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霊能力と衆生救済

先日TBさせていただきました記事(身内のもたらす悲劇)の管理人の方が苦難の中にある方を救って欲しいとのご依頼がありました。本来であるならば長文とはなってもコメントのご返事を書くべきなのですが、衆生救済の記事を書くことでこの管理人へのご返事とさせていただくことにしました。

1.霊能力と悟り
管理人は本来の霊能力とは悟りに付随して得られるものであり、逆に霊能力だけが先行して得られた場合には多くの悲劇しかもたらさぬと考えています。その意味からするならば管理人は自分の霊能力を長い間、封印し続けている間に悟りが追いついた珍しい例なのかもしれません。

だからこそ、管理人は霊能力の限界もよくわかっているつもりです。このサイトにて繰り返し書き続けていることは、霊能力と魔法とは異なることなのです。しかし、霊能力信仰に陥る人たちは、霊能力を過大評価し、霊能力さえあればすべての問題が解決できると考えてしまいます。

これとは逆に心霊現象を否定して宗教を哲学と同列に考える人たちは、現実の苦悩とは乖離した知的な遊びに終始しているのではないかと思えてしまうのです。

2.霊能力と教養
管理人は心霊世界を認めろなどと声高に叫ぶ気持ちなどなく、客観的な事実を冷静に受け入れてくださる方であるならば、相手が唯物論を説く方であろうが、心霊現象を否定される方であろうが、相手の意見を拝聴することにしています。事実、最近、リンクに加えさせていただいた「哲学的な何か、あと科学とか」のサイトの管理人は死後の世界を否定されています。

つまり意見さえ真っ当であるならば相手から学べることを学ぶへきであり、いたずらに論争を繰り広げることは無意味であると考えています。

では何故、管理人がこんなことを書くかと言えば、心霊現象に振り回されないためには広範囲な教養が必要なのです。一見するならば無関係とも思えるような科学の知識や経済の知識を身につけていなければ心霊に振り回されてしまうのです。

3.霊能力と衆生救済
管理人が心霊現象に苦悩していた時期の体験が大きいのではないかと思います。心霊現象に苦悩していた時期、何が原因かすらもわからず、どうすればよいのかもわからずに右往左往していました。

そして管理人と同じように様々な事情を抱えて苦悩している人たちも数多く見てきました。そんなときにいつも自分にもっと力があったならばと嘆いていました。自分の苦悩すら解決できないだけでなく、自分の目の前に苦悩している人がいるのに自分には何一つできない。そんなことに長く苦悩していました。

そのため、管理人は気功・ヒーリング・まじない・祈祷・先祖供養・滝行・お百度参りなど手当たり次第に実践してみました。しかし、最終的に本当に効果があったのは伝統的な信仰であり、本当に力のある心霊がいるのは名刹や古刹でした。つまり一番身近な信仰の中にこそ人生の苦悩を解消する智慧も方法もありました。

勿論、管理人も苦悩している当時に伝統的な仏教の教えを最初に学びました。しかし、当時はまったく理解できませんでした。今から考えるならば管理人が読んでいた本の著者も教えを誤解していたからではないかと思うのです。

管理人が参考図書として掲載している本は初心者向きの本はほとんどありません。どの本も頭の痛くなる内容の本が多いのではないかと思うのですが仏教や神道を理解するためには避けられないことなのです。簡単に理解できる内容であるならば出家して何十年も修行する必要などないのです。

しかし、このことが管理人が大きな矛盾を抱えてしまうことになっているのです。TBさせていただいた記事の方は深刻な問題を抱えておられることは確かではありますが、それでも本人が問題を解決される意志が強ければ、問題を解決することは不可能なことではありません。またそのためには何をすべきかをお教えすることはそれほど難しいことでもありません。

別に苦悩する方を批判する気持ちはありませんが、このような事態に陥っているにはそれだけの理由があるはずなのです。つまり心の問題が残ります。ところがこの心の問題が最大の障害なのです。霊的な問題を解決することだけであるならばそれほど難しい問題ではありません。管理人が限界を感じるのはこの心を指導することなのです。

本当に苦悩する人々を救うためには伝統的な宗教の教えを学ぶことが一番いい方法ではあるとは考えますが、管理人は出家者ではなく、仏教の知識や神道の知識にしても人を導けるだけの知識はありません。

管理人も一応は悟ってはいますが、その悟りの内容は宗教家としての悟りではありません。その悟りの内容は多分に個人主義的であり、哲学に近い悟りなのです。そのため人の苦悩を分析することはできるのですが、人を導くとなると頭を抱えてしまうのです。

4.霊能力の限界
管理人もかつてはTBさせていただいた方のような境遇の方を何とか助けてあげたいと考えて祈願をしたことは何度もありましたが、その方が本当に自分自身の心と向き合う気持ちを持たれなければすべては無駄なります。

真言宗の心霊は、舞台の主役は生きている人間であり、神仏は脇役であると言われました。どんなに神仏が加護したとしてもご本人が苦難困難から逃げしてしまったならば、神仏もまた舞台から去ることなります。

過去に土壇場にて逃げ出した方は何人もいます。それらの方は最後の決断ができずに最悪の選択をされました。そしてそんな決断をされた方はすべてこちらの善意にて報酬も受けとることもなく祈願した方たちでした。

神仏に祈願することは簡単ですが、本当にその方が心のきれいな方であるならば、管理人が祈願しなくとも神仏は既に動かれいるはずです。(どんな心霊が動かれているかは大体は推察できますが、心霊の意向にて伏せておきますが、少しばかり手荒な心霊と思われます)

ブログでの記事としてはこれ以上のことは書けませんので、お問い合わせなどがありましたら、メールにてお願いします。
尚、一般論としての開運の方法は近日中に電子出版したいと考えております。


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at 22:42, 星 良謙・子授け地蔵, 管理人のひとりごと

