批判の中には何か嫉妬心に近い感情を感じてしまうからです。

 勿論、村上氏が法令に違反したことは弁護することはできませんし、また村上氏にその認識がなかったとしても弁解の余地はないことも事実です。しかし、汗を流して働くことなく金を儲けることは悪いことであるとの風潮には少し疑問を感じています。別に肉体労働だけが労働ではなく、知的な仕事も同じ労働であり、肉体労働とは別の意味での過酷さがあることが忘れ去られているのではないかと思います。

 額に汗する労働には価値を認め、知的な労働には価値を認めない考え方は一つの偏見でしかなく、情報に対してお金を支払う気持ちのない人間と同じではないかと思います。情報を得るためにお金を支払う気持ちのない人には少なくとも経営者にはなって欲しくはありませんし、神仏に対してお金を使う気持ちのない人に信仰を理解することはできないと考えています。

 管理人には額に汗する労働には価値を認め、知的な労働には価値を認めない考え方の根底には短期間にて巨万の富を得た人に対する根深い嫉妬心があるからではないかと思えてしまいます。

 今回は前回の呪い関連の記事の続きですが呪いを解明するにはこの嫉妬心について理解する必要があります。

1.呪いと嫉妬
 人の不幸を願う感情の中で一番醜い心とは嫉妬心であり、また人間関係において一番問題の解決が困難なのがこの嫉妬心ではないかと思います。つまり怨みや憎しみの感情であるならば謝罪することで和解することができることもありますが嫉妬心が原因の場合には如何に謝罪したとしても何も問題は解決しません。

 それは相手が不幸になることだけを願っているのであって相手に謝罪を求める気持ちではないことが原因です。ただそれを自分に都合の良く話をしているだけで心の底で願っているのは相手の人生が破滅して不幸のどん底に落ちることだけなのです。

 そのことが分かっていない盆暗な宗教家は謝罪や感謝の大切さばかりを説きますが管理人の体験では相手が嫉妬心から嫌がらせを繰り返す場合には謝罪や感謝はまず効果はありません。逆に相手は謝罪や感謝を当然のことであると受け止めて際限なく、謝罪や感謝を求め続けることになる確率が高く、問題の解決を更に困難とする結果となります。

2.嫉妬心と心の闇
 では少なくとも盆暗ではない心霊にその現実を如何に考えているのかを尋ねた回答が前回の記事です。宗教家としての回答とするならば至極当然ではありますが仏の前での平等や折伏の精神を理解できるには菩薩の境地に近い悟りを得ていなければその実践は困難となります。

 これが管理人のように煩悩の塊のような人間にはただの理想論でしかなく、また争いの当事者にそのような考え方を求めることも無理な要求ではないかと思えてしまいます。

 しかし、問題を根本的に解決しようとするならば心霊の説く教えが正論なのです。相手の心に問題があるならば相手を説得するか、自分が変わるしかありません。

 その現実を無視して神仏に奇跡を求めたとしても問題は解決しません。神仏は如何なる悪人であるとしもその人間を支配することもなければその命を奪うことはないのです。

3.神仏への祈願の条件
 では神仏に祈願することは無駄なのかと考えるならばそうでもありません。ただその場合には祈願をする心構えが問題となります。神仏が慈悲の存在である以上は相手の不幸を願ったとしてもその願いが聞き届けられる可能性は非常に低くなります。

 そのため神仏に祈願するときの条件としては関係者の幸せを願うことが前提となります。また問題が複雑にこじれている場合などは特に自分の求める決着にこだわることなく、関係者にとって最善の決着となることを願う心が必要となります。

 そのため、基本的には結果にこだわない気持ちが必要となります。また如何なる結果になるとしてもそれを神仏の意思であると受け入れるだけの気持ちが必要となります。

4.神仏選び
 祈願する人間の都合にて神仏を選ぶのは不遜であると考えることもできますが管理人はこのような場合には荒神に分類される神仏に祈願することにしています。また神社仏閣としては都心にある神社仏閣よりも山間部にある神社仏閣を選ぶことにしています。

 これは荒神や山間部の神社仏閣の方が力のある心霊が揃っていることを意味しているのではなく、強引な決着ではあるとしても問題の解決が早いからです。簡単に書くならば気性の激しい心霊が多いと言うことでしょうか。

