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霊能者のタイプ3(星)

大型の寒波が襲来しています。

 

{{(>−<)}}サムイ・・・

 

朝から雪模様でしたが、この程度の雪ならば積もることもないだろうと車で外出したのですが・・・

夕暮れには道路に積雪が・・・・

雪国の方ならば、この程度の雪で慌てることないのでしょうが・・・

 

何分にもスノータイヤも装着していませんので、運転は慎重に帰宅しました。

 

夜間は、路面凍結が怖いのですが、雪に慣れていない方が多いようです。

数年前に元旦の夜のことでしたが、路面が光っていたことから凍結していると慎重に入っていたのですが、脇を一台の車が抜き去っていきました。危ないなと思っていたら直後にスピンして陸橋に激突しました。

 

幸いにも対向車線に車はなく、単独事故でしたが、正月早々から事故とは何とも縁起の悪い話であり、運転者に同情しました。真冬の陸橋は路面凍結することがあることを知らなかったことからスピードを落とすこともなく、走り抜けたのだと思います。いずれにしても路面凍結には充分にご注意下さい。

 

それはさておき・・・・

 

前回は、自己愛性性格と妄想性性格と霊能者について考察してみましたが、個人的には霊能者や新興宗教の教祖に多いのは、前回ご紹介した性格が多いのではないかと思います。残る性格としては、サディスト性格・反社会性性格・抑鬱性性格・自虐性性格・依存性性格・強迫性性格・失調型性格・境界性性格・中心性性格・拒絶性性格・回避性性格・ジゾイド性(統合失調型)性格となります。勿論、これが性格の全てではないと思いますが、性格の分類としては役に立つのではないかと思います。

 

改めて少し調べ直してみますと、失調性性格も霊能者に多いタイプなのだろうかと考え直しました。失調性性格は直観力や創造力が豊かなことから常識の枠を越えたアイデアを思いつく能力があるとされていまます。そのため、暫く前にご紹介したアスペルガー症候群と同じようにIT企業で活躍されている人も多いようです。しかし、このタイプは精神世界(スピリチュアル)にのめり込みやすいとも言われています。

 

また、不思議体験をすることも多く、自分には霊感や超能力があると信じている方も少なくないようです。そのため、一般常識とはかけ離れた考え方を持つ人も多く、精神世界(スピリチュアル)のリーダーや宗教家として活躍することもあるようです。しかし、このタイプの人は世間から見るならば、理解されることのない考え方をしていることから他人との協調性に欠けた変人と扱われることも多いようです。

 

最初に失調型性格について読んだ際には、こんなタイプの人間は周囲にはいないと思ったのですが、少し考えれば、神は宇宙人であると真剣に語っていた方や自分が各地に結界を張っていると真剣に話していた方がいることを思い出しました。確かに妄想性性格の特徴である猜疑心は見受けられなかったことから失調性性格と考えるべきではないかと思われます。

 

さて、ここで管理人はどのタイプのかと書くべきかと思いますが、一番近いのがジゾイド性性格(統合失調型性格)にではないかと思います。しかし、幾つかの点で異なります。統合失調型性格の人は外見や持ち物など、目に見えるところはどうでもよい反面、内面的・精神的な世界には深い関心を持ち、その中で生きてゆくという本質があると考えるのが特徴であり、外観や持ちにこだわりがないとされてます。しかし、管理人が高校生から大学生にかけてはVANのブランドに代表されるアイビーリーグモデルの全盛期であり、管理人もその洗礼を受け、当時の男性ファッション誌であるメンズクラブを読み漁っていました。

 

いずれ機会があれば、この話を取り上げたいとは思いますが、今でも洋服選びに関しては当時からあまり変わっていませんと言うか、変えられませんでした。しかし、海外製品は買っていた時期はありますが、ブランドにはあまりこだわりはありません。また、ジゾイド性性格(統合失調型性格)の人は、常に頭の中で自分や架空の誰かと「会話」し、完結しているため、現実世界の他人の意見に左右されにくい傾向があるとありますが、これもありません。但し、人の意見に左右されにくいことはあると思います。

 

では、どうしてジゾイド性性格(統合失調型性格)に近いのかと言いますと、会社員として勤めていた時代には、他人に心霊世界の話をすることは滅多になく、心霊世界の話をするのは、同じ様な悩みを持つ人に限られていました。そのため、社会人としての顔と心霊世界の探求者との顔の両面を持っていた。また、友人は何人もいますし、個人的な交遊もありましたが、一人でいることにもそれほどの苦痛はありません。ただ、物事の本質を探究したい気持ちはあります。また、流行や人気商品などにはあまり関心もなく、芸能界にもほとんど興味がないことからジゾイド性性格(統合失調型性格)が一番近いのではないかと思います。

 

いずれの性格であっても極端な性格の偏りがあれば、人格障害になりますし、更に酷くなれば心の病気と診断されることになります。人格障害を抱えているからと言って社会不適合者であると決めつけるべきではなく、人格障害であっても活躍されている方は数多くいますが、自分の性格や他人の性格を知ることがより良い人生を生きる秘訣ではないかと思います。特に霊能者や新興宗教に関しては、誠実で真面目な人物であるとしても心の病気を抱えているのではないかと疑われる必要があります。

 

特に自己愛性性格と妄想性性格、失調型性格は霊能者や新興宗教の教祖に見受けられることが多い性格であり、本人も自分が選ばれた人間であり、偉大な使命を与えられた人間であると信じ込むことが多いようです。しかし、社会に適応して生きることは、低級霊に翻弄されないために必要な事であり、社会から孤立して自分の世界に浸っていますと低級霊に翻弄されやすくなります。

 

 

ご相談は こちらから

at 12:07, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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霊能者のタイプ1(星)

