皆様、ご無沙汰しております。残暑お見舞い申し上げます。m(_ _)m
影武者のお蔵入りシリーズです。(笑)何度も加筆修正繰り返しましたが、言いたいことを書き連ねていますので、読み辛く長い記事になりましたが何卒ご容赦を・・・ぺこ <(_ _)>
よく「ご神仏が本当にいるなら何故戦争は起こるの?」と言われます。私も過去、それは疑問でした。
しかし、神仏の働きを体感すればするほど、人間は意外と神仏の心を人間の物差しで測って都合良く考えているなあ、と改めて思います。
神仏でも人間を操ることは出来ない、と言うのは再三御神霊から言われます。
戦争など悲惨なことや理不尽なことなどは人間の意志によって起こるもので、神仏が働いていないから起こる訳ではないと思います。
昔私が大好きで見ていた古い外国のドラマで、ユダヤ教の人がこう言っていたのを思い出しました。
「神は人間に善と悪を選ぶ自由を下さった」
ユダヤ教のことなど何一つ分かりませんが、この言葉は印象的でした。
操り人形ではないからこそ、自分たちの意思で選択する自由があり、その結果一部の人間の意思によって戦争など悲惨なことは起こってしまうのではないか、と感じています。
また、そこに平和を唱える人間、無関心な人間、それらも全て自分たちが選んでいることであります。
戦争を起こしてしまう人間の心を思いとどまらせたい気持ちは同じですが、そこで人間の意思を操ってしまったならば、人間の意思はなくなり、神の思うままの世界になってしまうとなると思います。
全ての人間が自発的に争いも憎しみも持たなくなり、皆が高い境地ならば、それはこの世と言うものではなくり、神仏の世界になる事を意味しています。( ̄~ ̄;) ウーン
人間たちの意思によって引き起こされた事柄を都合の良い時だけ神仏に縋って、何でなくならないのか、と言うのは違うと思います。
私が感じるのは、「なんて悲惨な状態なんだ」と思うことが多くありますが、しかしそれでも神仏は働かれていると感じます。人間の意思を操ることは出来なくても、気付きを与えて必死に食い止めようとされていると思います。
仮にご神仏が働かれていなかったならば、もっと悲惨な状態だったのかも知れない、と私は考えてしまいます。( ̄-  ̄ ) ンー
神仏が働いていてこんな程度しか良くならないのか、と思われるかも知れませんが、それだけ人間の意思は自由であると同時にとても頑ななもの、神仏と言えど魔法のように変えれない人間の意思だからこそ、人間同士の助けや力もいるのだと思います。
一生懸命戦争を食い止めようとする人にも、ご神仏は少しでもその人たちやその人たちを通して戦争が減るように働かれていると思います。
神仏が出来るのは気付く機会を与えて下さり、後押しするだけだと感じます。
神仏は国民(くにたみ)や衆生の幸せを願われて日夜働き続けて下さっていますが、人の心は容易に変わるものではなく、それでも人間が変わるのを待つ、信じられないぐらいの時の長さの間、人間に働きかけておられるその慈悲深さにはいつも圧倒されます。(°д°;;)
中には奇跡と言われるものも起こっているようですが、私は俗に言われるよく言われるような奇跡は体験していません。また、そのような奇跡が何で起こるのか私にも分かりません。
ただ、ご神仏が働かれて小さな動きの積み重ねや様々な気付き(私にはこれらが充分奇跡だと感じていますが)によって自分自身も変わりましたし、また他にも変わっていった方を何人か見ました。
しかしそれらは神仏だけの力でなく、人間自身の心が動かない限り、神仏がどんなに働きかけても事態は動かないように感じます。
人間が本当に真からの意思が伴った時(自分の殻を破ること)に初めて、神仏もその人間に働きかけやすくなるようです。
ご神仏と言う存在を人間にとって都合の良い便利屋と無意識に思っている人も多いと思いますが、人間が神仏のお心を自分たちの枠内だけで考えようとしたり、推し量れると思う事は神仏の慈悲を何一つ理解していないも同然だと感じます。
