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中国系不成仏霊2(星)

暫く前にこのブログでご紹介した「真相深入り!虎ノ門ニュース」が3月4日から2週間、夜の8時からの生放送となります。

普段は、朝の8時から2時間の生放送ですが、3月4日から2週間は、夜の8時からの生放送です。

 

放送後2週間は、ネットで閲覧できますが、やはり生放送をご覧になりたい方も多いのではないかと思います。

まだご覧になられていない方は、これを機会にご覧なられていは如何でしょうか?

 

管理人も時間があれば見るように心掛けていますが、地上波のニュース番組に比べますと、断然面白いことからお勧めです。

 

それはさておき・・・・

 

管理人が大学に入学した頃は、大学紛争が沈静化した時期であり、大学紛争とは無縁な学生時代ではありますが、左翼思想に傾倒する学生は少なくなかった気がしています。管理人はと言えば、表現の自由のない体制に嫌悪感を抱いてましたので、左翼思想には関心もなく、距離を置いていましたが、自民党の金権体質にもうんざりしていました。その意味ではノンポリに近かったのですが、政治に無関心と言う程でもなく、失望していたと言うべき状態でした。

 

※「ノンポリ」という言葉も既に死語になっていますので、解説をコピペしておきます。

 

ノンポリとは、政治や学生運動に無関心であったり、関与しないさま。

 

そんな状態でしたので、毛沢東に関しても教科書で覚えた程度の知識しかなく、毛沢東が自国民を大量に虐殺していたことを知ったのは、随分遅かったと思います。その理由の一つが大躍進や文化大革命と言った中国の負の歴史がマスコミで取り上げられることがほとんどないことです。それは今でも同じであり、新聞や雑誌、テレビなどで大躍進や文化大革命と言った中国の負の歴史が取り上げられない印象があります。

 

【大躍進】
1958年から中国で毛沢東思想に基づいて始められた高度経済成長政策。「15年でイギリスに追いつく」を合言葉に鉄鋼大増産、人民公社化などが図られたが、経済均衡の失調、農村の荒廃、二千万人の餓死者を出し、59年毛沢東は国家主席を辞任。

大辞林 第三版の解説

 

【文化大革命】

1966〜1969年に中華人民共和国で、大衆を動員して行われた政治闘争。毛沢東自身が主導し、直接紅衛兵を動員して、既成の一切の価値を変革すると唱したが、劉少奇を代表とする党・政府機関および学界の実権派からの奪権闘争でもあった。多くの知識人が投獄・殺害され、文闘は武闘に発展、一般にも多くの死者を出してその後の中国社会に深刻な傷を残した。1980年代以降「重大な歴史的誤り」として全面否定。正式名プロレタリア文化大革命。文革

デジタル大辞泉

 

毛沢東時代の犠牲者総数は8000万人と言う人もいれば、4000万人とも言う人もいるなど多くの意見があり、正確な人数は誰にも分からないようです。これは病死や餓死などの数を含めるか、含めないかによって大きく数字が異なることが原因であると思われますが、あの悪名高いアドルフ・ヒットラーによって殺された人数は、900万人とも1100 万人と言われ、ヨシフ・スターリンでも50万人から2000万人まで諸説ありますが、それに比べても断トツの人数です。その意味では、人類の歴史上一番の殺戮者と言えるようです。

 

今回ご紹介した「私たちは中国が世界で一番幸せな国だと思っていた」は、毛沢東時代を中国で過ごした2人の対談の本です。石平氏と日本人残留孤児2世として15歳まで中国で育った矢板氏は年齢が少し離れていますが、共に毛沢東の時代を過ごされていますので、当時の中国社会を知るのには最適な本と言えます。

 

このブログで政治体制を批判する内容を投稿する考えはありませんので、詳細な内容を紹介することは控えますが、管理人が取り上げたいのは、毛沢東時代の人の命の軽さです。人の命は地球よりも重いと言われますが、この本の中に書かれている話は、それとは正反対の話であり、些細な理由で死刑にされた人の話です。

 

 いま、子供時代に見た恐ろしい出来事の一つを思い出しました。田舎から成都に戻って、中学校に通っていたときのことです。近所にお婆さんが一人住んでいて、ゴミを拾って何とか生活していました。

