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年末のご挨拶に代えて(星)

バタバタしている日が続いていましたが・・・・・
いよいよ大晦日となってしまいました。

この一年を振り返って考えてみるならば、何かうろうろしていただけのような・・・・
さして何ができたわけでもない気がしています。

しかし、テレビでは派遣社員の契約打ち切りや期間労働者の突然の解雇などが連日テレビで放送されている現実を考えるならば、綱渡りでも生活ができるだけでも幸せなのかなどと考えてはいます。ただ、世の中が不況になり、社会情勢が不安定になると霊感商法が流行することが多いのではないかと考えると少し気が重くなります。

管理人がこのブログを立ち上げたのは、稼業としている占いやこのブログで扱うことの多い心霊の世界は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)している世界と言えるからでした。また善意の人であり、善意からの行動であるとしても、管理人からすると、その言動に疑問を抱くことが少なくありません。

先日もある霊能者の方のサイトを拝見していたのですが、その霊能者の方は一度の除霊で終わるのが当然であるとのご意見をお持ちのようでした。しかし、管理人の過去の経験では、一度の供養で成仏される不成仏霊もいますが、一度や二度の供養では成仏しない不成仏霊が少なくありませんでした。

勿論、何が本当なのか、何が間違いなのかを判断するのは難しく、また管理人は霊能者として活動はしていませんので、除霊の経験も限られています。そのため管理人に一度の除霊ですべての不成仏霊を成仏させることかできないだけなのかもしれません。

ただ管理人の過去の経験では、成仏することを求めながら成仏できないでいる場合には、比較的容易なのですが、依頼者の家系に激しい憎しみを抱いている場合などには、成仏が難しいとの印象があります。またあまりにも不成仏霊の数が多い場合には、すべての不成仏霊を成仏させることが困難であったり、不成仏霊が生前に信仰していた宗旨へのこだわりが強く、異なる宗旨での供養では成仏しなかったりする場合がありました。

更に特定の宗旨を修行されている行者の方は、御自分が信仰されている宗旨からの教えで解説されています。これはある意味当然のことではありますが、異なる宗旨の立場からするならば、考え方が異なる場合が少なくありません。

しかし、一番危険性を感じるのは、不幸の原因を心霊現象に求めすぎることですが、逆に心霊現象を否定するだけでは何も問題が少なくありません。そんな訳で心霊現象とは何かについて書く事は実に難しいと改めて考えています。

最後に・・・・・

今年、一年愛顧頂き有難うごさいました。
また皆様のご支援ご鞭撻頂きましたこと御礼申し上げます。

at 16:44, 星 良謙・子授け地蔵, 心霊現象と神秘体験

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大掃除で開運?・補足(星)

本日は、珍しく二回目の投稿となります。

先ほど、仏壇の香炉の灰を掃除していて、一般の方はあまり知らないのではないかと思いましたので投稿することにしました。

一般的には線香を香炉の灰に立てますが、どうしても燃え残りができます。そのため長年使用していますと香炉の灰の中に線香の燃え残りが溜まってしまいます。線香の燃え残りが溜まりますと線香が立ちにくくなるかと思います。

専用の掃除道具も発売されていますが、百円ショップで売られているお菓子作り用の細かい目のふるいと大きめのチラシがあれば充分です。

真宗大谷派の場合には、線香を三つか、四つに折り、横に寝かしますので燃え残りはほとんどありませんが、それでも焼香の際の香の燃え残りが溜まりますので忘れた頃に燃え残りを取り除いています。






 

at 12:14, 星 良謙・子授け地蔵, 開運祈願

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大掃除で開運?2(星)

この時期だけの挨拶と言うか・・・・
「良いお年を・・・」との挨拶をすることが多い時期ではありますが・・・・

このところ、少しずつ大掃除をしております。

(;。。)o_ フキフキ雑巾ガケ

と言う訳で・・・・・

今日は仏間を掃除していました。

当然のことながら・・・・

仏壇と神棚も掃除してました。

そんな訳で・・・・

今日は仏壇の話を取り上げたいと思います。

先日のことですが、知り合いから電話がありました。

(^。^//)モシモシ

こんな時期ですので知り合いも大掃除をしていたとのこと・・・・・
しかし、整理をしていたら紙の位牌が出てきたとのこと!

(@@;)ぱちくり

聞けば、親が以前に入信していた新興宗教で先祖供養をしていたときに使用した紙の位牌が残っていたとのことでした。

(TT; )( ;TT) オロオロ

しかも、折りたたんでしまってあったとのこと・・・・・

管理人は、悩むのを通り越して思考停止しました。 (-"-;) ??

