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管理人の憂鬱2(星)

今年も確定申告の時期となりました。

毎年の事ですが、今年こそは早めに準備してと思いながらも例年のごとく・・・・

 

(@@;))))〜〜(((((;@@) うろうろ

 

あたふた (((^^;)(;^^) ))あたふた

 

そんな時にブログを投稿していていいのかとも思いますが・・・

 

良いんです。管理人の大事なストレス発散なのです。 キッパリ!

 

>( ̄^ ̄)< フフーン と威張るような話ではありませんが・・・

 

 

それはさておき・・・・

 

本題に入る前にこのところ、保守系の本ばかり紹介していることについて少し触れておきます。管理人は、このブログでは政治的なテーマは取り上げないことを決めていましたが、深刻な霊障に悩む方の多くが、朝鮮や中国の不成仏霊の障りが隠れていることや政治カルトの背景について調べるに従って、その問題が考えていたよりも遥かに大きな問題であることに気付き、政治的なテーマと受け取られることの危惧よりもより本質的な問題として取り上げることにしました。

 

さて前回は、「日本国紀」をご紹介しましたが、今回は[「日本国記」の副読本 学校が教えない日本史]をご紹介させて頂きます。この本は「日本国紀」の著者である百田尚樹氏と編集者の有本香女史の対談の本であり、著者の百田尚樹氏が「日本国紀」で伝えたかったことなどがテーマとなっています。前書きに著者の百田氏が「日本国紀」に対する思いを書かれていますので引用させて頂きます。

 

 私は日本という国が大好きです。

 ただ告白しますと、そんな気持ちになったのは五〇歳を過ぎてからです。いやもっと正直に言うと、六〇歳に近くなってからでしょうか。

 若い頃はそんなことに気付きませんでした。自分が生きるのに夢中で、むしろ社会や世の中に不満を常に抱えているような人生を送っていました。早い話、己の幸福だけを追いかけている生き方をしていました。当然、日本という国に対しても、感謝の念を少しも持っていませんでした。

 しかし人生の折り返しを大きく過ぎ、半生を振り返ってみると、自分はなんといい国に生まれ育ったのだろうかと気付くようになりました。むしろ、若い頃はなぜこんな当たり前のことに気付かなかったのだろうかと思います。

 もちろん、今も社会に対する不満は山ほどあります。日本特有ともいえる硬直した制度や同調圧力。また国を動かしていく政治家たちのどうしようもない低レベルと、そんな彼らを選ぶ民衆の無関心。実際に多くの制度を決めていく官僚たちの視野のなさと夜朗自大(やろうじだい)[1]ぶり。腐ったようなメディアや、拝金主義とも思えるような大企業――いちいち挙げていればキリがないくらいです。

 それでも私は、日本人は素晴らしい国だと胸を張って言えます。日本が嫌いな人たちも、日本が優しく、誠実で、勤勉で、悪事を憎む国民であることを否定する人はいないでしょう。

 しかし戦後、私たちは、国を愛せない人間になるような教育を受けてきたと言っても過言ではありません。それは自虐史観にとらわれたメディアのせいでもありますが、実は最もひどいのは教科書なのです。本来は日本の素晴らしさを教えるためにあるはずの歴史教育が、それとは正反対のものになっているのです。しかも、それは年を追うごとにひどくなっていきます。

 私が『日本国紀』(幻冬舎)を書こうと思った理由の一つはまさにそれです。こんな歴史教育を放置していては、未来の日本を担(にな)う子供たちが、祖国を愛せない人間になってしまう。

 生まれた国を愛せない人間ばかりになった国に、はたしてどんな未来が待っているのでしょうか。想像するだけで恐ろしいことです。こんな教育が進めば、いずれ日本は、「グローバル」という得体のしれない名のもとに、何のアイデンティティも持たない鵺(ぬえ)[2]のような国に成り果てるでしょう。

 

「日本国記」の副読本 学校が教えない日本史 P3-P5

 

[1]夜郎自大(やろうじだい) 「史記‐西南夷伝」にみえる中国西南の民族夜郎が、漢の強大さを知らずに自分の勢力をほこったというところから自分の力量を知らないでいばること。