 特に修験道の盛んな土地の神社仏閣はその傾向が顕著となります。しかし如何に激しい性格の神仏であるとしても基本的には慈悲の存在です。ただ問題の解決の手段が少しばかり手荒と言うことです。

5.修行の場としての神社仏閣
 苦難困難の中にある人はどうしても神仏に救いを求めたい気持ちを持たれると思いますが、山間部の神社仏閣に祈願を訪れる場合には神仏を救いを求める気持ちだけでは祈願が聞き届けられない可能性が高くなります。

 これは山間部の神社仏閣は修行のための場所であることが理由です。つまり心霊からするならば神社仏閣の敷地に足を踏み入れたならば在家であろうとも修行の身であるのです。そのことを忘れてただ助けて欲しいだでは相手にされないのです。

 これは何も巡礼の装束を身につけてお経を読まなければならないと考える必要はありません。そうではなくて心構えが問われるのです。少なくとも自分は被害者であり、悪いのは相手であるとの考えを持っているようでは相手にもされないのです。

 つまり関係する人間にとって一番良い解決を求める心が必須条件となります。そして自分にとって不満足な結果となったとしてもお礼参りに出掛ける心がなければとても祈願が聞き届けられることないと考えてください。


関連記事 呪いについて 呪いについて2 呪いについて3 弥陀の慈悲と折伏 

at 13:58, 星 良謙・子授け地蔵, 呪いについて

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弥陀の慈悲と折伏

 昨日、野間大坊にお参りに行ってきました。ここは源義朝公御廟があることで有名なお寺です。

源義朝公御廟由来
源氏の聡氏左馬頭源義朝公は京都六波羅合戦で平家に敗れ、東国に向かわれる途中この地の東方野間田上の湯殿で、家臣長田忠致のために入浴中謀殺されしその時、我れに木太刀の一本なりともあればと悲痛な一言を残されて最後を遂げられました。
その霊のために木太刀を献ずるならわしができて山のように積まれています。木太刀ご奉献の方はすべての願いが叶うといわれています。
案内標識による


 詳しくはこちら 疾風のたより

 と言うわけで無念さつながりにて呪いについて書きます。何か、冷たい視線が・・・あまりに安易な発想だとの疑惑を抱いたあなた!そんな考えが心を貧しくするのです。そんな方は管理人の著書を読んで心を磨いて・・雷「こらー」と久々の心霊のご登場・・何か、お武家さまのような姿・・

 これは失礼をば!無念な死に方をされてはいますが憎しみの心は抱いてはおられないとのお話ですので補足さていただきます。

1.呪いと武術
 管理人は呪いの方法について具体的なことは書いていませんがその気になれば呪い方を具体的に解説してある本は何冊かあります。管理人も持ってはいますが別に呪いのための資料として持っているのではなく、呪術の本の中に呪いについても書かれている関係で持っているだけです。

 しかし基本的には呪術、特に呪いの具体的な方法論に関してはあまり関心がなく、ほとんど信用していないに近いのが本当です。その理由としてはこのような技術は本来一子相伝であり、公開されている技は最もらしく偽装されている可能性が非常に高いのです。

 また仮に偶然の重なりにて本当の呪いの技を知りえたとしても実践する人に力がなければ意味はありません。逆に呪いを実践する人に力があるならば技に頼らなくても呪いは成立してしまいます。

 これは武道の技を本で覚えようとするのと同じです。ひ弱な人間がいくら形だけを覚えたとしても実践では何の役にも立ちませんが腕力が強ければ技を知らなくても相手に勝てる可能性は高くなります。

2.人の不幸は蜜の味
 人の不幸を喜ぶ気持ちがない人は少ないのではないかと思います。ましてそれが自分が嫌悪する人間や憎い相手であるならば快感を覚える人も多いのではないでしょうか。

 そんな気持ちが非常に強い人の中には自分が怨んだ相手が不思議と不幸になると喜ぶ人すらいます。これはその人の憎しみや嫉妬などの念が相手を不幸に陥れているだけのことなのですが本人は気が付いていないことが多いようです。

 これが更に酷くなると相手の不幸を予言するようになります。これは予言でも何でもなく、自分が相手を陥れているだけなのですのですが本人は自分には予知能力があると考えることが多いようです。

