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参拝のマナー5(星)

先日の事ですが、出雲大社のHPを見ていたところ、下記の話が掲載されていました。

 

出雲大社HP よくある質問 こちらから

 

お賽銭の金額は決まっていますか?
お賽銭を5円にすると「ご縁がある」とか、「二重にご縁があるように」と25円、「始終ご縁があるように」と45円、「これ以上の硬貨(こうか=効果)はない」と500円などと、ガイドの方がおもしろおかしく話を作って案内されるのを聞くことがあります。 これは、まったく根拠のないおもしろおかしくしようとの“ためにする”語呂合わせにすぎません。大切なのは神様に対して真摯な気持ちでお祈りをし、その気持ちをもって日々の生活を送ることです。祈りの心はお賽銭の金額によって、まして変な語呂合わせで左右されるものではありません。

 

注連縄にお賽銭を投げ、刺さると縁起が良いというのは本当ですか?

注連縄は神様がお鎮まりになる御神域を示し結界する神聖なものです。その神聖な注連縄にお賽銭を投げ入れるという行為は、神様に対して失礼にあたることです。従って縁起が良いことではありません。

 

銅鳥居を触りながら回ると金まわりが良くなるとの話は本当ですか?
参道を抜けると、緑青色に輝く銅鳥居があります。銅製の鳥居であるが故に、いつの頃からかこの銅鳥居を触りながら回ると「金まわりが良くなる」とガイドの方の案内を聞く事があります。これまた同様におもしろおかしく案内しようとする創作です。出雲大社に古からある信仰ではありません。

 

お賽銭の語呂合わせは昔から良く聞く話ですが、お賽銭は参拝される方の感謝の気持ちであり、金額は決められてません。そのため、志と言うべきものです。参拝される方の懐具合によっても志の金額は変わりますので一概に幾らとは決められるものではありませんが、あまりケチると良くないとは聞いています。

 

また、「注連縄にお賽銭を投げ、刺さると縁起が良い」とか、「銅鳥居を触りながら回ると金まわりが良くなる」とか言った話は時々聞きますが、本来の信仰とはかけ離れた行為であることが多いようです。

 

神道には、祭祀を執り行う作法は決められていますが、仏教のような体系的な教えは明確に残されていないことから分かりにくい宗教であると言えますが、神を敬う気持ちが基本ではないかと思います。

 

以前にある神社のご神霊から「一心に祈れ」との教えを受けたことがありますが、この一心に祈ることは簡単そうで実は難しいこです。管理人にしても必死に祈ることは簡単にできますが、一心に祈ることは簡単ではありません。これは言葉で説明しようとしてますと、大変なのですが、一心に祈ることができている方の姿を目にしますと、ああこれが本当の祈りなのかと思います。

 

暫く前にある神社でご祈祷を受けた後に参拝させて頂いていました。夕方であったためか、神主の方が本殿に参拝されていました。神主の方は、祝詞を奏上されることもなく、普通に参拝されただけなのですが、一瞬にしてその場の空気が変わりました。ご神霊のお力でその周囲が清められたと言うべき状況でした。これと同じようなことは過去にも経験しています。

 

管理人が同じことをしたとしても周囲の空気が一変するほどのお力を感じることはできません。ただ、神前に立った瞬間に圧倒的なお力を感じたことは過去に何度かあります。そんな時には、祈りが届いているのかと思いますが、いつもではありません。やっていることは、普段と同じであり、何が違うのかと言えば、心構えなのかと思います。

 

その違いが分かっているならば、ここで解説させて頂くのですが、管理人にも良く分かりません。それが正直さなのか、謙虚さなのか、利他の気持ちなのか、はっきりとは分かりませんが、それでできているならば、参拝しただけで周囲の空気が一変するような境地に到達できるのではないかと思います。

 

 

ご相談は こちらから

at 16:29, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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神社への参拝(星)

先日の事ですが、東海地区では有名な稲荷神社に参拝しました。

連休中と言う事もあり、多くの参拝者でにぎわっていましたが・・・・・

気付くと半分以上の参拝者が本殿脇に祀られたお社の屋根に向けてお金を投げている様子・・・・・

幼稚園か、小学校低学年と思われる子供を連れた親も子供な一緒になってお金を投げていました。

 

ああ・・・、めまいが・・・・ (−−;)

 

暫くすると外国人を案内していると思われる方までもお社の屋根に向けてお金を投げていました。

 

(~_~メ) ピクピク

 

一緒に参拝していた知り合いもあまりのマナーの悪さに憤慨・・・(メ▼。▼)y-~~~おら〜

 

張り紙の一枚も張れないのだろうかと、社務所を訪ね、神職の方にお話をさせて頂きました。

神職の方は、そう思って頂ける方がいるだけでも嬉しいことですと言われていましたが、いつの頃からか投げたお賽銭が屋根に乗ると良いことがあるとの噂が広まって困っているとのことでした。お賽銭は、神様へのお供え物であり、賽銭箱に入れるのも静かに入れるのが作法ですが、ご存知ない方が多いのでしょうか?