[2]鵺(ぬえ) 日本に伝わる伝説上の妖怪

 

この本は、「日本国紀」の副読本であることから「日本国紀」について改めて少し触れておきます。先週に店頭に並んでいた本の帯には、現在65万部となっていましたので、かなり売れているようです。これだけ売れているならば、批判の対象にされやすいのも当然かとは思いますが、左翼系の方々からかなり批判されているようです。百田氏は日頃から過激な発言を繰り返していますので、左翼系の方々からするならば、目障りな存在であり、標的にされるのは当然かと思います。

 

しかし、「日本国紀」を批判するのであならば、この「日本国記」の副読本はもっと批判されても不思議ではないのに意外と批判されていないようであり、少し不思議な印象がありました。理由は、「日本国記」は歴史書であるのに対して「日本国記」の副読本の方は、歴史教科書の批判にかなり重点が置かれています。そのため、著者が本当に書きたかったことは、「日本国紀」の副読本の方に集約されていると感じました。どうせ批判するのであれば、こちらの方を批判すれば良いのにと不思議に思っています。

 

また、ネット上では「日本国紀」の内容は、ウィキペディアのコピペが多いとの批判を見受けますが、これも何とも見当はずれな話ではないかと思います。歴史上の事件を要約して書くならば、どうしても同じような文章になることは避けられず、ウィキペディアと類似した文章になるのは当然のことです。例えば、ある出版社の国語辞典が別の出版社の内容と類似していると批判しているのと同じであり、意味のない批判です。

 

歴史書において重要なことは、記述された内容は勿論ですが、何を書き、何を書かかれていないかが重要となります。これは何も歴史書に限られた話ではなく、宗教書にも言えます。例えば、親鸞聖人の代表的な著書である顕浄土真実教行証文類(通称 教行信証)は、経典や論書の引用であり、自説を説かれていませんが、何を引用し、何を引用しなていないかが重要であり、経典や論書の引用することで自説を論証しようとされています。

 

引用させて頂いた前書きの中にも「実は最もひどいのは教科書なのです。」とあるように、この本の中では教科書の批判もされていますが、歴史教科書の批判がこの本のテーマとなっていますが、批判の内容が是非は別にしても批判の手段としては真っ当な批判ではないかと思います。もっとも難癖をつけるような批判内容ならば、このブログで取り上げて紹介することはありません。

 

この本を取り上げたのは、引用させて頂いた前書きにあるからと言えます。管理人も著者の百田氏と同じように日本の負の側面にはうんざりしています。しかし、国を愛せない人間になるような教育や日本を卑しめるような報道を流し続けるマスコミには、絶望感すら覚えます。その根底にあるのが自虐的歴史観です。管理人は、戦前の教育を礼賛する気持ちもなく、戦前の日本に間違いがなかったと言う気持ちもありませんが、とにかく日本は中国や東南アジアを侵略した悪い国であるから過去を清算するために周辺諸国に対して謝罪し続けなければならないと言った考え方には疑問を抱きます。しかし、このブログで政治的なテーマを積極的に取り上げる気持ちはありませんので、深入りは避けますが、この自虐的歴史観は避けて通れない話です。

 

基本的に愛国心はどの国にとっても大切であり、右翼か左翼かは関係ありません。社会主義国である中国でもキューバでも愛国心は重視されているのに、どうして日本では愛国心の大切さを説く人間が極右扱いされるのでしょうか。また、人権の大切さを叫ぶのであるならば、日本国内の問題よりも中国で行われているウィグル人やチベット人の弾圧をどうして中国に対して抗議活動をしないのでしょうか。或いは、北朝鮮に対して抗議活動をしないのでしょうか。アメリカに対して戦争反対を叫ぶのであるならば、中国に対して戦争反対を叫ばないのはどうしてなのでしょうか。

 