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森でヒーリング

このところ一段とやる気のない管理人です。( ̄ρ ̄)ハゥゥゥ
と言うのもやらなければならないことが山積み・・・・
なのにちっとも片付いていかない・・・
これで仕事で忙しいのであるならば、まだ救われるのですが・・・
実は雑用の山・・・
誰か助けてくれ!と叫びたい気分の管理人です。

やる気がない→片付かない→疲れる→やる気を失う

と言うわけでヒーリングについて書きます。
えー?と驚いているあなた!
管理人もたまには癒しについて書くこともあるのです。
雨になったとしても管理人が癒しについて書いたことが原因ではありませんので雨になったと文句を言わないでください。

1.本当にヒーリング?
 昨日、このサイトのアクセス解析をしたところ、リンクの数が足りないとあったこともあり、精神世界のサイトを幾つか閲覧しておりました。その大半は開いてもすぐに閉じなければならないサイトか、詳しく調べる必要も感じないサイトばかりでした。

 精神世界のサイトは特にそのサイトを開設している人の想念のようなものが伝わってくることから長時間閲覧できないサイトも多いのです。そのため
書かれている内容に疑問を持つか否かの問題ではなく、嫌な想念が伝わってくるとすぐにサイトを閉じてしまいます。

 それでもヒーリング関係のサイトは比較的悪想念の伝わってくるサイトは少なかったのですが、逆に何の力も感じないサイトが大半でした。人を癒すことを仕事にしているであるならば開設しているサイトからも癒しの想念が伝わってくる位の力は持っていて当然なのですが、残念ながらほとんどありませんでした。

 ついでに料金も調べてみたのですが・・・・・
 占い師などやめてヒーリングに転職しようと考える金額でした。

2.気は心?
 管理人は占い師になる前に気功を選ぶか、占いを選ぶか迷っていました。
実は管理人がまだ普通の会社員(ときどき、夜だけ頼まれて霊能者)をしていた頃に気功で知り合いを治療していました。しかし、なぜか、今は霊能者になってしまいした。(笑い)

 しかし、当時は別に仕事にしていたわけでもなかったことから、あまり自分から気功や占いの話をすることは少なく、霊能力に関しては親しい友人にしか話していませんでした。そのため仕事の関係などで三回ほど気功の治療家を紹介されたことがありました。

 管理人は特に師匠に弟子入りして気功を覚えたわけでもないことからプロの気功師がどんな治療をするのかと興味があったことから何回か治療を受けました。しかし、管理人の印象は気功治療ではなく、気休め治療でした。

 特に「暖かくなってきたでしょう」「軽くなったでしょう」などと誘導尋問のような言葉を繰り返す治療家には少なからぬ疑問を抱きました。

 管理人の経験では気功治療をした場合に感じる感覚は、症状によっても異なることから一概には言えないのです。暖かく感じる人もいれば、涼しく感じる人や電気が走ったような痺れを感じる人もいます。ただ、大半は暖かさと心地よさであり、治療中に居眠りを始める人も珍しくありませんでした。

 ヒーリングと気功を同一に語るべきではないのかもしれませんが、治療を受けても何も感じないのであるならば気休めの治療ではないかと疑う必要があるのではと考えます。

3.自分でできるヒーリング
 ヒーリングの料金が一万から一万五千円になっていましたが、商売として考えるならばそれ位の料金設定にしなければ経営は成り立たないであろうとは思います。しかし、顧客の側からするならば一万五千円も払いながら気休めの治療では金を返せとなってしまいます。

 管理人が遠隔治療でもしてもいいのですが、今のところそんなゆとりもなく、また推薦できるサイトも見当たりませんので、自分でできるヒーリングの方法を紹介しておきます。

 用意するものは基本的にありませんが、できれば自然の森の中で実践するのが理想です。近くに森がなければ公園などでも実践可能なのですが知らない人が見ると挙動不審の怪しい人に思われます。また何をしているのかと聞かれて説明すると今度は電波系の人間と思われてますます怪しまれますのでご注意ください(笑い)

 では何をするのかと書きますと、最初に元気の良い大きな木を選んでください。そして気の感覚のない方であるならば、両手を木に当てて両手から木のエネルギーを取り入れ、身体の疲れが足の裏から流れ出すとイメージしてください。

 基本的にはこれだけなのですが、できれば木と対話するとより効果的となります。このように書くと電波系の人間の書く内容と大差がなくなってしまうのですが、過去の経験では、木に話しかけていると木からもらえるエネルギーが増大します。

 もっともこれで木の精霊が現れて話をしたとなれば、電波系や天使系の方々の話と大差がなくなってしまうのですが、お陰様で木の精霊には出会ったことはありません。

 この方法は精神的に疲れて緊張感が抜けなくなっている場合にお勧めの方法ですが、肉体的な病気の治療となるとあまり効果は期待できないのではないかと思われます。しかし、木の発散しているエネルギーは人の心を落ち着かせる効果が強いことからストレスが溜まっている場合には効果的です。

 時間を特に決める必要はありませんが、五分や十分ではあまりはっきりとし効果は得られにくいと思います。しかし、最初はあまり無理すせずに短い時間から始められることをお勧めします。ただ、その分、木にもたれかかったり、木の下でたたずむ時間を長くとってください。

4.上級編
 気の感覚が多少でもある方ならば、管理人が書いている程度のことは何を今更と思われているのではないでしょうか。どちらかと言えばここで紹介している方法は気功の初歩的な訓練と言える方法です。

 少し慣れてくるならば何も挙動不審と思われるようなことなどしなくても大きな木の前に暫く立っているだけで充分なのです。何故かと言えば、意識の中で大きな木と自分の気を交流させることができるからです。実はこの方が効率がよいことから長時間同じ姿勢でいる必要もありません。