一般的なお寺でも供養をお願いしますと紙の位牌を使用する場合もありますが、供養が終了したならば、お寺がお焚き上げされます。そのため、一般のお宅が紙の位牌を保管していることは、基本的にないはずです。

僧侶の方からするならば、位牌にも仏教的な意味があると思いますが、心霊現象の観点から考えますと紙の位牌であるとしても位牌は先祖霊を呼び込む霊的な入り口となります。そのため、紙の位牌を折りたたんで保管してあることは、ある意味非常な危険な状態であると言えます。

つまり成仏されていないご先祖を呼び寄せることになる可能性があります。勿論、先祖の方々がすべて成仏されているならば、問題はありませんが、成仏されていない方々が多いとかなり厄介な状況となる可能性があります。そのため、早急にお焚き上げをして頂かなくてはならないのですが、新興宗教の位牌となりますと受け付けてもらえない可能性があります。

しかし、放置することもできず、近くの名刹でお願いしてみようとの話になり、早速二人で訪れました。そして恐る恐るお尋ねしましたところ、幸いなことに快く引き取って頂けただけでなく、お布施も不要とのお話でしたのでお賽銭を多めに入れさせて頂きました。

今回は無料でのお焚き上げをお願いできたのですが、他のお寺のお守りや御札や新興宗教のお守りや御札に関してはお焚き上げして頂けないお寺が多いようです。しかし、お正月だけは他のお寺のお守りや御札でもお焚き上げをお願いできるお寺もあるようです。そのため、ご自宅に古いお守りや御札があるならば、お焚き上げをお願いされるのが良いかと思います。

ただし、受けたお寺でお焚き上げをされるのが原則であることから出来る限り、受けたお寺でのお焚き上げをお願いして下さい。またお寺のお守りや御札を神社に納められる方がおられますが、お寺で受けられたお守りや御札は、神社には納めないでください。

その話はこっちにおいといて\(^^\) (/^^)/

管理人は仏壇の荘厳(飾り方)に関しては、宗旨宗派の様式に忠実にされることをお勧めするようにしていますが、一部の霊能者や占い師の中には宗旨宗派の教えを無視した方法を指導される方もおられるようです。

知り合いの親も以前に、副業で姓名判断と印鑑の販売をされている方から言われて仏壇に祀られていたご本尊と脇仏の掛け軸をはずされてお返しされたとのお話でした。その話にも疑問を感じるのですがはずした掛け軸を神社に納められたとの話でした。

様々な事情からお祀りすることができなくなることはありますが、その場合には宗旨のお寺で精抜きやお焚き上げをお願いしてください。

at 11:47, 星 良謙・子授け地蔵, 開運祈願

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霊障の鑑定を始めました2(星)

今年も残りあと僅かと言うことで・・・・・

スッスッ__/(。。_/))フキフキ サッサ(((;/ °ペ)/ ̄フキフキ

ハタキ (( \(^^ )/ )) バタバタ

ウロチョロ へ(^^へ)))(((ノ^^)ノウロチョロ

仕事は忙しくもないのですが・・・・・

あたふた (((^^;)(;^^) ))あたふた

管理人は「掃除で開運」ならぬ「掃除で商売繁盛」を目指しています。(- .-)ヾ ポリポリ

それはさておき・・・・・

オカミ様、コメント有難う御座います。
「霊障の鑑定」については、いずれ「開運の扉」にてご案内の記事を書かなければならないと考えていましたので、オカミ様のご質問にお答えさせて頂くことにします。


霊障鑑定とトランプ タロット 風水の鑑定の違いって何でしょうか

管理人が霊障の鑑定を始めたきっかけは、風水の鑑定でした。それ以前にもトランプやタロット・カードでも霊障があるのではないかとの疑念を抱くことは何度もありましたが、霊障であるとの明確に分かるわけではなく、また通常は低級霊の影響を遮断することに専念しますので霊障の内容を鑑定しようとは考えませんでした。

占いの原点は、神意を問うことから始まったと考えるならば、霊視も占いの範疇に入るかとはいえます。風水や占いは、一般の方には理解しがたい理論体系ではあるとしても神秘思想とも言うべき思想や人生観が背景にあります。そのため、神秘思想や宗教の影響が色濃くありますが、基本的には心霊現象は取り扱わないと言えます。

風水の本には怪奇現象などの兆候があった場合には、鑑定を中止すべきであると書かれています。風水が取り扱う分野は、現実の対処が中心となります。ただその対処が目に見えない気の流れであり、一般の人にとっては見えないことにおいては同じであることから誤解されやすいと言えます。