 

このブログでは、神道に関してはあまり取り上げませんが、個人的な信仰歴としては神社の方がお寺より長く、霊障に悩み、途方に暮れていた頃には、神社に参拝して境内でぼんやりとした時間を過ごすことが多くありました。何がどうと言う事もありませんでしたが、日常生活を離れ、静かな時間を過ごすことで気分が少し楽になりました。

 

何をどうすれば分からない状況の中で色々な霊能者の本を読み漁り、色々な人を頼ったりもしましたが、何が変わると言う事もなく、途方に暮れる日々が続いていました。霊能者や行者にも不信感は抱いていましたし、宗教にも失望していましたが、一人で静かに神と向かい合う時間は好きでした。

 

神道の神霊からも色々と教えて頂いていますので、神道の神霊のお考えは少しばかり分かりますが、神道の基本的立場は、教えを残さないことにあります。教えとして言葉として残すならば、言葉に囚われて教えを見失うとのお考えがあるようです。勿論、教えとして言葉として残すならば、言葉に囚われると説くこと自体が言葉に頼らなければならないのですが、神霊の言われようとしていることは分かる気がします。

 

残された教えを学んでも言葉の奥にある真理を体得することは容易ではないだけでなく、どんなに緻密な教えの体系を残したとても体験を通さずに神仏の真意を知ることは非常に難しいと言えます。また、言葉で教えを理解しようとする限り、言葉の制約から逃れることはできず、言葉の解釈を巡って対立が起きるだけでなく、衆生の苦悩とは無縁な観念論の議論ばかりが盛んになるのは、避けられないようです。

 

そのため、教えを残さずに祭礼の儀式の作法だけを伝えるのも一つの方法ではありますが、何の指針もないと少しばかり不安となります。そして何が正しく、何が間違いであるのかの基準を探します。実践できるかどうかは別にして教えが残されていれば、安心感は得られますが、何が正しく、何が間違いであるか、神は何を考えているか、その答えを拒絶しているのが、神道が神道である理由ではないかと考えるようになりました。

 

管理人は、神霊から神道の考え方について学んではいますが、本当に霊格の高い神霊が何を考えているのか分かるはずもないと考えてます。以前にある有名な神社の本殿の前で高い霊格の神霊からのお言葉を受けたことがありました。文章にすれば、僅か一行にも満たない内容のお言葉ですが、家に帰ってから寝込みました。寝込んだと言うのは、少しばかり大袈裟ではありますが、気分としてはそんな感じです。

 

神霊からのお言葉を聞くとは、神霊と心が通じる必要がありますが、その際に神霊の言葉だけてなく、神霊のお力も伝わってきます。そのお力があまりにも大きすぎて、自分の容量を遥かに超える力が流れ込みますと、意識を失うこともあります。この時は、意識を失うことはありませんでしたが、横になって休んだと記憶しています。これは気功治療でも同じようなことが起きます。最近は、気功治療を行うこともありませんが、以前は依頼されれば気功治療をしていましたが、施術中や施術後に寝てしまう方は少なくありませんでした。

 

また、これは祈願祈祷などでも同じようなことがあります。管理人が知り合いのために神社仏閣で祈願しますと、同時刻に強烈な眠気を感じたと言う話は何度か聞いています。但し、これは忙しく動き回っていると起きず、事務仕事などをしていると起きる現象であると聞いていますので、常に同じような現象が起きるとは限らないようです。

 

さて、話を戻しますと、このような経験を何度かしていますと、神仏とは人間の考えることができる範囲を超えた世界の存在であると考えるようになりました。神道の神霊は、善悪の基準と言ってみたところで、小学生の考える善悪の基準もあれば、高校生の考える善悪の基準があるように無限の段階があると説かれています。より高い段階の善悪の基準からすれば、自分が善と考えていることが悪になるかもしれず、更に高い段階の善悪の基準からするならば、善になるかもしれないと説かれました。

 

つまり、善悪と言ってみても段階に応じて内容が変わると説かれました。では、何を基準に考えるかとなれば、神の心であり、神の前に立って恥ずかしくない心で生きよとの教えでした。その神は、神社に祀られている辰妨造詆要はなく、人智を超えた偉大な存在の前に立っても恥ずかしくない心で生きよと説かれました。これが神道の教えの基本であり、すべてではないかと思います。

