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目先の利益(星)

先週のことですが、プリンターとスキャナーの複合機を購入しに家電のお店に行ってきました。あれこれ品定めをした後に店員さんに詳しい説明を求めたむところ、売り場の大半の商品が品切れでした。

 

( ̄Д ̄;) ガーン

 

入荷も未定との話であり、仕方なく展示品限りの商品を購入しました。

本当は、FAXもついた複合機にしようかと考えていましたが、スキャナーは故障、プリンターはそろそろ寿命化と思われることから妥協です。

 

聞けば、中国の工場が軒並み閉鎖されていることや洪水の影響で入荷が止まっていることが原因との話でした。

今更ながら家電製品が中国頼りになっていることを思い知らされました。

 

これも家電メーカーが目先の利益を追い求めて中国に進出したことが原因と言えます。

今から20年以上前からチャイナリスクは言われていたのに、財界と呼ばれる企業の経営者はチャイナリスクを全く考えていないようです。

 

と言う訳で、今回は目先の利益を追い求めることの弊害を取り上げます。

このことについて月刊Hanada 7月号に面白い記事がありましたので、引用します。

 

 日本の観光業界の弱いところは、いつも「ブーム」で終わってしまうことです。これまでの高度成長期から修学旅行ブーム、団体旅行ブーム、スキーブームなど「ブーム」を繰り返してきた。いまのインバウンド需要も、ブームで終わってしまう危険があります。

 たとえばスキーブーム。一時期は皆ものすごい勢いでスキーに行っていましたが、ピークを過ぎると沈んでいってしまいました。

 なぜ、海外のスキー市場は維持されているのに、日本だけがブームで終わってしまったのか。それは、日本の観光業界が目先の数字ばかりを追い続けているからです。

 目先の数字を追い続け、前年比プラスを目指してどんどんお客様を呼び込む。しかし、ある時点でお客様を呼び込み過ぎて、道路は渋滞、ゲレンデも混雑し、お客様の満足度がピークアウトする瞬間が訪れます。私はこれを「キャリングキャパシティ(環境容量)を超える」と呼んでいます。

 お客様の満足度は落ちているのにもかかわらず、前年度比をプラスにすることが目標になっていますから、お客様を入れ続け、ますますお客様の満足度は下がる・・・・という悪循環に陥(おちい)り、次第にお客様が離れ出す。あとから、お客様の満足度が下がったことに気づいても、時すでに遅し。そこからリカバリーするのは難しい。

 これがブームで終わってしまうメカニズムです。

 

月刊Hanada 7月号 P242-P243 観光業界の未来は明るい 星野リゾート代表 星野佳路

 

この目先の利益を求めることの弊害は、若い頃から随分と見てきました。将来のことなど考えることもなく、目の前の利益だけを追い求める経営者や管理職ばかりでした。「こんなことを繰り返していたならば、将来はない」と言っても聞く耳を持つ人は皆無でしたし、嫌なことを言うやつだとの烙印を押されて終わりでした。それだけならばまだ良いのですが、過去のデータを分析して説明しても無視するだけで、思考停止しているようにしか思えませんでした。

 

管理人が勤めていた会社は、そんな会社ばかりでしたので、いずれの会社も合併、倒産、廃業と会社としてはなくなりました。別に先見の明があったとうぬぼれる気持ちもなく、少し冷静に考えるならば分かるだろうと言いたくなるレベルの話ですが、それが理解できない人間が非常に多い気がします。その理由を考えますと、理解できないのではなく、理解したくないのではないかと思うようになりました。

 

会社の将来を考えるならば、目先の利益を追い求めるだけでなく、将来に対する備えも必要であり、将来の備えを考えるには、会社の将来について考える必要があります。更に会社の将来を考えるには、業界の将来について考える必要があり、業界の将来を考えるには、国の将来を考える必要があります。国の将来を考えるためには、国際的な動きについて考える必要があります。勿論、会社と言っても個人企業から大企業までありますので、どこまで真剣に考えなければならないかは、会社の規模によって異なります。

 

しかし、いずれにしても会社の将来について考えるには、国家レベルの思考が必要になると言えます。例えば、少子化や高齢化の問題は国の将来に関する問題ではありますが、個人の生活に間違いなく影響します。また、業種や地域によっては過疎化や物流の変化など様々な問題が企業経営に影響を与えます。そのため、5年・10年の単位で会社の経営を考えるならば、国の将来について考える必要があります。

 

これは何も国の将来を考えて政治活動に参加すべきであると言っているのではなく、この国がどのように変化するかを見極め、その変化にどのように対応すべきかを考える必要があります。例えば、結婚年齢の高齢化や少子化が売り上げに影響する業界であるならば、結婚年齢の高齢化や少子化にどのように対応すべきかを考える必要があります。また、情報網の発展や物流の変化が影響する業界などもあれば、生活様式の変化が売り上げに大きく影響する業界もあります。

 

次に業界の将来について考える必要があります。これは国の将来と重なる部分も大きいと言えますが、業界独自の事情もあります。例えば、生活様式の変化に伴う売り上げの減少、後継者不足、材料の入手が困難になったなど色々な業界独自の事情があります。また、近年は新聞の売り上げ減少や若者のテレビ離れが話題となっていますが、これも業界の事情と言えます。これらのことは個人商店であるか大企業であるかに関係なく影響を受けると言えます。

 

そのため、どのような経営規模であっても様々な影響を受けることから会社の将来を考える際には無視できないこととなります。それらの影響を考え、会社を取り巻く環境の変化や需要の変化を考えるべきなのですが、多くの経営者は将来のことよりも目先の売り上げや利益にしか関心がない印象があります。そして目先の売り上げや利益だけを追い求めるならば、どのような結果になるかと言えば、引用させて頂いた話となります。

 

引用させて頂いた話は、観光の話ではありますが、これは何も観光業界に限られた話ではなく、多くの業界に言える話ではないかと思います。目先の売り上げだけを追い求め続け、お客様の満足度や仕事の質の低下には関心もなく、市場の需要の変化などにも関心がないとなれば、売り上げが低迷するのは当たり前の話です。しかし、その当たり前の話を無視する経営者を数多く見てきました。また、今までと同じことを繰り返す単純再生産を繰り返すことや拡大再生産には熱心ではあっても今までのやり方を変えることには強い抵抗を示す経営者は少なくありませんでした。

 

これは現実世界に限られた話ではなく、神仏の世界でも同じような印象があります。神仏のお使いである眷属の方々が働かれる場合には、急激に売り上げが伸びることは珍しくありませんが、様々な矛盾が噴出することになり、売り上げの限界が訪れるだけでなく、お客の満足度が低下することになります。これに対して霊格の高い神霊が働かれますと、急激な売り上げの伸びは期待できませんが、会社の抱えている問題が少しずつ解消される動きとなり、着実な売り上げの伸びとなりますが、祈願や祈祷をして直ぐにご利益を実感できないと祈願や祈祷のご利益がなかったと思われる方も少なくないようです。

 

これを繰り返していると結果的に御客離れを起こします。つまり御客離れを起こす時期が早くなるだけの結果となります。これがご利益信仰の弊害なのですが、それでも目先のご利益を追い求める経営者は少なくないようです。

 

 

ご相談は こちらから

at 21:28, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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霊障と経営(星)

WILL 20020年5月号で気になる記事があることから取り上げさせて頂きます。執筆者は、旧希望の党幹事の肩書を持つ橋本琴絵女史とありますが、失礼ながらこの方がどんな方なのか存じません。しかし、書いてある内容は、真っ当な意見であることから取り上げることにしました。

 