 しかしその心は決して褒められた心ではなく、神仏が最も忌み嫌う心でもあります。そのため積極的に人を憎むことは神仏との縁を切ることになります。つまり相手の不幸を喜ぶ快感と引き換えに自分の人生の幸福を失っている人たちであると言えます。

3.呪い返しは核戦争
 呪い返しとの言葉を聞くと何かこちらは何の被害もなく、自分に向けられた呪いをすべて相手に跳ね返してしまう技であるかのように考える人も多いのですが現実にはそれほど単純ではありません。

 かりに自分は相手からの呪いを跳ね返すことができたとしても自分の周囲の人間が相手からの呪いの被害者となる危険性があります。そのときには老人や子供など弱い人が巻き込まれる可能性が非常に高くなります。

 そのため本当に効果的な呪い返しとは相手を一撃で倒す呪いとなります。つまり最初の一撃で自分が被害を受けたとしても報復攻撃で必ず相手を倒すことが本当に効果のある呪い返しなのです。

 そのため呪い返しとは核戦争と同じなのです。報復攻撃で相手を倒せなければ自分が次には致命傷の報復を受ける。それが呪い返しの現実です。

4.弥陀の慈悲と折伏の精神
 では呪われている人間や嫌がらせを受けている人間は一方的に攻撃にさらされているだけで何も反撃してはならないのかとの疑問を抱くことになります。このことを多くの心霊に尋ねたことがありますが最終的な結論としては弥陀の慈悲と折伏の精神でした。

 これは浄土真宗と日蓮宗に代表される対極の教えである言えます。勿論、弥陀の慈悲を説くのは他力門も宗旨であるならどこでも同じであり、折伏にしても日蓮宗に限られた教えではありません。

 管理人が感じたのは心霊の語る教えの趣旨を要約するならばどんな極悪人であるとしても仏の前では平等であることとすべての人間は仏の慈悲の対象であるとの考えです。また極悪人だからこそ仏の慈悲に目覚めさせるべきであり、仏の教えに帰依することを教えるべきであるとの考え方です。この二つの教えは裏表の関係であり、共に仏の慈悲が根底にあります。

 そのため心霊に周囲の者に不幸をもたらし続けている人間の対処を尋ねたとしても常に仏の慈悲を前提とした話となります。つまり相手もまた救われるべき人間であることを忘れてはならないとの話とそんな人間だからこそ救わねばならないとの話となります。


 具体的な対処について書きたかったのですが長くなりましたのでその記事は次回に投稿します。

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at 11:00, 星 良謙・子授け地蔵, 呪いについて

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呪いについて3

 東海地方は大雨雨ニュースでは洪水や土砂崩れが予想されるとのこと。どこかの霊能力を自慢されている霊能者の偉い先生方、そのご自慢の霊能力を駆使してこの雨を何とかしていただけないものでしょか?(ーー;)
 それともこのぐうたら管理人が頻繁に投稿していることが?またそんな馬鹿なことを書く気か!怒りマーク雷やっぱり違いますよね。ちょっと言ってみただけです。

 本当は神霊スポットの記事の続編を書くつもりだったのですが呪い呪い方呪い返し生霊などを検索してこのサイトにアクセスされる方が毎日数件あることから改めて追加の記事を書くことにしました。

1雑感
 一応は管理人も「呪い」で検索してみたのですがあるわあるわこんなにも呪いのサイトがあるとは思いもしませんでした。心霊や霊能者などのリンク集やランキングサイトなどにて呪いのサイトが上位にランクインしていることは知っていましたが少しばかり驚きました。

 何が書いてあるのかと数件のサイトを開いてみたのですが「・・・・」「→→→→→」「・・・・」「→→→→→」以下繰り返し

 こけおどしと悪い冗談のようなサイトばかりでした。これでは呪いの代行をする側が依頼者から金返せ!怒りマークと逆に呪われるのではないかと心配になりました。逆にこの程度の内容であるならば毒にも薬にもならないので公開したとしても何も心配ないとは思います。

2式神について
 ただ唯一これは危険であると感じたのは式神を簡単に扱えるかのように書いてあったサイトですがこれは非常に危険な考え方です。式神を扱えるようになるには一定の修行が必要であり、安易に式神を使えるなどと考えるべきではありません。

 式神と言えども相手は神なのです。その神に対して命令をするですから自分にそれだけの力がなくては命令などできないのは当然のことなのです
 まして相手を呪うために式神を利用するとなればそれだけの理由も必要であり、また当然、それだけの力も必要となります。