このブログでも管理人が20代の前半から霊障に悩んでいたことは何度も書きましたが、当時は漠然と不穏な空気に取り囲まれていると感じていました。その不穏な空気の正体も分からず、何が起きているのかも分かりませんでした。酷い場合には、意思を持つ不穏な力の塊のような印象を受けました。不穏な空気は感じるだけで霊視はできませんので、自分に霊感があるとも考えませんでしたが、霊感が強いは言われました。しかし、今も霊視は苦手であることに変わりありません。やがて霊障を疑うようになり、長い試行錯誤の始まりでした。そんな人生でしたのでいつしか自分と同じような悩みを持つ人や霊能力と知り合うようになりました。

 

今も霊能力を持つ知り合いや友人はいますが、霊能者として活躍している方は一人もなく、霊能力とは無関係な仕事をしている方が大半です。しかし、過去には霊能力で人を集めていた方や僧侶ではあっても霊能力を隠さない方とも交友があった時期もありました。当時は、少し怪しいなと感じながらも霊障を解消したいとの気持ちが強く、つかず離れずと言った距離を保っていました。

 

これらの経験から書きますと、霊能者と言っても色々なタイプの人がいると思います。一般の方からしますと、霊感や霊能力があると言えば、特殊な能力を持つ人間である憧れるかもしませんが、霊能力に煩わしさしか感じていない人も少なくありませんでした。管理人もそんな人間の一人であり、霊感を持つ人が集まると病人が病気の話で盛り上がるように、霊感の話で盛り上がっていました。話の最後は、いつもどうしたら霊感がなくなるかであり、霊感をなくす方法を探していました。

 

管理人は霊視が苦手であったからまだ良かったのですが、霊視ができる人の悩みは切実であり、事故死した方が見えたり、見たくもない物が見えると悩んでいました。他にも先祖が煙草を供えて欲しいと言った声が聞こえるなど一般の方からするならば、信じられないような話ばかりでした。いずれも普通の仕事をしている方や普通の主婦であり、普段は人に話せない悩みだからこそ、切実でした。尚、このタイプの方の中には、自分は逃れられない運命を背負っていると考えて正式に得度され、出家された方もいるようです。

 

これかの方々が逃避タイプとするならば、これとは逆に自分には特殊な能力があると自慢するタイプもいました。このタイプの方は、逃避タイプとは異なり、自慢話が多い傾向がありました。このタイプは、こんなことをして人を助けたとか言った自分の霊能力の自慢や地震や人の死を予知したとの予知能力の自慢話は良く聞されましたが、人を騙そうとすることはあまりありませんでした。

しかし、管理人からしますと自分の能力に自信を持ち過ぎて霊能力を過信しているのではないかと思う事も少なくありませんでした。

 

それでもこのタイプあたりから少しずつ危ない世界に入り始めます。これは本人がどれだけ常識の力で自分を抑えられるか次第とも言えますが、自分は歴史に名を遺した人物の生まれ変わりであると自称する方が表れ始めます。勿論、過去世が詳細に分かった方は稀にいることは事実であり、一概に本人の思い込みであると一笑できないことも少なくありませんが、この場合にはご本人が過去世の影響を受けている場合が大半でした。

 

勿論、高い身分の過去世を持つ方が今世においても高い身分に生まれるとは限りませんが、過去世の人生観が今世の人生に影響を与えていたことが大半です。浪費癖のある方には、江戸時代に大店の息子として生きた過去世がありました。また、別の事例では生きている実感が希薄な方には、平安時代のお姫様の過去世がありました。そこで当時の貴族の暮らしを調べたところ、貴族の娘は外出することは滅多になく、日常生活の大半は部屋の中であり、外部の人には顔を見せることもなかったとありました。これらの事例の場合には、何となく納得出来ましたが、自分の過去世は誰でも知っているような武将であると言われていた方が2人いました。しかし、どちらの方からも、武将としての気迫や気高さを感じませんでしたので、信用する気にはなれませんでした。

 

これが霊能力を職業として利用しているタイプとなりますと、この傾向が更に激しくなります。自分を指導しているのは、誰もが知るような高僧であると自称しているのは、まだ謙虚な方であり、自分の過去世は釈迦であると自称している新興宗教の教祖が管理人の知っているだけでも2人ほどいました。その教祖の本は共に読みましたが、今から考えますとお釈迦様の教えを理解しているとは到底思えません。多少なりとも仏教の教えを学ばれていたならば、説かないであろう教えを説かれていますので、とても信用できる話ではありません。

 

この他にも自分の指導霊は大日如来であるとか、釈迦が降りてきて教えを説いたとか言う霊能者や新興宗教の教祖は珍しくないようです。しかし、霊能者や新興宗教の教祖が信者を騙そうとして〇〇の生まれ変わりであると語っているかとなれば別です。霊能者や新興宗教の教祖に騙す気持ちはなくても背後で低級霊が本人を操っている可能性があります。自分の過去世は誰でも知っているような武将であると言われていた方にしても低級霊に翻弄されていた可能性が高いのではないかと思われます。

 

低級霊と言っても生前に多少なりとも修業をしていた行者ならば、奇跡とも言える現象を起こす場合もありますし、もっともらしい教えを説くことも可能ですが、道徳論に毛の生えた程度の教えしか説けないようです。しかし、霊能者や新興宗教を頼る方には、そのことは大きな問題ではなく、霊能者や教祖の持つ霊能力に魅力を感じているのではないかと思います。現世利益を追い求めた結果と言えるとは思いますが、現世利益を離れて純粋に心の教えだけを説いていても人は集めることは難しくなります。

 

そのため、現世利益を否定する気持ちはありませんが、現世利益を与えるための法力や霊能力を追い求め始めますと、転落した行者の影響を受けやすくなります。最初は善意から生まれ持った霊能力を利用していても気付けば転落の道を歩んでいたことになってしまった方は多いようです。これは何も霊能者に限られた話ではなく、占い師でも同じです。霊感や霊視を謳われている占い師は多いのですが、霊感や霊視に頼っているならば、霊能者と同じであり、低級霊に翻弄される可能性は高くなります。

 

過去に良く当たると評判の占い師の多くは、狐や蛇が後ろで教えていると言った話を何度か聞きました。個人的には霊視は得意ではありませんので何とも言えませんが、過去に占いのブースなどに近寄りたくないと感じたことは何回かありました。ただ、過去の経験から書きますと、占い師に相談される方は、相手が知らないはずのことを言い当てられることで占い師を信用される傾向があるのではないかと思います。