 一般的な経済学の考え方として、人手不足とはそれこそ対独戦直後のソヴィエト連邦のように成人男性の多くが戦死した場合を除き、単純に支払賃金がない状態だ。人手不足とは要するに労働に見合うだけの賃金が期待できないため、求職者がいないことを意味する。

 労働者に十分な賃金を支払えない状態は、市場における当該企業の需要が低いということである。実態しては安価な外国人労働者が欲しい一方、人手不足と言い換えて体裁(ていさい)を整えている。

 なるほど確かに外国人移民によって企業は安価な労働力を手に入れ、利益を追求できる。しかし、国家全体はどうなるのか。外国人による犯罪によって失われる利益、捜査費用、裁判費用、収監費用などを計算しているのだろうか。外国人の集団が居住した不動産価格の低下あるいは上昇を想定しているのか。日本人との結婚によって出生した子の帰化や文化的摩擦を解消するための費用を算定しているのか。私の見た限り、そうした計算は一切なく、ただ労働力のみ得られると考えているのではないだろうか。

 すでに、ドイツやスウェーデンでは移民問題の先行例があり、たとえば平成二十七年末には、千人規模の被害女性を出した集団強姦事件がドイツのハンブルグやケルンにおいて発生している。もちろん、日本へ働きにくる人々は在留期限付きであり「移民てい゛はない」との主張があるが、文化習慣が一致しない人々が大量に長期滞留するといった点においては何ら変わりがない。

 女性が一人で出歩ける状態が「かつての古き良き日本」には存在した、という事態になってしまうことは絶対に許されない。

 

WILL 20020年5月号 P188 安倍政権よ、正義の外交を頼む 旧希望の党幹事 橋本琴絵 

 

この話を読んで最初に浮かんだのは、最近の経営者の志の低さを嘆く意見です。経済学者が最近の経営者は、戦後の復興期の経営者に比べると志が低いと嘆く声を何度か聞いたことがありす。個人的には、戦後の復興期の経営者であっても二流三流の経営者は多く、二流どころか、無能な経営者としか言えないような経営者も数多いと思いますが、戦後の復興期には自社の利益だけでなく、日本の国益や人々の生活を重視する経営者もいたことを否定する気はありません。しかし、最近の大企業の経営者からはそんな声を聞くことはなく、その意味では経営者の志が低下していると言えます。

 

この記事の中で執筆者は、安倍総理の人柄に対して信頼されていると書かれていますが、「移民政策」と「防疫政策」についてはどうしても納得できないとの主張のようですが、この点に関しては管理人も同意見です。ただ、安倍総理が移民政策とも言えるような外国人労働者の受け入れを推し進めているのは、財界の要望と思われます。その意味では、財界の大物と呼ばれる経営者の国益を無視して企業利益だけを追い求める姿勢に問題があると考えます。しかし、管理人がこのブログでそのことを書いたとしても自己満足で終わるだけですので、少し視点を変えて心霊世界の動きとの関連でこの問題を考えてみたいと思います。

 

個人的な経験から書きますと、急成長する企業の経営者の背後では何らかの指導霊の働きがあると思います。しかし、厄介なのは急成長した企業の経営者の指導霊であるからと言って必ずしも霊格の高い神霊とは限らないことです。一般の方は、急成長した企業の経営者の指導霊と言えば、大黒天や恵比寿神などの神仏を考えるのではないかと思いますが、龍神や天狗が指導されていることも珍しくありません。別に龍神や天狗が悪いわけでなく、個人的にも龍神や天狗を祀る神社仏閣には何度も参拝させて頂いています。

 

過去に龍神や天狗を名乗る神霊とお話をさせて頂いたことは何度かありましたが、龍神や天狗を名乗る神霊は基本的に教えを説くことはありませんでした。管理人からするならば、ある程度の悟りを得られているとは思いましたが、自分たちは眷属であり、教えを説く立場にはなく、神仏の指示に従って働いているだけであると言われました。一般的にこれが眷属と言われる神霊の基本的な立場であり、このことは宗旨が替わっても同じでした。これは個別の神霊に個性がないと受け取る方もいるのではないかと思いますが、神仏と一体になっている状態と考えるべきかと思います。

 

厄介なのは、神仏の意向とは関係なく、龍神や天狗が自分の意志で生きている人間を指導されている場合です。龍神や天狗と言っても千差万別であり、転落した行者が龍神や天狗を名乗っていることもありますので、一概には言えませんが、龍神や天狗の指導が入っている場合には、企業の業績が急成長する傾向があります。しかし、龍神や天狗の指導が入っている場合には、商売が強引になりやすく、多くの人から恨まれたり、反発される傾向があります。この時に経営者の器が問われることになります。経営者が自社の利益だけでなく、日本の国益や人々の生活を重視する気持ちがあれば、神仏の指導を受けやすくなり、神仏のご加護を受けます。

 

これに対して、日本の国益や人々の生活を考える気持ちもなく、ひたすら自社の利益だけを求め続けるならば、神仏のご加護を受けることは難しくなります。神仏のご加護を受けられなければ、その企業は没落するかと言えば、それほど単純な話ではありません。神仏のご加護を受けなくても業績を伸ばし続ける企業は少なくありません。その要因の一つが龍神や天狗の指導です。また、龍神や天狗の他にも色々な指導霊が指導することで業績を伸ばし続けることが少なくありません。勿論、指導霊の働きだけでなく、経営者や従業員の意欲や才能、努力などの様々な要因が加わりますので話は単純ではありません。

 

但し、この場合には、多くの人から恨まれたり、反発を招いたりする傾向があり、その恨みの念が蓄積され続けることになります。その負の想念の蓄積とも言える力が指導霊の力、経営者や従業員の努力と言った現実的な力、経営者や従業員の欲望などの力を超えると没落が始まります。しかし、それがいつ始まるかは、不確定要素が多く予測が難しいと言えます。例えば、神社仏閣には大口の献金をされた企業名が石碑などに刻まれていたり、石柱などに会社名が刻まれていることは珍しくありませんが、神社仏閣に寄進をされることでそれまでに蓄積された恨みの念の一部が解消されることがあります。また、大企業の場合には、自社の敷地内に神社を建立されることも珍しくなく、神職を招かれて祭祀を執り行っていることも少なくないようです。ある企業では、古刹から高僧を毎月招かれ、社内で祈祷して頂いているとの話を聞いたことがあります。

 

しかし、神社仏閣で祈願祈祷を受け続けていても、現世利益を追い求め続ける気持ちしかなく、祈願祈祷を受けても売り上げが伸びなければ、ご利益がないと別の神社仏閣で祈願祈祷を受けるなどの行為を繰り返していますと、せっかく祈願祈祷を受けられていても神仏のご加護を受けることは難しくなるだけでなく、低級霊を呼び込む可能性が高くなります。一般的に霊格の高い神霊の働きは、分かりにくい傾向があります。霊格の高い神霊は、目先の売り上げよりも根本的な問題の改善から指導されることから即効性はなく、ご加護を実感することは難しいと言えますが、根本的な問題が解消されることで企業の安定した成長が期待できます。

 

これに対して霊格の低い神霊の働きは即効性はあり、ご利益を実感しやすい傾向があります。しかし、霊格の低い神霊は、根本的な問題の解消を指導されない傾向があることから受け上げが一時的に伸びても抱えている問題が顕在化するだけの結果になり、一時的な売り上げの伸びで終わってしまう傾向があります。どちらも神仏の働きではありますが、あまり現世利益ばかりを追い求め続けますと、神社仏閣の近くにいる低級霊を呼び込んでしまう可能性が高くなります。そのため、現世利益を願うことは悪いことではないとしても社会に貢献する気持ちが大切とであり、企業活動を通して社会に貢献する気持ちを持ち続けることができるならば、霊格の高い神仏のご加護を受けやすくなります。

 