 これがもう少し進みますと、ベンチにでも座っていても可能となり、さらに進めば森を散策しているだけで同じ効果が得られます。

 そのため、効果は少しばかり落ちますが、空気の汚れていない朝早い時間に大きな木の前にあるベンチに座り、木から癒しのエネルギーをわけてもらうだけでも効果があるのではないかと思います。そしてそのときに管理人の著書を読めばもっと効果的・・・あー、石を投げないでください。


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at 12:55, 星 良謙・子授け地蔵, ヒーリング

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Yahoo!の検索

以前から感じていたことなのですが、Yahooの検索はこのサイトを意識的に無視しているのかと思いたくなります。
きっとこの春にプロバイダーをYahooから他社に変更した仕返しに違いないなどとあらぬ妄想を抱いております。

管理人が突然、こんなことを書くのか?
実は、無料SEOアクセス解析ツールと言うのかありましたので、早速、このサイトを解析してみました。

結果は w(°o°)w おおっ!! と我ながら驚き!
Google ページランク3/10
Yahoo! WEBランク0/10

トラフィック世界ランク 過去1週間 世界 690位
            過去1ヶ月 世界 677位
            過去1ヶ月 世界 655位
国内では百位〜数十位と予想されるとのこと!
他にも被リンク数や検索順位・サイトの訪問者数なども表示されます。

これも皆様のご支援のお陰と感謝しております。m(__)m
ついでにくつろぐのランキングも一位でしたので重ねて感謝。m(__)m

無料SEOアクセス解析ツール→こちらから

ついでに同一サイトにある検索順位もチェックしてみました。
         Google Yahoo! MNS
霊能者       23  圏外 20
心霊写真 オーブ  35  圏外 24

まあ、何故、Yahoo!だけが圏外なのかと不思議に思い、検索上位のサイトを軒並みアクセス解析をしてみたのですが???????

結論・もうYahoo!の検索は信用しないことにしました。

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at 22:37, 星 良謙・子授け地蔵, 管理人のひとりごと

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恋愛相談

このところ真面目な記事ばかり投稿している・・・・
こんなことでいいのだろうか?
( ̄〜 ̄;)ウーン・・・

別に批判記事を書くのが趣味ではないのですが・・・
ネットサーフィンをしていても気になる記事を取り上げると・・・
江原啓之氏の相談料は七万円とかの記事・・・
まあ、別に申し込む人は自分の意思で申し込まれているのだし・・・
祈祷師を粗製乱造している宗派があるとか・・・
が、しかし、確認もしていないことを記事にすることもできず。・・・
先日の最高裁で差し戻しの判決となった裁判の被告がこんな自分でもイエスさまに許されたと云っていたとの記事を読んだものの、管理人はキリスト教の教えは、ほとんど知らないのでコメントできず。
これがイエスさまではなく、阿弥陀様ならば念仏ぼこりの記事でも書けるですが、いずれにしても明るい話題がない。

と、言うわけで占いの話を書きます。

1.高校生の恋愛と中年女性の恋愛
 管理人は主にカードと易で占いますが、カードは基本的に対象となる人間の心の動きを中心に鑑定するのに対して易は客観的な状況を鑑定します。これは別にどちらが優れていると言うものではありませんが、恋愛関係の相談ではカードを使うことが多くなります。

 しかし、カードで占うときに注意しなければならないのは、その対象となる人の心の動きを中心に鑑定することから、カードが暗示しているは、その人の主観となります。そのため、他人からするならば何でもないことでもその人にとって重大事件ならばカードは重大事件を象徴するカードがあらわれることになります。

 そのため占う場合には相談者の年齢や社会的な地位などを把握していないと鑑定を誤る危険性があります。例えば女子高生と中年の女性では同じ出来事を体験したとしてもカードの展開は大きくことなります。つまり、女子高生の場合には小さなことで一喜一憂する傾向が強いことから占う側としては
その感情の起伏に注意が必要となるのに対して中年女性の場合には恋愛以外の問題が隠れている(相談者がすべてを話してくれるとは限りません。)ことが多いのでそれを見極めることに注意が必要です。

 これは善悪の問題でもなければ、純粋さの問題でもありません。恋愛問題といっても現実には恋愛以外の問題が隠れていることもよくあることでありますが、そのことに本人も気付いていないこともたまにあります。

2.それでもやっぱり彼が好き
 恋愛の相談で多いのは、恋愛の成り行きよりも相手の気持ちを調べて欲しいとの依頼です。こちらは商売ですのでご要望があれば色々と占いますが、こんな依頼をされる方は、やはり相手に少しばかり不信感を抱かれている方が多いようです。

 そして残念ながら大概の場合にはその不安は的中します。一応はプロですので相手の男性が何を考えているのかは大体は把握できますので、残酷とは思ってもそのままお伝えすることにしています。

 すると占いの結果には納得していただけるのですが、突きつけられた現実を受け入れたくない方が大半です。

 もっとも幸せすぎて不安になり、騙されているのではないかと相手の気持ちを確認したいとの気持ちから鑑定を依頼される方もいました。この方の場合には相手の男性がどんな気持ちかを説明しましたところ、ルンルン気分で帰られました。

 しかし、こんな例は滅多にありません。大半は、それでもやっぱり彼が好き・・・となります。恋愛の場合にはこれがややこしいと言うか、頭と心が一致しないと言うか、関係が破綻していることも分かってはいても忘れることができないことから悩まれることは多いようです。

3.占いは残酷?
 カード占いは特に依頼人の深層心理までも探ることが可能であり、展開されるカードはその人の心の投影でもあります。そのため、不倫関係にある場合などには、仕事のことを占っていても、おや!と思うことは何度かありまたした。そのため、友人は秘密までばれることを恐れて誰も鑑定を依頼してきません(笑い)

 また、それだけでなく、恋愛運を占って欲しいと依頼されても分かれた相手への気持ちで一杯のときや失恋の痛手から立ち直っていない場合にはその気持ちがそのままカードに展開されてしまうことがあります。