 

勿論、これは管理人の個人的な考えであり、神職の方のお考えとは異なるかもしれませんが、大きく外れてはいないのではないかと思います。真摯に修業されている神職の方が奏上される祝詞は、心地よく心に響きます。一般の人間が奏上する祝詞と何が違うのかと言っても上手く説明できませんが、辰魴匹Φせちの差ではないかと思えてしまいます。それは祝詞だけでなく、辰鯒劼鵑任い觧僂砲盍兇犬泙后

 

大きな神社に参拝しますと、熱心に祈られている方を見かけることは少なくありませんが、どこか違和感を感じることが少なくありません。それに対して二拝二拍一拝だけの参拝であっても真摯さを感じることがあります。この違いは何かを考えますと、やはり神を敬う気持ちの差であり、神と向き合う気持ちの差ではないかと思います。特に独特の作法で祈られている方には、近寄りがたい雰囲気を漂わせている場合が少なくありません。どのような作法でお参りされるかは自由なのでなのでしょうが、不気味に感じることすらあります。

 

勿論、真剣にお参りされているのでしょうが、その姿からは、言外に自分たちは特別であり、お前たちとは違うと言っているように感じます。その傲慢さが、違和感の原因であり、祈る姿に嫌悪感を感じる原因ではないかと思います。神職と同じように日々精進潔斎することは出来ませんが、偉大な存在の前に立って祈っている気持ちを持つことが大切となります。少なくとも辰魴匹Φせちがあれば、冒頭に紹介したようにお賽銭をゲーム感覚で投げるような気持ちにはならないはずです。

 

尚、神道の神霊の教えに興味をお持ちの方は、下記の本を参考にして下さい。

無料ですので、お気軽にダウンロードして下さい。

 

スマホからもダウンロードできるはずです。

 

 

ご相談は こちらから

at 19:39, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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星神社(星)

星神社に参拝してきました。

「星」の名前を利用させて頂いていますので、何度か参拝させて頂いている神社です。

 

 

 

本当は年明けに参拝したかったのですが、交通の便も悪く、駐車場もないことから大晦日に参拝しました。

 

 

 

御朱印をお願いしましたところ、短冊を頂きました。

 

 

 

中央に書かれた天香香背男神(あめのかがせお)を調べたところ、星の神様とされているようです。

この神様に関しては詳しいことは分かっていませんが、悪神とされている珍しい神様です。

しかし、神社自体はごく普通の神社であり、現在は縁結びのご利益を謳われているようです。

 

神社名:星神社
鎮座地:愛知県名古屋市西区上小田井1丁目172番地

この神社は名古屋市の北西部、庄内川の堤防の下にあります。

駐車場はありません。


御祭神:大名持命(大国主命) 合祀・天香香背男神 牽牛星 織姫星
創建:およそ千三百年以上前と思われる
社格:式内社、旧村社

 

 

ご相談は こちらから

at 12:18, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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清めの砂(星)

暫く前のことですが、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)で清めの砂の撒き方の詳しい資料を頂きましたので、ご紹介します。
尚、※に関しては管理人の補足です。

 

清めのお砂

この清めのお砂は、三輪の大神様が鎮まります神体山三輪山から採取いただいたものです。
左記のことを行う時には、三輪山の「清めのお砂」で祓い清めて下さい。
ご神威の高い三輪の大神さまのお働きによって、浄化されてお護りいただけます。

お清めを必要とする場合

〇住宅・社屋・工場・倉庫・納屋等、建造物を建てる時や取り壊す時。
○建物等を修繕また改修する時。
○井戸、側溝等水に関係する工事、また建築後改めて電気、ガス等の設営・配管・配線等の工事をする時。
○屋敷、庭、敷地等を改善改修の為に手入れする時。
○田、畑、山林、道路、川等土地をさわる時。
〇庭木、樹木を伐採する時。
○転宅、移転等、住居または事務所・仕事場を移し別の建物に入居または、入所する時。
○開店、開業、開所等、新しく事を始める時。
○住まい、仕事場あるいは所有地、所有物で、穢、不浄が気になる時。
※社屋 しゃおく
※転宅 てんたく 引っ越しのこと

お清めをするとき

○曩に挙げた項目のうち、工事等作業を行なう場合は、その作業の開始前と、終了後の二回執り行うとよろしいです。
○転居、開店等、新規一新する時には、その事前に、その施設をお清めして下さい。(例、転宅の時は入居の前に家を清めます)
○不浄、穢のお清めは、事後または、気になった時に随時とり行って下さい。
※曩 さき
※挙げた あげた