そのことを考えますと、政府に圧力をかけて賃金の安い外国人労働者の受け入れを推進させている財界の人々に、企業活動を通して社会に貢献する気持ちがあるとは思われず、霊格の高い神霊の指導を受けることは難しいのではないかと思われます。そのような気持ちでは、企業の敷地内に信者を祀り、定期的に祭祀を執り行ったとしても意味はないと思います。逆に不成仏霊に操られ、国益など無視して企業収益だけを追い求めているのではないかと思えてしまいます。その意味では、現在の日本の財界は危機的な状態にあるのかもしれません。

 

 

ご相談は こちらから

at 18:46, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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困った上司7(星)

前回は「部下の意欲を奪う上司」を取り上げましたが、今回は「部下の仕事を奪う上司」を取り上げたいと思います。どちらのタイプも管理職としては失格であり、管理職に求められる能力が欠落している上司と言えますが、前回の「部下の意欲を奪う上司」とは少し違うタイプとなります。管理人が会社勉めをしていた頃の印象として「部下の意欲を奪う上司」は、曲がりなりにも実績を残して管理職になっていることが多いのに対して「部下の仕事を奪う上司」は人材不足から管理職になっているのではないかと思います。

 

従業員数が100人以下の中小企業の経営者が抱えている共通する悩みの一つが優秀な人材が不足していることです。勿論、中小企業にとっては、優秀な人材を確保することは至難の業であり、優秀な人材を確保できないことが企業の成長を阻害していることが少なくありません。そのため、従業員の社員教育を充実させる必要がありますが、大手企業とは異なり、社員教育をするだけのゆとりがないことも人材が育たない要因でもあります。しかし、優秀な人材が不足しているとしても一定数の管理職は必要となることから本来であるならば、管理職としては能力不足と思われる人材を管理職にしなければならないことになります。

 

能力以上の役職に就くことは、本人にも不幸であり、会社にとっても損失になりますが、企業が組織である以上は避けられない事であると言えます。このような矛盾とも言える状況の中で管理職となった場合に起きるのが今回取り上げる「部下の仕事を奪う上司」となります。役職としては課長・課長代理・係長・主任など色々ありますが、部下として抱える人数は会社規模で大きく異なります。そのため、企業の規模を無視して同一に語ることはできませんが、「部下の仕事を奪う上司」は自分の部下の仕事を奪うことは共通しています。

 

課長や課長代理ならば係長の仕事を奪い、係長ならば主任の仕事を奪い、主任は平社員の仕事を奪います。本人は、忙しいからとか任せていられないからとか理由を並べますが、本当は役職に見合った能力がないことが理由です。本来ならば、部下に任せるべき仕事は任せて役職に見合った仕事をすべきなのですが、それができないことから部下の仕事を奪うことで自分の仕事を確保していると言えます。能力のない管理職は、自分に能力がないことを自覚していることから仕事量を増やすことで管理職としての立場を守りたいと考えることもできますし、自分に管理職としての能力がないことを自覚したくないことから仕事量を増やすことで現実逃避しているとも考えることもできます。これは本人にとっても不幸な話であり、哀れと言えば哀れな話ではありますが、こんな上司を持つ部下とっても哀れな話となります。

 

自分の上司が役職に見合った役割を果たさない場合には、部下が上司の役割の一部を果たさなければならなくなります。例えば、本来であるならば、上司が決済しなければならない事案でも上司が頼りにならないとなれば、部下が自分の判断で決済しなければならなくなり、責任の所在が曖昧となります。こうなると形式上は組織であっても個々の社員が自分の判断で仕事をしなければならなくなり、組織が組織として機能しなくなります。

 

これは中小企業や零細企業に多く見受けられることであり、形式上は会社組織にはなっていますが、権限や責任が曖昧であり、何か問題が起きても責任の所在が曖昧となり、結局誰も責任を問われないことになります。このような状態に陥りますと、会社としての方針は無視されるか、明確な会社の方針は存在せず、掛け声だけの方針となります。つまり会社と言っても個人商店の集まりのような状態となり、個々社員が好き勝手に動くようになります。これは無能な管理職にとっては非常に居心地のよい環境であると言えます。形式上は会社組織ではあっても実質は個人商店の集まりてあるならば、管理職は明確に責任を問われることもなく、好き勝手にやっていられることになります。そのため、このような会社では責任の所在や権限の範囲を明確化することを非常に嫌う傾向があります。

 

責任の所在や権限の範囲を明確化することは、会社組織の前提ではありますが、常に人材不足に悩む中小企業においては非常に難しいことではないかと思います。管理職としては能力不足ではあっても取り敢えずは、実績を残してくれる社員を頼らざるを得ないのが中小企業であり、経営者が中堅社員の顔色を窺うことはよくある事です。しかし、部下としては誰に許可を求め、誰に判断を仰げば良いのかすらも明確ではなくなります。取り敢えずは上司にと思って話をしても上司の個人的な考えはあっても会社としての考えはないことになることから優秀な人材が育つ可能性は低くなり、いつまで経っても能力不足の管理職に頼らなければならない状況が続くことになります。

 

それでも売り上げが伸びている状況ならば、大きな問題はなく過ぎていくことが多いのですが、社会情勢が変化するなどの理由で従来の方法が通用しなくなった場合には、企業は衰退することになります。そのため、管理職としての能力が不足している人間を管理職にすることの弊害は大きいと言えます。

 

 

ご相談は こちらから

at 11:58, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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困った上司6(星)

霊障の話ばかり書いていると気が滅入りますので、気分転換に仕事の話を書こうかと軽い気持ちで「困った上司」について書き始めましたが、今回で6回目となりました。何回まで続けるのかも決めていませんが、暫くは続けようかと考えています。何分にもコメントが滅多にないブログですが、ご希望があればコメントでお知らせください。

 

さて、今回は「部下の意欲を奪う上司」を取り上げたいと思います。経営能力のない人間が経営者になることは、本人にも従業員にも悲劇ですが、管理能力のない人間が管理職になることも負けず劣らず本人にも従業員にも悲劇となります。管理人は会社勤めが長かった人間ではありますが、幸か不幸か部下を持ったことがありません。同世代の仲間が何らかの肩書きを持つようになった年齢の頃に働いていた職場は、小規模な営業所であり、上司だ部下だと言うような職場ではありませんでした。その後も同じ様な状況が続き、今の仕事を始めましたので、部下を持ったこと機会はありません。

 

そのため、部下を管理することに関して偉そうなことを言える立場ではなく、自分自身も人に干渉することも人に干渉されることが苦手な人間ですので、何人もの部下を抱え、管理する立場になったならば、悩んでいたと思います。その意味では、部下を持つことなく過ごすことができたのは幸せであったと思います。しかし、占い師の仕事は、占いだけでなく、アドバイスも重要なことですので、指導と言えば指導と言えますが、上司と部下の関係ではありませんので、別の意味での苦労はあります。

 

話を戻しますと、管理職に求められる能力は、部下に適切な指示を与えて部下を管理することではないかと思いますが、一番大切なことは部下を育てることではないかと思います。しかし、世の中の多くの管理職は、部下を指導しているつもりでも部下の意欲を奪うだけでなく、部下の才能を潰している印象があります。その理由を考えると管理職の人間としての器の問題ではないかと考えるようになりました。器の問題と書きますと、あまりに漠然としているので、もう少し具体的に書きますと。部下の才能や実績に対して嫉妬することなく、部下の活躍を喜べるか、部下の才能や実績に対して嫉妬するかの違いです。

 