これがタロット・カードとなると更に境界線が曖昧となります。タロット・カードは魔術の影響を強く受けたカードであり、魔術の道具でもあります。管理人も愛用しているタロット・カードにしても有名な魔術師がデザインしたカードであり、魔術との密接な関係があることは有名です。

日本でも陰陽師に期待された役目の一つが占いなどの予知であったことように未来予知は、いつの時代にも多くの人々から期待されていたようです。また未来予知の目的が災いを未然に避けることや直面している問題の解決であると考えるならば、それが現実の問題であるか、霊障であるかは、依頼者にとっては関係ないと言えます。

これは鑑定をする側でも同じであり、分かっていて知らせないとなれば、職業上の倫理観に反することになります。しかし、一般の鑑定依頼の場合には、現実の問題を取り扱うことから心霊の問題までには立ち入って鑑定しないだけでなく、低級霊の影響を遮断するようにしていますので気付かないと言えます。

しかし、風水の場合には、周囲の環境を調べますので何か問題かありそうな場合には、確認することから、この段階で気が付くことが多くあります。例えば近隣の住宅で何か嫌な感覚があれば、霊視とまでは言いませんが、一応は調べます。これは近隣住人に強い霊障があるならば、移転先での近隣住人とのトラブルが予想されるからです。

また近くに池やお社、霊山などの聖地があれば、一応は確認します。これは池や社、霊山があることが悪いのではなく、御神霊がおられる可能性があるからです。過去の例では、龍神様がおられる池を埋め立てていたことやお社が荒れ果てていたことから色々と問題が起きていたことなどがありました。

これらの例は土地の問題から起きる災いと言えることから周囲の風景の写真を拝見することで気付くことができるのですが、「開運の扉」に掲載しました霊障鑑定の鑑定例のように土地とは無関係な場合には、気付きにくいと言えます。鑑定例1の依頼者の場合には、ご両親が新興宗教に入信されていたことから最初から霊障を疑われていましたし、鑑定例2の依頼者の場合には、動物との交通事故が続いたことから何かあるのではないかとの疑念を持たれました。

管理人は何か災いが起きると霊障であると依頼者を威かす気持ちもなければ、供養料を名目に料金を請求するもありませんので、基本的には依頼がなければ鑑定しない立場です。また鑑定例をご覧頂ければ分かるかと思いますが、鑑定項目の数が多くなることから、それなりの料金になってしまいます。そのため、こちらからはお勧めしにくいのが実情です。

こうゆう場合は○○鑑定をお薦めってあるんでしょうか?
霊障鑑定を読みましたら風水の言葉も出て来ましたし
例えば、トランプ タロット 星占いで悪い結果が出た場合 それが霊障の影響なら?最初から霊障鑑定を依頼した方が良さそうだし
トランプ タロット 星占いは宿命的な占い結果で 霊障鑑定は宿命を変える開運占いって感じにも受けとれました『どこそこの神宮仏閣で○○の祈願祈祷を依頼する事から』

具体的な例を書きますと色々と問題が多いことから控えますが、個人的な印象では、霊障が起き易い方の多くは、家系が複雑なことが多いと思います。

かなり前?の投稿に占いは戦術、祈願祈祷は戦略て『逆かもしれません(汗)』話がありましたが 今 考えるっと 想像以上に複雑で奥が深いっと感じました。


戦略は長期的な観点や大局的な観点からの判断であるに対して戦術は当面している危機の対処が中心となります。そのため戦術的には勝利しても戦略的には失敗であると言われることはあります。そのため、戦略と戦術と言っても視点の違いであり、同じ事を戦略の観点から判断することも戦術の観点から考えることも可能となります。

占いにおいても長期的な観点や大局的な観点から鑑定するならば、戦略に活用することは可能ではありますが、占いに求められるのは、直面する問題の解決策を求められることが多いことから戦術として活用されることが多いと言えます。

また直面する問題の解決や解消だけを願う祈願や祈祷であるならば、戦術であると言えますが、御神仏の働きは人智を超えていることから戦術と言うよりも戦略と言うべきではないかと考えています。

いずれにしても霊障の鑑定は祈願祈祷をより効率的にするための鑑定ですので戦略か戦術かを明確に区別することは難しいかと思われます。


at 12:22, 星 良謙・子授け地蔵, 占いの話

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霊障の鑑定を始めました(星)