お砂の撒き方

まず お砂を撒く方は、手水を行い、口を漱ぎ、心身を清めてください。(特に大きなお清めをする時は潔斎といって、水またはぬるま湯をかぶり心身共に清めるとよろしいでしょう。)
次に 神社から受けた 清めのお砂を容器(三方・御敷または底の浅い器・皿など)に移します。
次に 移した容器を両手で持ち お清めをする場所の正面に立ち心の中で「これからお清めします どうぞお清めください」と念じ一礼(軽くお辞儀)をします。
次に お砂は撒く人を中心にして、左前側・右側前・左側前と三回に分け撒きます。
(注)〇撒き方は、お砂の容器を左手で持ち右手の指でお砂をつまみ持ち一回ごとに「祓い給ひ 清め給へ」と唱えて撒きます。
〇一カ所に左、右、左と三回撒きましたら、終りに「お清め宜しくお願いします」と心中で念じ一礼をします。
〇お砂の量は一カ所に一袋ぐらい撒く事を目安としてください。

※手水 てみず、ちょうず 参拝前に手を清める水
※漱ぎ すすぎ
※潔斎 けっさい
※御敷・折敷 おしき 神饌を奉げる際に土器などを載せる台 

お砂を撒く場所

一、土地など広い場所を清める場合は、右図の四隅と中央を番号順に清めます。番号は、‥賈(艮 うしとらー表鬼門) 東南(巽 たつみ) 西南(坤 ひつじさるー裏鬼門) に明( 乾 いぬい) ッ羆を表し ´↓い話羆を背にして外向き、イ脇口を背にして中央に向き撒きます。

二、マンション等、室内で直接お砂を撒けない場合は、右図の住宅図にある所有領域の四隅に 半紙等を敷き( 銑)➀から「祓(はら)ひ給(たま)へ 清(きよ)め給(たま)へ」と唱えながら、お砂をお山のように盛り十日間位おいておきます。期間が過ぎましたらお砂は近くの土に返してください。イ脇口の所で室内に向かい左右左と分けて撒いてください。

三、自動車の場合は、右図の様に四輪のタイヤにふりかけてください。

四、狭い場所は、外から内に向かって祓いの言葉「祓(はら)い給(たま)ひ 清(きよ)め給(たま)へ」と唱えながらお砂を左右左と撒くか、一カ所にお砂を盛っておくとよろしいです。

五、病床を清める場合は、お砂を紙・ビニール等でくるみ、ふとんの下にいれてください。

※病床 びょうょう 病人の寝る床、病院や診療所のベッド









 



 

ご相談は こちらから

 

at 23:58, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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天満宮祝詞(星)

世の中は仕事始めとなりましたので、このブログも通常の記事に戻そうかと考えておりましたが、久々にアクセス解析を見ますと検索キーワードに天満宮祝詞が上位にありました。

(@_@) パチクリ

しかし、以前にご紹介したのは、北野天満宮祝詞でしたが、検索キーワードに引っかかったようです。

(-_-)ゞ゛ウーム

受験シーズンも近いので改めて天満宮祝詞をご紹介させて頂きます。


天満宮祝詞

掛巻(かけまく)も畏(かしこ)き天滿天神(あまみつあめのかみ)の廣前(ひろまえ)に白(もうさ)く恭(うやうやしく)惟(おもんみ)れば帝道(みかど)を輔佐(たすけまつ)り四海(よものくに)に儀刑(のりと)し邦家(くにいえ)を守護(まもり)萬民(おおみたから)を撫育(やしない)座(まし)て忠誠(まめやかなること)は日月(ひつき)と並(ならび)仁恩(うつくのめぐみ)は天地(あめつち)と斎座(ひとしくまし)又(また)文道(ふみのみち)の大祖詩歌(おやからうたやまとうた)の本主(もとつぬし)にて高徳(たかきいきおい)葦原(あしはら)の中國(なかつくに)より海(うみ)隔(へだつ)る異國々(あだしくにぐに)まで鳥(とり)の跡(あと)久(ひさしく)止(とどまり)正木(まさき)の葛(かづら)永(ながく)傅(つたわり)貴(たかき)も賤(いやしき)も老(おい)たるも若(わかき)も皆恩(みなみたまのふゆ)を蒙誦文書能業(かうむりてふみものかくわざ)を爲(な)し世(よ)を渡(わた)らひ家(いえ)を治溜(しらする)厚(あつ)き御惠深(みめぐみふか)き御恩(うつくしみ)を仰(あう)ぎ尊美奉(たうとみたてまつり)て今日(けう)の朝日(あさひ)の豐榮登(とよさかのぼる)に由貴(ゆき)の御酒御饌宇豆(みけみきうづ)の御(みてくら)を捧幣祈申事(ささげまつりいのりもおすこと)の由(よし)を平(たいら)げく安(やすら)げく聞食(きこしめし)て天津日嗣(あまつひつぎ)は天地日月(あめつちひつき)と無疆天下泰平(かぎりなくあめのしたたいらか)に萬民(おおみたから)富榮(とみさかえ)て文教永久學術成就(ふみのおしえながくひさしくまなびのわざなら)ん事(こと)を言祝願神(ことほぎねぎたてまつるかみ)の御馬(みうま)の耳(みみ)の彌高(いやたか)に聞食(きこしめし)て夜(よる)の守(まもり)日(ひ)の護(まもり)に守幸給(まもりさいわいたま)へと稱辭竟奉(たたへことをえまつる)と恐(かしこ)み恐(かしこ)み申(もお)す