3式神に取り囲まれた経験
 管理人は陰陽師ではありませんので式神を利用することはありませんが式神に取り囲まれたことは一度だけあります。それはある現世利益で有名な神社に参拝したときのことでした。

 本殿に参拝した帰りに式神と思われる社に参拝したのですが式神の皆様が
団体でお出迎えしてくれました。と言うよりも周囲は式神だらけでその数も数えることができないほどの式神に取り囲まれたと言う状態でした。

 管理人もさすがにそこまでの団体の式神に取り囲まれた経験は初めてでしたがさすがにあれだけの数の式神に取り囲まれると迫力がありました。何故、そんなことになってしまつたのかを書くならば管理人が本殿にてそこの神様から言葉をたまわったことが原因でした。

4式神は相手を値踏みする
 管理人は僧侶でもなければ神主でもなく、その神社に訪れたのもその時が最初でした。そのため式神の側からするならば何故、管理人のような人間にその神社の神様が言葉を降ろされたのかと興味を持ったのではないかと思われます。

 何せ管理人は自分が霊能者であるとの自覚などない人間ですので一般の方が参拝されるのと同じような参拝しかしません。ただ必要に応じて祝詞やお経を称える程度でしかありません。そのため式神からするならばさぞかし不思議だったのではないかと思います。

 つまり管理人の値踏みされたのです。その試験に合格しなければ相手にもされないのです。管理人がその試験に合格したかどうかは知りませんがその後は取り囲まれることもなくなりました。

 その後に式神とお話もさせていただきましたが彼らは神の意向に従って働くだけであり、自分たちは教えを説く立場にはないと特に教えは説かれませんでした。

5式神にもなれぬ心霊
 基本的に心霊の世界に関しては詳しくはないのですが管理人の霊能者としての経験では式神の世界も厳しい序列がある世界のようです。そのため通常ならば神の意向を無視して式神が単独で動くことはないと思われますが中には単独で動く式神もいるようです。

 もしただ憎しみの気持ちだけで式神を利用したいと考え、目的を達成できとするならばその時に動く式神は上位の心霊の意向とは無関係に単独で動いている式神であると思われます。

 その式神に頼るのは非常に危険なことです。彼らは力はあってもそれほどの悟りはありません。彼らもまだ修行途中のです。そのため順調に推移している時はいいのですが事態が悪化した場合には逃げ出したりすることも多く却って事態を混乱させる結果になることも多いのです。


関連記事 呪いについて 呪いについて2

at 23:44, 星 良謙・子授け地蔵, 呪いについて

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呪いについて2

 管理人のつまらぬギャグが長すぎたことから成り行きで呪いについて書いたためか「呪い」や「呪いの方法」を検索された方がこのサイトにアクセスされているようです。

 そんのな方々は管理人の能天気な文章で始まる記事に呆れて直ぐにページを閉じられたのではないかと思います。閉じたのは「呪い」や「呪いの方法」を検索された人だけではないぞ!と陰の声。うろたえる管理人。

 ここでいつもならば話題を変えて誤魔化すのですが今日はそれができないので聞こえないふりをします。それもいつものことと陰の声。まま兎に角話
を進めます。(兎に角が読めなかった人は辞書で調べてください・これも勉強です)

1危険性
 前回は呪いの具体的な方法論については何も書きませんでしたが呪い方を知らないわけではなく、呪うことが愚かなことであると心霊から止められたから呪わないのでもありません。人を実際に不幸にするほどの想念を生み出した場合には自分の身内などに影響を及ぼすだけでなく、万一にもその呪いが跳ね返された場合には身内に被害が生じることがあります。

 これは呪われた場合でも同じなのです。呪われた本人が呪いを跳ね返すだけの力を持っていた場合には呪われた人間の身内、それも一番弱い老人や子供が被害者になります。
 そのため管理人が天涯孤独の身ならば「呪い引き受けます」のサイトを開設・・これはこれは指導霊の皆様・・度々のお越しで・・・
 とまあ、管理人は常に監視されていますので・・監視していないと何をやるか危なくて仕方がないとの陰の声は無視するとして

2術としての裏表
 あまりお役には立てませんが人を呪うことは人を助けることよりも遥かに簡単なことなのです。例えば病気を治すことは難しくても病気になることは簡単なのと同じです。たかが安物の湯のみであったとしてもそれを一から作るとしたら大変ですが割るのは一瞬で終わります。

