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神霊のお言葉・嫉妬心(星)

このところ、神霊のお言葉の投稿ばかり続いており、申し訳ありません。

もう少し落ち着いたならば、書き下ろしの記事を投稿します。

そんな訳で、今回もご神霊のお言葉を投稿します。

 

 

人を愛することは苦しいことであると思いますか、ある者にとっては身を裂かれる程に苦しく辛いものです。しかし、別の者にとっては此の幸せの中で命を果てたいと思う程の至福の時間ともなります。その違いとは、自分の愛する者から自分が愛されるか、自分の愛する者から自分が愛されないかの違いなのです。


自分が愛していない者からどれだけ愛されたとしても嬉しくはなく、自分が愛する者から愛を得られないならば、この世の終わりと思える程の落胆を味わうので普通の人なのです。自分はその人の幸せを願っていると言う人の大半は、本当に相手の幸せを願っているのではなく、自分と相手との幸せを願っているのです。


それは本当の愛ではないと切り捨ててしまう事は簡単ではありますが、大半の者にとってはそれが愛なのです。あなたの心の中には男のずるさを憎む気持ちが強くあります。それは一人の男としては非常に潔い心であり、尊ぶべき心ではありますが、あまりにも潔い心であるが為に弱い者の気持ちが分からなくなるのです。


あなたからするならば、弱い女性を守るべき男ならば、潔くあるべきとの気持ちが強いのですが、男もまた弱い者たちなのです。その弱さを理解してあげることも大切な事なのです。これは決してずるさを認めることではありません。ずるさを認めるのではなく、ずるさを理解することが大切なのです。ずるさの裏側にあるのは弱さなのです。弱いからこそずるくなるのです。


弱さを理解できなければ、ずるさも理解できないのです。弱い者にずるさを捨てることを求めることは強く生きろと言っているのと同じことなのです。ずるく生きることしかできない者は、強く生きることができない為にずるく生きているのです。その心の弱さを理解しなければ、ずるく生きる者たちを理解することはできないのです。


自分の好きな相手に異性を近づけさせたくない。その行為は、相手が自分の婚約者や自分の伴侶であったとしても醜い嫉妬心であると言えます。しかし、その醜い嫉妬心こそが多くの者にとっては愛の証となるのです。それは相手からするならば、迷惑な話であっても本人の気持ちの中では、嫉妬心こそが愛の証なのです。

 

 

ご相談は こちらから

at 23:28, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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民族神の霊言・インド3(星)

今回もインドの神霊のお言葉を紹介します。

 

詐欺師は真実と虚言を織り交ぜて相手を騙すが、この者はあなたを騙す必要はない。騙すとは自分が味方であると思わせて裏切ることであるが、この者は最初からあなたの信頼を得ようとは考えていない。あなたの人生を無価値な物としたいだけであり、あなたから信頼されることなど考えてはいない。それは〇〇や〇〇に対しても同じである。あなたや〇〇子、それに○○を殺そうとしているのでもなければ、傷つけようともしていない。求めているのは、あなたたちの人生が価値のない人生になることである。


そのことにあなたも気付いているはずである。だが、あなたは気付いているが、その考えに疑問を抱いているはずである。そこまでの労力を費やしながら、その程度の目的しかないのだろうかとの疑問を持っているはずである。激しい恨みを抱いているのであれば、憎い相手の人生を破滅させるであろうし、死に追いやることを考えるはずであるのにねそれをしないのは何故かと考えている。その答えが得られないがために、別の理由を考えている。しかし、それは世俗の中で生きる者の考えであり、相手は世俗を離れて生きていた者であることから、世俗の者の考えは通用しないと考えるべきである。

 

問い

どんな術を使用していますか?