 

管理人が占い師になる前に、仕事のことで占い師に相談したことがありました。その占い師の方は、こちらの相談内容を聞こうとすることもなく、手相を見ながらあれこれ話し始めました。内心は「そんなことはどうでいい」と思いながらも黙って聞いていましたが、今から考えますと客の心をつかむための方法ではなかったかと思います。そのため、客の心をつかむためにも霊感や霊視に頼るようになるのではないかと思います。

 

こんなことを書いていますと「お前はどうなのだ」と言われそうですが、厳密に言えば占い自体が直感や霊感とは無関係な世界ではありません。ましてタロット・カードは魔術の道具としても利用されていましたので、改めて霊感と謳う必要もないと思いますが、霊能力は主に低級霊の惑わしを防ぐことに使っていると言えます。

 

次回もこの話が続きます。

 

 

ご相談は こちらから

at 11:36, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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霊界の法則(星)

今日、菩提寺のご住職とお話をさせて頂きました。

う・・・ん、まだ松の内と言うことで「あけましておめでとうございます」との挨拶はしましたが・・・

真宗の場合には、どうもお正月の印象が薄いと話をしましたところ、「修正会」とありますとのお話でした。

 

調べましたところ、本山の東本願寺では七日まで開催されていました。(- .-)ヾ ポリポリ

 

尚、浄土真宗本願寺派本山 西本願寺と真宗高田派本山 専修寺では、1月9日から16日まで報恩講が開催されます。

 

浄土真宗本願寺派本山 西本願寺 報恩講 詳しくは こちらから

真宗高田派本山 専修寺 報恩講 詳しくは こちらから

 

それはさておき・・・・

 

このブログで心霊現象の話題を取り上げているためか、心霊現象についてのご質問を頂くことがあります。しかし、心霊現象に関しては、分かっていることよりも分からないことの方が遥かに多いのが現状です。霊能者や新興宗教の教祖の中には、霊界の様子や生まれ変わりの仕組みなどを雄弁に語られる方も少なくないのですが、個人的にはあまり信用していません。

 

また、自分は日本を守るために各地に結界を張っていると言われている霊能者もいました。過去に何人かの霊能者と呼ばれる方にお会いしましたが、色々な方が実に色々な話をされていました。どの話も検証不可能な話ばかりであり、喧嘩を売る気もありませんので、黙って聞いていましたが、ほとんど信用できませんでした。現代の科学では、死後の世界のことは何も解明されていないだけでなく、この世の中のことですら未解明なことは溢れているのに、霊界の仕組みや構造、生まれ変わりの仕組みなどについて何でも分かっていると考える方が無茶な気がしています。

 

それでも霊界の構造や霊体、生まれ変わりの仕組みなどについてまことしやかな話が溢れているのは、それだけ霊界について興味を持つ人が多いだけでなく、自分が納得できる答えを探し求めているからではないかと思います。しかし、霊界について何を語ったとしても誰にも証明できない以上は、SF小説の話と差はないと考えています。例えば、神とは宇宙人だと真顔で語る霊能者にもお会いしたことがありますが、管理人にはそれを論破することはできません。

 

しかし、神とは何かの答えを求める人は少なくありません。神が全知全能であるならば、どうして戦争や犯罪がなくならないのかなど様々な疑問はありますが、それに対する答えはありません。もし、答えを用意出来るとするならば、その答えの真偽を別にして一つの宗教になると思います。宗教の場合には、真偽は問われません。その宗教を信じる者は、その答えを信じることが求められます。例えば、浄土宗や浄土真宗の教えは信じるが、阿弥陀如来の存在を信じないのであるならば、信仰ではなくなります。

 

そのため、宗教で説かれる教えを根拠に神とは何かを議論しても果てしない論争となることはあっても真偽は分かりません。同じように自分はなぜ生まれて来たかの答えを求めても本人が納得できる答えが得られるかどうかの問題であり、納得できる答えが得られたとしても、その答えの真偽は誰にもわかりません。このような問題は世の中に溢れています。

 

これは科学の世界においても同じです。重力があることは分かっていてもどうして重力があるのかは分からないと言います。科学の世界において分かるのは、変化だけであり、誰にも根源的なことは分かりません。同じように神仏が存在することは分かっていても分かるのは神仏の働きの一部であり、神仏の本質は何一つとして分からないのが本当ではないでしょうか。

 

管理人も心霊現象については、経験則でしか語ることかできません。過去の経験からの推測であり、帰納法で導かれる結論です。帰納法の場合には、より多くの経験から導かれる推論となりますが、管理人がどれだけの心霊現象を経験しているかと言われても分かりません。恐らくは一般の人よりは多いとは思いますが、統計として十分な体験をしているかと言えば、お恐らく絶対数が少なすぎると言えます。そのため、管理人が経験則として語ることができるのは、心霊世界のごく一部のことだけではないかと考えています。

 

心霊世界の研究は、顕微鏡もレントゲンもない状態で病気について研究しているような状態です。現代ならば簡単に分かる病気でも顕微鏡もレントゲンない時代には分からないことだらけでした。それでも医者は患者を治療していましたし、多くの人は病気になれば医者を頼りました。中世の医療技術では、治せる病気も限られていたはずであり、病気の原因も分からないことの方が遥かに多かったはすです。それでも治せる病気ならば、治したいと考えるのが医者であるように心霊現象について分かることは限られていても解消できる霊障ならば解消したいと考えています。

 

個人的には、霊界の仕組みや生まれ変わりの仕組みについて霊格の高い神霊に尋ねても答えて頂ける神霊はありませんでした。自動書記ができるようになった当初に霊界について守護霊について尋ねたことがありましたが、守護霊が語ったのは意外な答えでした。守護霊は管理人に日本についてどれだけのことを語れるかと問いました。日本に住んでいるからと言っても日本について語ることができるのは、自分が住んでいる土地だけでしかなく、自分が知らない土地についてどれだけ語れるのかとの問いでした。霊界について語ることができると言っても守護霊がいる世界だけのことでしかないとのことでした。