このように書きますと、部下の才能や実績に対して嫉妬して優秀な部下を潰す器の小さい人物となりますが、部下の才能や実績に対して嫉妬することなく、部下の活躍を素直に喜べる管理職の方が珍しい印象があります。大半の管理職は、部下が優れた実績を残すようになりますと、最初は喜んでいても次第に部下の実績に嫉妬するようになります。そして部下の仕事の粗探しを始め、部下の意欲を削ぎ、その才能を潰すことに全力を傾けるようになります。そして部下が仕事に対する意欲を失い、平凡な実績しか残せないようになると安心します。

 

部下を潰す管理職の理由をもう少し考えますと、嫉妬心の裏には自分の立場を脅かされる恐怖心が隠れていると思われます。これは多くの方が持つ心理であり、経営者であっても例外ではないようです。経営者ならば、社員が優れた実績を残すことを素直に喜びそうなものなのですが、従業員が期待以上の実績を残すと、その実績に嫉妬して難癖をつけ、仕事に対する意欲を失い、平凡な実績しか残せないようにする傾向があります。特に自分が正しいと信じている方法とは異なる方法で実績を残すと、この傾向は一層顕著になります。

 

これは企業にとっては大きなマイナスであり、企業の発展を大きく阻害する要因ではありますが、当事者には自分が部下の才能を潰しているとの自覚が全くなく、部下を指導していると信じ込んでいることが多いようです。もっとも、自分が部下の才能に嫉妬しているだけでなく、自分の立場を脅かされることに恐怖を感じていることを自覚できるならば、部下に嫉妬することもないと思われます。いずれにしても対応が難しい上司となります。

 

過去に読んだ本には、上司に花を持たせることを心掛けることを対策として書いてありましたが、大きな商談の際に話を詰めておいて上司に花を持たせることは可能ですが、実践するのは楽ではないと思います。有能な上司ならば、部下が花を持たせようとしていることを承知して立ち回ってくれることも期待できるのですが、無能な上司の場合には、下準備をすべてぶち壊して相手を怒らせてしまうこともあります。これは自分のやり方にこだわったり、自分が優秀であることを見せようと土壇場になって条件変更をしようとしたりすることが原因でした。

 

これに対して部下の能力を伸ばす上司は、部下と実績や能力で張り合うことのない上司であり、部下の意欲を高めることこそが管理職の仕事であることを理解している上司となります。しかし、こんな上司は少ないのが実情であり、素直に部下の活躍を喜ぶことができる上司は少ない印象があります。管理人の経験を書くならば、ほどほどの成績を残すように心掛け、上司をなるべく刺激しないようにする程度のことしかできませんでした。最後に付け加えるとするならば、部下の意欲を高め、部下の才能を伸ばすことが管理職に求められる能力ではありますが、理想の上司とは、自分よりも才能のある部下を使いこなすことができることではないかと思います。

 

 

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at 23:49, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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困った上司5(星)

前回の投稿では、自分のやり方に頑固にこだわり、時代の変化に対応できない経営者について書きましたが、今回は別の意味で決断できない経営者について書きたいと思います。一般的に決断できないタイプを優柔不断と表現しますが、管理人の経験では、ワンマンな経営者の跡取り息子である経営者に多いタイプでした。前回は、創業者の経営者と息子が経営方針を巡って対立する場合の話を書きましたが、ワンマンな親の意向に逆らえない息子が唐突に経営を引き継いだ場合に多いタイプでした。

 

会社を創業して小さいながらも成功した経営者の多くは、ワンマンな場合が多く、死ぬまで経営の実権を握り続け、跡取り息子にも何も経営に参加させない場合が少なくありません。このような場合の多くは、息子と言っても求められるのは、親である経営者の指示に従う立場であり、肩書だけは役員でも仕事内容は従業員と大差がありませんでした。そのため、このようなワンマン社長が急病なとで他界した場合には、跡取り息子は経営者としての準備もないままに経営を引き継ぐことになりますが、後を継いだ跡取り息子の経営者は、自分では何も決められない優柔不断な経営者となりやすい傾向があります。

 

これは何も経営者に限られた話ではなく、高圧的な親に育てられた子供や過保護な親に育てられた子供にも言えることです。つまり、親が子供の自主性を無視して子供は親に従っていれば良いと言った育て方をするならば、子供はいつも親の顔色を窺う子供となり、子供が自分の考えを持つ機会を失うことになります。また、親が子供を過保護に育てるならば、子供の人生は与えられたレールりの上を走る電車となり、自分で試行錯誤を繰り返す機会を失います。しかし、親が子供に対してお前も大人になったのだから自分の人生は自分で決めろと迫っても自分が何をしたいのかも分からず、混乱します。

 

いつも親の科顔色を窺い続け、親の期待に応える事だけを求められた子供やいつも親が敷いてくれたレールを走ることしか知らない子供が健全な自我を持つことは難しく、自分で決めろと言われても自分では何も決められません。これは、奴隷が突然「これからは自由だから自分の好きなところへ行け」と言われているのと同じであり、何の準備もないままに放り出されるのと同じことでしかありません。その結果が「産んでくれと頼んだ覚えはない」との言葉となります。

 

さて、話を戻しますと、経営者と従業員に求められる能力の違いは、決断力と結果責任ではないかと思います。勿論、どちらの道を選ぶか判断によって会社の命運が決まるような重要な判断が求められる際に安易な考えや本人の思い込みで決断するのは、論外となりますが、どちらの道を選んでも大きなメリットと大きなリスクが伴う場合には、考えれば考える程、決断できなくなるのが普通です。そのため、最終的には経営者が決断しなければなりませんが、最悪なのが決断できないままに結論を先延ばしすることです。

 

即断即決が良いとは考えませんが、経営においては、最悪の場合を覚悟して即断しなければならない場面が数多くあります。大手の会社ならば、日常的な仕事内容でも管理人が勤めていた零細企業の場合には、受注の際に不安が伴うことはいつもの事でした。特に新規の顧客を開拓をした際に担当者から「これできるか?」と言われた見本を見ながら様々な不安が頭をよぎりながらも受注していました。勿論、会社に帰ってから外注先との打ち合わせに奔走していました。

 

では、どうして不安を抱えながらも受注したかと言えば、その場で快諾しなければ次がないことは分かっていたことが理由です。発注する側としては、何らかのメリットがなければ、現在の発注先を変更する必要はありません。そのため、挨拶代りに打診した仕事で悩んでいるようでは次がありません。そこで不安を感じながらも不安を感じていないように装うことを心掛けていました。

 

これは逆の立場になれば嫌でも分かることでした。自社ではできない大きな仕事が決まり、外注先を探したことが何度かあります。電話で相手に仕事内容と数量、納期を伝え、外注の打診をしますが、当時は景気が悪かったことから納期までの時間がない急ぎの仕事でも2社か、3社に打診すれば、外注先は直ぐに見つかりました。その際に良く聞いた言葉は、「明日は無理だけど、明後日ならば大丈夫です。」と言った返事でした。

 

こちらとしては、納期がありますので、次の候補の外注先に打診します。相手もそのことが分かっていることから「明日は無理だけど、明後日ならば大丈夫です。」と何とも残念と言った返事となります。ことらは、相手にも仕事の予定があるのは当然であることから断られたからと恨む気持ちはなく、次回に同じような話があれば、再び打診します。しかし、考えさせてくれと言った返事の場合には、即断できない業者であるとの印象しか残らず、信用を失う結果となります。

 

しかし、決断できない人は、即断即決ができません。迷って迷って考えた末に返事をしようとするのですが、返事をする頃には既に発注先は決まってしまっていることになります。これは急ぎの仕事でなくても同じことです。外注に限らず、発注する側としては、何社かに打診しますので、相手はいつまでも待ってはくれません。そのことを繰り返し話しても決断できない人は、直ぐに結論を先延ばししようとします。

 

