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天台宗の教え2(星)

このところ、暖かい日があったかと思えば、急に寒くなったりと、冬物をしまおうかどうかと悩んでいる日が続いています。

 

それでも冬物は、暖かくなったらしまえば良いと考えれば済むのですが・・・・

 

朝刊のプロ野球の結果を見ると気か重くなるのは、どうしたら良いのでしょうか・・・・

 

◎☆(♯××)┘ガコーン

 

ジタバタ (((o(><;)(;><)o))) ジタバタ

 

日曜日には勝ちましたが、中日ドラゴンズは3勝6負・・・・・

 

( ̄〜 ̄;)ウーン・・・ 今年もこのまま下位に沈んだままなのでしょうか?

 

 

それはさておき・・・

 

前回は、天台宗の教えをご紹介しましたが、天台宗の教えを要約することは非常に難しいと思います。

どの宗旨でも同じなのですが、一つの宗旨の教えを勉強しようと仏教書を購入しても、最初は難解な専門用語に悩まされます。少し専門的な本となりますと、開祖の書き残された文献の引用が多く、古語辞典や漢和辞典を片手に読み進めなければならいなど苦労の連続となります。

 

しかし、苦労して専門書を読み続けるならば、仏教の知識は増えますが、宗旨の教えを理解できるかは別の話ではないかと思うようになりました。各宗旨の開祖が何を説きたかったのかを考えますと、短い言葉に要約されていることがあることに気付きました。浄土宗ならば一枚起請文、浄土真宗ならば和讃に要約されているのではないかと思うようになりました。

 

そして天台宗の場合には、山家学生式ではないかと思います。

 

山家学生式(さんげがくしょうしき) 国の宝とは何物(なにもの)ぞ、宝とは道心(どうしん)なり。道心ある人を名づけて国宝と為(な)す。故(ゆえ)に古人(こじん)言わく、径寸十枚(けいすんじゅうまい)、是(こ)れ国宝にあらず、一隅(いちぐう)を照(てら)す、此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと。古哲(こてつ)また云(い)わく、能(よ)く言いて行うこと能(あた)わざるは国の師なり、能く行いて言うこと能わざるは国の用(ゆう)なり、能く行い能く言うは国の宝なり。三品(さんぼん)の内(うち)、唯(ただ)言うこと能わず、行うこと能わざるを国の賊(ぞく)と為す。乃(すなわ)ち道心あるの仏子(ぶっし)、西には菩薩(ぼさつ)と称し、東には君子(くんし)と号す。悪事(あくじ)を己(おのれ)に向(むか)え、好事(こうじ)を他に与え、己(おのれ)を忘れて他を利(り)するは、慈悲(じひ)の極(きわ)みなり。

 

ここで管理人が解説するよりも天台宗の「一隅を照らす運動」の公式HPに解説が掲載されていますので、そちらを参考にして頂いた方が間違いがないと思います。

 

天台宗 一隅を照らす運動 こちらから

 

上記のリンク先の解説を御読み頂ければ分かりますが、天台宗の開祖である伝教大師(最澄)が仏教の教えに基づいて自ら進んで善行に努力する人、与えられた持ち場や役割を誠実に務める指導者、すなわち大乗の菩薩を育成を目的として桓武天皇に提出されたものです。

 

そのため、国を支えることができる人材育成の方針を高らかに謳い上げているとも言えますが、菩薩行を重視する天台宗の根本的な精神が良く表れていると思います。

 

蛇足ながら、リンク先として紹介しました「一隅を照らす運動」のHPには、少し小さい文字で下記のような記述があります。

 

※注 伝教大師は、比叡山における大乗戒壇設立と人材養成の目的を明らかにするために、天台宗僧侶の修行規則である『山家学生式』を著し、桓武天皇に請願しました。

 

中略

 

また、「一隅を照らす」という言葉については、「照于一隅」「照千一隅」というような議論がありますが、昭和49年7月23日に開催された天台宗勧学院議において「照于一隅」を「一隅を照らす」と読み下すという統一見解が出され、一隅を照らす運動総本部では、この決定に依拠しています。

 

天台宗 一隅を照らす運動HPより引用

 

ここでは、伝教大師(最澄)の書き残された文章が「照于一隅」なのか、「照千一隅」なのかと議論があることが書かれています。「照于一隅」ですと「一隅を照らす」となりますが、「照千一隅」ですと「千里を照らす」となります。そのため、「于」と「千」では全く意味が異なるとも言えます。

 

私の知り合いは、このことに疑問を抱き、調べたところ、下記のサイトが参考になると紹介してくれました。

 

一隅を照らす人、千里を照らす人

 

井上宏のページ TOP > 5.一隅を照らす人、千里を照らす人 こちらから

 

この記事の中で井上宏氏は、歴史的な史実としては「照于一隅」ではなく、「照千一隅」が正しいと結論付けてますが、「一隅を照らす運動」の価値は認めています。井上宏氏の考察は優れたものであり、管理人が付け加えるべきことはありません。管理人も歴史的な真実としては「照千一隅」が正しいとしても、そのことで「一隅を照らす運動」の価値が変わる事はないと思いますが、文字の解読に関しては学術的な判断にゆだねるべきではないかと思います。

 

 

at 01:45, 星 良謙・子授け地蔵, 仏教

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