次回の投稿からは、通常の記事に戻す予定です。

at 10:41, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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北野天満宮祝詞

先日、天満宮に参拝させて頂く機会がありました。
考えてみれば、この時期は受験生にとっては大変な時期であり、受験生を持つ親も大変な時期であることに気付きました。

とうわけで・・・・

今回は、北野天満宮祝詞をご紹介することにします。
個人的には、滅多に奏上することのない祝詞ではありますが、受験生の方や受験生のお子様をお持ちの方にはお役に立てるのではないかと思います。
 

北野天満宮祝詞(きたのてんまんぐうのりと)

掛巻(かけま)くも恐(かしこ)き天満宮(あめみつのみや)菅原之大神(すがはらのおおかみ)の宇豆(うづ)の廣前(ひろまえ)に忌麻波利淨麻波利(いまはりきよまはり)て慎(つつし)み敬(うやま)ひ畏(かしこ)み白(まお)す

天皇(すめらみこと)を輔佐奉(たすけたてまつ)り天下(あめした)の大政(おおまつりこと)を所聞食給(きこしめしたま)ひて國家(くにいえ)を治(おさ)め萬民(たみくさ)を撫惠給(めぐみたま)ひ

忠誠(まめなること)は日月(ひつき)と並(なら)び仁慈(いつくしみ)は天地(あめつち)と斎(ひとし)く

文道(ふみのみち)の祖神(おやかみ)に座(まし)て高(たか)き御功績(みいつ)は葦原中津國(あしはらのなかつくに)より海隔(うみへたつ)る異國々(ことくにくに)まで鳥(とり)の跡久(あとひさ)く止(とどま)り正木(まさき)の葛(かつら)永(なが)く傳(つた)はり

貴(たかき)も賤(いやしき)も老(おい)たるも若(わか)きも恩(みたまのふゆ)を蒙(かがふり)て讀書筆跡業(ふみよみものかくわざ)を所為(なし)て

世(よ)を渡(わた)り家(いえ)を治(おさむ)る廣(ひろ)く厚(あつ)き御恩惠(おおめぐみ)を仰(あお)ぎ尊(たうと)み奉(たてまつり)て

由貴(ゆき)の御酒御饌御幣(みきみけみてくら)を捧(ささげ)て請祈申(こいのみもお)すことの由(よし)を平(たいら)けく安(やすら)けく所聞食(きこしめし)て

皇御孫尊(すめみまのみこと)の大御世(おおみよ)を堅磐常磐(かきわにときわ)に斎奉茂御代(いつきまつりいかしみよ)の足(たら)し御代(みよ)に幸(さいわ)へ給(たま)ひ

四方(よも)の國(くに)の青人草等(あおひとぐさら)種種(くさぐさ)の禍無(わざわいな)く己(おのれ)[ 姓 名 ]家内(やうち)の諸人親族等(もろびとうからやからども)萬(よろづ)の災難(わざわい)無(な)く守幸(まもりさいわ)へ給(たま)ひ

文筆學術成就(ものかきふみよむわざなりな)む事(こと)を夜(よ)の守(まもり)日(ひ)の守(まもり)に護給(まもりたま)ひ矜給(めぐみたま)へと畏(かしこ)み畏(かしこ)みも白(もお)す


at 14:01, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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綿神社(星)

名古屋地区限定の話題となりますが、今回は少し変わった神社をご紹介します。









まずは、神社の由緒を引用させて頂きます。


式内※1 綿神社由緒

主祭神 玉依比売命(神武天皇の御母)
      応神天皇(八幡様)