その理由を色々と考えてみましたが、決断できない人は、人生において自分で決断した経験がないことが理由ではないかと考えるようになりました。この様に考えるようになった理由は、決断できるかどうかは、年齢に関係なく、家庭環境にあると考えるようになったこと、決断することを恐れる人は、判断の結果の責任を問われることに怯えることでした。そして更に根底にある決断できない理由を考えた結論が、最初に書きました「息子と言っても求められるのは、親である経営者の指示に従う立場であり、肩書だけは役員でも仕事内容は従業員と大差がない」ことです。

 

つまり決断できない人は、常に誰かの指示に従って生きている人であり、自分の意志で自分の人生を生きていないことから自分の意志を持つことができず、自分の意志で生きていないことから自分の意志で判断することに対して極端に怯えるのではないかと考えるようになりました。簡単に書きますと、親離れできない子供と同じであり、中年であろうが、初老であろうが関係がないと考えるようになりました。勿論、心理学を深く学んだ経験もないことから心理学的な見解とは異なるのかもしれませんが、この考えを更に突き詰めますと、管理人の守護霊の教えとなります。

 

では、決断できない人がどうすれば決断できるようになるかが問題となりますが、必要以上に失敗を恐れないことが大切となります。しかし、それが分かっていてもできないで困っているとの声が聞こえそうですが、個人的には繰り返し訓練するしかないと考えています。勿論、心理カウンセラーならば、もっと適切なアドバイスをされるかもしれませんし、成功するイメージを繰り返しイメージトレーニングすることも良いのかもしれませんが、自分で考えて判断することに慣れることが大切ではないかと思います。

 

 

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at 15:40, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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困った上司4(星)

前回と前々回は、「突撃絶叫上司」を取り上げましたが、今回は真逆の「石橋を叩いても渡らない亀経営者」について取り上げたいと思います。石橋を叩い渡ると言う諺がありますが、このタイプの上司は、石橋を叩いても渡らないタイプであり、人の話を聞かない頑固さがあります。自分の信じる道を突き進むのは、本人の自由ですが、経営者となると話は違ってきます。人の話を聞かず、自分の信じる道を突き進むのは本人の自由ですが、その方針が間違っている場合には、企業の経営危機を招きます。

 

このように書きますと何か特別な事例のように思われるかもしれませんが、頑固一徹の職人気質の経営者と書けば、納得される方も多いのではないかと思います。「頑固一徹の職人気質」と書きますと褒め言葉とも言えますが、これは腕の良い職人だけに通用す言葉であり、長年その業種で働きながらも二流三流の技術しかないならば、ただの人の話を聞かない頑固でしかありません。何が違うのかを考えますと信念の違いではないかと思います。良い物を作るためには妥協しない信念を持つならば、「頑固一徹の職人気質」と言えるのでしょうが、実際には根拠のない思い込みとと劣等感の裏返しと思われる妙なプライドにこだわっているだけにしか過ぎない印象があります。

 

このタイプの方は、自分を過大評価する傾向があり、自分は一流の仕事をしていると自負していることが多いようなのですが、客観的に見るならば、その仕事内容は二流三流の仕事でしかなく、本人は真面目に努力していることは分かってもただの不器用でしかないと思うことが大半でした。それでも仕事が真面目ならば、市場が拡大している時代には、それなりの実績を残すことが可能なためか、零細企業や中小企業の経営者に多く見受けられました。しかし、市場が成熟期を迎えたり、市場が変化したりするなど、従来の仕事内のやり方では通用しなくなると弊害が目立つようになります。

 

実は、高度成長期に創業した経営者には、このタイプの経営者が少なくありません。管理人は、今から20年から30年前には創業者の経営者と息子との間で経営方針を巡って対立しているとの話を何度か聞きました。その大半は、従来の慣習にこだわる経営者と時代に即応しようとする息子の対立でしたが、家族経営や同族企業ならばどこにでもある話でした。時代の流れに取り残された創業者と後継者の焦りと言うべき構図でした。その当時に度々耳にした話が、従来の手法を守っているならば、親父の代は経営は成り立っても将来は危ういとの話でした。

 

簡単に書きますと後10年は今のままでも経営は成り立っても、その先はないと焦る息子と経営者の立場に固執する親との対立でした。これはいつの時代にもある話であり、時代の転換期には頻繁に起こることです。また、真面目に努力していたとしても社会の変化で衰退する業種は数多くあり、従来の経営方針が通用しなくなることは、珍しいことではありません。例えば、今から40年前にはレンタルビデオ店が急成長している時代でしたが、今ではネットに押されて衰退しました。また、個人経営の薬局、酒屋、雑貨店、文房具店、魚屋、八百屋などのように街から消えた小売店は数多くあります。

 

これらの小売店が街から消えた理由は異なりますが、個人経営の薬局に替わって大型のドラックストアーが乱立していますし、個人経営の酒屋は激減しましたが、スパーやコンビニにはお酒が並んでいます。つまり取り扱われている商品の販売形態が変わったと言うべきではないかと思います。酒屋を経営していた知り合いは、いずれ従来の酒屋では経営が成り立たなくなるとコンビニに転業しましたし、薬局を経営していた知り合いは、整体院を併設しました。また、喫茶店を経営していた知り合いが3人ほどいましたが、2人は廃業し、1人は廃業はしないが、現状維持が精一杯との話です。

 

これは小売業に限られた話ではなく、製造業でも同じです。製造業に従事している知り合いからも同じ様な話は聞いていますし、職人の世界でも同じような話はあるようです。以前にテレビで塗り物の新しい可能性を模索している職人が名人と呼ばれる父は、仕事に困ることはないが、従来の商品の需要が減少していることから新しい分野の商品を開拓しなければ、経営が成り立たないと話をしていました。

 

いずれの業種も個人商店が経営努力しても資金力などの問題から状況を打開することは難しいことが少なく、思い切って業種転換をするか、廃業をするしかないことが大半ですが、どちらの道を選ぶかは難しい問題です。しかし、一番困るのは、どちらも選ばないことであり、現状維持です。廃業するのであるならば、資金的に多少なりともゆとりがある時に廃業しなければ、借金だけが残りますが、その決断ができずに借金を重ねる経営者も少なくないようです。

 

そのため、「突撃絶叫上司」も困った上司ではありますが、「石橋を叩いても渡らない亀経営者」は会社の経営を危うくする最悪の上司と言えます。堅実な経営を心掛けるのは悪い事ではありませんが、世の中が変化して従来の経営では通用しない現実から目を背け、亀のように自分の世界に閉じこもるだけでは会社を経営危機に追い込みます。

 

 

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at 06:21, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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困った上司3(星)

前回は、「突撃絶叫上司」について書きましたが、実際の戦闘において「突撃」や「総攻撃」を命令するタイミングを的確に判断することは非常に難しいと書かれていたことがあります。「突撃」や「総攻撃」は使い方によっては大きな成果を得ることはできますが、判断を間違えますと、成果の割には被害ばかりが大きくなります。敵が万全な備えをしている陣地に対して何の策もなく、突撃を繰り返すならば、被害ばかりが増えるだけであり、成果は期待できるはずもありません。前回取り上げました「突撃絶叫上司」は一年中突撃を命令している指揮官と言うべきでしょうか。

 

「突撃」や「総攻撃」で大きな成果を得る条件は、敵の勢力が破綻寸前であり、辛うじて戦線を持ちこたえている場合です。このような戦況の場合には、一気呵成に責め立てることで敵の戦線は総崩れとなり、大戦果を得ることが可能となります。しかし、判断を誤り、必要以上に慎重となり、攻撃を控えて戦力の温存を優先しますと、敵が戦線の建て直しを図ったり、援軍が到着したりと弱っていた敵の勢力が強化されてしまうこともあります。