確かに最後は言葉では伝えれなくなります。
神仏の働きは奇跡的なことや不思議な現象だけではないと感じています。
神仏の働きは人間が測り知ることなど到底出来ないと思う事の連続です。それらは言葉を超えたことで、個々によっても感じ方も違うと思いますし、実際には徐々に感じとっていただくより他ないと思います。
昔の私はシンクロや様々な不思議な現象があり、それらを神仏の働きや心霊現象などと思っていましたが、今はそう言う事に囚われなくなりました。
神仏の慈悲や働きははそのような現象に集約されてなないと気付いたからです。
勿論、御神霊の働きもあるので、全てが違うわけではありませんが、中には神仏を名乗る資格のない心霊の惑わしの場合もあるので、自分の周りで如何に不思議なことが起ころうとも常に疑いの目は持っています。
神仏のご加護が強くなると少しずつ惑わしを受けにくくなるので、それらの事が惑わしだった場合はそれらの事も次第に起こらなくなってくると思います。
しかし、それでも惑わしを受けることがあります。霊媒体質や霊感体質の人は特に注意された方が良いと思うのが、
霊媒体質と霊感体質4(星)
にも取り上げられていましたが、霊能者、霊能力、オカルト系、心霊世界、ヒーリング、暴力的な描写のものなど、精神世界に通じるようなものは避けたほうが良いと思います。
私自身もこれらを暫く避けていました。特に霊能者類に関しては元々沢山見ていた訳ではありませんでしたが、現在でも見る気も無くなったのもあり、殆ど見ません。お陰様で神社仏閣のサイトがお気に入りに沢山入っていますが(笑)(⌒o⌒;) ・・・・
話が逸れました。\( ̄_\)(/_ ̄)/ ソレハアッチニ オイトイテ
つまり、自らが惑わしを受けるような所に首を突っ込んでいると、たとえ開運の方法を実践されていたとしても、心霊の邪魔などによってご加護が受けにくくなったり効率が悪くなったりします。
しかし、個人の信仰や趣味を「それは駄目だ」と言って「これだけを信じなさい」と言ってしまうと新興宗教と変わらなくなるので、個人の判断にお任せするより他ないと思います。
私の経験上、上記のことは避けた方が変な影響がない分、開運の方法を実践される場合効率は良くなると感じています。
まあ、当の星さんは教祖になる気がないので(笑)、個人の信仰などに関して弊害は説いても、本人の意思を無視してまで「こうしなさい」と強く言う気も無いと思いますが・・・( ̄ε ̄;)
また、全てをやれ心霊現象だとか、神仏のお導きだから安心、とも思いません。見えないことに関しては分からない事が大前提であり、自分の見ている感じているもの、たとえ神仏と名乗ろうとも疑いを持つ目がないと、惑わされやすくなると感じています。
自分の都合の良い事が起きた時はご神仏の指導や慈悲と思い込み、自分にとって都合の悪い事が起きると心霊に邪魔されているのではないか、と思うことも方もいると思います。
しかし、自分に都合の良い様なことが必ずしもご神仏の指導とは言えないと私は感じています。逆に足止めされて自分は今動きたいのに今は動くな、と言われる時もあります。
ご神仏の働きは本当に人間には推し量れないものだと思うと同時に、いくらご神仏だと名乗られても何の検証も出来ないことばかりである為(心霊現象も同じく)、私は勿論、星さんの書くことでもこれが正しいとは言い切れないことばかりです。最後は個々で様々な経験をされて納得されるしかないと思っています。
自分の周囲を見た時に、(自覚はないのでしょうが)自分のことを棚上げにして神仏に幸せにして欲しい、自分や周囲の状況をただ変えて欲しいなどと魔法を求めている人が多いんだなあと感じます。
聞かれれば一応話してみますが、人に伝えることの難しさや、人の心の頑なさに何とも言えなくなる今日この頃です・・・・。llllll(-_-;)llllll ずーん
影武者