あ・・・・、年賀状を早く書かねば・・・・・

あれもしなければ、これをしなければと

ウロチョロ へ(^^へ)))(((ノ^^)ノウロチョロ

それはさておき・・・・・

今回は、少し宣伝を・・・・
暫く前にオカミ様のご質問にお答えして「一般的には氏神様や一宮様や菩提寺、それに宗旨の名刹や古刹などをお勧めしていますが、状況が非常に悪い場合や特殊な事情がある場合などには、個別に鑑定しています。尚、このことについては、近日中に開運の扉の方に鑑定例を掲載したいと考えています。」と書きましが、やっと投稿が終わりました。

まだ鑑定内容のご案内などを投稿していませんが、鑑定例だけの先行となりました。通常は鑑定例と言っても実際に鑑定した結果を紹介することはしていないのですが、今回は鑑定例としての公表を承諾して頂ける方が見つかりましたので、二例ほど紹介させて頂きました。

鑑定例1 こちらから  鑑定例2 こちらから

PS
開運の扉を引越させて頂きましたが、その際に鑑定例を書き改めました。 開運の扉

御覧いただければ、お分かりになるとは思いますが、本当に霊障か否かの鑑定から始まり、原因の鑑定、供養の名目や神社仏閣の選定などであり、一般的な霊能者がなされている霊視での鑑定はしておりません。また供養や祈願に関しては、依頼者の方がご自分でして頂くことを前提にしております。

その理由として管理人は僧侶や神職として活動していませんので供養や祈願に関しては僧侶の方や神職の方にお任せすべきだと考えていることがあります。管理人が祈願や祈祷をしたとしても基本的には皆さんと同じ一般の信徒の立場でしかなく、またすべての宗旨宗派の作法に精通もしていませんので本職の方にお任せするべきではないかと考えています。

それと過去の経験から迷っている方にとっては、巨大な伽藍を誇る名刹や古刹で供養を受けること自体が大きなインパクトになります。ファミレスが悪いわけではありませんが、ファミレスでの食事と一流ホテルでの食事と比べるならば、多くの方が一流ホテルで食事を美味しいと感じるのではないでしょうか。

同じ食事でも豪華な雰囲気の中で食事をするならば、同じ食事でも美味しく感じるように同じ供養でも迷っている方にとっては、自宅の仏壇で供養されるよりも巨大な伽藍を誇る名刹や古刹で供養を受ける方がありがたいとの気持ちになるようです。そのため、供養を依頼された場合には、名刹や古刹での供養をお勧めすることにしています。

また祈願に関しても神社仏閣での祈願をお勧めしています。依頼者のお近くに適切な神社仏閣がないとのお話もありますが、多くの神社が郵送での祈願を受け付けられていますのでお問い合わせされることをお勧めしています。依頼があれば代理で祈願をお引き受けはしますが、どうしても割高になりますのでお勧めはしていません。

蛇足ながら霊能力があるならば、霊視での鑑定をどうしてしないのかと疑問を抱かれる方も多いのではないかと思いますが、管理人は霊視があまり得意ではないことがありますが、霊視は先入観に左右されやすいことや霊視の危険性があります。尚、これらのことについては、いずれ開運の扉にて解説させて頂こうかと考えています。

今回は、宣伝だけで終わってしまいました。m(_ _)m


at 17:00, 星 良謙・子授け地蔵, 占いの話

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大掃除で開運?(星)

今年もいよいよ終わりが近付いてきました・・・・・
振り返って考えるならば、何ができたわけでもなく・・・・・
何となく一年が過ぎ去ってしまったような気がしております。

 あたふた (((^^;)(;^^) ))あたふた していただけのような気が・・・

しかし、気が付けば年賀状も今日やっと買ってきたばかり・・・・
α~ (ー.ー") ンーー 最後まで落ち着きのない一年になりそうです。

それはさておき・・・・・

管理人がまだ占い師の看板を掲げた当時は依頼があれば、依頼者のお宅まで出張して鑑定することがよくありました。当然のことながら、家の中で何も問題がなければ、通常の運勢の鑑定や風水の鑑定だけで帰りましたが、鑑定を依頼される方は何らか問題を抱えている方であり、依頼されれば、神棚や仏壇の改善などを指摘させて頂いていました。

運勢の鑑定だけならば、応接間だけですが神棚や仏壇を拝見するとなれば、家の中を拝見することが多くなります。また一般的に神棚や仏壇は居間の近くに祀られていることが多いことから結果的に依頼者の方の生活を覗き見ることになります。