 

これは戦闘行為に限られた話ではなく、仕事にも言える話ではないかと思います。前回取り上げました「突撃絶叫上司」は一年中突撃命令だけを命じている指揮官と同じと言えます。勝機もないのに突撃を命令するならば、戦果を得られたとしても被害が大きくなるのと同じように上司が叱咤激励しても成果を残すことが難しくなります。このような「突撃絶叫上司」が成功できるのは、高額な成功報酬が約束された営業だけではないかと思います。

 

高額な成功報酬を約束された営業の場合には、部下は成功報酬を得るために自分で考えて働きますので、上司のやるべきことは限られていると言えます。但し、営業成績が残せない社員は退職するしかありませんが、高額な成功報酬が約束されているならば、人は集まりますので、企業としては成り立ちます。今から40年以上前ならば、こんな会社は数多くありました。30人・40人採用されても半年を過ぎる頃には、半分は退職して20人以下となり、1年後に残っているのは、10人以下とあり、2年後に残っているのは5人以下が当たり前でした。

 

入社後の初めての賞与が支給されると新入社員の半分は退社、そして冬の賞与が支給されると更に半分が退社、つまり半年毎に同期の社員が半分となるのが営業の世界でした。こんな話が珍しくないのが40年以上前の営業の世界であり、30年前位から徐々に変わり始めた印象があります。これは消費者との対面での営業の世界においては、高度成長期を経験した管理職が引退し始めたことが大きいと思われますが、ルートセールスの世界においては通信や物流にコンピューターが導入され、受注や物流が大きく変化したことの影響が大きいのではないかと思います。

 

ルートセールスの場合には、在庫管理や受注管理にコンピューターが導入され始めたことで、昔ながらの営業が通用しなくなったのですが、消費者との対面での営業の世界においては、高度成長期の生き残りのような「突撃絶叫上司」がまだまだ残っているようです。このタイプの上司の営業活動は、良く言えば熱意と言えるのでしょうが、実態は押し売り同然の営業が多い印象があります。これは強引とも思えるような営業こそが熱意と努力であると考えていることが理由と思われますが、それでも売り上げさえ残してくれるならば、企業にとっては優秀な営業となります。

 

私の知り合いが、このタイプの営業を焼畑農業と言っていました。焼畑農業は、林や森林を焼き払い、焼いた灰を肥料として作物を育てるため、1年から数年間は耕作した後、数年以上は耕作ができなくなるのと同じように、一つの職域などで強引とも言える売り方をすることから常に新しいお客を探さなければならないと言っていました。この営業方法は、ルートセールスのように固定された顧客を相手にする場合には、あまり使えない営業方法ではありますが、人によってはこの方法で営業成績を残している場合もあります。

 

押し売り同然の強引な押し売りをするならば、短期的には売り上げは伸びますが、売り上げは頭打ちとなります。しかし、受け上げが頭打ちになったならば、担当地域を変えてもらうにならば、次のお客に押し売り同然の営業をすることで営業成績を残すことは可能です。勿論、自分の都合で担当地域を変更することが可能な立場になければ、こんなやり方は通用しませんが、要領よく立ち回ることができる立場ならば、可能な方法です。当然のことながら後を引き継いだ営業は、強引な営業の尻拭いをさせられることになり、売り上げを伸ばすのに四苦八苦となりますが、会社は数字しか見ていないことから意外と社内の評価は高いことが多いようです。

 

しかし、営業の世界は正解は一つでなく、強引な営業であろうとも優秀な成績を残すことができるならば、それが正解と言えます。また、強引とも言える営業で成長した企業も数多くありますので、一概に批判はできませんが、管理人には馴染めない営業です。

 

 

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at 13:14, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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困った上司2(星)

前回に続き、困った上司の話を取り上げたいと思います。管理人は、根性論が嫌いだと言われることが多いのですが、別に精神論の価値を否定する気持ちはありません。勝負事や仕事においては、情熱や熱意は重要であり、勝敗や実績に大きく影響することを否定する気持ちはありませんが、やたらと精神論を説く上司の大半は、精神論ばかりに頼り、具体的な解決策がなかったことが理由です。

 

前回引用した本とは異なりますが、同じテーマを扱った本から少し引用します。

 

「営業は結果や」とか「仕事は努力と熱意と根性だ」とか大声を出すことが仕事だと心得違いしている上司がいる。上司が「売れ、売れ」と言うのは、サッカーの監督が試合前のミーティングで「今日の作戦は?」と選手に聞かれて、一言「たくさん点を入れることだ」と答えているのと同じである。

 そんなことは言われなくてもわかっている。問題は「いかに売るか」なのだ。肝心の知恵は出さず声だけの上司には、辞表を出せと言いたくなる。

 この手の突撃絶叫上司は、とくに営業関係の部署に多いようだ。たしかに営業という仕事を考えると、熱意や努力、根性を全否定はできない。しかし、それだけでは成果をあげられるにくくなっているのが現実だ。

 

「困った上司」とのつきあい方 守谷 雄司著 成美文庫 P34

 

管理人は営業畑が長かったことから、この突撃絶叫上司には、随分悩まされました。しかし、何故か、この突撃絶叫上司は、数多くいる印象がありました。これは世代の問題なのかもしれません。管理人は、戦後の高度成長期を経験していませんが、管理人が働き始めた頃の管理職の多くは、高度成長期を経験した世代でした。今でいうならば、バブル崩壊後の世代が管理人の世代であり、バブル期が管理職の世代であると考えてもらうと分かりやすいかと思います。

 

戦後の高度成長期やバブル期などのように市場が急激に拡大している時期には、求められる仕事の多くは単純再生産になりやすいと言えます。言い換えれば、毎日同じことの繰り返しであり、求められるのは量的な拡大と言う名前の長時間労働です。これはこれで大変なのですが、働いた分だけ報われる時期と言えます。また、消費が拡大している時期には、少々乱暴な押し売りに近い営業をしたとしても需要の方が大きいことから大きな問題にもならなかった時代でした。当時の事情を知る人は、物がなかった時代であることから問屋が押し売りをしても小売店が返品するようなことをしなかったと言われていました。小売店が問屋が押し売りをしても小売店が返品するようなことをしなかった時代ですので、メーカーが問屋に押し売りしても問題にもならなかった時代でした。

 

管理人は、そんな夢の様な時代は経験していませんが、非常に売れている商品がある場合には、似たような状況を経験しました。小売店や問屋の方が求めているのは売れる商品ですが、管理人が働いていた業界は流行り廃りの入れ替わりが激しく、今売れている商品が一ヶ月先に売れているかどうかは誰にも分からない業界でした。商品の発売前に仕入れ担当者と商談をしていましたが、何が売れるか分からない状況の中では仕入れ担当者は弱気になりやすく、新製品の商談はいつも苦労しました。

 

しかし、自社の製品が非常に売れているとなれば、問屋の営業の方々からはどうして商品がないのかと苦情が来ます。問屋の営業が売れていると実感する時点では、初期の生産分は完売して追加生産していることが大半です。そのため、「次の入荷は二週間先になります」と答えることが大半したが、二週間先に店頭で売れているかどうかは分からないことから問屋の仕入れ担当者は仕入れに躊躇します。

 

こんな経験を何度か繰り返したことから二週間先の需要を予測して仕入れ担当者に許可を得ることなく、商品を出荷するようになりました。勿論、無断での発送であり、二週間後に商品が売れていなければ、そのまま返品されることは覚悟しなければなりません。しかし、納品された時点で商品が売れ続けていたならば、何も問題が起きないだけでなく、小売店も問屋も売り上げが伸びることから誰からも苦情がありません。また、需要期にはこれと似たような状況となることも珍しくありません。勿論、仕入れ担当者との商談はしますが、定番商品などはこちらで在庫を調べて商品を出荷することも珍しくありませんでした。