 

神霊

基本的には呪いの言葉であるが、言霊の力ではない。人々の心の中に蠢く闇の力を利用していると言えるが、本人は神を動かしていると考えているであろう。精霊と呼ばれる者たちの中には、気が向けば彼のような者にも手を貸す者もいる。彼らは、そのことで報酬を得ることはないが、現世に生きる者たちを翻弄することに、快感を覚えている者もいる。それは闘いの中に生き甲斐を求める者がいるのと同じである。


そのため、呪詛と言っても、あなたが考えているような複雑な手順を踏むことが、厳格に決められているような呪詛ではなく、霊媒が神を呼び出し、神に自分の願いを叶えることを求める行為に似ている。そのため、術と言うよりも祈りに近い術である。

 

問い

バラモン教やヒンドゥー教であっても聖典があり、教えが残されていますので、世俗を離れた修行者が魔界の者とも言えるような者たちを使役するのでしょうか。

 

神霊

世俗を離れて修行する者の全てが心清らかな者であるはずもなく、心が慈悲に満たされた者ではない。厳しい修行に明け暮れながらも心穏やかではない者も少なくない。それは今のインドの姿を見ればわかるであろう。どうしてカースト制度が今でも存在し続け、人として生まれながらも人として扱われていないのであろうか。神がそのようなことを望んでいるとでも考えるのであろうか。


どんなに崇高な教えを説き、どんなに立派な志を持っていたとしても人々の幸せを願うここがなければ、心が神々の世界に通じることはない。心が神々に通じていない者が神を呼び出したとしても現われるのは、その者の心に応じた者たちである。その者の心が魔界に通じていれば、魔界の者が現われ、その者の心が修羅に通じていれば、修羅が現われるであろう。

 

問い

効果的な対策はあるでしょうか?

 

神霊

私は気休めの言葉を語る気持ちはありません。あなたの人生を価値のない人生にしようとしている者は、生前に厳しい修行を重ねたものであり、魔界の者たちをいかにすれば、使役できるかを心得ている者です。魔界の者たちに慈悲は通用しません。それは暴れまわる暴徒に言葉が通用しないのと同じであり、強い力で抑え込むしかありません。


その意味では、あなたのやっていることに間違いはありませんが、インドの神にこだわる必要はありません。インドの神ならば彼の手口は知っていますが、今はそれよりも力で抑え込むべきです。そのため、インドの神かどうかよりも荒々しい働きの神の力を借りるべきなのです。

 

 

ご相談は こちらから

at 00:05, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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民族神の霊言・インド2(星)

前回の続きです。

 

しかし、お前からするならば、自分に恥をかかせた女が男に捨てられることほど面白いことはなかったのであろう。私は生前に何度も警告したはずである。人間の価値は家柄では決まらない。人間の価値は知識の量では決まらない。どんなに聖典に精通していても人間としての生き方が間違っているならば、何の価値もないことを説いたはずである。

 

私は仏の教えを学ぶものであり、女人との縁を持つことは許されない者であったがために、男女の道に関しては疎いことは認めよう。だが、お前が過去世においてしようとしていたことは、男女の道にも劣ることである。お前が過去世において今世の伴侶の過去世を本当に恋焦がれていたのであるならば、同情すべき面もあったであろう。だが、お前は今世の伴侶の過去世の者に恋心を抱いていたわけでもなく、利用したかっただけである。


好きにはさせない。

諦めよ。素直に仏に帰依せよ。既に牙城は崩れたのである。お前がどんなにあがいたとしても元には戻らない。

 

霊言2

あなたがやっていることのすべてが気にいらないのです。バラモンからするならば神の意向を伝えることや神の導きを伝えることは尊い家系に生まれた者以外が行ってはならないのです。彼らは、その役目を独占することで、自分たちの社会的な地位を守っていたのです。しかし、あなたは尊い家系に生まれていないだけでなく、専門的な学びすら受けていないのに、彼ら以上の実績を残していることに我慢ができないのです。


あなたは今の仕事をする前であっても多くの人のために動いていました。彼らからするとそれだけでも我慢ができないのに、今の仕事を始めてからは、彼らにもできなかった程の実績を残しています。そのため、彼らにはあなたが存在すること自体が許せないのです。彼らからするならば、貴い身分に生まれなかった者に許されるのは、自分たちの教えにしたがうことだけなのです。