(一)
綿社の総研は大変に古く文字の使用がなかった弥生前期に九州の弥生人がこの地に定住し稲作農耕文化を東海以東へ拡めた基になった。其の中核は北九州「志賀の」阿曇(あずみ)部族であろう。即ち故郷九州「志賀」には祖神海神の裔「玉依比売命」を祀って「海神社」と称し此の新天地も亦「志賀」と偲び名を同じく玉依比売命」を祀って「海神社」と称した既に「延喜式」にも「尾張の山田郡綿神社は筑前志賀の「海神社」同列の社なりと記され本国帳にも従三位綿天神(略)綿は海の仮字にて(略)昔は此のあたりまで入海にてさる神社のおわしまししなり(略)とある文字の転化は縁起因縁等時代により珍しい事ではない。
(二)
志賀村の領主平手政秀(織田家の家老)で信長の師傳役(もりやく)※2は常に信長の奇行を心痛せるが天文二十一年綿神社を再建し「願主政秀」と刻銘せる神鏡と自ら手彫りの狛犬一対を奉納した。(信長も槍先一穂奉納)。政秀の祈願は察するに余りあるも祈願空しく翌天文二十一年正月十三日遂に諫死※3するに至った。爾後信長の態度一変し天下平定の基を開いたのも実に政秀の誠忠に依る。即ち政秀なくば郷土三英傑※4の出現も又疑問ではなかろうか。

註(1)
綿神社は尾張藩主の崇敬も厚く「別社稚児宮」もあり御幼君には御守り等も差し上げ赤丸神事の例祭三月十四日には子供を連れての庶人参詣群となす様は「尾張名所図絵」にも描かれている「児子宮」徳川時代志賀村が東西に分かれた時、東志賀村に移譲された。
註(2)
慶長以後の再建も数度ありしが現在殿は太平洋戦火により名古屋城と運命を共にしたのを明治百年記念事業として昭和四十五年に完工されたものである。



管理人補足
※1式内
延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十の延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)に記載されている神社のことであり、延喜式が成立した10世紀初頭には朝廷から官社として認識されていた神社です。また、当時すでに存在したが延喜式神名帳に記載がない神社を式外社(しきげしゃ)となります。

※2師傳役(もりやく)
この由緒では「師傳役」となっていますが、一般的には「傳役」と表記します。また、「ふやく」と読ませる場合もあります。
尚、「傳役」とは簡単に言いますと教育係のことです。

※3諫死(かんし)
死をもって諌(いさ)めることです。
この場合には、平手政秀が信長の奇行を諌めるために自害したことですが、 平手政秀が自害した理由には諸説あるようです。

※4郷土三英傑
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人のことです。織田信長と豊臣秀吉が尾張(現在の愛知県西部)、徳川家康が三河(現在の愛知県東部)の出身であることから愛知県の三人の英傑とされています。

長々と引用しましたが、要約しますと、この神社が創建されたのは弥生前期と大変に古く、北九州「志賀の」阿曇(あずみ)部族が祖神である海神を祀ったことが始まりとされています。

※祖神とは、祖先としての神として祀る祖霊信仰の神のことです。

名古屋に土地勘のある人間ならば、海岸線から遠く離れた名古屋市北部にどうして海の神を祀ったのかと疑問に思いますが、弥生前期の頃の海岸線は現在の海岸線よりも遥かに北にあり、この神社のあったあたりまで海があったようです。

この記事を投稿する前に「綿神社」で検索しましたところ、何人かの方がこの神社を紹介されていましたが、管理人が興味を持ったのは、信長の奇行を心痛した平手政秀が綿神社を再建し、「願主政秀」と刻銘した神鏡と自ら手彫りの狛犬一対を奉納したことです。

こんな由来を持つ神社ならば子供の素行不良で悩まれている方にはお勧めの神社ではないかと考えました。家の近くの神社ではないことや普段は無人の神社であり、祈祷などはお願い出来ないことからあまり参拝していませんが、時々参拝している神社です。

名古屋近郊にお住まいの方に限られてしまいますが、お子様の素行不良で悩まれている方ならば一度参拝される価値のある神社ではないかと思います。

綿神社

【末社】
多賀神社、稲荷社、白山社、浅間社、四十八祖社、津島神社、白龍社、秋葉社、熊野社、御獄神社
※白龍社と御嶽神社は本殿の裏にお祀りされています。

住所 愛知県名古屋市北区元志賀町2丁目53

地下鉄 黒川駅から徒歩6分

車の場合
名古屋都市高速 黒川ICから5分
黒川交差点北の黒川本通3の交差点を西に入ってすぐの場所です。
神社には駐車場はありませんが、地下鉄黒川駅近くに駐車場があります。


at 11:34, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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神道の歴史13(星)

