2007.02.28 Wednesday
反省・後悔2(耕心)
前回、後悔と反省について書きましたが、ベンキーマン様より「本当の反省とは何かを書かなければならない」という指摘をいただきました。ごもっともです。
実はすでに用意していたのですが、あれから投稿する機会がなく、今日コメントを見て「しまった!遅かった」と感じています。
後悔した後にそんな自分を責めるのは、別の問題にすりかわり、新たな苦悩を生むだけでどう考えても後悔の延長にしか過ぎず、新たな苦悩を重ねることにしかならないのです。
この場合、自分を責めてどんな学びが得られるというのでしょうか?
このような人からは失敗を元に自分を活かそうとする心は見出せません。そこに「学び」が無いのです。
では、何が本当の反省なのか?
失敗を活かし、自分を活かす道を探すことが「本当の反省」ではないでしょうか。これは至極当然のことですね。
しかし、このときに積極性が加わりすぎると開き直りになりますし、消極性が過ぎると後悔の上塗りになります。「当てつけてやろう」とか「恥」といった感情を排した仏の智慧、即ち「プラスマイナス0」「中道」の心が大切なのです。
自分のことなら簡単かもしれませんが、人の心を大切にされる方ならば、たとえそのことがわかっていても「それは後悔であって反省ではない」などと相手をバッサリ切ることはできないと思います。
そこは不動の慈悲心をもって引き寄せ、利剣で切らなければなりません。本当に相手のことを思うなら、相手の立場になってその言葉にじっと耳を傾け、共に泣き、最後には相手の言葉を使って「本当の反省」を伝えなければなりません。たとえ「あなたには分からない」と相手に嫌われようとも。
すぐには気付いてくれないかもしれません、一年たっても、十年たっても、今生でも、来世でも。けれど信じて伝え続けるしかないのです。
何の力もない私にできるのは、そんなことぐらいです。
実はすでに用意していたのですが、あれから投稿する機会がなく、今日コメントを見て「しまった!遅かった」と感じています。
後悔した後にそんな自分を責めるのは、別の問題にすりかわり、新たな苦悩を生むだけでどう考えても後悔の延長にしか過ぎず、新たな苦悩を重ねることにしかならないのです。
この場合、自分を責めてどんな学びが得られるというのでしょうか?
このような人からは失敗を元に自分を活かそうとする心は見出せません。そこに「学び」が無いのです。
では、何が本当の反省なのか?
失敗を活かし、自分を活かす道を探すことが「本当の反省」ではないでしょうか。これは至極当然のことですね。
しかし、このときに積極性が加わりすぎると開き直りになりますし、消極性が過ぎると後悔の上塗りになります。「当てつけてやろう」とか「恥」といった感情を排した仏の智慧、即ち「プラスマイナス0」「中道」の心が大切なのです。
自分のことなら簡単かもしれませんが、人の心を大切にされる方ならば、たとえそのことがわかっていても「それは後悔であって反省ではない」などと相手をバッサリ切ることはできないと思います。
そこは不動の慈悲心をもって引き寄せ、利剣で切らなければなりません。本当に相手のことを思うなら、相手の立場になってその言葉にじっと耳を傾け、共に泣き、最後には相手の言葉を使って「本当の反省」を伝えなければなりません。たとえ「あなたには分からない」と相手に嫌われようとも。
すぐには気付いてくれないかもしれません、一年たっても、十年たっても、今生でも、来世でも。けれど信じて伝え続けるしかないのです。
何の力もない私にできるのは、そんなことぐらいです。