 

現時点で分かっている事とは何かと言えば、霊界と言っても心の世界であり、生きている人間の心の世界と同じあることです。生前に菩薩の心で生きることができるならば、菩薩の世界に帰り、生前に地獄の心で生きるならば、地獄に帰る。生前に修羅の心で生きているならば、死後の世界でも修羅となり、生前に孤独に生きるならば、死後においても孤独です。そのため、人間の心について知ることが霊界について知ることになると思います。

 

このところ、何度か人格障害の記事を投稿していますが、人格障害のままで亡くなったならば、死後の世界でも人格障害のままでいる可能性が高くなります。また、良心を持たないとされているサイコパスが亡くなったならば、死後の世界でもサイコパスの可能性が高くなります。管理人がこのところ人格障害について興味を持つようになった理由も成仏が困難な不成仏の心理に興味を抱いたことが理由です。

 

いずれにしても霊界の法則に関しては分からないことだらけです。

最後にアイザック・ニュートンとアルベルト・アインシュタインの名言をご紹介します。

 

アイザック・ニュートン

「我々は、海岸で貝殻を拾って遊ぶ子供のようなものである。真理の大海は、海の彼方にあるのかも知れないのに」。

 

アルベルト・アインシュタイン

「人は、学べば学ぶほど、自分が無知であったことを知る。だから、更に学び続ける」

 

2人の偉大な天才でも自分が無知であると言われているのですから管理人のような凡人が無知と考えるのは当然ではないかと思います。

 

 

ご相談は こちらから

at 01:15, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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通訳と霊能者(星)

JUGEMテーマ:スピリチュアル
寒い日が続いております。{{ (>_<) }} サムイーッ!!

こんな日は、ストーブの前から離れたくない気分です。

ストーブの前でぬくぬくしていたい!

そんな誘惑にかられております。

それはさておき・・・・・

本題に入る前に業務連絡を・・・・・

神霊のお言葉を投稿しているサイトを開設しておりますが、このブログで神霊のお言葉を紹介していることもあり、久しく投稿をすることもなく、放置しておりました。しかし、久々にアクセス解析を見ましたところ、アクセスして頂いている方が予想外におられました。

そこで紹介していないお言葉を紹介しようかとも考えましたが、宗旨別にお言葉を整理する意味も兼ねて、このブログで紹介したお言葉を投稿することにしました。現在、投稿しているお言葉は、2007年に投稿したお言葉ですので管理人も投稿したことをすっかり忘れていたお言葉です。

尚、神霊からのお言葉は、数多くありますのでこのブログで紹介したお言葉の投稿が終りましたら、まだご紹介していないお言葉を投稿したいと考えております。

霊界通信・脱新宗教  こちらから



先日のことですが、知り合いと話をしていたときに教えを説くことの危うさの話になりました。仏教に限らず、教えを学ぶことは悪いことではありませんが、教えを学ぶことと悟りを求めることは微妙に異なります。教えを学ぶことで知識は増えますが、知識を得るだけでは悟りとはなりません。

自分が得た知識を自分の悟りとするためには、自分の中で思惟しなければなりませんが、多くの場合には、知識を得ることで悟りを得たような気持ちになってしまいます。これは宗教を学ぶ人間が最初に陥りやすい落とし穴であり、また悟りを求める人間が常に気をつけなければならないことではないかと思います。

真宗のお寺のご住職とお話をさせて頂いていた際にも、その話になったことがありました。そのご住職は、最近の真宗が教学を重視しすぎて親鸞聖人が説かれようとしていた教えとは別物になっていると嘆かれていました。

親鸞聖人は、どんな極悪人でも阿弥陀如来のお力で救われることを説かれていますが、その根拠を阿弥陀如来の不可思議なお力で救われるとしか説かれてません。つまり阿弥陀如来は、人間の考えでは及びもつかないお力を持つ仏であり、人間には及びもつかない力を持つ仏であるからこそ、どんな悪人であっても救って頂けるとの考えです。

これは、それまでの仏教の教えからするならば、一種の思考停止であるとも言えます。それまでの仏教の教えは、因果応報が前提であり、現世で積んだ罪に応じて来世が決まるとされてました。そのため、一回でも念仏を称えるならば、極楽に往生することが約束されるとの教えは、それまでの仏教の常識を否定する教えとなります。

しかし、この思考停止とも言える考え方があってこそ、徹底した他力の思想が成り立つのではないかと思います。これはどうして阿弥陀如来に救われるのかの理由を考えることは、どのようにすれば、阿弥陀如来に救われるかの疑問が根底にあると言えるのではないでしょうか。

それに対して阿弥陀如来は、人間の考えでは及びもつかないお力を持つ仏であり、人間には及びもつかない力を持つ仏であるからこそ、どんな悪人であっても救って頂けるとの考えは、何の答えにもなっていないと言えます。

そのため、そんな教えなど仏教の教えではないと否定することは簡単であると言えますが、悟りとは知識ではないことを考えるならば、でたらめな話ではないと思います。仏教の教えが難解な教えの体系であるとしても修行を離れた知識の体系は、学問の体系でしかありません。

そのことを忘れて知識を追い求めたとしても悟りとは無縁となります。真宗の場合には、悟りを追い求める宗旨ではありませんが、知識を追い求めても親鸞聖人の説かれた安心(あんじん)を得ることはできないのではないと真宗のお寺のご住職も言いたかったのではないかと思いました。

管理人も真宗の門徒ですので親鸞聖人の教えは、多少学んでいますが、いつも阿弥陀如来の慈悲を信じることの難しさを痛感しています。管理人も阿弥陀如来の慈悲深さを信じてはいますが、真宗の神霊の信心からするならば、阿弥陀如来の慈悲を信じていますとは恥ずかしくて言えない気持ちになります。

他力の神霊からは、強い慈悲と信念を感じることが多いのですが、高い霊格の神霊となると圧倒的な慈悲と凄まじいまで信念となります。この段階になると言葉の無力さを感じます。他力も神霊から感じる気迫や信念は、どんなに言葉を尽くしたとしても伝えられないと思います。