 ブログですのでいくらもう時効になっている話ではあるとしても具体的な例はあまり詳しくは書けませんが、本人は恋愛と考えていても早く家をでたい気持ちが強かったことや相手の男性が結婚に焦っているとしか思えないような例もありました。

4.忘れ去られたトランプ占い
 現在ではトランプ占いと言うと子供の遊びとの印象がありますが、本来のトランプ占いは高い的中率を誇る占いです。ただ、今から三十年程前にタロット占いがブームになってからはもうすっかり過去の遺物のような扱いになってしまっています。

 管理人もタロットは愛用していますし、何組かカードは保有しています。しかし、同時にトランプも数組を保有してトランプにて占うことも多いのですが、お客さんの印象はあまりよくないことから初めての方の場合にはあまり使わないようにしています。(笑い)

 また研究書にしてもタロットの場合には何冊も良書はありますが、トランプの場合には皆無に近い状態であり、比較的参考になる本も既に絶版になっている本ばかりです。

 そのため何とか、トランプの解説書を書き上げたいとは考えていました。ただ、トランプ占いの専門書などどこの出版社も相手にしてくれないであろうと考えています。


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at 23:31, 星 良謙・子授け地蔵, 占いの話

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身内のもたらす悲劇

 少しばかり重たすぎる記事を見つけてしまいました。しかし同時に似たような事情を抱えていた人たちを過去に何人か見てきました。しかし、友人や親類の人たちは本を出版したことも知っていることからそれらの人のことをこのブログにて掲載するならば誰のことか分かる可能性が高いことから書けないのですが、それらの人たちはこの記事の内容と大差のない人たちも何人かいました。

 元の記事はこちら→三毒凡夫
職場に尊敬する先輩がいる。
明るく穏やかで、あちこちに障害があるけどそれを全く感じさせず仕事もさばけてかつ奢らない。
人を馬鹿にすることが無く素直でものすごく頭が良い。本当に尊敬できる素晴らしい人だ。

しかし彼女は、世捨て人のような父親の為に全てを犠牲にしている。
一生懸命働いて稼いだ給料もその父親の作った借金の返済にばら撒く。
もう縁は切っていても、「お前の親父に貸した金を返せ」と親戚や近所から迫られたら断れない。
自己破産も父親にその意思がなければ出来ない。ぐうたらな父親はそのような手続きに全く関心が無く、自分のしでかしたことなのにほったらかしだ。なのに借金だけはいっちょまえに作る。先日その父親から急に電話があり「飲酒運転で捕まって罰金20万払えない」と言われたといって頭を悩ませていた。これがまた明後日までに払わないといけないらしい。切符切られて一ヶ月間はほったらかしだったそうだ。
先月はその父親の税金を払っていた。その前の月はまた近所の人から父親の借金の催促を受けて泣く泣く給料を手放していた。毎月の返済額も半端ではない。よく生活ができているなぁと思う。
彼女は自分の為に働いているのではなく父親の借金の為に働いている。父親は毎度「ありがとう」を言うことは無く、彼女が報われることは無い。
もう10,000,000円以上の借金を返済したそうだ。それだけのお金があれば今ごろ十分に一財を築けていただろうに。


 多くの方は世の中にはこんな人間がいるのかと思われるかもしれませんが残念ながら掃いて捨てる程いると言うのが管理人の印象です。

 自分の著書を宣伝するつもりはありませんが、法華経のこころの中で天台宗の心霊に何故?人を救わなければならないのか?と尋ねている理由は、TBさせてもらったような人たちのことなのです。

 父親のために犠牲になっている女性を救わなければならないのは当然であるとしてもすべての衆生を救うとは自分の娘の人生を犠牲にしている父親をも救いの対象と考えなければならないのです。そしてすべての衆生が仏に許されるとはどんな極悪人でも許されると言うことなのです。

 それを知識としていくら理解していたとしても現実の苦悩を前にしたときにはそれがどれだけ脆いかがわかるのです。暫く前に毒にも薬にもならないような気休めの言葉を羅列したサイトを批判したのもこんな境遇の人たちを過去に何人も見てきたからなのです。

 管理人がオーラの泉を批判し、不幸の因縁に原因を求める人たちを批判するのも同じ理由です。前世においてどんな経験をしたかを知ったとしてもこの人の苦悩は何一つとして解決することもなく、この人がどんな因縁を背負っているかを知ったとしても何一つ問題は解決しないのです。

 では何が必要なのと言えばそんな気休めではなく、この人の抱えている苦悩を解消するための方法だけではないでしょうか。管理人が自分の青春を犠牲にてして追い求めたのはただその一点だけです。

 毎日、お題目を唱え続けることで問題が解決するわけでもなく、毎日、念仏を称え続けるだけで問題が解決するのであるならば、話は簡単なのですが話はそれほど単純ではありません。

 宇宙の高次元の心霊との通信などよりも目の前の苦悩する人を救う方法が大切であり、天地創造の秘密などよりも人々の苦悩の原因を知ることの方が遥かに大切なことではないでしょうか。根源の神仏の考えなどよりも人々の苦悩を救うために働き続けている心霊の働きを知ることの方が遥かに重要であると考えています。

 神仏が本当に存在しているのであるならばどうして人々の苦悩を放置しているのか。しかし、やっとそれがわかったと思ったらそれをどう伝えばよいのかが分からないのが現状なのです。医者が処方箋を書くようにこの方が抱えている問題を解決するための方法を指導することはできますが、それを書くための方法論は書き残せないのです。

 では管理人がどんな処方箋を書くかはこの方から直接ご相談を受けたならばお知らせします。それはこの方の抱えている事情の詳細が分からないだけでなく、この方の気持ちも分からないこともあります。またことれが最大の理由なのですが劇薬を使用する可能性もあることから掲載することはできません。