もし、貴い身分に生まれなかった者が、何らかの事情で祭祀に関わるようなことがあったとしても、自分たちに成り代わることは許せないのです。その例外は、呪詛の分野だけなのです。彼らも建前では神の教えを説く者であり、公には呪詛を行わないことになっていたのです。そのため、あなたが呪詛を請け負うものであれば、彼らはあなたを放置していたと思います。


呪詛を解くことは呪詛をかける以上に難しいことであり、それを尊い家系の生まれでもなければ、何の修行もしていない者が行っていることに、彼らは恐怖を覚えているのです。それは彼らからするならば、自分たちの存在価値を否定されているのと同じであり、何事にもまして受け入れ難いことなのです。

 

問い

彼らはインドがイスラム教徒やイギリスに支配されたことをどのように考えているのでしょうか?

 

彼らするならば、自国が異教徒に占領されたとてもそれは自分たちの責任ではなく、自分たちの教えに従わなかった者たちの責任であるとしか考えていないのです。神の代理人であり、神の奉仕者である自分たちを蔑ろにしたことが異教徒によって国を失った理由であり、自分たちを蔑ろにしなければ国が亡びることはなかったとしか考えません。


彼らにとって現実は関係ないのです。彼らにとっての現実とは、彼らが自分の心の中に作り上げた妄想であり、その妄想こそが彼らにとっての現実であり、今もその妄想の中で生きていると言えます。

 

○○は恨まれていますか?

 

恨まれていると言う言葉は適切ではないと思います。彼らからするならば、自分たちの考えに忠実であれば良く、自分の考えで判断して行動すること自体が思い上がった行為となります。彼らはそれが当然であり、過去世からのカルマを背負ってその償いに一生を捧げるべきであり、自分たちに奉仕すべき者たちであるとしか考えていなのです。

 

 

ご相談は こちらから

at 20:17, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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民族神の霊言・インド1(星)

相変わらず慌ただしい日が続いています。

 

記事を書きたい気持ちはありますが、気付けば一日が終わっている状態です。

 

できれば一週間程度の休みを確保してのんびりしたい気分ですが・・・・

 

貧乏暇なしの状態が続いています。

 

それはさておき・・・・・

 

マヤの神官の霊言は、まだ残ってはいますが、今回はインドの不成仏霊と神霊の話をご紹介します。

 

不成仏霊

お前の力では何も分かるまい。翻弄され続けるだけであり、何の手足も出せぬままに苦しみ続けるのが定めである。それは我らを蔑ろにした罪であり、我らを屈辱した報いである。苦しめ、苦しみ続けよ。その苦しみに終わりはない。我らの勝利は近い。

 

笑わせるな。大笑いだ。たかがその程度の事で縁が持てるとでも思うのか。我らの力の前には何の意味もない話である。お前が何を使用しても何の成果などない。全ては無駄な努力である。全ては我らの手の内にある。永遠に逃さぬ。永遠の苦しみの中を生きるのがお前の運命であり、その運命から逃れる方法などあるはずがない。

全ては我らが決める。それ以外に道はない。

 

神霊

お前たちは、力で相手を支配することしか知らず、力で相手を黙らせることしか知らない。自分が神だとでも思い上がっているか。何もかも支配していなければ不安で仕方がないのが本心であろう。その自分たちの支配がいつ崩れるのか不安で仕方がないから過敏に反応しているだけの話であろう。

 

私からするならば、お前たちが何に怯え、何を恐れているのかも分かっている。余りにも愚かな話である。自分の肥大化した自尊心が全ての原因である。そして、その肥大化した自尊心が、現実から目をそむけているのだ。お前にとっては、現実など何の意味も持たないのであろう。全てを支配していなければ、不安で仕方がない。それが全てである。

 