神道の歴史について投稿してきましたが、神道の歴史については今回で最終回とさせて頂きます。そこで神道のまとめとして最後に神社神道と教派神道の違いを取り上げたいと思います。
本来であるならば、現代の神社神道の教えについて投稿すべきなのかもしれませんが、神道の教えとは何かについて紹介できる自信もありません。

そこで大宰府天満宮宮司の西高辻 信良氏の書かれた「いま知っておきたい神さま神社祭祀」から「神社神道と教派神道の違い」の一節を引用させて頂きながら神社神道について考えてみたいと思います。
 
神社神道と教派神道の違い
 組織という面から見ますと、まず教祖が存在することが大きな違いです。そして、その教祖の教えをもとにした経典があります。また、神社はなく、教会や布教所が布教や修行の場としておかれています。神社神道には定まった形で教義や教典といったものは特にありませんが、教派神道の各派には教義が教典の中におさめられています。それらは、いずれも教祖となった人が、神さまから受けた啓示などやみずからの体験によって特色づけられています。各派によって教義内容が異なりますが、類似している点もあります。それらをご紹介しておきましょう。

いま知っておきたい神さま神社祭祀 大宰府天満宮宮司 西高辻 信良著 主婦の友社 P20

補足
一般論としては正しいと言えるのでしょうが、少しばかり疑問を持つ内容となっています。
教派神道と言っても天理教や金光教のように教祖に神が降りることで開宗された教団もあれば、御嶽教のように古くから存在していた御嶽山信仰がもとになっている教団もあります。また、出雲大社教(いずもおおやしろきょう)のように出雲大社と非常に密接な関係のある教団もあります。更に数は少ないのですが、教派神道の所属されている神社もありますので、教派神道には神社がないとは言えません。

引用させて頂いた文章に続き、神社神道と教派神道の違いについて触れられていますので、内容を要約してご紹介させて頂きます。

〇信仰の違い

神社神道
神のおぼしめすままに行うことが信仰の道
日常生活で正しいことを行えばよい
言挙(ことあ)げしない

教派神道
信仰によって神との結びつきを意識
教義や教典によって生活を律する
朝夕のお勤めや祈りといった精神的、肉体的な方法を重んじる

補足
この本では神社神道は「日常生活で正しいことを行えばよい」とされていますが、滝行の会を開催される神社や定期的に神道に関する勉強会を開催されている神社もあります。また、機関誌を配布されている神社もありますので画一的に考えることはできませんが、神社神道は、信者の主体性を重視される傾向があり、信者に積極的に信仰心を求めない傾向があると言えます。

また、この本では「言挙(ことあ)げしない」とは、「議論や理論を立てない」と言った意味で使用されていると思われます。しかし、「言挙(ことあ)げしない」とは、言霊を重視する思想であり、安易に言葉を発するべきではないことであるとの解釈もあるようです。

まとめ
批判のための引用ではないかと思われる方も多いのではないかと思いますが、それだけ神道とは何かを定義することが難しいと言えるのではないかと思います。

at 11:53, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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神道の歴史12(星)

今回は、明治期の神道の変遷を紹介させて頂きます。しかし、明治期の神道の歴史については、手元に参考となる資料が少ないだけでなく、神道は宗教ではなく国家的祭祀とされたことなどから、このブログで取り上げるべきかとなりますと、少し疑問を抱くことから歴史的な事実だけを紹介させて頂く事にしました。

慶応四年正月(明治元年) 神祇(じんぎ)事務科設置
同年二月 神祇(じんぎ)事務科設置と改められる
同年三月 神祇官再興の太政官布告が出される
同年三月 全国神社の別当・社僧に還俗が命じられる
神仏判然令の発布が廃仏毀釈へと発展
同年四月 神祇の菩薩号廃止
同年五月 石清水八幡宮の大菩薩号の廃止
同年九月 明治に改元
同年十月 法華経三十番神を祭り、曼荼羅に天照大御神の神号ことが禁止される

※別当 寺務を統括する長官に相当する僧職
※社僧 神社に所属して仏事を行った僧

明治四年五月 神官・神職の世襲制の廃止
同年八月 神祇官を廃して神祇省を設置 
明治五年 神祇省を廃止して教部省を設置・教導職を設ける
明治八年 神道教導職が組織した神道事務局が創設される
しかし、神殿に奉斎する祭神に関して論争が起き、神道界は二分される

明治九年 神道修正派と黒住(くろずみ)教が独立

明治十年 教部省が廃止
明治十五年 官社の神官は教導職を兼務することや葬儀に関与することが禁じられる

神官は教導職を兼務することが出来なくなったことから、神道を宗教として布教したい人たちは神官をやめて独自の宗派を作らなければならなくなり、大成(たいせい)教、神習(しんしゅう)教、御嶽(おんたけ)教、出雲大社(いずもたいしゃ)教、実行(じっこう)教、扶桑(ふそう)教の六派が生まれました。

