ブログの投稿を再開した時には、また振出しに戻ってやり直しを覚悟していました。
ブログを始めた当初は、1日ページビューが20件から30件であり、検索ロボットのアクセスしかないのではないかと思うような数字でした。その当時の気持ちに戻って書くのも良いかと考えていましたが、このところ中断していた時期よりもアクセスが増えているような・・・・
(゜▽゜;) オドロキー
しかし、このところ保守系の本ばかり紹介しているのでこれで良いのかとも考えています。
勿論、保守系の思想を宣伝することや左翼思想を批判することが目的ではありませんが、左翼思想と霊障の問題には共通点が多いことから話題に困らないことが保守系の本を紹介している理由ではありますが・・・
( ̄-  ̄ ) ンー
ブログを再開した当初は、真言立川流や世界各地の呪い、スピリチュアル系のブログで取り上げられているソウルメイトと言った話についても取り上げるようかと考えていましたが、今一つ気が乗りませんでした。気が乗らない理由を考えてみましたが、日常生活とはあまり縁のない話題であり、オカルト好きの方向きの話であることに気付きました。
記事を書いている人間が気の乗らない話を書くならば、読者も面白くないのではないかと勝手に考えていますので、暫くはこのまま続けようかと考えています。
それはさておき・・・
今回も「韓国壊乱」から気になる箇所を引用することから始めます。
洪 文在寅たちチュサパ(主体思想派:金日成がマルクス・レーニン主義を北朝鮮に適用したとする朝鮮労働党の「主体思想」を信じる人びと)の価値観の転倒、教養レベルの低さには恐るべきものがあります。
彼らは高校時代以降、少しも知的に成長せず、自由民主体制の経済・社会に適応できないまま『社会変革・革命」を追い求めてきました。学生時代から友人や先輩に誘われてマルクスを読み、とにかく金持ちは悪だ、という思想に感化される。そこから一歩も成長せず、化石化したような人間が数多くいます。ものの見方が歪み、家族や友人とまともに話ができない。サイバー空間の仮想現実のような妄想のなかで、社会主義的なユートピアを夢想している。文在寅・任鍾皙(イムジョンソク)(文大統領の秘書室長)はじめ、対北従属のチュサパは仮想現実のなかでもがく哀れな人びとだといえるでしょう。
韓国壊乱 P38-P39
チュチェ‐しそう〔‐シサウ〕【チュチェ思想】
《「主体思想」と書く》朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮労働党の政治思想。マルクスレーニン主義を基に、金日成が独自の国家理念として展開した。人間は自己の運命の主人であり、大衆を革命・建設の主人公としながら、民族の自主性を維持するために人民は絶対的権威を持つ指導者に服従しなければならないと唱える。
デジタル大辞泉より
北朝鮮の実態を少しでも知るならば、主体思想を学ぶ気になること自体が信じられない気もしますが、日本でも主体思想を信奉している人間が少なからずいるようです。しかし、この問題に関しては、本を探している段階であることから深入りは避けますが、洪氏の語る「価値観の転倒、教養レベルの低さ」について少し解説します。
一般的に一流大学の卒業者や弁護士、医者などの高い専門知識が要求される国家試験の合格者、大学教授などは、高い教養を持っている印象があります。しかし、一流大学への入学や高い専門知識が要求される国家試験で求められるのは、豊富な知識であり、思考能力ではありません。そのため、受験のために必要な知識は豊富でも社会常識と言われる知識が欠落している場合があります。たとえば、司法試験などを目指す場合などには、社会人であっても受験生と同じように朝から晩まで何時間も勉強し続ける生活を何年も続けることが珍しくありません。当然のことながらこのような生活を続けるならば、専門知識は豊富でも社会常識が欠落した人間が生まれる可能性が高くなります。
更に付け加えるならば、日本の学校教育にも言えることですが、学校の教育が知識の吸収に偏っていることもあります。つまり豊富な知識を得るための内容に偏り、自分で考えるための教育はほとんどされていないのが現状であると聞いています。このことに関しては、ネットで配信されているニュース番組の虎ノ門ニュースやニュース女子の中で学者の武田邦彦氏がいつも嘆かれていることです。学校で優秀な成績を得るためには、教えられたことを覚え、試験では教えられた通りの回答を書くことですが、これは模範解答が存在していることが前提となります。
もし、模範解答が存在していない場合にはどうなるかと言えば、自分で考えるしかありません。場合によっては自分でやってみるしかない場合もありますが、優等生タイプは、模範解答のない問題に直面すると途端に無力となる傾向があります。これが官僚制度の弊害の根底にある問題となります。つまり前例と言う模範解答がないことを極端に嫌い、前例にないことを認可しないことが組織の硬直化となります。そこにあるのは、失敗を恐れる自己保身と思考能力や発想力の貧弱さではないかと思います。