お前は、過去世において支配できなかった男を伴侶として支配することに成功した。これで過去世において成し遂げられなかったことを成し遂げることができたと考えたのであろう。そのために、お前は用意周到に準備を重ねた。○○の生まれ変わりが力を発揮することができないように罠を仕掛け、二度と自分の野望を邪魔できないようにと考えたのであろう。

 

お前の伴侶が、過去世の再現をしたときのことも、お前にとっては予想の範囲であり、それを機会にお前は伴侶の支配を完璧にしたのであろう。お前は自分の伴侶を意のままに動かすことで、自分の虚栄心を満たすだけでなく、それが過去世の復讐であると考えていたのであろう。

 

お前にとっては全てが筋書き通りであり、笑いが止まらなかったのであろう。過去世において自分が利用しようとしていた男を奪った○○を精神の崩壊に追い込み、生きる屍とした。生きる屍として生き続けさせるか、死に追い込むことで、死後の世界でも利用し続けようとしたのであろう。だからお前にとっては自分が利用しようとしていた男を奪った○○の生死には関心がなかったのであろう。

 

次回に続きます。

 

 

ご相談は こちらから

at 19:51, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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民族神の霊言・マヤ9(星)

前回の続きです。

 

彼が知っているのは、人間の心の醜さであり、人間の弱さだけなのです。その人間の醜さや人間の弱さを克服した神とも言うべき方々に勝てるはずもないのです。そのため、彼はあなた方の神から逃げ回っていたのです。あなたの心が神と繋がっているときには、彼は手も足も出すことができず、心の闇の中に潜んでいたのです。そのような状態にありながらも彼が強気でいられたのは、自分の隠れ家とも言うべき、彼の作り上げた世界の場所を突き止められるはずがないと考えていたからです。


私は、「そこで参拝の際には、私を連れて参拝して下さい。この国の神に私から事情を説明させて頂きます。」と語りました。あなたは、その言葉の意味を深く考えられなかったのではないかと思いますが、それはこの国の神に彼の居場所を教えることであったのです。それこそが彼にとっては致命傷となることなのです。しかし、そのことをあなたに説明したとしても理解できるとは思いません。霊界には霊界の法則があり、霊界の法則をあなたに説明しようとしても比喩でしか説明できないのです。そのため、私は多くを語らなかったのです。


あなたはあなたの国の神々がどうして彼を捕まえられないかと疑問を抱いていたと思いますが、私からするならば捕まえられなかったのではなく、見つけられなかったのです。そのことの意味をあなたに説明することは困難であり、あなたに理解できるように説明する自信もありません。ただ、彼の問題はあなたが考えている以上に大きな問題であり、彼の起こし続けた障りは、個人の問題ではなくなっているのです。


私もそのことを自覚していましたが、私には彼を止めるだけの智慧も力もありませんでした。私自身が生前の罪に悩み続け、出口を探し続けていたのです。私は何年も前からあなたの存在には気付いていましたが、私自身が生前の罪の意識に囚われていただけでなく、あなたは彼が次々と送り込む者たちの障りの対応に追われ続けている状態であり、私はあなたに言葉を降ろしたくても降ろせなかったのです。

 

補足

最初に「彼が知っているのは、人間の心の醜さであり、人間の弱さだけなのです。その人間の醜さや人間の弱さを克服した神とも言うべき方々に勝てるはずもないのです。」とありますが、この指摘は非常に重要です。どうして神仏は悪霊や魔物に打ち克つことができるのかの根拠を明確に示す教えを学んだことはありませんでした。しかし、この短い教えがその根拠を説いていると言えます。

 

次に「それはこの国の神に彼の居場所を教えることであったのです。それこそが彼にとっては致命傷となることなのです。」とありますが、これも重要な教えです。このブログで何度も魔物の最大の武器は、心の闇に隠れることであると書いていますが、神仏であっても人間の心の闇に隠れた魔物を見つけることは難しいようです。そのため、神社仏閣に参拝しても魔物は人間の心の闇に隠れることで神仏の目から逃れます。逆に言えば、魔物が神仏に居場所を知られるならば、魔物は最大の武器を失うことになり、障りの解消が容易となります。

