参拝のマナー5(星)
先日の事ですが、出雲大社のHPを見ていたところ、下記の話が掲載されていました。
出雲大社HP よくある質問 こちらから
お賽銭の金額は決まっていますか?
お賽銭を5円にすると「ご縁がある」とか、「二重にご縁があるように」と25円、「始終ご縁があるように」と45円、「これ以上の硬貨(こうか=効果)はない」と500円などと、ガイドの方がおもしろおかしく話を作って案内されるのを聞くことがあります。 これは、まったく根拠のないおもしろおかしくしようとの“ためにする”語呂合わせにすぎません。大切なのは神様に対して真摯な気持ちでお祈りをし、その気持ちをもって日々の生活を送ることです。祈りの心はお賽銭の金額によって、まして変な語呂合わせで左右されるものではありません。
注連縄にお賽銭を投げ、刺さると縁起が良いというのは本当ですか?
注連縄は神様がお鎮まりになる御神域を示し結界する神聖なものです。その神聖な注連縄にお賽銭を投げ入れるという行為は、神様に対して失礼にあたることです。従って縁起が良いことではありません。
銅鳥居を触りながら回ると金まわりが良くなるとの話は本当ですか?
参道を抜けると、緑青色に輝く銅鳥居があります。銅製の鳥居であるが故に、いつの頃からかこの銅鳥居を触りながら回ると「金まわりが良くなる」とガイドの方の案内を聞く事があります。これまた同様におもしろおかしく案内しようとする創作です。出雲大社に古からある信仰ではありません。
お賽銭の語呂合わせは昔から良く聞く話ですが、お賽銭は参拝される方の感謝の気持ちであり、金額は決められてません。そのため、志と言うべきものです。参拝される方の懐具合によっても志の金額は変わりますので一概に幾らとは決められるものではありませんが、あまりケチると良くないとは聞いています。
また、「注連縄にお賽銭を投げ、刺さると縁起が良い」とか、「銅鳥居を触りながら回ると金まわりが良くなる」とか言った話は時々聞きますが、本来の信仰とはかけ離れた行為であることが多いようです。
神道には、祭祀を執り行う作法は決められていますが、仏教のような体系的な教えは明確に残されていないことから分かりにくい宗教であると言えますが、神を敬う気持ちが基本ではないかと思います。
以前にある神社のご神霊から「一心に祈れ」との教えを受けたことがありますが、この一心に祈ることは簡単そうで実は難しいこです。管理人にしても必死に祈ることは簡単にできますが、一心に祈ることは簡単ではありません。これは言葉で説明しようとしてますと、大変なのですが、一心に祈ることができている方の姿を目にしますと、ああこれが本当の祈りなのかと思います。
暫く前にある神社でご祈祷を受けた後に参拝させて頂いていました。夕方であったためか、神主の方が本殿に参拝されていました。神主の方は、祝詞を奏上されることもなく、普通に参拝されただけなのですが、一瞬にしてその場の空気が変わりました。ご神霊のお力でその周囲が清められたと言うべき状況でした。これと同じようなことは過去にも経験しています。
管理人が同じことをしたとしても周囲の空気が一変するほどのお力を感じることはできません。ただ、神前に立った瞬間に圧倒的なお力を感じたことは過去に何度かあります。そんな時には、祈りが届いているのかと思いますが、いつもではありません。やっていることは、普段と同じであり、何が違うのかと言えば、心構えなのかと思います。
その違いが分かっているならば、ここで解説させて頂くのですが、管理人にも良く分かりません。それが正直さなのか、謙虚さなのか、利他の気持ちなのか、はっきりとは分かりませんが、それでできているならば、参拝しただけで周囲の空気が一変するような境地に到達できるのではないかと思います。
星
ご相談は こちらから
at 16:29, 星 良謙・子授け地蔵, 神道
comments(1), -, pookmark
