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真宗の霊能力修行?

世の中は大型連休突入・・・のはず。。。 なのに。。。
何の予定もない。。。
寂しい予定表!!! 空白だらけ・・・・

休みだから占いでもと言う人もなく、休みだから行楽が世の中の常識!

みんな外へ遊びに出掛ける→お客が減る→お金がない→頭が痛い!

みんな外へ遊びに出掛ける→PCはお休み→このサイトも誰も見てくれない→投稿する気が起きない

と考えていたら、そうでもない・・・・
と言うわけで急遽予定を変更して投稿することにしました。

昨日の続きを書いてもいいのですが前から書こうかと考えていた真宗の霊能力修行について書きます。

0.本題に入る前に
 管理人は何気なく真宗と書いてしまうのでが一般の方の多くは浄土真宗と書くべきではないかと思われているのではないかと思います。しかし大谷派の場合には浄土真宗大谷派ではなく、真宗大谷派が正式な名称となります。そのため真宗で何も問題はありません。
 ちなみに本願寺派の場合には浄土真宗本願寺派となります。

1.真宗の霊能力修行?
 結論から書くならば真宗の教えに忠実に従うならば霊能力修行は否定されるべきことでしかありません。真宗の教えでは自力を捨てて阿弥陀仏にひたすらにすがることがすべてにおいて優先されるべきであり、自分の霊能力を向上させようなどとの考え方は真っ向から否定されます。

 真宗の教えにおいては念仏を称えることで来世の往生は約束されおり、また日常的に念仏を称える者たちを多くの仏たちが陰となり、ひなたとなり、守っていただけることから修行など必要としないとの考え方があります。

 では念仏を称えることは修行ではないのかとの考えることもできますが真宗においては念仏を称えることを修行とは考えません。念仏を称えることを修行と考えるならば自分の力にて念仏を称えなければなりませんが、真宗の教えでは阿弥陀仏の働きにて念仏を称えることができるとの考え方が前提にあります。

 そのため我々が来世の極楽往生を願って念仏を称えることは阿弥陀仏の慈悲のお力に自分の力で称えた念仏の功徳を上乗せしようとの心でしかないと考えます。それでは一人残らず救いたいとの阿弥陀仏の慈悲を信じていないことになるとの教えなのです。

 これは管理人がこれまでに学んだ教えを要約して書いていますので間違いがあるかもしれませんがいずれにしても真宗においては修行よりも阿弥陀仏の慈悲を信じることを重視しています。

2.結果としての霊能力
 では真宗の教えを学び、日々念仏を称え続けたとしても霊能力を身に付けることができないのかと言うとそうでもないのです。

 ただし、これは真宗の教えとは矛盾するかもしれませんが結果としてそうなると考えてください。管理人は別に真宗の教えを批判するつもりもありませんのでご了承ください。

 例えば神仏に帰依する気持ちもなく、単に霊能力を身に付けるために荒行を実践されるのであるならば真宗の名刹や古刹にて念仏を称え続けた方が遥かに安全であり、また確実です。

 つまり霊能力を身に付けるために念仏を称えるのではなく、念仏を称え続けることで霊能力が自然に身に着くと考えるべきなのです。

3.霊能力のメカニズム
 管理人は以前に霊能力とは肉体と精神のバランスが崩れることで得ることができると書きましたがこれも基本的には同じです。別に修行のための長時間の念仏ではないとしても長時間(最低でも三十分以上)念仏を称え続けるならば精神的な高揚状態となります。

 また長時間念仏を称え続けるならば自分の心が内省的となり、怒りや憎しみの感情が少しずつおさまり、心霊との意識との交流が容易になることもあります。

 つまり長時間念仏を称えることで感情の乱高下がなくなり、自分の心を省みる時間を持つことの意味と念仏を称え続けることで心霊からの働きかけが容易となる二つの意味があります。