 

「あなたの国の神々がどうして彼を捕まえられないかと疑問を抱いていたと思いますが、私からするならば捕まえられなかったのではなく、見つけられなかったのです。」とありますが、人間の心の闇に隠れるとの表現も比喩でしかなく、詳細が分かっているわけではありません。闇の中に目だけが光って見えるような霊視は過去に何度かしていますが、それがどんな魔物なのかは、私にも分かりませんでした。

 

「霊界には霊界の法則があり、霊界の法則をあなたに説明しようとしても比喩でしか説明できないのです。そのため、私は多くを語らなかったのです。」とありますが、神秘体験を言葉で説くことには限界があるのと同じように神霊が心霊世界を現世に生きる人間に説くことには限界があると思います。個人的な体験としては、幽体離脱をして心霊世界を訪れたとの経験はありませんが、幽体離脱をして心霊世界を訪れたとしても同じではないかと考えています。

 

過去に色々な霊視の体験はしておりますが、基本的に神霊が意図的に見せているのではないかと考えています。そのため、神霊が仏の姿で現れることもあれば、光の柱として姿を現していると思われます。また、不成仏霊の場合も同じであり、霊視してている姿は、不成仏霊の意識の投影ではないかと考えています。

 

これは数式の法則を理解するのに似ているのではないかと思います。物理学などでは、解説に数式が並んでいることがあります。本来は複雑な数式でしか証明できない法則を理解するためには、数式を理解しなければなりませんが、数学が嫌いだった人間には、数式の羅列は意味不明でしかなく、数式を用いない解説を読み、何となく分かった気になっているのと同じではないかと思います。

 

多くの霊能者や心霊研究家が心霊世界について語っていますが、心霊世界のことを何となく分かった気になっているだけであり、現世に生きる人間に分かるように置き換えられているのが実態ではないかと思います。これは私も例外ではなく、心霊世界のことを何処まで理解しているかと言われれば、分かることは僅かなことでしかないと考えています。

 

 

ご相談は こちらから

at 12:28, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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民族神の霊言・マヤ8(星)

前回の続きです。

 

彼は認められたいとの気持ちが強いのです。認められることを願いながらも認められなかったがために、屈折した精神となったのです。彼の心を理解することは難しいことであり、彼の言い分を認めることは不可能であると言えます。彼は周囲から認められるためには自分に権威がなければならないと思い込んでいるのです。その間違いを気付かせることができなければ、彼の苦悩は解消しないと思います。


彼は権威がなければ多くの者から認められないと考えていますが、多く者から尊敬されるからこそ多くの者から認められるのであって、多くの者から尊敬されることがない者が権威を持つならば、多くの者は尊敬の念ではなく、恐怖心を抱くのです。しかし、多くの者たちの恐怖心は、彼の劣等感を忘れさせる力があったのです。


そのことが彼を狂気へと導いたと言えますが、彼は謙虚さを忘れて傲慢となりました。そのため、彼は益々恐れられ、人びとから畏怖されるようになったのです。人びとから畏怖されることで彼は自分の劣等感を忘れることはできましたが、彼の劣等感が消えることはありませんでした。

 

彼の作り上げた世界の崩壊が始まっています。それは大きな洞穴に近い世界と言えるでしょう。真っ暗で大きな洞穴が彼の作り上げた世界であり、その暗闇の世界の中に彼は潜んでいるのです。その暗闇の中で彼は恐怖に怯えています。できることがあれば何でもしたいと言うのが今の彼の心境です。


彼は自分の作り上げた世界の崩壊が近いことに気付いています。以前ならば、あなたが神に祈ったとしても彼は恐れませんでした。彼が手駒としていた者たちが障りを起こせなくなったとしても、彼は次があると考えていたのです。心に闇がある限りは、手駒にできる者たちに事欠くことはないと考えていたことから何の不安も感じていなかったのです。