 

管理人の経験は、商品の供給が追い付かない需要があった時期の経験は限られていましたが、今回取り上げた突撃絶叫上司は、市場が拡大し続け、商品の供給が追い付かない需要があった時期を長く経験したのではないかと思うようになりました。営業としての原体験が商品の供給が追い付かない需要期であった場合には、真面目に努力していれば商品は売れるとの考え方になりやすく、商品が売れなないのは、努力が足りないからであるとの考えに陥るようです。その結果、何が起きるかと言えば、「営業は結果や」とか「仕事は努力と熱意と根性だ」と言うことが仕事だと心得違いしている上司となります。

 

これは何も営業の世界に限られた話ではなく、スポーツの世界でも同じのようです。ある柔道選手が試合中にコーチが「がんばれ」の連呼しかせず、コーチではなく応援団になっていたと嘆いました。選手がコーチに求めているのは、客観的な状況分析と的確な指示なのにコーチが興奮して応援団になってしまっては、コーチとしてのアドバイスは得られなくなります。確かに励ましや激励は必要ではありますが、適切な指示や助言が求められているときに精神論しか言えないのであるならば、管理職としては失格となります。

 

 

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at 12:28, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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困った上司(星)

暫く投稿をお休みしてしまいました。m(_ _)m

書きたい事は、幾つかありますが、何かと慌ただしい日々が続いておりました。

なるべく投稿させて頂けるようにしてみます。

 

追記

投稿の際に記事が一部消えていましたので、再投稿させて頂きます。

記事の投稿前に下書きに加筆したのですが、その際に加筆分が消えてしまったようです。

ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

 

それはさておき・・・・・

 

管理人がまだ印刷業界で働いていた時期の頃の話ですが、当時はワープロが全盛期であり、簡単なチラシを手作りされるお客様もいました。この時もお客様がチラシの原稿を作成されるとの話でしたので、得意先でチラシ原稿の出来上がりを待っていた事がありました。暫く待っていたところ、担当者が「これから課長に見せてくる」と言って席を外されましたが、戻って来られると出来上がったチラシの原稿を黙って破り捨てました。そして一緒に打ち合わせをしていた同僚に「課長は批判だけして提案がない」と怒り始めました。話を聞けば、出来上がった原稿を見て、ここが悪い、あそこが悪いと批判するだけは批判しながら何をどう直すのかに関しては言わないことに対して腹を立てている様子でした。

 

チラシの紙面づくりは、売り出しの内容を如何に分かりやすく消費者に伝えるかではありますが、これは簡単そうで難しいことであり、素人には難しい作業です。デザイナーに依頼すれば話は早いのですが、小規模な売り出しであることから予算もなく、デザイナーに依頼もできません。また、一般家庭用のワープロでは、レイアウトなどにも限界があることからかなり妥協する必要がありますが、それらを無視して高いレベルの要求をされたならば、担当者が怒るのも当然となります。

 

売り手としては、新製品だからもっとアピールしろ、目玉商品商品からもっとアピールしろと言うのは簡単ですが、限らた紙面を如何に使うかとなれば、優先順位を明確にしなければならず、チラシ全体も安さを強調するのか、商品の紹介を中心とするのかなど、方針を明確に決めなければなりません。それらの指示もなく、批判だけされたのではないのかと思ってはいましたが、黙って原稿作りを始めた担当者を見守ることしかできませんでした。

 

これと似た話となりますが、大手スーパー―の担当者に振り回された大手の印刷会社の営業の話を聞いたことがあります。何分にも今から30年程前の話ですので、印刷業界の事情も大きく異なっていました。30年前には大手の印刷会社やデザイン事務所がコンピューターを本格的に導入し始めたばかりであり、原稿の作成も手作業の時代でした。今でも同じではないかと思いますが、当時は印刷会社にとってチラシの仕事は時間との戦いでした。

 

大抵の場合には、原稿の内容が決まるのはギリギリでした。担当者にもう間に合わないから催促しても内容が決まらない、担当者が会議中や出張中などいつもの事でした。それでもやっと原稿の内容が決まってもデザインの決定、写植、商品写真の手配など幾つもの作業が待っています。チラシの納期は決まっていることから原稿が遅れれば遅れる程、営業は胃が痛むことになります。管理人もそんな経験を何度もしましたが、大手スーパー―の担当者に振り回された大手の印刷会社の営業の話には同情しました。

 

この方の話では、最終的な打ち合わせでスーパーの担当者が毎回原稿の大幅な修正を繰り返したそうです。通常は最終的な打ち合わせで行われることは、誤字や脱字、写真の間違いなどの確認作業であり、最終原稿の段階で大幅な修正など考えられません。もし、最終段階で大幅な修正があれば、納期が大幅に遅れます。しかし、チラシの場合には、特売日が決まっていることから納期は動かせませんので、そのしわ寄せは、印刷に関わる人間すべてに影響するだけでなく、作業工程も大きく影響を受けます。

 

顔面蒼白となっている営業を横目に担当者が思い付きのままにやりたい放題、管理人にはそんな光景が目に浮かぶようでした。当然のことながら大幅な修正となれば、版下はすべて作り直しとなることから版下を制作している社員は徹夜となります。そのことが分かっている担当の営業は、会社に帰ってから版下の制作の担当者に毎回土下座して修正をお願いしていたとの話でした。管理人は、ここまで悲惨な経験はしたことがありませんが、最終の打ち合わせで唐突にこの商品を追加して欲しいとか、この企画を追加して欲しいと依頼され、納期が間に合わなくなると喧嘩腰になったことが何度かありました。

 

さて、この2つの話は、似たような話ではありますが、少し違います。部下が作成した手作りのチラシ原稿を批判した上司は、出来上がった原稿を批判するだけ、具体的な提案はなく、スーパーの担当者は出来上がった版下を大幅に修正しています。しかし、どちらも白紙の段階での提案ではなく、出来上がった物に対する批判です。出来上がった物を批判するのであるならば、原案の段階で明確な方針が指示するべきであり、明確な方針があれば、必要ない修正であることが混乱の原因と言えます。

 

では、どうしてこのような事が起きるのかを考えますと、管理職の責任と言えますが、管理職の性格の問題でもあることにと気が付きました。以前に読んだ本ではありますが、「困った上司、はた迷惑な部下 八幡 洋著 PHP新書」に、困った上司のタイプ別に解説がありました。

 

拒絶性上司 すねるのが大好きな女の子と同じ心理

 「なかなかオーケーを出してくれない上司」と言うのが何種類かいて、拒絶性上司はその代表の一つである。だが、これら「話を通してくれない上司」グループは、微妙にその色合いが異なっている。

 まず、「自分の考えていることが一番正しい。他の連中は、俺に絶対服従すべきだ」という独善で凝り固まったサディスト上司。

 それから、「このグレートな俺様に、一度ぐらいで企画書を通してもらえるなんて思われちゃ困るね」という、おもに「もったいぶり」から気難しく構える自己愛性上司。そして、「この表と箇条書きの大きさのバランスが、ちょっとずれているような気がするんだけどなあ。きちんと直してもらえない?」など、やたら細かいことにこだわり完璧を求める強迫性上司。

 これに比べて、拒絶性上司の「話の通りにくさ」は、かなり微妙でわかりにくいものである。あなたの案件になかなかオーケーを出してくれない拒絶性上司の胸の内を、むくるれたりすねたりするのが好きな女の子との間にありそうな場面の心理描写をカッコにいれて、翻訳してみよう。

 

困った上司、はた迷惑な部下 八幡 洋著 PHP新書 P111

 