そんな過去の経験から言えるのは、家の中に物が溢れている場合には、運気が低迷されている方が多いようです。また家の中が物で溢れて雑然とされている場合には、仏壇や神棚も乱れていることが多かったのですが、管理人からするならば、仏壇や神棚を掃除する前に家の中の大掃除をお勧めしていました。

暫く前からお掃除で開運と言った言葉を時折耳にします。管理人は掃除していれば開運できるとは考えていませんが、家の中が物で溢れている場合には、例外となります。しかし、こんな方々の多くは、物を捨てられない性格の方が多いようです。

五十を過ぎられた方が、小学生時代に読んでいた本や、二十歳を過ぎたお子さんが、小学生時代に使用していた計算ドリルなど一体何のために残されているのかと疑問を感じてしまうことが、数多くありました。それが大切な思い出の品であるならば、処分される必要はないのですが、際限なく保管し続けることに価値があると考えているのではないかと思うことがあります。

そしてそれらの方の多くが、保管していると言うよりも放置してあると言うべき状態でした。そのため何が何処にあるのかも分からず、必要なときには取り出すこともできない状態でした。これでは、家の掃除を満足に出来ず、散らかりっぱなしの状態が続き、整理できない悪循環が続いているとの印象を受けました。

管理人は何でも捨ててしまうことには疑問を感じますが、使い道のない品物を保管し続けのであるならば、リサイクルショップにでも売り払った方が余程良いのではないかと考えていましたが、管理人の家にもサイズが小さくなってはけなくなってしまったスラックスが何本か・・・・・

などと書きながらも、都合の悪い話は、さっさと忘れて・・・・・

管理人は掃除で開運ができるとは考えていないと書きましたが、過去の経験からしますと家の中が乱れすぎていると確実に運気は低下するようです。不成仏霊と言うのは、乱れた空間を好むのではないかと思うことが何度かありました。特に湿気の溜まりやすい傾向がある場所は、その傾向が強いようです。

これは乱れた空間に住む人間の心が、不成仏霊を呼び寄せているのかもしれませんが、何らかの因果関係があるのではないかと考えています。また嫌な思い出がある品物や気味の悪い絵画や作品なども低級霊を呼び寄せやすい傾向があるとも感じています。その意味では、掃除することが開運になると言えますが、負の相念の排除と言うべきでしょうか?

負の想念と書きますと語弊があるかもしれませんが、人間の想念は不成仏霊と同じような働きをすることがあるようです。また想念は品物に付着することは珍しくなく、特に念の強い人の愛用品はその傾向が強いようです。そのため、嫌な思い出などの負の想念が付着した物に取り囲まれて生きていることは、不成仏霊に取り囲まれて生きているのと同じような結果になります。

しかし、ご家族の中に掃除や捨てることが嫌いな方がいますと家の中が片付けられないことも多いようです。このような場合には、家の中を片付けようとしても反対されてできないことも多いのではないかと思います。こんな場合には、無理に片付けられようとするよりも、開運の方法を実践されることを優先させることをお勧めします。

掃除や捨てることが嫌い方が不成仏霊に憑依されているとは言いませんが、不成仏霊は乱れた空間を好むことから掃除や整頓されることを妨害している可能性があります。そのため、不成仏霊の影響がなくなることが問題解決の近道となる場合もあります。ただ、これは鶏が先か、卵が先かの話となってしまいます。


at 12:48, 星 良謙・子授け地蔵, 開運祈願

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ご神仏が一番悲しまれること(影)

勝明様、前回の記事「ご神仏の御言葉・9」にコメントを頂き、有難う御座います。m(_ _)m

前回私の記事が言葉足らずでしたので、今回補足させて頂きます。ぺこ <(_ _)>

勝明様のコメント

しかしながら、神前に喜びやニコニコ顔で立つ人はまれの様な世の中、そこで、空元気も元気になる様な気持ちで、何とか笑顔を作り神前に立ってみようかなと思います。(出来るかな?(汗)


神様、仏様の前では明るく元気に、綺麗な心を持って礼儀正しく・・・と言うことを思われる方は多いと思います。
勿論、明るさや礼節は大事ですが、無い感情を神仏の前であるように見せるのは、神仏が一番悲しまれることだと私は感じています。
そう感じてから、私は神仏の前では自分の感情に嘘をつくことをやめ、無理に笑顔や、綺麗な気持ちを持とうと思って神の前に立っていません。(^^;;)

以前もこのような話に何回か触れていましたが、ちゃんと記事にしたことはなかったと思うので、今回は記事にしてみようと思います。
過去の参考記事 「清き心」 「感情の乱れについて・1」