また、どんなに高い神霊のお力や慈悲を感じることができたとしても、管理人がその境地に到達できているはずもありません。管理人の心が強い慈悲と信念に満たされていたならば、自分の言葉で他力の教えを説けると思いますが、そのような高い境地に到達していませんので、管理人は神霊のお言葉を伝える通訳の役目しかできないと考えています。

星 

at 00:26, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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通訳と霊能者(星)

日本海側は、かなりの積雪とか・・・・・

お陰様で雪に悩まされることもなく暮らしておりますが

{{(>−<)}}サムイ・・・

管理人も震え上がっております。

それでも寒風の吹き荒れる屋外で仕事をしていないことを考えるならば、恵まれていると考えるべきなのですが・・・・

灯油代に頭を痛めております。

それはさておき・・・・


このブログを開設した当時の頃の話ですが、管理人の著書に興味を持たれた僧侶の方とお話をさせて頂く機会がありました。 その僧侶の方とお話をさせて頂いて本物の宗教家に出会った気がしました。そして管理人は、神霊のお言葉を伝えることや神仏の教えを解説することはできても、宗教家にはなれないと痛感しました。

蛇足ながら、お会いした直後に記事で触れた記憶がありますが、何時頃の記事であったのかの記憶も定かでなく、探しましたが、見つかりませんでした。(←_→)??

話を戻しますと、このことは、修行僧の方とお話をさせて頂く度に感じるようになりました。真摯に修行されている僧侶の方には、独特の雰囲気があります。それが道を求めている方の醸し出す雰囲気なのかもしれませんが、近寄りがたい雰囲気を持つ僧侶の方もおられました。

勿論、持っている雰囲気は、千差万別であり、温和な目をされた方もいました。また、ある真宗の僧侶の方は、親鸞聖人オタクと言った方で、親鸞聖人の話なら何時間でも話し続けるのではないかとの印象を持つほど親鸞聖人に傾倒されている僧侶の方でした。

そんな僧侶の方々とお話をさせて頂く度に感じるのは、宗旨は異なっていても、それらの方々が信仰の世界に生きていることです。真宗の僧侶の方は、親鸞聖人の残された教えこそが、世の中の人々の苦悩を解消する教えであると固く信じ、日蓮宗の僧侶の方は、日蓮聖人の教えこそが世の人々の苦悩を解消すると固く信じているとの印象がありました。

また、真言宗の僧侶の方ならば、密教の教えこそが最高の教えと信じ、曹洞宗の僧侶の方は禅こそが仏の教えであると信じているとの印象をうけました。それぞれの宗旨の僧侶の方がそれぞれの教えを学び、修行されている姿を見ると信仰の世界に生きている方々であると思ってしまいます。

それに対して、管理人は自分が信仰の世界に生きているとの自覚はなく、傍観者の立場が一番近いのではないかと思います。つまり、真摯に道を求めている修行僧の方々は、信仰の道の真中をひたすらに歩み続け方々であるのに対して、管理人は脇道を歩いていると言ったところでしょうか。

真摯に道を求めて修行されている僧侶の方は、心の教えを求め続けた人生であるのに対して、若い頃に霊障に悩まされ続け、どうしたら霊障を解消できるかを模索していた管理人は、脇道や裏道ばかりを歩み続けていた気がしています。どちらも同じように人生の苦悩を解消することを求めていた人生ではあるとしても、やはり違う気がしています。

管理人が求めていたのは、人生の苦悩の原因ではありましたが、心の問題よりもどのようにすれば霊障を解消できるかと言った、現実的な問題が大きかった気がしています。そのため、人に優しくしなさいと言った道徳論のような教えや経典の内容を無条件に正しいと考えるような教えには、関心もありませんでした。

このことは今も同じです。そのことが宗教家との決定的な違いではないでしょうか。宗教家は理想を説き、進むべき道を掲げて教えを説きます。しかし、管理人は道案内はできるとしても進むべき道を掲げる気持ちはありません。

仏教、神道、修験道を比較してどの道が優れているかを説き、仏教の中でも浄土宗、時宗、浄土真宗、天台宗、真言宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗、黄檗宗、法相宗、律宗、華厳宗と数多くの宗旨がある中からこの宗旨が優れていると説き、更に数多くある宗派の中からこの宗派の教えこそが優れた教えであると説くのが宗教家であると思います。しかし、管理人は、仏教、神道、修験道を比較してどの道が優れているかを説く気持ちもなく、また比較してもあまり意味はないと考えています。

それぞれの教えには、優れた面がありますが、どんな教えであっても完璧な教えはないと考えています。完璧な教えが説かれたとしても、その教えを学ぶ方が理解できなければ、意味はないと考えます。そのため、管理人は読者の方々に特定の信仰をお勧めする気持ちはありません。もし、管理人が教えを説くのであるならば、いずれかの宗旨宗派の教えを説くことになります。勿論、新興宗教の教祖のように新たな教えを説くことは可能ではありますが、各宗旨の開祖の教えや各宗派の高僧の残された教えを超える教えを説けるはずもありません。

管理人の態度は、自分が歩むべき道が分からずにいる方には、不親切であり、また無責任であると思われるかもしれませんが、自分の役目は教えの解説の範囲に止めておきたいと考えています。その意味で管理人は、霊能者ではあっても宗教家ではないと考えています。

しかし、管理人は霊能者である前に占い師であると考えています。これは真摯に修行されている僧侶の方が霊能力を獲得されたとしても霊能者ではなく、僧侶であるのと同じではないかと考えています。

at 00:30, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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通訳と霊能者(星)