中国人が自国の国益を優先するのは当然であり、アメリカやロシアが自国の国益を優先するのも当然です。自国の政治体制とは無関係に、それぞれの国が自国の国益を優先するのが当たり前の世界なのに、日本の左翼と呼ばれる人々は、自国の利益よりも中国や韓国の国益を優先すべきと考えているように思えてしまいます。日本は中国や東南アジアを侵略した悪い国であるから過去を清算するために周辺諸国に対して謝罪し続けなければならないとの自虐的歴史観です。

 

精神世界の話をテーマにしているこのブログでこんな話題を取り上げる理由は、不成仏霊と霊障の関係に似ているからです。不成仏霊が生きている人間を支配する方法の代表的なのが、生きている人間の自尊心を奪うことです。人間の心の闇に入り込み、失敗と挫折を繰り返すように仕向け、生きている人間の自信を喪失させ、混乱に追い込みます。そして生きる意欲を奪い、更に生きている人間の支配を強め、自分の意のままに操れるように仕向けます。つまり自虐的歴史観の刷り込みは、日本人から自尊心を奪っているのと同じであり、不成仏霊の影響を受けやすくされているのと同じです。

 

では、その自虐的歴史観の視点から活動している人々はと言えば、不成仏霊に完全に支配され、不成仏霊の手駒にされているのと同じに思えます。勿論、彼らからするならば、管理人こそが不成仏霊の手先となるのでしょうが、罪悪感を植え付けて自分たちの存在価値を否定するような考え方が健全であるとは思えません。それは新興宗教の信者にありがちな「自分たちは、目覚めた人間であり、お前たちは迷いの中にある哀れな人間である」と言った傲慢さと同じに見えます。

 

管理人がリベラルと呼ばれる左翼思想の人々の話に疑問を感じるのは、意図的な話のすり替えがあるからです。例えば、マスコミなどでは、日本は朝鮮半島を植民地としていたの表現をしますが、当時の日本は朝鮮半島を植民地としたのではなく、日本に両国の政府の合意を経ただけでなく、国際的な支持を得た後に併合しています。それはハワイがアメリカの植民地ではなく、アメリカであるのと一緒です。当時の国際法に沿って行われたことであり、合法的な行為です。そのため、植民地と言うべきではありません。

 

この他にもいわゆる慰安婦問題やいわゆる徴用工問題など歴史的な史実を無視した日本批判を検証することもなく、韓国や中国の批判を受け入れて日本は謝罪しなければならないと語るのは、不成仏霊に支配され、不成仏霊の手駒にされている姿が重なります。これは少し解説が必要となるかもしれませんが、親子間や上司と部下の関係などにおいても親や上司が不成仏霊の怒りや憎しみの感情に翻弄され、不成仏霊の気持ちを代弁していることは良くあります。

 

厄介なことは不成仏霊に翻弄されている本人は、不成仏霊に翻弄されているとの自覚がないことです。本人は自分の考えで子供や部下を叱っているつもりであったり、指導しているつもりでもあったりしても、不成仏霊が怒りや憎しみを煽っているのが良くあります。つまり不成仏霊が怒りに油を注ぎ、感情を暴走させていることが少なくありません。これが繰り返されますと、不成仏霊の意識と一体化するようになり、完全に支配されてしまうと不成仏霊の意識と本人の意識との区別ができなくなります。

 

勿論、これは管理人の仮説であり、リベラルと言われている論客の人々が不成仏霊に支配されているかを鑑定した事はなく、誰からも依頼もされていないのに何人もの霊障を鑑定しようとの気持ちもありません。また、かりにリベラルの論客と言われている人々やマスコミ関係者を多数鑑定したとしても何の証拠にもならないだけでなく、彼らの霊障を解消しない限り、何も問題が解消しないといえますので、鑑定する意味がありません。

 

管理人にしてもリベラル派の論客やマスコミが不成仏霊の影響を受けているとの仮説は、管理人の妄想であり、杞憂であって欲しいとの気持ちがあります。唯物思想の方々すらするならば、占い師の戯言でしかないと思いますが、日本はどうなるのだろうかと危惧しております。

 

 

ご相談は こちらから

at 17:09, 星 良謙・子授け地蔵, 本の紹介

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