 そのためある程度の能力を持つ霊能者であるならば誰でも人を呪うことはできるはずであり、相手を呪い殺せるだけの力のない霊能者では人を助けることもできないはずです。

 では霊能者の大部分が人の呪い方を勉強しているかと言えば人の呪い方を専門的に勉強する人間は少ないと思います。しかし人を助ける方法を勉強しているならば人を呪う方法も自然に分かるはずなのです。つまり術は使い方次第で人を助けるために使うこともできれば人を傷つけるために使うこともできるようになります。

 しかしこのことについてこれ以上かくならばまた怖い指導霊に取り囲まれてしまいますので書けませんが・・何か冷たい視線を感じる管理人。アクセスアップのためなら書きかねないと不信の目で見る指導霊。管理人はそんなことは書きません。ただ手掛かりとなる本を二・三・・・やっぱりだめですか!

3助言・被害者の救済
 仕方ありませんので人を呪い殺してやりたいほど憎しみや怒りを持たれた方への助言を書いておきます。不幸にして自分の身内や大切な方が極悪非道な人間の犠牲になった方の場合、これが一番激しい憎しみと怒りを抱かれると思います。月並みとはなりますが犠牲になられた方の救済を最優先されることをお勧めします。

 神仏に祈願した場合に一番その祈願が聞き届けられる可能性が高いのはこんな場合の祈願なのです。本当に救いたいのであるならばお百度参りを実践することもできるはずであり、本堂や本殿の前で土下座してでも祈願することはできるはずです。

 ただし、自分が祈願したしたことがすべて実現されることは期待しないでください。亡くなられた方が生き返ることもなければ末期癌の患者がもう一度健康な身体を取り戻すことは神仏にどれだけ祈願したとしても実現できないことなのです。

 祈願してその願いが聞き届けられたとしてもそれは現状において望み得る最善の状況を得ることはできるかもしれませんが祈願した内容がすべて実現されることは非常に稀なことなのです。そのため祈願の結果が如何に不満足であるとしてもそれが神仏の意向であると受け入れる覚悟がなければ最初から実践すべきではありません。

4助言・神仏の慈悲
 また自分が被害者である場合や相手をどうしても許すことができない場合でも憎しみや怒りの心にて神仏に祈願してもその祈願は神仏に聞き届けられることはないと考えてください。
 映画や小説の中で祈祷僧が戦勝祈願や降伏などを祈願して祈祷をする光景などが描かれる場合は多いのですが本来の意味は相手の心の闇を破り、正しい教えに帰依させることを目的としています。

 如何に恐ろしい形相を持つとしされている明王系統の仏や四天王や三宝荒神であるとしても慈悲の心を持たれている方々です。そのためもし祈願されるのであるならば加害者が一日も早く改心してこれ以上は罪を重ねないように祈願することが重要となります。
 無論、神仏のお力にて災いを受けることがないようにお願いすることは当然のことです。

 次にどうしても怒りや憎しみを捨てられない方にはすべてを仏に委ねてしまう方法があります。これは他力門の考え方なのですが怒りの心や憎しみの心を捨てられないのであるならば怒りや憎しみの心のままにすべてを仏に委ねる考え方です。

 これは他力門の宗旨の方には特にお勧めな方法です。怒りや憎しみの心を捨てようとしたところで簡単に捨てられるはずもないのであるならばその苦しみを仏に委ねてしまう考え方です。
 これはこれで難しい面もありますが神仏の加護を受けることで状況が次第に好転することも多くあります。

5呪術の世界
 これが公式見解と言うべき内容です。これから先は呪術の世界に入りますが本当の呪術はまずサイトで見つけることはできないと思います。また仮にあったとしも入り口の話だけであり、一般の方に理解できるようには書いてないと思います。逆にある程度の知識と実践経験のある人間であるならば手掛かりさえあれぱ自分で工夫すれば実践できるはずです。

 占いでも同じですが本当に力のある人間はあまり脚光を浴びることはありません。まして呪術の世界は一子相伝の世界です。管理人も本当に力のある人には会ったことはありません。

 裏社会ではありませんがそれなりの紹介がなければ相手にもされないと聞いています。幸運?に恵まれて出会うことができたしても呪いとなれば謝礼は半端ではないことだけは覚悟してください。