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at 21:12, 星 良謙・子授け地蔵, 霊感・霊能力について

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先入観と占い

 霊能力にしても同じなのですが、占いにおいて先入観を持つことは厳禁ではないかと思うことがあります。しかし、この先入観を排除することは実に厄介であるとも言えます。先入観を持つことなく、客観的な見方をするのは、簡単なようでなかなか難しいことだと感じています。

 仏教では中道の大切さが説かれていますがこの中道とは先入観の排除ではないかと考えることがあります。一般的には中道とは両極端を排除した見識とされていますが、八宗の祖と言われている龍樹は中道とは縁起であると説いていますがいずれにしても具体的な問題として考えるとわからなくなるのが普通ではないでしょうか。
※八宗 本来の意味としては、倶舎宗・成実宗・三論宗・法相宗・華厳宗・律宗・天台宗・真言宗の八つの宗旨。しかし、この場合には大乗仏教全般の祖とされいる意味にて使用されています。

 とまあ、難しい話は別として誰しもが自分が間違っているとは考えないものです。仮に自分が間違ったことをしていると認識しているとしてもそこには自己弁護と言い訳があります。それがなかったならば罪悪感の塊になってしまいます。

 なぜ、こんなことを書くのかと言いますと、占いをしていると先入観を持っていると判断を間違える危険が非常に高くなることを経験的に学んでいるからです。また、依頼者が自分の考えに間違いがないと信じ込んでいる場合には何を言っても決して認めようとはしません。

 このことで思い出されるのは、ある依頼者を占ったときのことです。その方は古い知人であり、昔お世話になった方なのですが、その方も占いを趣味にされていました。

 所用があってその方に数年ぶりに連絡をしたところ、占って欲しいとの依頼がありました。自分で占えるのにとは思ったのですが、昔お世話になったこともあり、後日伺いました。相談は経済的な問題でしたが、当面の危機を乗り越えたとしても依頼者の個人事業主としての経営能力の欠落に問題があることからいずれ破綻すると感じました。

 詳しく話を聞くとすでに身内からもそのことをさんざん指摘されているようなのですが本人は自分の考えが間違っているとは全く考えていないことから話は平行線のままで終わりました。

 そのときに依頼者が言っていたことに将来の展望を何度、占っても坤為地五爻変しかでないことでした。そのため、この依頼者は危機を乗り越えることに僅かな期待を持っておられたようでしたが、分かっていないなと感じててしまいました。

 これは周易を勉強されていない方には意味不明なので少し解説しますと、易経には、「黄色のはかまをまとうように中正の特を内に充実し、自ら外に現れたようなので大いに吉。従うがよい。」と書かれています。そのため、周易の解説書にも大吉とされている本も多くあります。

 そのためこの依頼者は当面の危機を乗り越えられるかもしれないと考えられていたようなのですが、この場合に一番重視しなければならない言葉は最後の「従うがよい。」なのです。

 周易を勉強されている方には常識なのですが、この坤為地五爻変とは陰の徳の象徴とも言える卦です。そのため大吉とされるのですが、坤の陰徳とは乾(天)の剛健の気を厚大な包容力で受け入れることであり、また柔軟性でもあります。つまり言葉を換えるならば従順であることの美徳であり、また保守的であることや消極的であることの大切さです。

 易の思想とは単純に積極的であることだけが良いとも考えず、消極的であることだけが良いとも考えません。陰陽が調和することこそが大切であるの思想になっています。

 ではこの場合にはどのように考えるべきかと言えば、易の卦が示しているのは、この依頼者がとるべき対処なのです。つまり従順であり、消極的になれば危機を乗り越えられると解釈すべきなのです。簡単に言うならば人の話を聞けと言うことでしょうか。

 これはよくあることなのですが、易経に書かれている文章をおみくじのような感覚にてそのまま適用して解釈してしまうととんでもない間違いをしてしまうことがあります。他にも天地否の上爻変なども「八方塞は打開した。もの窮すれば必ず変ずる。始めは塞がっていても後には喜びがある。否傾いて泰となる。開運の兆。喜色満面。」とあります。そのため、この卦も大吉とか書かれている本も多いのですが、過去の経験ではどうにもならない八方塞と解釈すべきことが多いようです。

 つまりこの卦の場合にもどうにもならない状態であるから根本的な改革を求められている状況を意味しています。そのため易経に大吉と書いてあるからとそのまま大吉と判断してしてしまうととんでもない間違いとなります。

 これは易経の持つ二面性に原因があるのではないかと思われます。一つには占いとして易と人生の指針としての易の違いです。そのため人生の指針として受け止めるべきときもありますが、自分の考えに間違いがないとの先入観や占う人間の側に決めつける心があると判断を間違えることが多くなります。


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at 01:06, 星 良謙・子授け地蔵, 占いの話

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前世と霊言

 久々にTBがありましたが、どうも前世の存在を否定していると受け取られているのかと少しばかり頭が痛くなりました。これまでにも何度か書いたつもりなのですが、前世を否定しているのではありません。

 著書を既に読まれた方はご存知のはずですが、心霊との対話の中には過去世の話もありますし、過去世の記憶や生まれてくる前の人生の計画についても触れています。

 心霊の話であるからとその内容に責任を持たない幸福の科学の大川隆法氏ようなことをする気持ちはありませんので、前世を否定する気持ちがあるならばその部分は削除します。

 大川氏は、初期の頃にはあれだけ霊言集を粗製乱造かと思うほど出版されていたのに最近は色々な人から内容の間違いを指摘されたためか、絶版にされているようですが潮文社にて出版された分については在庫が残っているようです。