昨年の秋にショップブログを開設しましたが、店長ブログの機能がありました。

せっかくですので占いの話を投稿しようかと考えていたのですが・・・・・

このブログですら頻繁な投稿ができていないのに投稿ができるはすもなく、すぐに頓挫・・・・

そのまま、放置・・・・・(- .-)ヾ ポリポリ

考えてみれば、このブログを開設したのが、2006年01月22日 ですので、まもなく満四年になろうとしてます。

四年近くも書き続けてますと記事の数だけでも膨大になり、初期の頃の記事は埋もれてしまい、あまり読まれなくなっています。

それは避けられないことではありますが、初期の頃には心霊現象について書いた記事も多かったことから古い記事を書き直して店長ブログに投稿することにしました。

頻繁な投稿はできないと思いますが、読者の方の参考になるような記事を投稿したいと考えています。

店長ブログ 占い師のひとりごと(仮題)

それはさておき・・・・・

随分と前の話となりますが、トルシュエ監督の通訳をしていた方が専属の通訳を一年・二年と続けていると監督の作戦や考え方が分かるようになり、試合後のインタビューも監督に成り代わって答えることができるようになったと話されていました。

しかし、監督の作戦や考え方を完璧に理解しているとしても誰も通訳にチームの指揮を任せようとはしないのではないかと思います。これは外国人の監督が何を話しているかが分からなくても指揮しているのは、監督であることが誰の目にも明らかであることが理由です。

では指揮している監督が陰に隠れて一切姿を見せず、代理人を通して指示を出していたならば、代理人に指揮を依頼するでしょうか。多くの人は、自分は監督の指示だから従っているのであって代理人の指示に従うつもりはないと考えるのではないでしょうか。

神仏と霊能者の関係は、監督と通訳の関係に良く似ているのではないかと思うことがあります。このような書き方をしますと反発される方も多いかもしれませんが、神仏の代理人として多くの人々に愛や慈悲を説いているとの気持ちはありません。

管理人は、著書やブログで神仏のお言葉を紹介していますが、これは通訳としての仕事に近い感覚であり、自分自身の考えで教えを説いている気持ちはありません。もし、自分の意思で教えを説く気持ちを強く持っているならば、、神霊からのお言葉を聞き取ることが困難になるのではないかと思います。

管理人が神仏からのお言葉を聴く際に心掛けていることは、心を白紙の状態にすることです。当然の事ながら完全な無の境地に入れるはずもなく、出来る限り、心を白紙の状態にしてお言葉を聞くことに専念します。心を白紙の状態にして神霊のお言葉を聞いていますと、言葉では伝えることが困難な漠然とした気持ちのようなものも伝わってきます。

神霊は、こんなことが言いたいのではないかと言った、漠然とした思いのような物が伝わってくることから神霊のお言葉を解説できます。しかし、神霊と同じ境地になれるはずもなく、また神霊の悟りをすべて理解できているはずもありません。例えば、日蓮宗の神霊が何を伝えようとされているのかは分かりますが、日蓮宗の教えに賛同しているかとなれば、微妙です。

日蓮宗の教えを批判するつもりはありませんが、真宗の門徒である管理人には、少しばかり馴染み難い教えであるとの印象があります。しかし、日蓮宗の神霊が説かれる教えは、理路整然としていますし、尊い教えであると考えています。

そのため、宗旨宗派にこだわることなく、神霊のお言葉を紹介していますが、神霊のお言葉を伝えているだけの意識しかありません。これは、神霊と言う名前の監督の方針を伝えている通訳の立場に似ているのではないかと思います。

管理人は、この通訳の立場にこだわりたいと思います。神仏の言葉を伝える人間は神仏に選ばれた人間であり、神仏に近い立場にある人間であるとの意識を持ったときから転落が始るのではないかと思います。

続きます。

at 07:54, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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経典至上主義の弊害(星)

先週の週末に紫陽花祭りに出掛けました。

少し珍しい品種の写真を掲載します。












「柏葉ハーモニー」と言う名前の品種です。







ヽ(^^ヽ)ワダイヲカエテ(/^^)/

心霊現象の話を書くときにいつも迷うことは、検証不可能であることや管理人にも理由が分からないことが多いことなどがあります。また心霊現象について説明することは簡単なことではなく、ある程度の経験を積まなければ分からないことが数多くあります。

それだけならば、まだ何とかなるのですが、厄介なことは霊界学とでも言うべき知識体系があることです。ヨーロッパでは神智学、日本では古神道と言ったところでしょうか。またあまり取り上げられることはありませんが、仏教においても霊界の構造や輪廻転生などについて説かれています。

また現代においても色々な新興宗教の教祖が独自の説を唱えることもあります。そして、それぞれが自説こそが真実であると主張されているようですが、同時に知識だけが一人歩きして霊学の常識であるかのような知識体系ができあがっている気がすることがあります。どの話が真実なのか、どの話が真実に近いのかは、管理人にも分かりません。

例えば、動物霊の祟りや憑依と言った言葉は、当然の常識と言った使われ方がしていますが、管理人は明確に動物の霊であると判断したことは、過去に一度もないことから、本当に動物の霊が存在しているのかは、管理人には分かりません。管理人に分かることは、動物霊を霊視したことがないと言うことだけです。

では、動物の姿をした心霊を一度も見たことがないかと言えば、龍や狐の姿をした心霊を見たことはあります。しかし、龍や狐の姿をしているから龍や狐の心霊が存在しているかとなれば、別の話だと考えています。霊界が心の世界である以上は、人間の心霊が龍や狐の姿を表すことは可能なはずであり、龍や狐の姿を霊視したとしても何の根拠ともなりません。

また、一般に憑依と言われている現象についても疑問を感じることは多いのですが、管理人が書きたいのは、心霊世界を考える場合に必要な態度は、客観的な分析ではないかとの思いであり、霊能者に喧嘩を売ることが目的ではありませんので、やめておきます。

これは霊能者に限られた話ではなく、行者や祈祷師にも共通しているのではないかと思います。霊能者がその根拠としているのが霊界学とも言える知識の体系であるとするならば、行者や祈祷師が根拠にしているが経典であり、儀軌となります。
※儀軌(ぎき) 密教で仏・菩薩・諸天神などを供養や祈祷をするときの規則や作法を書いた本