これに対して、正解が存在しているのかどうかも分からない問題に取り組む場合に求められるのは、過去の知識の蓄積以上に自分で考える力が求められます。しかし、自分で考える思考力は、受験勉強では鍛えることができない力です。韓国は日本以上に受験競争が激しいことから、文在寅大統領が受験のために必要な知識は豊富でも社会常識と言われる知識が欠落している可能性は高いとしても不思議ではありません。
そうすると洪氏の語るように高校時代以降、少しも知的に成長せず、自由民主体制の経済・社会に適応できないまま『社会変革・革命」を追い求めてきたことは充分にあるだけでなく、学生時代から友人や先輩に誘われてマルクスを読み、とにかく金持ちは悪だ、という思想に感化されていたとしても不思議ではなく、それに続く「そこから一歩も成長せず、化石化したような人間が数多くいます。ものの見方が歪み、家族や友人とまともに話ができない。」との意見にも説得力があります。実は、これが高学歴者がカルトの教えに騙される典型です。
同じようなことは伝統的な宗教の世界においても珍しくありません。宗教書を読んでいますと経典の解説などに関しては、豊富な知識と近い知性を感じさせる著者であっても経典の解説を離れると処世論の話にまで落ちると感じたことが何度かあります。そこには仏の知恵とは無縁な道徳論しかなく、この著者は仏教に精通はしていても生きた教えとして理解していないと感じます。これは仏教を知識として学んでいるだけであり、仏教の教えを実践的な教えとして理解していないことが理由であると言えますが、仏教学者に限られた話ではなく、修業されているはずの僧侶の方々にも良く見受けます。
著者の洪氏は、文在寅大統領たちを「サイバー空間の仮想現実のような妄想のなかで、社会主義的なユートピアを夢想している。」と表現されていますが、これはカルトの教義を盲信している人々に限られた話ではなく、精神世界に関わる人々にも多い話です。彼らに共通しているのは、サイバー空間の仮想現実のような妄想の中で生きていることであり、現実から遊離した考えを持っている事です。彼らにとって現実とは、自分たちが考えている妄想であって目の前の現実ではありません。
このことは不成仏霊にも言えることであり、不成仏霊に共通している特徴ともと言えます。心霊世界自体が実体がない世界ですので、不成仏霊がサイバー空間の仮想現実のような妄想の中で生きているとしても不思議でも何でもありません。しかし、彼らにとっては自分たちの妄想が現実であり、自分たちの妄想と現実が食い違っていることに気付いても、自分たちの考えが妄想であると考えることなく、現実が間違っていると考えます。
個人的には、神仏と呼ばれる方々にしても心霊世界が実体のない世界である以上は、サイバー空間の仮想現実のような妄想の中で生きていると言えると考えていますが、自分たちの説く教えと現実が異なることを否定することもなく、現実が間違っていると考えることもありません。例えば、浄土真宗の教えでは、念仏を一回称えることで極楽往生が決定すると説き、浄土宗では念仏を十回唱えることで極楽往生できると説きます。しかし、現実はどうかと言えば、念仏を何百回と称えていても迷っている心霊は珍しくありません。
自動書記が始まった当初に他力門の神霊にこの疑問を訊ねましたが、神霊は質問から逃げることもなく、答えて頂けました。神霊の答えられた内容について紹介していますと、非常に長くなりますので、ご紹介することは控えますが、神道の神霊には体系的な教えが残されてない理由、天台宗の神霊には利他の精神で生きるべき理由を問いましたが、どの神霊も管理人の不遜と言えるような質問に正面から答えて下さいました。考えてみれば、現実社会の社会を無視していたならば、衆生の苦悩を解消できるないことから現実を直視することは当然な事です。
これに対して不成仏霊は、現実を否定して自分たちの妄想こそが真実と考えます。現世に生きている人間の生活が破綻していることよりも自分たちの教えを実践することを優先させるのであるならば、その神霊がどんなに立派な教えを説いても管理人には不成仏霊と同じです。それが悟りの低い神霊であったとしても現世を生きている人間を惑わしていることに違いはありません。これは相手がどんな名前を名乗る神霊であっても同じです。
実際、自動書記の際に現実を無視したような教えを説かれた神霊はすべてお引き取り頂きました。当時は、心霊世界に興味もなく、教えを残そうとの気持ちもありませんでしたので、自動書記は負担でしかありませんでした。しかし、霊格の低い神霊にお引き取りを願うと、次により高い霊格の神霊が教えを説かれるの繰り返しとなりました。最終的には、管理人の悟りを超えるような神霊が教えを説かれるようになりました。その経験から言えることは、教えの違いはあっても高い境地に到達された神霊は、衆生の苦悩を解消することを自分たちの使命と考え、日夜努力されていることです。その意味では、妄想とは真逆の境地と言えます。
星
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