坂本竜馬の霊言 高橋信次の霊言 ソラテスの霊言 空海の霊言
キリストの霊言 卑弥呼の霊言 孔子の霊言

 あら捜しのお好きな方はどうぞ(笑い)但し、間違いを発見できずに本物の坂本竜馬やキリスト、ソクラテス、卑弥呼、孔子からの霊界通信だと信じられたとしても管理人は責任は持てませんのでご注意を(大笑い)
 参考図書に「大川隆法の霊言」米本和広・島田祐巳著JIC出版局でも読まれるといいのですが、既に絶版となっていますので少し引用しておきます。

Q…12 キリストは復活しなかったて本当ですか?
米本 ではキリストは十字架にはりつけにされ、殺されたにもかかわらず、再びこの世に復活したという話についてはどうなんですか。
大川の霊 あれも誤り。『キリストの霊言』にはこう書かれている。
 「私の復活ということに関してですけれども、私(キリスト)は現象として、彼らの前に現れたのではないのです。彼ら自身が霊能力を持っていたと
いうことです。彼ら自身が私の姿を見ることができたのです。復活現象というものは、私が生きた人間と同じように、彼処に現れて歩いたということではないのです。」(P24)
米本 でも、『聖書』にはこう書いてるんです。
「あたしの手やあたしの足を見なさい。まさしくわたしです。(略)それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、『ここに何か食べ物がありますか。』と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それをとって召し上がった」(『新約聖書』ルカ伝24章39〜43節)
 参考までにお話をお伺いした、吉祥寺クリスチャンセンターの尾形守牧師(茨城キリスト教大学専任講師)も、こう言ってました。
「ちゃんと目に見える形、肉体として復活しているんですね。これがイエス・キリストを神として定義づける大切な要素です。この『霊言』に出てきたのが本当のイエスだとしたら、絶対にこんなこと言うはずがありません。」・・後略・・

Q…13 なぜ、孔子の霊は神の世界を説いているのですか?
米本 では、次に『孔子の霊言』なんですけど、ここんとこおかしないですか?
 「私(孔子)は、本来神の世界のことを説きたい人間ですから、地上のことは、本当はどうでもいいのです」(『孔子の霊言』P21)
大川の霊 どこがおかしい。これも孔子自身が私の口を借りて言ったセリフなのだ。
米本 でも、漢文の教科書で見たら、『論語』ではまったく逆のことを言っていますよ。
「季路 鬼神に事えんことを問う。子曰く、未だ事に事うること能わず、焉んぞ能く鬼に事えん。敢て死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」(先進第十一・264)
 現代語に訳すと、「季路(弟子の子路)が神霊への仕え方をおたずねすると、『うまく人にも仕えられないのに、どうして神霊に仕えられよう』と、(孔子)先生はおっしゃった。さらに『それなら、死後についてお教えください』と、申しあげると、『人生もわかっていないのに、死後がどうしてわかろうか』と、おっしゃった」となります。
 だいたい、孔子の思想の最大の特徴は現実主義。神とか霊といったものを、頭から否定するわけじゃないけど、むしろそいう不可知のことはそっちの方においといて、あくまで現実的な人間関係とか礼儀とかをしっかりさせることが大切だっていう考えなんですよ。・・後略・・
 

 大川隆法氏の霊言の批判記事になってしまいましたが、管理人は大川氏が意図的に人を騙そうしているとも考えませんし、心霊現象としての霊界通信は現実にあったと考えます。それは初期の頃の大川氏の著書を読んで感じたことです。つまり一人の人間として考えるならば大川氏は善意の人であったのかもしれません。

 しかし、大川氏は心霊の語った内容を何一つ検証してないのではないかと疑ってしまいます。引用しました「大川隆法の霊言」のQ21にて親鸞聖人霊示集の中で親鸞聖人が四十八の発願が書かれた経典を阿弥陀経と言われている間違いを指摘してあります。これは真宗の教えを学んでいる人間であるならば唖然とするような間違いです。正解は無量寿経(真宗では観無量寿経と区別するためか、大無量寿経と呼ぶことが多いようです)

 では大川氏の本が売れに売れたのはどうしてなのでしょうか。その理由は仏教の知識やキリスト教、古代史など関連する知識を持たない人間はその間違いに気付かないのです。つまり何も知らずに読むならばそれなりに納得させるような話になっているからです。

 恐らく大川氏は次から次へと降りてくる霊言を何も疑うこともなく、すべてを本物であると信じ込んだのではないかと思われます。心霊が空海を名乗れば空海と信じ、心霊がキリストを名乗ればキリストであると信じる。その結果は、検証に耐えられない内容の霊界通信の山です。

 大川氏の霊能力は、管理人よりも数段上であろうとは思います。しかし、管理人には心霊に振り回されているだけの人間に思えてしまいます。管理人が前世治療や前世を調べることに対して懐疑的な理由の一つが大川氏の存在です。

 話の内容に矛盾がないとか、話が一貫しているだけではその話が真実であるかどうかの検証にはなりません。事実関係を検証することでしか、検証にはなりません。

 同じように依頼人の前世を霊視したとしてもそれが本当にその人の前世であるかどうかの保障など何一つなく、また依頼人の守護霊を名乗る心霊が現れたとしても本当にその人の守護霊であるかどうかを確認する手段もありません。

 催眠術で記憶を後退させることで生まれる以前の記憶を探る方法も研究されているようですが、潜在意識との区別を明確でないなどの幾つかの問題点も多いようです。そして何よりも差別意識の助長や現実逃避などの弊害が大きすぎると考えます。

 管理人は釈迦が来世や死後の世界について説かなかった理由がわかる気がするようになりました。霊魂の問題にしてもわかればわかるほど言葉で説明することが不可能な気がしてしまいます。そして空海や最澄が限られ者だけにしか密教を学ぶことを許さなかったのもなんとなくわかる気もします。

 つまり心霊の世界は管理人がどれだけ詳しく説明したとしても到底伝えられる世界ではありません。しかし、誤解することは実に簡単なのです。それを危惧するがために不幸の原因を前世に求めることに疑問を投げかけているのです。