しかし、今の彼は焦っています。その理由は、彼の居場所があなた方の神に知れ渡ったからなのです。私たちも生前には神の存在も信じていましたし、死後の世界の存在も信じていましたが、あなた方の神の教えに比べるならば、死後の世界に対する理解は幼稚でした。そのため、彼がいかに神近き者であると強がったとしても死後の世界においては幼稚な考えしか持っていないのです。

 

 

ご相談は こちらから

at 11:21, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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民族神の霊言・マヤ7(星)

前回の続きです。

 

転落した神官

神の代理人である私の力を封じようといるとは人間の思い上がりである。私の力がこの程度のことで封じることができるとでも思っているのか。私は神の代理人であり、神から与えられた力は無限である。その無限の力を持つ私の力を封じることができるなどと考える方が愚かである。

 

改心した神官

彼は自分の正体を見抜かれたことを恐れているのです。彼にとっては正体を見抜かれることや自分の意図を知られることが恐ろしいのです。彼は人の不安感を利用して人の心の闇に潜むことで人の不安感や恐怖心を利用していますが、何が起きているかが分からない事こそが最大の不安であり、最大の恐怖なのです。


しかし、自分の正体を知られ、自分の意図が明らかにされ、自分の手口を知られるならば、その最大の武器を失うのです。人は知らないからこそ何が起きるのかと不安に怯え、何が起こっているのかと不安に思うのです。そのため、彼の手口は、人の心の闇に潜み、自分の正体を隠しながら人の感情を翻弄して不安感や怒りを煽り、心の闇を大きくすることで自分の力を誇示しているのです。


その心の闇は、同じような心の闇を持つ者たちを引き寄せるのです。そして彼はその者たちを自分が作り上げた心の闇に引きずり込み、自分の手足として使っているのです。しかし、彼の巧みな事は決して自分が表には立たない事なのです。つまり、迷っている者たちを力で支配して自分の意のままに操っているのではなく、迷いや憎しみの心を持つ者たちを上手く利用しているのです。


怒りに燃える者には、怒りを煽り、憎しみを持つ者には憎しみを増大させ、生前の執着に苦しむ者には、甘い言葉をささやき、執着心を増幅させるのです。そのため、彼に狙われた者は、次々と不条理とも思えるような災いに遇うのですが、それを陰で操っているのが彼の手口なのです。


これは彼が生前から行っていたことなのです。彼は自分が生贄となる者たちの生死を自分が握っていることの権力に酔いしれていたのです。それは愚かな話ではありますが、生贄となる者たちの不安感や恐怖心を操ることの快感に酔いしれ、いつしか自分が神から選ばれた者であるとの錯覚に陥ったのです。


そして死後の世界でも生前と同じことを繰り返しているのです。死後の世界においても人の恐怖心や不安感を操り、その心の闇の中に潜み、人の心を操っているのです。そして人の心を操りながらも自分が決して表に立たないのは、生前から常に誰かの権力を利用して生きていたからでもあるのです。


彼は神の代理人であると語り、神近き者であると語ることはあっても自分が神であるとは名乗らないはずです。神近き者であるとは言っても自分が神である名乗らないのは、本心では神を恐れているからであり、彼の心の中は不安と恐怖に溢れているからなのです。自分の心の中が不安と恐怖に満ち溢れているからこそ、不安と恐怖について知り尽くしているのです。

 

補足

神の代理人を名乗る不成仏霊の心境は、古今東西を問わないようです。また、転落した行者や僧侶が起こす障りの手口も古今東西を問わないと言えます。過去に何件もの転落した行者や僧侶の障りを解消してきましたが、転落した理由は異なっていても増上慢に陥っていることや生きている人間に障りを起す手口は同じです。そのため、この霊言は参考になると思います。

 

 