 このことを宗教的な境地として考えるのであるならば仏と一体感と言えるのではないでしょうか。

4.霊能力としての限界
 管理人の印象としては長時間念仏を称えることで得られる霊能力は良くも悪くも自己完結型ではないかと思います。

 通常は霊能者と言えば霊視や霊聴、除霊などの積極的な能力を連想されるのではないかと思いますがその意味では霊能力としての限界はあると思われます。

 しかし、密教でも加持祈祷は一定の修行を積んだ修行者だけに許さた行為なのです。管理人も基本的には霊能力だけを身に付けるための修行をお勧めすることはできません。

 霊能力を身に付けたいと考えるのであるならば霊能力に振り回されないだけの力を身に付けるべきであり、また霊能力とは人間の心を知ることである程度は身に付けることが可能だと考えています。

 それらのことを考えるならば念仏を称えることで得られる霊能力が多分に防御的な意味しかないとしても一般的に考えるならば有益であると考えることができるのではないかと思われます。

 しかしここで注意しなければならないのは結果して仏と一体の境地になれるのであって仏と一体になることを目指して念仏を称えるならば仏と一体になることは難しくなることを忘れないでください。


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at 00:27, 星 良謙・子授け地蔵, 心霊現象と神秘体験

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空の巣症候群

 今日はちょっと真面目に書こうかと考えたりしています。管理人はとうとう熱にうなされておかしくなったかと考えているあなた!管理人も時には真面目に書きます。いつも真面目に書け!との声にたじろぐ管理人。

 いつもならばここで馬鹿な話を書くのですがさすがに心の病気の話を少し書こうかと思いますので控えます。

1.心の病気と霊障
 前回が心の病気で終わったことからその関連で書こうかと考えています。心の病気は心霊現象が原因であるかのように言われることも多いのですがかりに心霊現象があったとしても心霊が原因で心の病気になったのではなく、心の病気が不成仏霊を引き寄せていることが大半です。

 しかし原因はどうあれ、家の中に成仏されてない心霊が数多くおられますと家庭内は陰湿な雰囲気や殺伐とした雰囲気になりやすいなどの悪影響が多いことから霊的な対策から始めることをお勧めはします。

 基本的には仏壇と神棚さえきちんとしているならば大概の霊障はおさまってしまうのですが最近は仏壇や神棚のないお宅が多いだけでなく、あったとしても悲惨な状態になっているお宅も多くあります。

 このことについて書き始めると際限がなくなってしまうので詳しくは書けませんが霊障の相談を受ける場合にはまず仏壇と神棚の確認から始めます。

 しかし、これには同情すべき点もあります。一つには仏壇店の従業員が何も知らないことが多いために宗旨の教えを無視した仏壇や仏具を売りつれる例が非常に多いこと、二つ目に住職が何も言わないことがあります。

2.もう一つの人格
 如何に霊的な環境を調えたとしてもそれは不成仏霊からの悪影響がなくなったことを意味するだけで根本的な問題が解決されわけではありません。むしろ問題は何も解決していないと考えて欲しいのです。

 患者やその家族は心の病気の原因を不成仏霊の憑依を原因にすることで責任転嫁しているのではないかと思うことがあります。不成仏霊がすべての原因であるとするならば誰も傷つくことがなく、すべての原因を得体の知れないものに押し付けてしまうことができます。

 管理人は患者やその家族を責める気持ちはありませんが不成仏霊が病気の原因であると考えるならば問題の本質が見えなくなってしまうのです。女性の患者が瞑想状態の中で突然に男の声で大声で罵声を浴びせかけたとしてもそれで女性の患者が別の人格に支配されている証拠にはならないと考えるべきです。

 自分の心の中で別の人格を作り出すことはそれほど難しいことではありません。小説を書く人であるならば誰しもが複数の人間の人格を作り出していると言えるのではないでしょうか。それとも小説家は異性の人物を登場させるたびに一々誰かに相談でもしているのでしょうか。

 管理人は抑圧された感情が患者の中にもう一人の別の人格を作り出しているのではないかと思います。それは誰しもが持っているもう一人の自分であり、それがなくなったならばお寺の本堂で仏像の代わりに生き仏としてすわっていてください。