 
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at 14:37, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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疑似科学と仏教理論

最近、いま一つやる気のない管理人です。
何故、やる気がないのかと言いますと・・・
ブログで心霊現象の解説をすることの限界を感じ始めています。

そのことは精神世界のブログを閲覧していると特に感じます。
愛の言葉・優しさ・癒し・慰め・感謝・・・
ありきたりの言葉の羅列
現実の苦悩の前には朝露のように消え去る言葉

この人たちは本当に苦悩する人々の姿を知っているのかと感じてしまいます。
エンドレステープのように続く際限のない愚痴を聞かされことがあるのだろうか?
新興宗教の狂信者の人を一度でも説得しようとしたことがあるのだろうか?
本当の心霊スポットとでも言うべき、不成仏霊だらけの家の霊障を解消したことが一度でもあるのだろうか?

管理人からするならば霊能者ごっことも言うべきままごとの世界にしか感じません。
悪魔や魔王などには幸いお目にかかったことはありませんが、少しばかり恐ろしいと言うか、迫力がありすぎる三桁程の心霊に取り囲まれたことは何回かあります。
これがただの不成仏霊であるならば三桁程度ならば気にもしていません。その程度のことで大騒ぎしていたならば霊障を解決することなどできません。

では本当の霊能力について解説しようとすると頭を抱えます。何から説明すべきなのかすら途方に暮れてしまいます。
これと同じようなことを科学の関係にも言えるようですので参考になる記事を紹介します。


松田卓也が斬る(疑似科学批判) 世界を変えた科学10大理論
 問題の多くは通俗本は数式を使わずに、言葉だけで済ませようとすることにある。たとえば、本解説もそのような通俗的解説である。私は始め、式をいっぱい使った解説を書いたのだが、編集者との話し合いで、式を無くするように言われたのだ。そこで急遽、書き直したのがこれである。実際、通俗本に式を一行入れると、読者が半減するという「公式」があるとは、たしかホーキングが本を書く際に与えられた助言だと聞いた。それでホーキングは式を一切使わずに、あのベストセラーを書いたのだが、しかしあの本の内容を真に理解した人は何人いるであろうか。私の見るところ、ホーキングの理論を真に理解しているのは、世界でも数十人いたらよいほうだと思う。その人たちは、ホーキングと同じ興味をもち、式を駆使した論文を読める一部の専門家である。そのまわりには、何百人という、ホーキング理論を鑑賞できる別の専門家( その問題とは別のことを研究している相対論、宇宙論、素粒子論の研究者) がいる。さらにそのまわりには何千何万人かの物理学者がいる。

これは気功でも占いでも同じなのですが実践的な専門書になればなるほど売れません。売れるのは一般の人が理解できる範囲にまとめられた内容の本でしかありません。
これが仏教理論などの専門書となればもっと深刻となります。

 いずれにせよ、現代の物理理論を議論するには、式の使用は不可避である。数式とは自然科学のための一種の言語である。たとえばイギリス人と話すのに、彼が日本語を話すか、こちらが英語を話さなければ意思は疎通しない。身振り、手振りでもある程度の意思の疎通は可能であるが、政治の話とか芸術の話とか、ようするに込み入った話はできないことは明らかであろう。物理学における数式もそのようなものである。数式を書けば一行で済むところを、言葉ではなかなか分からないということだ。「百聞は一見にしかず」というように、「百言は一式にしかず」なのである。だから、式の書いてない通俗書を読んで、その理論を理解したというのは、思い上がりである。

精神世界の場合には数学や物理学のように数式にて表すことは困難な分野の問題を扱ってはいますが、仏教理論や心理学、哲学などをある程度は参考にしながら解説をしないと説明のしようがありません。

 
しかし疑似科学の信奉者に事の理非を説いても始まらない。それは一種の思い込み、あるいは宗教のようなものであるからだ。複雑な式を真に理解できるものならば、説得も可能であろう。しかし式なしに、それをやれといわれても、なかなか難しいものがある。私は、ここでは論より証拠、特殊相対論は、それほど現代物理学に組み込まれていることを示そう。もし特殊相対論が正しくないということになれば、現代科学は殆ど崩壊するのである。

ここでは疑似科学が批判の対象となっていますが、精神世界でも事情は同じです。釈迦の悟りを全く理解していない人間が釈迦の悟りを越えたとか、釈迦が降りてきて自分の教えが間違っていたと言ったと言っている霊能者掃いて捨てる程います。

ではそれらの人たちの話がどれだけ馬鹿げた話であるかを証明しようとしても特殊相対性理論のように釈迦の悟りは科学技術には応用されてませんので話は簡単ではありません。

しかし擬似科学と擬似精神世界の弊害を比較したならば後者の方が遥かに深刻な被害があります。新興宗教にのめり込み、人生を破綻させた人は数知れず、また霊能者に騙されて大金を失った人も数え切れずの状態です。

そんな現状を少しでも改善できればと考えて開設したブログではありますが今は自分の力のなさを痛感しています。



at 11:26, 星 良謙・子授け地蔵, 管理人のひとりごと

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C型肝炎の話

やらなければならないことが山積み!あー目眩・・・
と言いながらも
ぐたーとしただらけた生活をしております。

もしてして今年は梅雨前から早くも夏バテか?
などと考えておりましたら、TVにて気になるニュース
C型肝炎の訴訟の判決・・・・

実は管理人はあまり人ごとではないと言うよりも当事者なのです
もっとも現在は完治している珍しい人間なのです。

が、しかし、発病が今から二十二年ほど前・・・・
まだA型肝炎とB型肝炎しかわかっておらず
管理人が発病した当時は非AB型肝炎と言われていました。
当時はまだどうもA型とB型以外に二種類があるらしいことが分かっていた程度・・・

