神霊のお言葉・嫉妬心(星)
このところ、神霊のお言葉の投稿ばかり続いており、申し訳ありません。
もう少し落ち着いたならば、書き下ろしの記事を投稿します。
そんな訳で、今回もご神霊のお言葉を投稿します。
人を愛することは苦しいことであると思いますか、ある者にとっては身を裂かれる程に苦しく辛いものです。しかし、別の者にとっては此の幸せの中で命を果てたいと思う程の至福の時間ともなります。その違いとは、自分の愛する者から自分が愛されるか、自分の愛する者から自分が愛されないかの違いなのです。
自分が愛していない者からどれだけ愛されたとしても嬉しくはなく、自分が愛する者から愛を得られないならば、この世の終わりと思える程の落胆を味わうので普通の人なのです。自分はその人の幸せを願っていると言う人の大半は、本当に相手の幸せを願っているのではなく、自分と相手との幸せを願っているのです。
それは本当の愛ではないと切り捨ててしまう事は簡単ではありますが、大半の者にとってはそれが愛なのです。あなたの心の中には男のずるさを憎む気持ちが強くあります。それは一人の男としては非常に潔い心であり、尊ぶべき心ではありますが、あまりにも潔い心であるが為に弱い者の気持ちが分からなくなるのです。
あなたからするならば、弱い女性を守るべき男ならば、潔くあるべきとの気持ちが強いのですが、男もまた弱い者たちなのです。その弱さを理解してあげることも大切な事なのです。これは決してずるさを認めることではありません。ずるさを認めるのではなく、ずるさを理解することが大切なのです。ずるさの裏側にあるのは弱さなのです。弱いからこそずるくなるのです。
弱さを理解できなければ、ずるさも理解できないのです。弱い者にずるさを捨てることを求めることは強く生きろと言っているのと同じことなのです。ずるく生きることしかできない者は、強く生きることができない為にずるく生きているのです。その心の弱さを理解しなければ、ずるく生きる者たちを理解することはできないのです。
自分の好きな相手に異性を近づけさせたくない。その行為は、相手が自分の婚約者や自分の伴侶であったとしても醜い嫉妬心であると言えます。しかし、その醜い嫉妬心こそが多くの者にとっては愛の証となるのです。それは相手からするならば、迷惑な話であっても本人の気持ちの中では、嫉妬心こそが愛の証なのです。
星
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at 23:28, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉
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