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戒律と布施3(星)

白ギツネ様コメント有難う御座います。

 

2015.04.03 Friday 他力と成仏1(星) 元記事 こちらから

 

阿弥陀仏がどのような存在であるか、所詮我々凡人には知覚不可能なわけです。知覚不可能なものを徹底的且つ全面的に信じ、一切合切を任せきるというのは、瞑想で悟りを開くのと同程度、或いはそれ以上に難しいことではありませんか?

 

今回は、他力門と戒律の話を書こうかと考えていましたので、どこまでご質問にお答えできるか分かりませんが、この問題を取り上げたいと思います。

 

さて、浄土真宗においては阿弥陀仏の本願を信じることが重視しています。乱暴な言い方をするならば、浄土真宗の教えはこの一点に尽きるとも言えます。教えとしては、阿弥陀仏は非常に慈悲深い仏であり、極悪人であっても念仏を一回称えるだけで極楽往生が確定すると説かれています。厳しい修業をしなくても阿弥陀仏の救いを信じるだけで救われることを説くことから易行道とされていますが、実際は簡単ではありません。

 

では、宗祖親鸞聖人がこのような教えを説かれた背景を考えますと、親鸞聖人の深すぎる罪の意識と神秘体験が影響しているのではないかと考えます。勿論、これは個人的な見解であり、真宗教団や宗教学者の見解は異なると思います。

 

さて、親鸞聖人の六角堂での夢告(むこく)はご存知の方も多いのではないかと思いますが、建久2年(1191)親鸞19歳の時に大阪府・旧磯長(しなが)村(太子町)にあった聖徳太子廟に参籠された際にも夢告を体験されていることはあまり知られていないのではないかと思います。

 

親鸞聖人は、比叡山での修業に行き詰まりを感じ、日頃から崇敬していた聖徳太子に尋ねようと、聖徳太子廟に参籠されました。そして不思議な体験をされました。

 

磯長(しなが)の夢告(むこく)で親鸞に告げられた太子の言葉は、次のような意味だった。

「我が三尊は塵沙界を化す。日域は大乗相応の地なり。諦らかに聴け、諦らかに聴け、我が教令を。
汝が命根は、まさに十余歳なるべし。命終わりて速やかに清浄土に入らん。善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を」
(阿弥陀仏は、すべての者を救わんと、力尽くされている。日本は、真実の仏法が花開く、ふさわしい所である。よく聴きなさい、よく聴きなさい、私の言うことを。そなたの命は、あと、十年なるぞ。命終わると同時に、清らかな世界に入るであろう。よく信じなさい、深く信じなさい、真の菩薩を)」

 

図解雑学親鸞 ナツメ社 P18

 

尚、「大乗院の夢告」といわれるものもありますが、後世の創作とされています。

 

そして2度目の夢告が有名な六角堂での夢告です。

 

 磯長の夢告で聖徳太子から、「おまえの命はあと10年」と告げられてから、ちょうど十年。決死の祈願は百日間続きました。その95日めの夜明け、救世観音が顔かたちを整え、立派な僧の姿を現しました。そして親鸞に、こう告げた。

「そなたがこれまでの因縁によって、たとえ女犯があっても、私(観音)が玉女という女の姿となって、肉体の交わりを受けよう。そしておまえの一生を立派に飾り、臨終には引き導いて、極楽に生まれさせよう。これは私の誓願である。すべての人に説き聞かせなさい」

 

図解雑学親鸞 ナツメ社 P30

 

この後に親鸞聖人は、法然上人の教えに出会い、法然上人に弟子入りすることになります。そして31歳の時に肉食妻帯を断行されました。それは阿弥陀仏の本願は、出家者も在家も関係なく、老いも若きも男女の差別もなく、一切の衆生をありのままの姿で救われることを信じたことが理由とされています。しかし、それは当時の常識からするならば、あり得ないことであり、ありとあらゆる非難を浴びたとされていますが、親鸞聖人は全く動じなかったそうです。これは親鸞聖人が念仏を称えた者は、必ず極楽浄土に生まれることができると固く信じていたためであり、それだけ阿弥陀仏の誓願を信じ抜いていたことからできた行動であると言えます。

 

親鸞聖人がそこまで阿弥陀仏の救いを信じ抜くことができた理由を考えますと、根底には比叡山で厳しい修業をしていても死後の不安が解消されなかったことがあります。当時は、お経に書かれたことは真実であると信じられていた事から親鸞聖人は自分が地獄に堕ちると考えられていたとされています。その理由が戒律ではないかとと思われます。大乗仏教の場合には、戒律を破っても破門になる訳ではありませんが、忠実に戒律を守ることは非常に難しく、罪の意識に苦しみ続けることになります。

 

その中でも女性を恋慕する気持ちを捨てきれなかったことに親鸞聖人は苦悩され続けたとあります。当時の常識からするならば、出家者でありながら女性と肉体関係を持つことは許されざることであり、破戒僧となります。その執着を断ち切ることこそが悟りへの道であり、その執着を断ち切るための修業ではありますが、厳しい修業に明け暮れても執着は解消されることがなかったことから絶望的な気持ちになられていたとあります。