 天気のよい日はいつも街角に一人で座って太陽を浴び、学校の帰りに通りかかる私たち子どもにいつも笑顔で、「お疲れさん、勉強頑張ってね」と声をかけてくれた。

 しかし、ある日突然、そのお婆さんが消えたのです。大人たちの話によると、彼女は「反革命分子」として逮捕されたといいます。

 一人のゴミ拾いのお婆さんがどうして「反革命分子」なのかというと、実は彼女はある日、毛主席の顔写真を印刷した新聞紙を使って、ゴミ捨て場から拾った大根を包んだのですが、そんな些細なことで「反毛主席」の大罪に問われたのでした。

 そして数日後、このお婆さんはトラックに乗せられて、町中を一巡して市民たちの見せしめになったあとに、処刑場に引きずり出され、銃殺されました。

 しかし、そのときの自分もやはり、たとえ笑顔の絶えない一人の優しそうなお婆さんであっても、「反毛主席」となれば当然殺してもよい悪人であるに違いない、と思っていたのではなかったか。

 後になって思えば、それこそが自分自身が実際に見た、その時代の毛沢東政治の実態をあらわす典型的な一例だったのです。毛沢東政治の狂気と残虐性は、疑問を挟む余地のない真実でした。

 

私たちは中国が世界で一番幸せな国だと思っていた P61-63 石平・矢板明夫著 ビジネス社

 

矢野 普段、民衆は娯楽が何もないわけです。映画も面白くないし、歌も中共賛美みたいなものばかりでつまらない。公判大会は民衆の一種、ストレス発散をさせる場でもありました。

石平 そうそう、ストレス発散です。公判大会の日、成都の街全体でだいたい五〇人は処刑されました。日本人からすれば、信じられない話だろうけど、本当のことなのです。

 五〇人が一人ずつトラックに乗せられ、トラックが五〇台ゆっくりと走る。道路の両側は群衆で埋め尽くされている。あたかもディズニーランドのパレード状態です。道路を挟む建物や家々の窓にも人の顔で一杯。まるで成都の市民全員がローマのサーカスを見物しているような光景が繰り広げられているのです。

 もちろん、さっき矢板さんが言われたように、鈴なりになった見物人全員は、共産党に楯突いたらそうなると理解しています。そして、もう一つ、たしかにそれで一種のストレス発散をしていた。

 ローマ帝国は民衆にサーカスを提供していましたが、中国共産党はサーカスではなく殺人ショーを与えていた。さらに言えば、ローマ帝国はパンとサーカスの両方を提供していたけれど、共産党はパンを与えずに、殺人ショーだけを提供していたわけです。いや国慶節のときには僅かながら豚肉を振る舞われましたがね。

 これがわれわれが育った中国の現実なのです。おそらくは北朝鮮でも同じことがなされてきた。それで政権を安定させたのです。

 あれほど人民を苦しめながら政権を維持できたのは、一種の恐怖政治だから、もう一つは、民衆が持つ人間本性の悪い部分を満足させてきたからです。

 みんなが殺人ショーを見た翌日は祝日です。たとえば国慶節には特別にひとり〇・五キロの豚肉を供給されました。だから、あのころの中国人民は国慶節の前日に殺人ショーを楽しんで、国慶節当日に〇・五キロの豚肉を口に入れて、「ああ、これで幸せ」という世界だったのです。

 

私たちは中国が世界で一番幸せな国だと思っていた P65-66 石平・矢板明夫著 ビジネス社

 

中国の政治体制を批判することが目的でこの記事を投稿しているわけではありせんが、チベットやウィグルでは今も恐怖政治が続いていると聞きます。中国人の残忍さを物語る話は他の本でも幾つか見受けますが、現在も日本人では考えられないような凄まじい拷問や虐殺が続いているようです。勿論、すべての中国人が惨忍な性格であるとは思いませんが、人の命を奪うことに何のためらいも持たない人間が数多くいることは否定できないと思います。

 

霊障鑑定をさせて頂いていますと、時折中国系不成仏霊の障りを見つけることがありますが、共通しているのは残忍さです。日本人の不成仏霊でも依頼者の家系に恨みを抱き、障りを起こしていることは珍しくありませんが、中国系の不成仏霊は恨みではなく、呪いと言うべき障りです。呪いを解消する場合には、何の術を使用しているかを調べ、その術に応じた対策が必要となりますが、中国系の呪いは日本人の呪いに比べますと遥かに陰惨で残酷な傾向があります。そのため、中国人が持つ残忍さを漠然と感じていましたが、この本を読み、それが中国人の国民性であると感じました。

 

 

ご相談は こちらから

at 12:40, 星 良謙・子授け地蔵, 本の紹介

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