過去の記事「清き心」で私が書いたコメントです。読み返してみたら、コメントだけにとどめるのは勿体無い気がしたので引用します。(^_^;)


自分で嫌な感情や醜い心を持て余してしまうと私は神仏の御前にて感情を顕にしました。さまざまな不満や不安を神仏にぶつけました。
何故ならば、神の子であるのだから親である神様には子供の様に甘えます。
また仏様に対しても同様です。
特に浄土真宗では『自分の全てを阿弥陀様に委ねる事で心の安らぎを得ることが出来る』と言って下さっているぐらいなのですから。
屁理屈と思われるかも知れませんが、親であるご神仏は感情を押し殺す私たちを見て、子供(私たち)から愚痴も言ってもらえない事に悲しみを覚えると私は感じて来たからです。
ですから私はご神仏の前ではありのままの自分をさらけ出した上で、「今の私はこのように醜い心を持っています。混乱もしています。しかし純粋でありたいと言う気持ちもあり、それも嘘では有りません。未熟な所はまだまだ有りますが何卒ご指導ご鞭撻をこれからも宜しくお願いします。またご加護を有難う御座います。」と言う気持ちを込めて経や祝詞をあげています。
そうして行く内に次第に怒りがあってもコントロールが効き始めました。

私の中ではご神仏は息抜きの出来る場所であり、あまりにも大きな愛情を持つ親とも思うようになって来ました。今でもこのようにご神仏にはありのままの自分の姿を報告し、そこから少しずつ軌道修正をして行っています。


同じような文章となってしまいますが、一応今思うことを書きます。( ̄-  ̄ ) ンー

ここでも書いたように、ご神仏の前では、その時に感じる自分の素直な思いのみ、語っています。
暴言しか吐けない日や、自分勝手なお願いであることを自覚しながらもお願いしたり(それを聞き届けられるか否かは神仏に任せていますが)、憎いと思う人間がいるなら、その思いのまま吐きます。
そのかわり、自分がもっともっと自分自身に気付けるように、少しでも向上できるようにとお願いしています。

その為に、先ずは自分の気持ちを自覚することが、必要だと思います。
自覚することで自分と向き合うことになります。そうして自分の中の縛りや囚われに気付き、縛りや囚われを減らして行く事が、本来の自分の輝きを見出す一歩となると考えています。

本来の自分の輝きとは、奥底から泡のように湧き上がる思いであると、私は感じており、上辺(表面上の意識や無意識)にあるヘドロのような感情を吐き出した続けた先にあるものだと思います。

だからこそ、私は感情を偽らずに良い思いも、悪い思いも、曖昧さも、神仏の前では感じたままに吐いています。
また、辛い思いを何回も吐いていると、少しずつ冷静な自分が出てきて、苦しい中にも客観視出来る部分が出てくると思います。(個人差はあると思います)
怒っている内は怒ったまま神仏にぶつけながら日々を過ごし、時に何かの瞬間に「あ」と思う事があれば、感謝をし、それを繰り返して少しずつ感情を整理していくことで、縛られている思いから解放されてきました。(まだまだ縛りや囚われは多いですが・・・・( ̄ε ̄;) )
そうして、少しずつではありますが、本来の自分を掘り起こし、「自分」と言うものを積み上げ築いて行っています。

ん〜、言葉でこうやって説明していますが、人によっても手段や方法は違うと思いますし、体感して頂かないと分かりにくいかも知れません。(私の回りくどい表現+拙い文章で、却って混乱してしまった方、すみません。orz)

くどいようですが、忘れて欲しくないのは、神仏は自分の心を偽ることを悲しまれると言うことです。
悟りの境地なんかには、地球誕生からの歴史ぐらい程遠い私だからこそ、せめて神仏の前だけは自分の心を偽らず、どんな事でも素直でいます。(元々自分に嘘つくの嫌いな私なので(((((((_´ω`))
自分のことを知ろうとする事をご神仏は嬉しく思われていると感じています。

気が遠くなるような長い時間がかかって、ほんの少ししか変わらなくても、ご神仏はそれを人間に咎めることはないと感じています。
人間が自ら変わろうと気持ちを持ち、気付いていくことを望まれているのだと思います。

長くなりましたが、前回のお言葉は私の睨む行為自体を咎められたのではなく、私の心を見透かし、今の貴方の心はこんな状態だから気付きなさい、と先ずは気付かせるためのお言葉だと思います。
そして私がそんな自分に気付いて、スタートラインに立ち、どんなに時間がかかろうとも、最終的には自分の心を睨むのをやめて、刃を突きつけなくなるようになって欲しい、との思いが込められていると感じた次第です。
(^人^)