明治十七年 教導職が廃止
神道事務局の教導職たちは「神道」という名前の宗派をつくる。
これが現在の神道大教となる。

明治二十三年 内務省の社寺曲が廃止されて宗教局となり、さらに神社局が設けられる

明治二十七年 「神道」から神理教が分離独立
明治二十九年 禊(みそぎ)教が分離独立
明治三十三年 金光教が分離独立
明治四十一年 天理教がが分離独立


at 10:21, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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神道の歴史11(星)

今回は、明治期から戦前までの神道の歴史について少しご紹介します。

最初に明治政府の神社の改革について簡単にご紹介させて頂きます。

 江戸幕府が崩壊して近代に入ると、明治維新政府が成立し、天皇を中心とする近代国家を創出した。新政府は神武創業を根本的な考えとし、復古思想を実現するために平田篤胤(あつたね)の神道説を継承した。ここに平田派の大国隆正(おおくにかたまさ・1792-1871)、隆正の門人の福羽美静(ふくばびせい・1831-1907)らによって神祇(じんぎ)官の復興、祭政一致、神仏分離、大教宣布(だいきょうせんぷ)の運動、さらに神社神道を国家護持とするなどの政策が推進され、従来の神道や神社の制度などは大きく改革されることになった。
 まず慶応(けいおう)四(1868)年三月二十八日、神仏判然令(しんぶつはんぜんれい)[神仏分離令(しんぶつぶんりれい)]が公布され、奈良時代以降続いてきた神仏関係は外面上姿を消した。

神道の常識がわかる小辞典 三橋 健著 PHP新書 P230

明治政府が神仏判然令(しんぶつはんぜんれい)が公布したことで、それまでの本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)や神仏同体説(しんぶつどうたいせつ)は否定され、神社に付随して置かれていた神宮寺(じんぐうじ)や本地堂(ほんじどう)などの建物の廃絶や独立などを推し進められましたが、宗教としての神道としても改革されました。


 日本近代化の中で、神道もまた同じような問いを突きつけられたが、しかし、仏教とは異なり、神社神道が国家管理の中に置かれ、神職は国家公務員のような官史となった。幹部職員は高級官僚のように転任、転勤をする体制となり、従来の神社を支えていた社家制度とは全く異なる官僚的な神職制度が誕生した。
 また神社の祭式、作法も形式的統一化がはかられた。現在の多くの神社で見られるような参拝作法、すなわち二拝、二拍手、一拝などの拝礼作法は戦後に一般的となったが、それ以前に、明治八年に神社祭式が制定され、祭式、作法の統一化がはかられた。

社家 代々特定神社の神職を世襲してきた家

中略

 こうした神社の国家管理の過程で、神社神道は宗教ではなく国家の祭祀であり、国家の道徳であるという主張がなされた。仏教やキリスト教はあくまでも宗教である。それに対して神道は宗教ではない。国家の祭祀、国民道徳という位置づけがなされることによって、一種の国教的な、また道徳習俗としての位置づけを得ることになる。が、そのことが神道の世俗化を促進させ、宗教的情熱を希薄化するものともなった。明治維新政府から追放された平田派の国学者たちは、こうした事態を嘆いた。
 
 このような過程を経て明治政府における明治政府における官国幣社という社格制度が成立する。官幣大社、官幣中社、官幣小社、国幣大社、国幣中社、国幣小社、府県社、郷社、村社、無格社といった社格つまり神社の格付けが行政的に定められることになったのである。それと同時に村社・無格社などの維持困難な小規模神社や小祠(しょうし)の統廃合すなわち合祀(ごうし)の行政指導がなされ、各地で神社の統廃合が進むことになった。


神道とは何か 鎌田東二著 PHP新書 P136-137

この本の中で、著者は博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者であった南方熊楠(みなみかたくまぐす)が神社合祀政策の反対運動を展開したことを紹介した後に、地域にあった小さな社を統廃合することは、そこの地域に根差していた生命の感覚や存在感の破壊であったと書かれてます。

本の中では著者は南方熊楠(みなみかたくまぐす)の思想を紹介する形をとりながら明治政府の押し進めた神社の統廃合によって、民衆の中に息づいていた信仰が破壊されたと主張したいのではないかと思われます。

この一冊の本の内容を根拠に明治政府によって民衆の中に息づいていた信仰が破壊されたと断定する考えはありませんが、神仏分離令は日本人の神仏観に大きな変更を強いる出来事であったことは間違いないと思われます。

at 22:18, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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