3.抑圧された感情
 それは誰しもが持っているもう一人の自分がなくなるとは感情を抑圧する必要がなくなるのではなく、現実を現実として受け入れても感情が乱れないことであると考えます。

 現実を現実として受け入れるとはどういうことかと言えばある人にとっての現実と別の人にとっての現実は必ずしも同一ではありません。例えば従業員が働いて一定の成果を得たとします。従業員からするならば自分たちの努力の成果であると考えたとしても経営者からするならば採算の悪い仕事なのかもしれません。

 このことは立場の違いや評価の違いではあるとして考えることは簡単ではありますが従業員の側からするならば評価されるべき現実であり、経営者からするならば改善されるべき現実なのです。つまり同じ現実であるとしても立場が異なるならば異なる現実となります。

 つまり人間とは自分の考えたかたや自分の立場を離れて考えることは非常に難しいのです。そのため自分では正しいと信じていることが必ずしも世の中では受け入れられないことが往々にして起こります。それが心の葛藤となり、抑圧された感情を心に溜め込むことになります。

4.評価されたい自分
 その心の葛藤が起きるかの原因とは自分の立場や自分の考え方を離れては現実を見ることができないことであると書きました。ならば心の葛藤を生み出さないためには自分の立場や自分の考え方を離れては現実を見ることが必要となりますがその実践方法こそが宗教ではないかと思われます。

 管理人は宗教と言っても仏教と神道しか知りませんがそのどちらも現実を現実としてありのままに受け入れることができる境地に至る道を説いているのではないかと考えることがあります。

 管理人は以前に自分は霊能者ではあるとしても宗教家ではないと書きましたが実は管理人が宗教家との違いを一番感じるのがこの部分なのです。つまり宗教家は現実を現実として受け入れるための道筋を説きますが、管理人が説くのは現実を現実として受け入れることができない理由を説いているのです。

 では現実を現実として受け入れることができない理由とは何かと書きますと他人から評価されなければ自分の存在価値を認識できないことが最大の理由であると考えます。

 空の巣症候群と言われている心の病にしても同じことなのです。女性が会社勤めをしているときには何らかの方法にて周囲の人たちから自分の存在価値を認められる手段はあったとしても家庭に入るならば社会との繋がりは少なくなり、評価される機会は減ります。

 そのため多くの女性は子供を立派に育てることに自分の存在価値を見出そうとすることになってしまうのです。その結果子供が成人し、結婚などにて親元を離れてしまうと自分の存在価値を見出せなくなってしまうのです。

 実はこれが管理人の守護霊である古代ギリシャの心霊の教えなのです。古代ギリシャの心霊は説きます。親にとって子供は限りない愛情の対象であるとしても生きがいの対象としてはならない。子供は如何に自分の子供ではあるとしても一人の人格を持つ人間であり、親の分身ではない。

 この考え方の根底には人間の尊厳や自由を非常に重視する考え方があります。つまり人間とは誰かに評価されなければ存在価値がないと考えるべきではないとの考えがあります。一人の人間はただそれだけで人間としての尊厳が守られるべきであるとの考えなのです。

 子供を立派な大人に育てることができなければ親としては失格であるかもしれません。しかしそれだけで人間としての価値が否定されると考えるべきではないのです。

 子供を立派な大人に育てることが親としての使命であるとしてもそれは親としての評価であって親としての価値ではないのです。親として失格であるとしても教育者としては優秀な人もいれば、宗教家としては立派な人もいるのです。

 何かに優れていなければ自分の存在価値がないと考えるのは他人から評価されなければ自分に価値がないとの考え方が基本にあるからなのです。他人から評価されなくとも人間としての尊厳が否定されるべきではないのです。誰からも評価されないとしても神はあなたを見捨てることなどないのです。