影武者

at 21:10, 影武者, 神仏の御言葉

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木を枯らす者(星)

先日、お勧めのブログを見つけました。
仏教関係のサイトは、ときどきチェックしているのですが、良い話ではあっても専門的な内容が多いことからあまり紹介できないでいました。しかし、こちらのブログは専門的な内容も多いのですが分かりやすい話になっていましたのでご紹介させて頂きます。

大師山 法楽寺 想いの紀

ここのお寺は真言宗系の単立寺院のようです。
何分にも記事の数が非常に多いことから、まだすべては拝見してませんが、面白い記事がありましたのでご紹介します。

自殺した方の行き先

心霊現象については、自分の体験の範囲でしか書かないことにしていますので、自殺された方が地獄に堕ちるか否かについては、何とも言えません。管理人の周囲には自殺された方もなく、また自殺された方が死後に地獄で苦しんでいると確信するだけの体験もありません。

そのため、自殺された方が死後にどのような世界に帰られるのかについて断定的なこと書けませんが、僧侶の方の強みと言うか、供養をされているならば成仏されてないはずがないと断言されいます。管理人も基本的には同じなのですが、断言するだけの確信がありません。(- .-)ヾ ポリポリ

それはさておき・・・・・

久々に御神霊のお言葉を掲載しようかと思います。何分にも管理人の守護霊は宗教家として生きた方ではないことから、基本的に信仰について説くことはありまん。勿論、愛の精神や慈悲について説くことはありますが、どちらかと言えば現実的な教えです。


今回、ご紹介する詩も一読するならば、何とも非情とも言える内容ではありますが、厳しい時代を生き抜くには、こんな視点も大切ではないかと思います。



木を枯らす者

豊かなる自然は多くの動物を養い
豊かなる台地を一面の緑が覆うならば
多くの動物はその恩恵にあずかる

されど冬が訪れ
一面の銀世界になるならば
木はその葉を落として
春の訪れを待ち
草は種子となりて
目覚めのときを待つ

されば渡り鳥は
暖かき地を求め旅立ち
蛙は暖かき春まで眠る

厳しき冬を生きる動物は
わずかに残る草を食み
飢えをしのぐ
しかしその草もなくなるならば
動物は木の皮を剥ぎ
木の根を掘る

暖かき春が訪れるならば
雪が解けるならば
動物たちは
幼き木の新芽を食む

動物たちは語る
我らはこれほど困難に耐えて生き延びていると
だがその努力が木を枯らし
困難の原因であることを知らない
自らの困難をなげくならば
その努力が苦難の原因ではないかと疑え
困難に耐えることだけが努力であると考えてはならない



at 22:20, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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久々に・・・・(星)

いつもコメントをスルーしてばかりではありますが・・・・・
幾つかのご質問が溜まってしまいましたので、まとめてお答えしたいと思います。
尚、ご質問に関しては、一般論としてお答えできる内容に限らせて頂いています。
また、心霊現象などに関しては、管理人の体験から推測できる範囲で回答させて頂くことはありますが、検証不可能なことが大半であることから真偽のほどについてはご自分でご判断ください。


オカミ様、コメント有難うございます。

祈願・祈祷・供養する神社仏閣は、縁がある氏神様や一宮様や菩提寺だっと思っていましたが ケースバイケースで違うんですか。


一般的には氏神様や一宮様や菩提寺、それに宗旨の名刹や古刹などをお勧めしていますが、状況が非常に悪い場合や特殊な事情がある場合などには、個別に鑑定しています。尚、このことについては、近日中に開運の扉の方に鑑定例を掲載したいと考えています。

また、神主や僧侶の方に祈願・祈祷・供養を五千円でお願いする場合と
御参りの時にお賽銭を五千円にしてお願いする場合は
結果的には同じ意味になるんでしょうか?
金額が同じ場合には専門家と本人が祈願祈祷供養する場合は やはり専門家にお願いした方が確率が上がるんでしょうか。


一概には言えませんが、祈願が成就する確率は専門家に依頼された方が高くなると思います。

勝明様、コメント有難う御座います。

地鎮祭が土地のお祓い込では無かった事に少しショックを受けました。


下記のサイトに地鎮祭の意味が解説されていますが、地鎮祭は基礎工事をする前にその土地の神様をお願いして工事の安全と加護をお願いする祭典とされています。そのため、土地の祓いと言うよりも工事の安全を祈願する意味が強いようです。