 最も中にはリーズナブルな価格にて引き受けてくれる方もいるようですが効果の方もそれなりだと思ってください。この記事の内容では何かとご不満をお持ちの方も多いかとは思いますがご容赦を
 

関連記事 呪いについて 呪いについて3

at 16:24, 星 良謙・子授け地蔵, 呪いについて

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呪いについて

 いよいよペナントレースがと言ってもパリーグは既に開幕済み、大方の予想通り楽天は連敗!田尾監督を追い出した報いじゃと五寸釘を探す管理人。(管理人は中日ファンなのです。だから元中日の選手の多い楽天を応援していたのですが監督交代から少々変化))藁がないので野村監督の顔写真で代用しようかとも考えたがここは三木谷氏の写真かと考え直す。しかし打ち込むべき木がない・・・まさか庭木に打つわけにもいかず・・・とあっさりやめる管理人。
 しかしながら今でも本当にやる人は多いようなので書きますが正式?には呪いの藁人形は女性だけに許された呪術です。男は自分の力で復讐しろと言うことでしょうか?また本来の意味としては自分が魔物と化して相手を呪うための方法であり、その呪いが成就するとは自分が魔物になることを意味している恐ろしい呪術なのです。
 管理人の家から車で一時間ほどのこの地域では有名な神社の境内に時折藁人形が打つこまれているようです。管理人は真新しい釘を抜いた跡見たことがありますが実物は見てません。
 蛇足ながら藁人形ではなく、靴や履物が打ち付けられている場合には呪いではありません。家出人の家族なとが家出した人間の履物を打ち付けることで家に戻ることを祈願する(足を止める意味)場合に行われる一種の呪術です。
 くれぐれも皆さんは実践されることがないように!藁人形の聖地?である貴船神社の神主さんも以前TVの取材で嘆いておられました。非常に危険なことです。やるならもっと安全で確実な方法を・・・こら!お前は何を書く気だとの怒鳴り声が!!!う〜ん、おかしい今日は一人のはずが??
 と普通ならばこれだけで怪奇現象なのですが気が付けば指導霊の皆様方がお揃いで管理人を睨み付けておいでで!!!やばい!さっさと話題を変えます。指導霊の皆様方(何故か?背中に火を背負ったり、やたらと長い棒やら剣を持たれた方が多いのはきっと気のせいでしょう)管理人はそんなことここでは書きません。問い合わせのメールがあれば銀行口座を・・・・いや、そのそんなに怒らないで!軽い冗談ですから!・と書いたものの信用されていない!やっぱり話題を変えます。

 前回TBしていただきながら掲載できなかったヒロさん日記が今回掲載されました。リンクが不調なのでTBからアクセスしてください。管理人も拝見しましたが記者の方だけあってなかなか鋭い洞察力をお持ちであり、管理人もお気に入りに登録しました。

 馬鹿な話ばかり書いていたので今日書こうかと考えていた心霊写真の話題は次回にてして呪いについて少し書き加えます。呪いの方法には各種ありますが呪いの藁人形にしても人間の想念の力を増幅させるための手段であり、その作法も如何に憎しみを増大させ、またそれを持続させるかのためにあると考えられます。
 特にボーダーライン(境界性人格障害)と呼ばれる精神病の患者などの場合には非常に激しい思い込みをされることから本当に生霊となって相手に不幸をもたらす場合があります。ただ並みの人間では生霊となって相手を陥れることはできません。一日中相手への憎しみだけを持ち続けることができるような執念深い人間にだけ可能です。
 しかし、管理人は悪霊ならばさして恐れることはありませんが相手が救いようがないほど執念深い人間の場合にはお手上げです。管理人にも被害を最小限にすることしかできませんが過去にそんな生霊から身を守り通した人が一人だけいました。
 その方は女性でしたが交際相手がべたぼれで一日中その女性のことを考え続けていたことからその方の周囲には不幸が続いてもその方には何も起きませんでした。つまり生霊には生霊でしか対抗できないようです。
 ではその執念深い人間はどうなったかと言えば誰からも相手にされなくなって破綻への人生をまっしぐらとなりました。そこまでの憎しみを持てばその憎しみの力は自分の人生をも破綻させてしまいます。どうか皆さんも気お付けてください。

at 16:49, 星 良謙・子授け地蔵, 呪いについて

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