これは密教に限られた話ではなく、仏教においては経典は絶対的な権威があり、教えの真偽や教えの正しさの証明においても経典に書かれていることを根拠に自説を展開するのが普通です。例えば念仏を称えることで往生できるとされている根拠も浄土三部(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)です。そのため、行者や祈祷師が経典や儀軌を根拠にすることは、ある意味当然のことではありますが、管理人には思考停止のような印象があります。

経典に書かれているのだから絶対に間違いがないとの思考は、妥協のない原理主義的な考え方となり、現実を無視した考え方に陥る傾向があります。これが更に開祖が書き残されているから間違いがないとなるとその傾向が強くなります。そして現実と教えの矛盾を無視するようになるとカルト集団となるのではないかと思います。

しかし、この経典至上主義には、悪い面ばかりではなく、絶対的な強い信念を生み出すのではないかと思うことがあります。その強い信念は、盲信と紙一重の危うさはありますが、苦悩する人々を救いたいとの強い気持ちと一緒になった場合には、法力となるのではないかと思うことがあります。

これは少し解説が必要となりますが、一般に法力と呼ばれる力は、悟りの力と念の強さの二つの要素から成り立っていると思います。悟りの力とは質的な要素であり、念の強さとは働きかけの力の強さであると言えます。また過去の経験では、病気平癒や商売繁盛、浮気封じなどの現世利益の分野に関しては、悟りの力よりも念の強さが必要となる傾向があると思われます。

管理人は現世利益を否定する気持ちはありませんが、行者や祈祷師を頼る人々の多くが求めるのは、神仏の教えではなく、行者や祈祷師の持つ力であることが多い傾向があります。その結果としてもたらされるのは、生き神様や生き仏として行者や祈祷師を信仰に陥る危険性が高くなります。

これは行者や祈祷師にとっても不幸なことであり、信者から生き神様や生き仏として崇められ続けるならば、慢心して転落する危険性が非常に高くなります。その転落を防ぐためには、高い悟りが求めらることになります。

多くの神霊が経典や術を覚えることよりも悟りの大切さを説かれるのも転落の危険性を知り尽くされているからではないかと思います。

at 10:43, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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年末のご挨拶に代えて(星)

バタバタしている日が続いていましたが・・・・・
いよいよ大晦日となってしまいました。

この一年を振り返って考えてみるならば、何かうろうろしていただけのような・・・・
さして何ができたわけでもない気がしています。

しかし、テレビでは派遣社員の契約打ち切りや期間労働者の突然の解雇などが連日テレビで放送されている現実を考えるならば、綱渡りでも生活ができるだけでも幸せなのかなどと考えてはいます。ただ、世の中が不況になり、社会情勢が不安定になると霊感商法が流行することが多いのではないかと考えると少し気が重くなります。

管理人がこのブログを立ち上げたのは、稼業としている占いやこのブログで扱うことの多い心霊の世界は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)している世界と言えるからでした。また善意の人であり、善意からの行動であるとしても、管理人からすると、その言動に疑問を抱くことが少なくありません。

先日もある霊能者の方のサイトを拝見していたのですが、その霊能者の方は一度の除霊で終わるのが当然であるとのご意見をお持ちのようでした。しかし、管理人の過去の経験では、一度の供養で成仏される不成仏霊もいますが、一度や二度の供養では成仏しない不成仏霊が少なくありませんでした。

勿論、何が本当なのか、何が間違いなのかを判断するのは難しく、また管理人は霊能者として活動はしていませんので、除霊の経験も限られています。そのため管理人に一度の除霊ですべての不成仏霊を成仏させることかできないだけなのかもしれません。

ただ管理人の過去の経験では、成仏することを求めながら成仏できないでいる場合には、比較的容易なのですが、依頼者の家系に激しい憎しみを抱いている場合などには、成仏が難しいとの印象があります。またあまりにも不成仏霊の数が多い場合には、すべての不成仏霊を成仏させることが困難であったり、不成仏霊が生前に信仰していた宗旨へのこだわりが強く、異なる宗旨での供養では成仏しなかったりする場合がありました。

更に特定の宗旨を修行されている行者の方は、御自分が信仰されている宗旨からの教えで解説されています。これはある意味当然のことではありますが、異なる宗旨の立場からするならば、考え方が異なる場合が少なくありません。

しかし、一番危険性を感じるのは、不幸の原因を心霊現象に求めすぎることですが、逆に心霊現象を否定するだけでは何も問題が少なくありません。そんな訳で心霊現象とは何かについて書く事は実に難しいと改めて考えています。

最後に・・・・・

今年、一年愛顧頂き有難うごさいました。
また皆様のご支援ご鞭撻頂きましたこと御礼申し上げます。

at 16:44, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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絶対音階と絵画(星)

まだ本当に梅雨が明けていないのでしょうか。
連日の猛暑に、少しばかりバテています。
(^^;;;;;; アセガトマラン

え・・中日がどうしたって・・・
もう、今年のペナントレースは終わったはすでは?
日本人なら相撲です。
う・・・ん、その昔、阪神が低迷していた当時に上岡竜太郎が同じ事を言っていたような

それはさておき・・・

数学が苦手なことを暫く前に書きましたが、数学の授業以上に嫌いだったのが、音楽の授業でした。何分にもハーモニカが演奏できる人が天才に見えた人間ですので絶対音階のわかる人は神の耳を持った人間に見えます。

しかし、絶対音階のわかる人は、その能力が煩わしくて仕方がないと聞いたことがあります。お蔭様で管理人は、絶対音階とは無縁な人間ですので、そんな方々の苦労を味わうこともなく生きていますが、少しばかり分かる気がします。

管理人は音楽は苦手なのですが、絵は好きで少しばかり勉強しました。そのため、絵の解説を多少することはできるのですが、実生活ではほとんど役に立たない能力だけでなく、場合によっては、煩わしいと感じることもあります。

例えば、大半の漫画が読めません。別に少年漫画や少女漫画が読めなくても困ることはないのですが、漫画を見ているとデッサンの狂いや構図、線が生きているかどうかなどが気になって疲れます。漫画に絵としての完成度を求める気持ちはないのですが、見る気にはなれません。