ご相談は こちらから

at 00:48, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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民族神の霊言・マヤ6(星)

前回の続きです。

 

それが悲劇の始まりだったのです。彼は生前から異常に高い自尊心を持っていましたが、その自尊心を大きく傷つけたのが少年だったのです。彼からするならば、自分が愛する相手は自分を愛するのが当然でしたが、少年は最後まで彼に対して心を開かなかったのです。つまり、体を支配することはできても心を支配することはできなかったのです。そのことを彼は受け入れることができませんでした。


彼は少年が自分に対して心を開かないのは、女が原因であると邪推して復讐心を燃やすようになったのです。そのため、女さえいなくなれば、少年は心を開くと考えたのですが、女がいなくなっても少年は心を開かなかったのです。そのことが彼を嫉妬に狂わせ、狂気の始まりとなったのです。


彼は生前と同じように少年を愛しながらも少年に受け入れられないことに苦しみ続けています。彼にできることは少年を支配することだけなのですが、決して少年が心を開かないことを受け入れられないのです。そのため、彼は少年を支配しながらも少年と共にいることが苦しいのです。その苦しさから逃れる手段が女に責任を負わせ、女に嫉妬するすることだったのです。


そして女に嫉妬して女に復讐することを理由にして少年から距離を置き、少年の心変わりを待ち続けていたのです。そしてその歪んだ精神は、いつしか自分が神の代理人であるとの妄想を抱かせることになりました。その妄想は彼にとっては最高の気分であり、その妄想を真実であるし信じ込むようになったのです。


彼には私がこのような話をしていること自体が耐えられない程の苦痛であり、屈辱なのです。真実を知られることは、彼の作り上げた妄想の破壊であり、彼は現実を直視しなければならなくなるのです。彼がどんなに現実から目を背け続けたとしても現実を直視しなければならない状況に陥ったならば、彼はすべての力を失うことになるのです。


私は彼の手口を知り尽くしています。彼の手口を知り尽くしているからこそ、こうして言葉を降ろせるのです。しかし、私には彼を改心させるだけの智慧と力はありません。そこで参拝の際には、私を連れて参拝して下さい。この国の神に私から事情を説明させて頂きます。それが彼にとっては致命傷になると思います。

 

 

ご相談は こちらから

at 14:15, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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民族神の霊言・マヤ5(星)

今回もマヤの神官の霊言ですが、転落した神官と改心した神官の霊言となります。

 

転落した神官

お前に何が分かると言うのか。神に仕えた経験もなければ、神を前にしたときの作法すら知らず、神の捧げるための言葉すら満足に覚えていない者が、私の心を読めるとでも言うのか。お前に私の心が読めるはずもなく、私の考えを知る事などできるはずもない。私は神近き者であり、私は神の代弁者であり、私は神の代理人である。そのため、私は神より偉大な権限を与えられた者である。


私には恐れなどない。私が神の代理人であるからには何を恐れる必要はなく、すべての者は私にひれ伏さなければならない。私に礼を尽くし、私を崇めよ。私こそが神の代理人であり、私こそが全ての権限を握る者である。その私と対等に口を利くことすら不遜であり、私の心を読もうとすることは、神をも恐れぬ行為に等しい。

 

私には恐れる者など誰もいない。お前には神の代理人である私を捕えることなど不可能な話であり、指一本を触れることもできぬであろう。私は何も恐れはしない。お前たちが神と崇める者であっても私には何一つとしてできないではないか。だが、私は生きている人間の心を支配して思うがままに操っている。それに比べてお前たちの神とやらは、何をしているというのか、何もできないではないか。

 

転落した神官
私は神の代理人であり、すべての権限を持つ者である。その私が何をおそれるというのか、大神官であろうが、今の私は恐れる必要など感じてはいない。大神官と言ったところで親の威光を借りているだけであり、神の代理人ではない。神の代理人は私だけであり、唯一無二の者である。私以外の者が神の言葉を取り次ぐことは許されず。私以外の者が神の前に立つことも許されない。それが神の意志である。