 あなたが悲しみに沈むとき、神はあなとと共に悲しみ、あなたが苦しみの淵に沈むとき、神はあなたの苦しみを背負うのです。

 あなたが苦しみの最中にあるのならあなたの好きな神を呼びなさい。
 神はいつもあなたの側にいるのです。

 とまあ、最後は自動書記になってしまいましたが、いい親でなければならないとか、何々でなければならないと考えるのは所詮は他人に踊らされている人生でしかないと古代ギリシャの心霊は言いたいのです。

5.まとめ?
 管理人は心の病の原因は単純に何か一つに求めることはできないと考えています。霊的な影響や人間の悪想念、鬱積した感情などさまざまな要因が複雑に絡み合っていることが多いと考えます。

 それらの原因のすべてをこのブログにて解説することなどできませんが、少しでも問題の解決に役立つことを願っています。


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at 10:33, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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病気平癒の祈願

 今日も風邪気味ではなくて本格的な風邪!うーん、これも心霊の指導がないと喜んでいた祟りか?などと考えてみても仕方がないので夕方にでも医者に行きます。

 どうせこんな季節の変わり目は体調を崩す人が多いので医者は千客万来状態。。。考えただけで気が重い。

 風邪→医者→病気→病気平癒祈願→投稿記事と何とも単純な発想ではありますが今回は病気平癒の祈願について少し考えてみたいと思います。

1.病気と貧困
 新興宗教に入信される方の理由の多くが病気と貧困であると聞いたことがあります。現代医学では原因不明とされている難病は数多くありますし、それらの病気の多くが有効な治療法するら確立されていない現状を考えるならば多くの方が民間療法や新興宗教、霊能者を頼られるのも無理はないかと思います。

 入院生活が続きますと介護する人間の肉体的、精神的な負担が大きいだけでなく、経済的な負担も大きな問題となります。更に難病や寝たきりともなればその入院生活も長期間となり、受け入れをしてくれる病院も少ないことから家族は常に受け入れ先の病院探しに奔走しなければならないとの話を聞いています。

 ましてそれが家計を支える人間の入院となれば二重、三重の苦悩となってしまいます。

2.祈願と奇跡
 祈願される方の多くは医者が見放したような難病が神仏のお力にて奇跡的に回復することを願われますが管理人の体験では神仏のお力だけで奇跡的に病気が完治するすることはほとんどありません。

 勿論、医者に相談しても治らなかった病が神仏に祈願することで完治したことは何度かありますが全体から考えるならば例外として考えるべき範囲の件数でしかありません。

 ここでそんな例だけを幾つか掲載するならば病気平癒の祈願の申し込みが少しは集まるのかもしれませんが・・・何か鋭い視線が・・・何か背中に炎が、手には剣のようなものが・・それと索もお持ちで・・そんな岩の上に座っておられなくとも座布団を用意・・・いえ、ちょっと書いてみただけですから・・

 話題を戻しますと・・何やら小さな壺を手のひらに乗せられた方が・・いよいよ監視が厳しくなってしまいました。ぐず・・・

 基本的にはやはり医者の治療が主であり、祈願祈祷の効果は従と考えるべきだと考えます。神仏が慈悲の存在であり、日々苦悩する人々のために働かれているとするならば病院の医者や看護婦、看護師の方々を指導されていると考えるべきなのです。

 そのことは以前に心霊からも指摘されたことがあります。

 仏が何故、寺院の中だけにしかいないと考えなければならないのか。医薬品を開発している人々をその背後にて指導しているのも仏の働きであり、日夜患者を診察している医者を指導するのも仏の働きである。

 されば寺院の中だけに仏がいると考えることは愚かな考えでしかない。奇跡を起こすことだけが仏の力と考える者は真の仏の働きを知ることができぬ者の考えでしかない。

 とのお話です。(自動書記です)

3.早期発見もご利益
 以前のことですが、お供えしたミネラルウォーターを服用することで加持祈祷と同じ効果が得られるのではないかと実験したことがあります。結果から書きますと色々と効果はありましたが基本的に穏やかな効果であったことから服用された方に今一つ実感がなかったようです。