管理人は、部下の作った手作り原稿を却下した管理職と面識はありましたが、儀礼的な挨拶が中心でしたので、上記のタイプの中のどのタイプかは断定できませんが、やたら細かいことにこだわり完璧を求める強迫性上司か、すねるのが大好きな女の子と同じ心理の拒絶性上司のどちらかではないかと思います。ただ、知的な印象を受ける方であったことからやたら細かいことにこだわり完璧を求める強迫性上司だった可能性が高いのかもしれません。

 

また、知り合いの話を聞いた印象としては、スーパーの担当者は独善で凝り固まったサディスト上司ではないと思いましたので、この本からサディスト上司の解説を引用します。

 

サディスト上司

 彼らは、ことに「相手に屈辱を与えた」ことをもって勝利の証としたがる。相手が傷ついた様子を確認できたとき、それがサディストたちにとっては「相手に勝った」という確実な証拠となり、彼らを満足させる。そのために彼らの行動は、単に「自分の意見を押し通す」などの枠を超え、「相手を傷つける」そのこと自体を目的にした非常に攻撃的なものとなる。

 彼らは相手が感じているはずの屈辱感を熱心に想像しそれを反芻(はんすう)し、どうすればその苦痛をもっと増やすことができるのかを夢中に考える傾向がある。相手のダメージが大きいほど自分が優越していると考える。サディスト上司は、相手がある程度のダメージを確認しないと気がすまないので、相手が彼らが期待したほどダメージを受けたように見えなければ、さらに攻撃を加えるだろう。一通りお説教が終わっても、相手を後ろから呼びつけ「反省の色が見られない」「何とか言え」などしつこくがなりたて、どうしても相手がまいっている姿を見たがるのは、このタイプの特徴である。

 

困った上司、はた迷惑な部下 八幡 洋著 PHP新書 P93-P94

 

実は、管理人が働き始めた最初の職場の管理職がこのタイプでした。一度怒りに火が付くと止まらず怒鳴り散らしていましたことを覚えています。職場には新人が3人配属されましたが、営業成績が不振続きであった同僚が怒られ役となりました。帰社後にその日の活動を書きこんだ日報を提出する際に怒らていたのですが、次第に怒られる時間が長くなりました。そしや帰社後だけでなく、朝礼が終わり、営業活動に出掛ける前にも怒られるようになりました。しかし、これで終わることなく、昼に帰社後の時間にも怒られるようになり、最後は別室に呼び出されて怒られていました。管理にも人に自慢できるような営業成績ではなかったことから明日は我が身でした。そのため、自分が怒られていませんでしたが、何とも気が重くなる時間でした。

 

管理人は、二年程後に配置転換となり、同僚は退職しましたが、残った同僚の話では、怒られ役の同僚が退社した後にベテランではありますが、あまり営業成績が良くなかった社員が次の怒られ役となったとの話でした。更に後でわかったのですが、管理人が入社する前年の新入社員も怒られ役であったとの話でした。そのため、この管理職はいつも怒りをぶつける対象を作っていたのではないかと思いようになりました。その時には、それ以上深く考えることはありませんでしたが、この本を読み、妙に納得してしまいました。結局、この管理職は部下に屈辱を与えることの快感に酔いしれていたのではないかと思います。

 

 

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at 10:52, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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世代間の争い3(星)

ある経営者の方と話していたときに、成功した経営者の中には、運だけで成功している経営者がいると言われたことがあります。その方は社会的に成功されている方に自分は運だけで成功しているのかと尋ねられた際に、「運だけだと!」と断言されたそうです。勿論、会社経営には運も必要であり、運に恵まれなければ成功は困難と言えますが、運だけで成功できるかとなりますと、少しばかり疑問が残りましたが、その経営者の言いたいことは分かります。

 

成功された経営者の中には、思い付きとは言いませんが、何か人と異なる手法で成功される方がいます。その多くは、時代を先取りした方法であったり、時代の潮流に乗ることで業績を伸ばされた方が多いようです。勿論、それが分かっていても果敢に挑戦するには、それだけの実力が必要なだけでなく、財政的な基盤や人脈など様々なことが必要になります。

 

随分と前の話ですが、今から40年近く前の話となりますが、レンタルビデオチェーン店に出入りしていた知り合いがオーナーから出店の誘いがあったそうです。今でこそレンタルビデオは斜陽産業となってしまいましたが、当時は急成長の業界であり、社員旅行が海外旅行とかなりの収益を得ていたようです。知り合いは、出入り業者であったことから出店すれば、確実に儲かると分かっていたが、出店費用を用意できなかったと笑っていました。

 

詳細な金額を聞くこともありませんでしたが、当時の金で一千万円ほど必要であったと言っていましたが、担保があれば話は別でしょうが、個人が銀行から借金するとなるとかなり厳しかったと思います。管理人が占い師を始めた理由も開業資金がほとんど不要なことが最大の理由でした。占いの道具は既に持っていましたし、自宅で開業するのであれば、特に何かが必要と言う事もなく、作ったのは、名刺程度でした。勿論、専門書は何冊か買いましたが、一般的な小売店の開業に比べるならば、微々たる金額です。

 

話を戻しますと、ヒット商品を開発したり、急成長する分野を見出して、他の人よりも先に手掛けることは、それだけ商才があると言えますが、それは運に恵まれていたとも言えます。つまり、冒頭の経営者の言いたかったのは、新たな営業方法であれ、新商品であれ、1つの成功体験に頼って会社が急成長しているならば、それは運に恵まれてるだけであると言いたかったのではないかと思われます。そしてその成功体験に頼っているならば、運だけで会社を経営していると言いたかったのだと思います。

 

しかし、管理人が見て来た経営者の大半は、この運だけを頼りに会社を経営しているのように思えます。その理由は、過去の成功体験を忘れることができず、その方が成功した当時とは社会情勢や生活習慣が変化して当時のやり方が通用しないことは分かっているはずなのに、自分が成功した方法を金科玉条のごとく守り続けているからでした。これは年寄りに限られた話ではなく、中年でも同じであり、それぞれが自分の成功体験に強いこだわりを持つと感じました。

 

但し、年寄りになればなるほど、現実の社会情勢や社会生活との乖離(かいり)が激しくなり、現実に対応できなくなるだけの話であり、基本的には順送りとなります。そのため、今の若者が老人になる頃には、今の年寄りが昔は良かったと言うように、昔は良かったと語り、今の若者がそんなやり方では通用しないと反発しているように、今の若者が年寄りになる頃には、その時代の若者から反発されると思います。

 

自分の成功体験に強いこだわりを持つことは、人間には誰しもあることであり、避けられないことでありますが、そのこだわりを持ち続けながらも生涯を終えることができるならば、何とも幸せな人生ではないかと思います。多くの場合には、時代の変化に対応できず、自分の心の中にだけにある過去への郷愁と言う理想郷に安住する経営者も少なくないようです。こうなってしまうと老害としか言えなくなります。

 

これを防ぐためには、過去の成功体験に対するこだわりを捨てることですが、これは簡単ではないようです。特に過去の成功体験に対するこだわりが強い人ほど、その手法が時代遅れであるとか、社会の実情とはそぐわなくなったと指摘されるならば、自分の人格を否定されたかのように怒り出す方も少なくなかった気がします。恐らくは、その成功体験がその方の人生で一番輝いていた時代であり、その時代の成功体験が人生の大きな支えになっているのではないかと思われます。

 

そのため、自分が成功した手法が通用しなくなった現実を受け入れることは、自分の存在価値が否定された気分になるとのでしょうが、自分の成功体験がいつまで通用するかと、天のみぞ知ると言うことになります。そのため、冒頭で紹介しました経営者が語られたように運だけで経営しているとの話となります。

 

 

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at 07:09, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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