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経典至上主義の弊害(星)

先週の週末に紫陽花祭りに出掛けました。

少し珍しい品種の写真を掲載します。












「柏葉ハーモニー」と言う名前の品種です。







ヽ(^^ヽ)ワダイヲカエテ(/^^)/

心霊現象の話を書くときにいつも迷うことは、検証不可能であることや管理人にも理由が分からないことが多いことなどがあります。また心霊現象について説明することは簡単なことではなく、ある程度の経験を積まなければ分からないことが数多くあります。

それだけならば、まだ何とかなるのですが、厄介なことは霊界学とでも言うべき知識体系があることです。ヨーロッパでは神智学、日本では古神道と言ったところでしょうか。またあまり取り上げられることはありませんが、仏教においても霊界の構造や輪廻転生などについて説かれています。

また現代においても色々な新興宗教の教祖が独自の説を唱えることもあります。そして、それぞれが自説こそが真実であると主張されているようですが、同時に知識だけが一人歩きして霊学の常識であるかのような知識体系ができあがっている気がすることがあります。どの話が真実なのか、どの話が真実に近いのかは、管理人にも分かりません。

例えば、動物霊の祟りや憑依と言った言葉は、当然の常識と言った使われ方がしていますが、管理人は明確に動物の霊であると判断したことは、過去に一度もないことから、本当に動物の霊が存在しているのかは、管理人には分かりません。管理人に分かることは、動物霊を霊視したことがないと言うことだけです。

では、動物の姿をした心霊を一度も見たことがないかと言えば、龍や狐の姿をした心霊を見たことはあります。しかし、龍や狐の姿をしているから龍や狐の心霊が存在しているかとなれば、別の話だと考えています。霊界が心の世界である以上は、人間の心霊が龍や狐の姿を表すことは可能なはずであり、龍や狐の姿を霊視したとしても何の根拠ともなりません。

また、一般に憑依と言われている現象についても疑問を感じることは多いのですが、管理人が書きたいのは、心霊世界を考える場合に必要な態度は、客観的な分析ではないかとの思いであり、霊能者に喧嘩を売ることが目的ではありませんので、やめておきます。

これは霊能者に限られた話ではなく、行者や祈祷師にも共通しているのではないかと思います。霊能者がその根拠としているのが霊界学とも言える知識の体系であるとするならば、行者や祈祷師が根拠にしているが経典であり、儀軌となります。
※儀軌(ぎき) 密教で仏・菩薩・諸天神などを供養や祈祷をするときの規則や作法を書いた本

これは密教に限られた話ではなく、仏教においては経典は絶対的な権威があり、教えの真偽や教えの正しさの証明においても経典に書かれていることを根拠に自説を展開するのが普通です。例えば念仏を称えることで往生できるとされている根拠も浄土三部(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)です。そのため、行者や祈祷師が経典や儀軌を根拠にすることは、ある意味当然のことではありますが、管理人には思考停止のような印象があります。

経典に書かれているのだから絶対に間違いがないとの思考は、妥協のない原理主義的な考え方となり、現実を無視した考え方に陥る傾向があります。これが更に開祖が書き残されているから間違いがないとなるとその傾向が強くなります。そして現実と教えの矛盾を無視するようになるとカルト集団となるのではないかと思います。

しかし、この経典至上主義には、悪い面ばかりではなく、絶対的な強い信念を生み出すのではないかと思うことがあります。その強い信念は、盲信と紙一重の危うさはありますが、苦悩する人々を救いたいとの強い気持ちと一緒になった場合には、法力となるのではないかと思うことがあります。

これは少し解説が必要となりますが、一般に法力と呼ばれる力は、悟りの力と念の強さの二つの要素から成り立っていると思います。悟りの力とは質的な要素であり、念の強さとは働きかけの力の強さであると言えます。また過去の経験では、病気平癒や商売繁盛、浮気封じなどの現世利益の分野に関しては、悟りの力よりも念の強さが必要となる傾向があると思われます。

管理人は現世利益を否定する気持ちはありませんが、行者や祈祷師を頼る人々の多くが求めるのは、神仏の教えではなく、行者や祈祷師の持つ力であることが多い傾向があります。その結果としてもたらされるのは、生き神様や生き仏として行者や祈祷師を信仰に陥る危険性が高くなります。

これは行者や祈祷師にとっても不幸なことであり、信者から生き神様や生き仏として崇められ続けるならば、慢心して転落する危険性が非常に高くなります。その転落を防ぐためには、高い悟りが求めらることになります。

多くの神霊が経典や術を覚えることよりも悟りの大切さを説かれるのも転落の危険性を知り尽くされているからではないかと思います。

at 10:43, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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Yumi, 2009/06/13 12:27 PM

行者や祈祷師であれ在家であれ信仰とは悟りの大切さ―理法を離れてしまうと私的幻想の世界を歩んで満足しようとしてしまう危険があるように思います
私的幻想を真実と思い込むことが信仰ではなく智慧を求めて行くのが信仰であることをご神霊は伝えているように思いながら読ませて頂きました

オカミ, 2009/06/13 7:41 AM

星様 こんにちは。

紫陽花が綺麗ですね、素敵な画像を
ありがとうです。

経典、術、そして悟り 考えれば考える程、難しいですし、体験、体感しても、はたして、それが悟りなのか?経典が伝えたい事なのか?法力など術は喜びを得ますから、ありたがられますよね…。

詩雨, 2009/06/12 1:10 PM

紫陽花、素敵です〜。そういう時期なんですね。梅雨入りしたみたいですし。動物は畜生と言われて人より
下に見られますが、ある意味で
自然の法則に逆らうことなく生きている気がするので、人よりすごいんじゃないかと思うときがあります。
星さんが見られたという狐と龍。龍は実在しない動物ですね。神社の手水舎にもいますね。








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