またアニメの場合には、色彩や人物と背景の関係など更に気になる要素が増えます。それでもギャグの要素が強いアニメやデェフォメルが強い場合には、アニメとして割り切って考えられることから比較的気にならないのですが、リアルに描かれていると非常に気になります。

アニメや漫画に写実的な要素や芸術性を求める気持ちもなく、納期やコストを考えるならば、一枚の原画に完璧を求めるべきでもないと思います。勿論、絵としての完成度の高い作品もありますが、多くの方が考える作品ではないと思います。一人だけ名前を挙げるとするならば黒金ヒロシ氏の構図の巧みさにはいつも感心します。

他にも、芝居やドラマの不自然な光も気になります。舞台やドラマの照明は、演出であり、その不自然さを指摘したとしても何の意味もないのですが、やはり気になります。特に芝居の場合には、人工的な照明を多用することから非常に気になります。これが映画の場合には、極端な照明が少ないことから比較的気にならないのですが、芝居の場合には芝居の内容以外のことが気になってしまいます。

漫画、アニメ、芝居、ドラマなどは、日常生活では意識的に接しなければ、それほど接する機会はありませんが、それでも煩わしいと思うことがあります。しかしこれが絶対音感を持つ人の悩みは、ちょっとした雑音にも敏感になると聞いていますので大変だろうなと思います。

それと同じように厄介なのが霊感です。絶対音感の持ち主が、一般の方ならば気にもしない程度の雑音ですら苦痛なのと同じように、生まれつき霊感の強い人や霊媒体質の人は、日常生活を普通に生きることすら苦痛に感じる方が多いようです。

そのため、霊感の強い人の多くは、どうしたならば霊感に振り回されないように生きることができるか、どうしたならば霊視することなく生きれるかなどと深刻に悩まれているようです。管理人もそんな人間の一人でしたので霊能力に何の憧れもなく、どうしたならば霊感に振り回されないように生きることができるかと模索していました。

霊能力に憧れる方は多いようですが、不成仏霊や低級霊に惑わされることがないような生活ができるようになったならば、今度は一般の人とは異なった世界観を持つようになってしまいました。

これは少しばかり絵に精通している同じです。確かに巨匠と言われる画家の目指した境地が少しは分かりますし、絵を見る目は養われましたが、一般の人とは違った世界に生きているような孤独を感じます。

不成仏霊や低級霊に惑わされることがないような生活とは神仏に常に心が通じている心を持つことであると思います。管理人が常に神仏に心が通じているなどとは言いませんが、多少なりとも神仏の心が分かるようになりますと、一般の人とは違った世界に生きているような孤独を感じてします。




at 01:02, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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ファンシーショップと霊能者(星)

最近、野球のことを考えないようにしております。
負け続けているときこそ応援するのが本当のファンだと言いますが・・・
( ̄〜 ̄;)ウーン・・・
そこまでの気持ちはないと言うか?

後は、山本昌が200勝して名球界入りすることをだけを楽しみにします。
o( _ _ )o ショボーン

この話はこっちにおいといて\(-_\)(/_-)/

それはさておき・・・・
管理人は昔、ファンシー文具の業界にお世話になっていた時期があります。
今では、すっかり見かけなくなったファンシーショップですが、当時はファンシーショップが全盛期の時代でした。

そんな時期ではありますが、へそ曲がりな管理人は、ファンシーショップがいずれ廃れるのではないかと考えていました。この理由は、当時のファンシーショップのあり方を考えたときにその品揃えに抱いた疑問からでした。

当時のファンシーショップの商品構成は、主にキャラクター商品と呼ばれる文房具や雑貨であり、キャラクター商品がなくては成り立たない店が大半でした。しかし、キャラクター商品と言われる商品はなくならないとしても、ファンシーショップが生き残れるのだろうかとの疑問を抱いていました。

キャラクター商品とは何かを考えますと、一般的な文房具や雑貨にキャラクターを加えた商品が大半でした。そのため、キャラクターに人気がなければ、キャラクター商品としての価値はなくなります。また同じキャラクターのゴミ箱でも、ファンシーショップに並んでいれば、キャラクター商品となり、ホームセンターに並べば、雑貨となります。

では現実に何が起きたのか、ファンシーショップが衰退し始めた時期には、管理人は業界を離れていたことから詳細な理由は分かりません。少子化やブームの終焉、百円ショップの登場など幾つかの理由は考えられますが、その理由の一つにキャラクター商品の一般化があるのではないかと思います。

その背景を少し解説しますと、ファンシーショップの全盛期には、市場にはキャラクター商品やファッション雑貨と言われる商品が取り扱う小売店があまりない状況でした。そのためファンシーショップが繁盛したと言えますが、一般の市場にキャラクター商品やファッション雑貨が溢れるとファンシーショップの存在意義は薄れました。

つまり量販店や専門店にキャラクター商品やファッション雑貨が、当たり前のように並ぶようになると価格や品揃えで見劣りのするファンシーショップが競争力を失ってしまったのではないかと思います。

管理人は、職業としての霊能者もファンシーショップと同じではないかと思うことがあります。ただファンシーショップの場合には、量販店や専門店にキャラクター商品やファッション雑貨が、当たり前のように並ぶようになったことで衰退したのに対して、僧侶、神職、祈祷師などの宗教家が心霊現象を否定するようになったことで、職業としての霊能者が活動できるようになったのではないかと思います。

職業としての霊能者の活動内容を考えますと一般的に霊視や除霊や浄霊、ヒーリングなどですが、除霊や浄霊を供養や祈願、ヒーリングを病気平癒や身体健全の祈願に置き換えて考えるならば、僧侶、神職、行者、祈祷師などの宗教家の活動とかなり重複するのではないかと思われます。

しかし、僧侶、神職、行者、祈祷師などのすべてが心霊現象を否定されているわけではなく、また強い法力を持たれている方も少なからずおられます。そんな方々を霊能者とお呼びすることは失礼かと思いますが、実質的には霊能者と言えることから、霊能者をどのように定義すべきかといつも悩みます。

at 00:56, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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