と言うわけで・・・
治療方法も確立していない時代でした。
今から考えると恐ろしいと言うか・・・
もっとも今でも充分に恐ろしいのですが・・・

が、しかし、管理人は肝硬変になることもなく
ぐうたらに生きています。
無論、献血はお断りしていますが・・・

その後、何回か血液検査もしていますが反応なし・・・
そのため今となってはC型肝炎だったのか、D型肝炎だったのかも謎のまま・・

考えてみれば管理人がぐうたらながらもこうして生きていられることが神仏のご加護のお陰であり、奇跡なのだろうかとも考えています。
C型肝炎と診断されて絶望しないでください。
ここに二十年ほど生きている人間がいます。

と言うわけでご利益のありそうな神様をご紹介しておきます。
神道の神様にて病気にご利益があるとされているのは

少彦名神(すくなひこなのかみ)
まじない・医療・酒の神として有名
また一寸法師の原型とも言われている神様

管理人の住む東海地区ではこの神様をお祭りしている神社は少なく、愛知県知立市の知立神社に摂社と熱田神宮に内天神(社はなく、ご神木のみ)として祭られている他は末社が愛知県津島市の津島神社と名古屋市中区の那古野神社にあること知っている程度です。

手元の資料では、北海道神宮、茨城県・大洗磯前神社、奈良県大神神社

素戔鳴尊(すさのおのみこと)
天照大神、月読命とともに三貴子といわれたうちの一人で、日本神話の主役として重要な一翼を担う神
八阜(やまた)の大蛇(おろち)を退治した英雄
疫病にご利益があるとされています。

素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祭る神社は比較的多いのですが、京都の八坂神社・愛知県津島市の津島神社・名古屋市熱田神宮などが有名です。

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at 23:46, 星 良謙・子授け地蔵, 管理人のひとりごと

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心霊写真 補足2

疲れ気味から疲れたモードに突入している管理人です。
(_△_;) モウダメ・・・と言った状態です。
と言うわけでお休みモードです。

が、しかし、問い合わせのメールが・・・・
問い合わせにはお答えしている管理人ですので早速、ご返事を・・・
が、しかし、エラー・エラーの連続・・・
色々調べたのですが結局、原因不明・・・

と言うわけでご返事がわりに久々に心霊写真について書きます。

1.心霊写真の可能性
 矛盾しているようですが、一般の方が心霊写真ではないかと疑う写真については、まず心霊写真の可能性は皆無であると考えてください。つまり現像した段階や後日に人影やオーブなどが写っていたと気付く場合にはまず心霊写真の可能性はありません。

 その理由として本当の心霊写真であるならば写真を撮影する段階にてなんらかの不可思議な現象を体験しているはずなのです。例えば何故こんなところでと思うような場所で足を滑らせる、何故、こんな間違いをと思うような間違いを繰り返す、写真を撮ろうとしたら悪寒を感じた、魚の腐ったような悪臭を感じたなどの体験をされているはずです。

 逆にこれらの現象を何一つ体験することなく、旅行から帰った後など、後日に人影だ、オーブだと気付いた場合にはまず心配される必要はありません。その理由として心霊が霊能力のない一般の方に何かを伝えたいと必死な状態であるならば写真を撮る段階で何らかの働きかけがあります。

2.本当の心霊写真
 心霊写真が存在することを否定する気持ちはありませんが、本物の心霊写真は一般の方が考えるような人影やオーブなどは一切写っていません。少なくともこれまでに管理人が写真の中に心霊の気配を感じた写真は一見するならば何の変哲もない写真ばかりなのです。

 以前の投稿記事で写真に心霊の姿が写り込む可能性について書きましたが管理人が見た心霊写真は霊視すれば心霊の存在を見ることはできても写真自体には何も変化はありませんでした。

 そのような写真が写る可能があるのは二つのパターンがあります。その一つは写真を撮った人間が不成仏霊などを呼び寄せてしまった場合です。これは霊能者が神社仏閣などの霊域を撮影した場合に多いのですが、心霊の影響を受けやすい人にも可能性はあります。

 二つ目のパターンとして考えられるのは撮影した建物などが悪霊や不成仏霊の巣窟のような状態になっている場所です。この場合には撮影した人間が霊能力があるかないかに関係なく、心霊写真になる可能性が非常に高いと思われます。

 しかし、この場合でも多くの人が予想される自殺の名所や空襲や戦場の跡地ではなく、全く別の場所となります。特定の場所をここで公表することはできませんが社会的に問題を起しているカルトの教団の本山などは可能性が高くなります。

3.番外
 心霊写真と言えば不成仏霊などの低級霊を前提にしていますが、逆に高い悟りを持つ心霊の力を感じさせる写真も別の意味での心霊写真となります。そのため、由緒ある名刹や古刹の写真からその場所に祭られている神仏の力を感じることはよくあります。

 しかし、これは神社仏閣が印刷物などに使用している写真の場合のことであり、一般の人間が記念写真の感覚にて写すことは厳禁です。大概の神社仏閣では写真撮影は禁止されています。

 いくら写す人間に悪意はないとしても神仏からするならば不遜な行為であると受け取られますのでご注意ください。神仏はバチを与えることはされませんが神仏との縁を切ることになるだけでなく、最悪の場合には眷属として働かれている心霊を怒らせることになります。

4.それでも不安な方へ
 基本的には心霊写真ではないかと怯えることが逆に心霊を呼び寄せることになりますので気にされないのが一番であると考えていますが、どうしても不安な方はメールにて送ってください。一目見れば直ぐに分かることです。

 お問い合わせが少しずつ増えていますのでメールの相談を解説すべきかとは考えていますが、今のところはお問い合わせには無料にて応じております。


関連記事はカテゴリーにまとめてあります。

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at 23:38, 星 良謙・子授け地蔵, 心霊現象と神秘体験

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