 

そのような自分を追い詰めた状況の中で磯長(しなが)の夢告(むこく)を受けたことで更に追い詰められた気持ちとなり、六角堂での夢告、そして法然上人の教えの出会いがあったことから阿弥陀仏の救いを全面的に信じることができたのではないかと思われます。親鸞聖人が無条件に阿弥陀仏の救いを信じる気持ちになることができた理由をまとめますと、厳しい戒律を守ることができない自分には悟りを得ることができないだけでなく、死後の世界において待ち受けているのは苦しみしかないと確信していたからこそ、そんな罪深い身である自分を救って下さるのは阿弥陀仏しかいないと確信できたのではないかと思われます。

 

また、親鸞聖人が体験された夢告が本当に仏の言葉であったかどうかの真偽は誰にも分かりませんが、親鸞聖人が夢告(むこく)を仏の意志と信じられたと思われます。そして六角堂での夢告を仏の言葉であると信じたからこそ、法然上人の教えに帰依され、肉食妻帯を断行されたのではないかと思われます。親鸞聖人の体験と管理人の体験を同一に語ることは不遜ではありますが、管理人も仏のお姿を霊視したことやお言葉が降りたことで神仏の存在が観念の存在でなく、確信に変わりました。そのため、六角堂での夢告が親鸞聖人の背中を押したとしても不思議ではありません。

 

いずれにしても親鸞聖人は、自分の罪を過剰なまでに自覚されていたと思われます。また、自分の罪を自覚していることから厳しい修業をされましたが、修業に励まれても自分の心の平穏を得ることができないだけでなく、死後の不安も解消されなかったと思われます。その苦悩があったからこそ法然上人の教えを素直に信じることができたのではないかと思われます。

 

まとめますと親鸞聖人の教えは、厳しい修業を重ねても自分の心の中に湧き起る煩悩の炎を消すことができないことに悩み抜かれた末に到達された教えであることを前提に考えませんと、理解することが困難と思われます。その意味では真面目すぎるほど真面目であり、戒律を真剣に守ろうとされ、戒律を守れない自分を責め続けたのではないかと思われます。その苦悩があったことから煩悩のままに救われる教えに深く帰依されたと言えるのではないかと思います。

 

数年前に真宗高田派の僧侶の方が、親鸞聖人の教えは、人生で挫折を味わったことのない人間には分からないと言われていました。管理にも順調な人生とは程遠い人生ではありましたが、自分が親鸞聖人の教えを理解できているとは思えません。親鸞聖人の様に戒律を守れないことで悩んだこともありませんし、そこまで自分の罪を自覚できません。しかし、親鸞聖人の到達された境地は、親鸞聖人だからこそ到達できた境地であり、親鸞聖人の残された教えは親鸞聖人だからこそ、残すことができた教えではないかと思います。

 

その意味で白ギツネ様の「知覚不可能なものを徹底的且つ全面的に信じ、一切合切を任せきるというのは、瞑想で悟りを開くのと同程度、或いはそれ以上に難しいことではありませんか?」とのご意見は真っ当な意見であり、凡人が簡単に到達できる境地ではないと思います。

 

 

ご相談は こちらから

at 23:59, 星 良謙・子授け地蔵, 仏教

comments(3), -, pookmark

comment
星, 2018/03/19 1:06 PM

7様ご指摘ありがとう御座います。
一部の出版社は、新興宗教の影響が強いことは知っていますので、注意していますが、図解雑学親鸞は浄土真宗親鸞会の構成員の書物とは、気付きませんでした。
今後は、著者に関しても注意させて頂きます。

7, 2018/03/17 11:45 AM

遙か昔の記事に失礼します。
図解雑学親鸞は浄土真宗親鸞会の構成員の書物です。
かなり他団体を非とし正当性を主張し続ける教義組織ですのでお気をつけて。
図解雑学浄土真宗は本願寺派の書物です。個人的にひいきとしてお勧めします。
教団を是とするかどうかで暗黙の教義ができあがります。
表だっては健全そうでも端々にバイアスが散りばめられてるとも言えます。

白ギツネ, 2017/01/25 4:55 AM

星様、ご返信有難うございました。在家の素人考えではありますが、戒律というものは教団が僧侶を統括するための組織制度であると共に、敢えて高いハードルを設定し、自身の至らなさ、煩悩の深さに日々直面させるための道具ではないか、と思っていました。裏返せば、人間というものはそれ程に自惚れ易い存在ではないか、と。それにしても、親鸞聖人とは凄まじい方なのですね。戒律を守れぬ苦悩をぐるりと転回させて救いの突破口を開くとは…。専門家には怒られてしまうかもしれませんが、神とキリスト、阿弥陀仏と親鸞聖人がどうしても重なってしまいます。ただ、おっしゃるようにそれが凡人にはよくたどり着けない境地ならば、凡夫愚物救済の阿弥陀信仰とどう整合性を保つのか?そこが尚わからない点です。