 

 

改心した神官

恐らくはこれが彼の本音だと思います。憐れな者であるとも言えますが、彼の犯した罪はあまりにも大きすぎます。今のあなたが彼の心を理解することは至難の業だと思います。あなたが彼の心を理解するには、あまりにも彼の心が歪み過ぎているのです。彼は自分が神の代理人であると信じていると言えるでしょう。しかし、彼が神の代理人であるはずもなく、すべては彼の妄想なのです。


彼は自分が神の代理人であると信じ込むことで、自分の世界を作り上げているのです。そして、その世界が壊れることを何よりも恐れているのです。彼は現実の世界から目を背け続け、自分の世界に安住することで、かろうじて自分の精神を維持しているのです。それができなくなったならば、すべてが崩壊することに既に気付いているのです。


彼は今でも生前に執着していた少年の事を忘れてはいません。今も少年の事を忘れることができないでいると言うべきなのかもしれません。しかし、同時に自分が少年から愛されていないことに気付いていますが、決して認めることができないのです。彼は少年に愛されることを願いながらも少年に愛されることはなかったことから少年を支配することを選びました。

 

補足

この霊言があった当時にマヤで同性愛があったかを調べてみました。マヤ文明では文字の記録がないことから詳細は不明ですが、同性愛の文化はあったようです。

 

次回に続きます。

 

 

ご相談は こちらから

at 00:05, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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民族神の霊言・マヤ4(星)

前回の続きとなります。

 

「絶対的な真理は言葉での解説を拒絶する」と言いたいのですね。それに至る道筋を説くことは可能であるとしても、それに至る道筋は一つではないこともあなたは承知している。だからこそあなたは、相手に応じて道筋を説くことしかできないと考えているのではないでしょうか。

 

やっとおぼろげながらも自分が何を間違っていたのかが、見えてきた気がします。多くの者たちは、神典に書かれていることを根拠にして正当性を語りますが、あなたは神典に書かれていることを無条件に正当性の根拠とする気持ちはない気がします。あなたはそれが自分には、本当の真理かどうかは分からないとしても、それを受け入れるのは自分の責任だと考えている。それがあなたの強さなのかもしれません。


何を信じるかは自分の責任であり、騙されたと文句を言うべきことではないのかもしれません。あなたのように神とは何かを問い続ける気持ちがあったならば、今の私の苦悩はなかったと思います。その意味では自分の責任から逃げていたと言えます。昔からの言い伝えを信じ、昔からの教えを信じながらも本当は信じてはいなかったのです。


あなたにとって大切なことは、その教えが何を説き、何を伝えようとしているのかであり、それは教えの本質であると言えると思いますが、私が信じていたのは、信仰の本質ではなく、信仰の形式であり、作法だったと思います。まして、その教えを信じることに関して自分の責任など考えたこともありませんでした。


その意味では自分の責任から逃げていたのです。多くの者たちに恵みと健康と幸せを与えるはずの神が、どうして人間の血を求めるのかと疑問を抱きながらも、その疑問から目を背け続けたのは、神を信じていなかったことが理由だと思います。本当に神を信じ続けていたならば、その理由を神に問い続け、その答えが得られなければ、信仰を捨てるべきだったと思います。


私はやっと長年探し続けた答えを見つけることができたのではないかと思います。私にとって必要な教えとは、許されることであり、自分が許されていることを知ることであったと分かりました。自分が許されていることを知ることができない者に人を許すことができないことに気付きました。


私の心の罪の意識と贖罪をしなければならないとの意識が、私の分身たちにも影響を与えてしまっています。そのことに心を痛めながらも自分が何をすべきかが分からなかったのです。それが最初にあなたへの質問となったのです。その答えの予想はつきましたが、あなたに応えて欲しいと考えました。しかし、その答えはあなたの探求心であり、自己責任の意識である気がしています。

 

 

ご相談は こちらから

at 01:38, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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