 基本的に自己治癒力を強化する働きと生命力を強化する働きがあるらしいとのことは分かりました。服用していると体調がよくなるとのことから需要は多かったのですが何分にも製作するのが結構負担なことから現在は製作を中止しています。

 そのときに中には服用されて直ぐに逆に体調が悪化したことから医者の診断を受けたところ病気の初期症状であることがわかった方もおられます。これは特殊な例かもしれませんが良い医者に巡り会うことも神仏のご加護であり、早期発見も神仏のご加護であると考えています。

4.反動
 過去の経験では神仏のご加護にて病気が治る場合には体質改善することで病気が治る傾向が強いためか、往々にして激しい反動とも言うべき症状が起きることがよくあります。そのことはご利益の効果・病気編に書いてありますのでそちらをご覧ください。

5.心の病
 最近でこそ統合失調症の原因を憑依が原因であると書く霊能者は少なくなったと思われますが今でも心の病気の原因を悪霊の憑依であると考える霊能者は多いのではないかと思います。

 このサイトを以前から読まれている読者ならば管理人の考えは改めて書くまでもなくお分かりになると思いますが当然その考え方に疑念を抱いています。何せ悪霊の憑依ですら疑念を持っている異端児の霊能者なのですから!

 管理人も一応は霊能者ですので悪霊などの不成仏霊の与える悪影響を否定する気持ちはありませんが心の病気の原因が悪霊の憑依との考えには疑問を持っています。

 しかし、この問題は一般論として軽々しく説くことができるようなことではありませんのでいずれ改めて取り上げたいと考えます。最後にこの問題にて悩まれている方も多いのでないかと思われますので管理人がお勧めできる本を紹介しおきます。ただ心の病気の種類は多く、管理人が読んでいるほんだけでもかなりの数となってしまいます。そのためとてもそのすべてを紹介できませんが比較的分かりやすい本だけを掲載してきます。


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at 13:59, 星 良謙・子授け地蔵, 開運祈願

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虚構の世界

どうもこの数日、風邪気味の管理人です。体調が少し悪い。でもいいこともあるんです。心霊と意識が合いにくい。フフフ ( ̄+ー ̄)キラーン

今日は心霊の監視から開放される。(V^−°)イエイ!

と喜んだものの何を書くのかまだ決めていない!

と言うことで・・・

前から紹介しようかと考えていた本を紹介します。

何か冷たい視線が・・・・

ネタに困ったのではとの疑惑の視線が・・・

うろたえる管理人

~(°°;))``。。オロオロッ。。''((;°°)~

やっぱり・・・・

都合の悪いことは忘れてと・・・

1.虚構の世界 管理人が何度も書いていることですが・・・と思ったらさほど書いていないませんでした。・・

 霊能者が陥りやすいのがこの虚構の世界の中に生きることなのです。これはよく言えば信念、悪く言えば妄想、言い換えれば現実逃避

 まあ、現実よりも空想の世界の中に生きることですがこのことは何も霊能者だけにあることではありません。平凡な生活をしている人であっても知らず知らずのうちに空想の世界に陥る可能性はあります。

 勿論、空想の世界に陥っている人は自分が空想の世界に陥っていると気が付くことはほとんどありません。自分が空想の世界にいる間はそれが空想であると考えることもなく、現実であると考えることが多いのです。

2.巧みに構築された虚構
 人は何故、虚構の世界に陥るのか?誤解を恐れずに書くとするならば現実の世界よりも虚構の世界の方が居心地が良いことではないでしょうか。

 その居心地の良さを徹底して追求する仕事が水商売の仕事ではないかと考えます。お酒を飲むだけであるならば自宅で飲めば遥かに安いことなどだれしもが承知してます。また自分で酒の肴を用意したりするのが嫌ならば居酒屋にいけば安く飲めます。

 ではわざわざ高いお金を支払ってまでクラブやキャバクラにいくのか?その理由が現実の世界では得られない快感を得られることではないかと思われます。しかしそれは虚構の世界だからこそ得られる快感であり、言ってみれば一夜の夢です。

