霊障と性格(星)
一般の方は霊障の解消には神通力や霊能力と言った一般の方には分からない不思議な力が大切と考える方が大半かと思いますが、神通力や霊能力は、ないよりはあった方が便利な程度としか考えていません。意外に思われるかもしれませんが、魔物の正体を見抜かなければならないときにも、自分の霊能力を駆使しようと考えることもありませんし、自分の力で魔物と対決しようとも考えることも考えていないと言えます。
転落した魔物の多くは、生前に厳しい修行を積んだ行者が多く、転落しているとは言っても並の力ではありません。そんな魔物に力で対抗しようとしても勝てるはずもないと考えています。そのため、最初から力で対決しようとは考えてはいませんが、これまでに強い神通力を持つ僧侶と言われる方が、自分の手に負えないと断られた霊障を何件か解消しました。個人的には、自分の力で魔物を退治した自覚もなく、全て神仏が魔物を退治されたのであり、直接的には祈願祈祷をされた僧侶や神職の方のお力であって、自分は何処で何をすべきかを占っているだけの自覚しかありません。
その意味では、霊能者との自覚もなければ、霊感を駆使して占っている自覚もありません。私にできる程度のことならば、修行を積まれた行者や優れた霊能力を持つ霊能者ならば、もっと大きな仕事ができるのではないかと思いますが、意外と魔物の正体を見抜けなかったり、自分の手には負えないと断られることが少なくないようです。私も過去に自分ではとても手に負えないと思ったことは何度かありますが、ご神仏の働きで何とか障りを解消しました。
では、どうして厳しい修行を積んだ行者や強い霊能力を持つと言われる霊能者が、自分の手に負えないと断る障りを修行らしい修行を障りを解消できるのかとの疑問が残ります。最初は、魔物が一介の占い師に何ができると油断していることが理由かと考えていましたが、どうも別に理由があるのではないかと思うようになりました。そこで色々と考えてみましたが、理由が自分でも良く分かりませんでした。
信仰心については、厳しい修行をされている僧侶の方に比べるならば、所詮は在家の者の信仰です。霊能力と言っても私よりも優れた霊能力を持つ方は数多くいると思います。私は不得手であり、私よりも詳細に霊視する霊能者は数多くいると思います。自分には霊感などないと言われる方であっても、直感で言われることがかなりの確率で言い当てることあることから霊能力が強いとの実感もありません。
しかし、魔物が一番恐れているのは、神通力や霊能力ではなく、私の考え方ではないかと思うようになりました。自分が悟っているとも考えていませんが、若い頃から人と少し違った思考をしていると言われることが少なくありませんでした。そのことを自覚したのは、エゴグラム性格診断を受けた際のことでした。私は、物事を冷静に判断する論理的な思考が非常に強い性格との結果となりまし。また、先日のことですが、ネットでMBTI診断をしてみたところ似たような結果となりました。蛇足ながらどちらの性格診断も簡単な質問に答えるだけであり、検索されるならば、無料で性格診断を受けることができるサイトが直ぐに見つかります。
論理的な思考が強いことが良いことであるとも考えていませんが、霊障に対する取り組みに関しては、この論理的思考の強さが大きく影響していると思います。一般的に心霊世界における力は良くも悪くも念の強さとも言えます。勿論、魔物は憎悪や怒り、不満などの負の念であり、神仏は圧倒的な慈悲や善と言えますが、魔物の念は感情的な念であるとも言えます。その多くは、憎悪や怒り、不満などであり、感情的な力と言えます。これに対して冷静に判断する論理的な思考は、感情を排除した考えですので、魔物の力を受けにくいと言えま。
過去の経験でも魔物に限らず、不成仏霊の障りを受けますと閉塞感や不安感に悩まされるだけでなく、無気力になったり、苛立ちが強くなったりするなどの感情が翻弄されることが多くなります。勿論、不成仏霊の障りは感情面だけではなく、病気や経済的な損失などの現実的な災いも少なくありませんが、感情面の悪影響は大きいと言えます。そのため、不成仏霊にとっては感情を翻弄できないことは大きな痛手となるのではないかと思われます。そのことが魔物にとっては受け入れがたいことであり、目の敵にされやすいようです。
いずれにしても過去の経験則からの仮説ではありますが、不成仏霊の対策として感情が翻弄されないようにすることは有効な対策と言えるのではないかと思います。
星
at 00:05, 星 良謙・子授け地蔵, 霊感・霊能力について
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