 しかし、その夢を見続けている間は本人には夢と現実との区別が曖昧となります。つまり現実の生活をしながらも意識は夢の中にあるとも言うべき状態です。そのため客は快適なサービスを受けるために高額な料金を支払っているのではなく、夢を買うために高額な料金を支払っていると言えるのです。

 そのため店側としてはお客が夢から覚めないように最大限の努力することが営業努力となるのです。その手口を紹介したのが今回紹介した二冊の本です。気楽に読める本ですが読んだ後で気が重くなるか?それとも男の哀れさに同情するか?それとも馬鹿な男もいるものだと思われるか?は読まれる方次第ではないでしょうか。

参考図書「キャバクラ」の心理学・「キャバクラ」の言語学

3.自ら創り上げた虚構
 水商売がお客に夢の世界に案内する用意された虚構であるとするにらば信仰の世界においては自らの信念から虚構の世界を構築する人は少なくありません。

 管理人は宗教とは本来は現実の社会生活から乖離したならば宗教としての使命は失われると考えるのです。しかし、世の中では少なくない数の宗教家が現実よりも自分の信念を優先します。

 つまり自分の考える理想こそが現実であるべきであり、現実の世界が間違っていると考えるのです。言ってみれば狂信者の考えと言えるのですが新興宗教の世界の教祖にはこんな人たちが多いのです。

 これは本人が博学であるか、善良な人間であるか、信仰深いかとは別の問題です。如何に信仰深く、博学であり、また純粋だからこそ自分の信念を現実よりも優先してしまう。

 そんな人間の心を知るには最適の一冊です。

 偽書の精神史 神仏・異界と交感する中世 佐藤弘夫

4.補強される虚構
 それが純粋な信念から生み出された思想か、不純な動機から生み出された思想であるかは別としても一旦生み出された思想は一人歩きし始めることが多くあります。

 そしてその思想が一人し始めるとその思想は多くの人々の手が加わることでより強固に補強されます。そしてその虚構はより完璧な虚構となり、それが虚構であることは忘れ去られます。

 管理人は悪霊の憑依についてこれまで一度も触れたことがありませんでしたが霊能者としての経験から悪霊が憑依する話に疑問を感じているからです。しかし世の中の大多数の霊能者は悪霊が憑依することを前提していると思われます。

 同じように狐や蛇の動物霊の存在にしても管理人としては何の確証もありません。そのためこのブログに投稿しませんでした。つまり心霊の世界において常識とされていることの多くが虚構の中の知識ではないかとの気持ちがあります。

 日本の偽書 藤原明
 三星堆・中国古代文明の謎 徐朝龍

5.記憶がウソをつく
 管理人が記憶を後退させることで過去世の記憶を呼び起こすことや多くの宗教家の説く反省行に懐疑的な理由が人間の記憶が非常に曖昧なことでした。

 人間の記憶が如何に曖昧なものであるか、それを改めて知った一冊です。

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at 21:20, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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参考図書

記憶がウソをつく!
記憶がウソをつく!
養老 孟司, 古館 伊知郎

at 20:59, 星 良謙・子授け地蔵, 本の紹介

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ある対談記事

 Grip Blog に掲載されている松永英明んへのインタビューは既に読まれたでしょうか?インタビューする側もされる側も人気サイトを開設されている方たちなので話題になっているようです。

 まだ読まれていない方は こちらから

 管理人もこんなサイトを開設していますので全文に目を通しました。少し疲れましたが・・
 このサイトがもう少し品のあるサイトならば自論を展開することを考えるかもしれませんが、この問題は信仰の本質を問うことから始めなければなりません。そのため到底このサイトにて扱えるような問題ではありません。

 しかし、あまりにも重要な問題が含まれていると思いますので記事の紹介だけはしておきます。管理人は何の組織も主宰していませんが、もし心の問題を扱う団体を主宰していたならば幹部登用試験の絶好の課題となるであろうと読み終わった後で考えました。

at 17:44, 星 良謙・子授け地蔵, 仏教

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