神社と神道 こちらから
知っておきたい基礎知識>出張祭典>地鎮祭(じちんさい)とは何ですか

Yuichiro様、コメント有難う御座います。

以前から疑問だったのですが、インターネット上で様々な占いができる世の中になりましたが、このような占いは信頼性をどのように考えればよいのでしょうか。
カードや筮竹を使用するのが正当に思いますが、共時性はパソコンの乱数においても働くのか否かと考えてしまいます。

コンピューターに詳しい人から聞いた話では現在のパスコンの性能では乱数が偏ることは避けられないようです。確率をより均一に近づけようとするとシステムの構築の予算が増大することから、一般的な無料の占いや低価格の占いでは、乱数の偏りがあるようです。

そのため、カードや筮竹を使用した場合に比べるならば、確率に偏りがあることは避けられず、信用できないと言うことはできます。しかし、これは低価格の料金での占いを実現するためには避けられないことであり、妥協の範囲内ではないかと思います。

しかし、乱数が限りなく均一に近いとしても鑑定結果は一般論としてしか書けないことの方が弊害が大きいと思われます。カードでも易でも同じなのですが、同じ結果でも吉と判断する場合もあれば凶と判断する場合があります。これは個々の事例で判断するしかないのですが、その判断はコンピューターができません。

ただ、この部分が占い師としての技量が問われる部分であり、画一的な返答だけをしているので良いならば、何も高価な専門書を買って勉強する必要もなく、占いの本を2・3冊買い求め、丸暗記すれば、誰でも占い師になれることなになります。実はそんな促成栽培のような占い師が溢れているのが現実であり、対面での鑑定よりもコンピューターの占いの方がよほど当たっていたとの笑えない話まであります。

尚、偶然に依存しない西洋星占術や四柱推命などは、出生年月日と出生時間、出生地から運勢を算出しますので、コンピューターの占いに適していると言えます。しかし、これも何処まで正確な計算するかやなど、どの要素を取り入れるかなどでシステムの構築費が異なるようです。そのため、無料の占いや低価格の占いでは、限られた要素だけで判断しているようです。

勝明様、コメント有難う御座います。
昔読んだ、西洋魔術関係の本で、易はタロットのように精霊(大雑把に霊関係であろう)の介在が無い(少ないの意だったかも?)ので占いに適している。様なことが書いてあった(うる覚えですが。)記憶があります。

タロット・カードは、魔術の道具の側面があることから心霊の影響を受けやすいようです。そのため保管は絹の布で包むことが良いとされています。管理人も絹のハンカチで包むようにしています。ただカードは対象となる人物の心を読むことから対象人物の意識に通じやすい傾向があります。

そのため、対象となる人物の苦悩が深い場合には、並べられたカードから苦悩などの悪想念が伝わってくることがあります。その意味ではカードの方が心霊の影響を受けやすいかと思われます。それに対して易は依頼者意識に入り込むことはあまりありせん。そのため易は心霊の影響を受けにくいのではないかと思われまする

ただ、タロット・カードで占っているときに精霊が指導されているのか・・・・・・
管理人にもよくはわかりません。( ̄〜 ̄;)??

at 12:51, 星 良謙・子授け地蔵, 読者からの質問

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ご神仏の御言葉・9(影)

皆様、ご無沙汰しております。影武者です。m(_ _)m

このシーズンになるとよく、「今年は恋人がいないからクリスマスなんか来ないでくれ」と言う台詞を聞きます。
しかし、私はそんな事お構いなしに、独りでも、二人でも、毎年クリスマスシーズンになると街並みやクリスマスソングなどの雰囲気に浮かれ、楽しい!!と感じてしまいます。((((ノ^◇^)ノ ウヒョヒョヒョ

何故クリスマスは独りでも気分が高揚するのか考えたところ、私の幼少期に感じたクリスマスへの憧れや夢が影響しているのだと最近気づきました。
クリスマスが過ごせれない状態だったから強い憧れを抱いたわけではなく、小さな頃は普通に家族とクリスマスを過ごしていました。
しかし、何故か私の中でクリスマスの雰囲気が強烈で物凄く思い入れが強くありました。
そんな風なので、時には夏でもツリーを出して、部屋の電気を消しクリスマスの雰囲気に浸っている変わった子でした。(笑)

幼い頃に何故そこまで思い入れが強くなってしまったかは不明ですが、幼い頃に感じた思いは後の人生にも影響する・・・・・・まさに三つ子の魂百までも、ですね。(;^_^AA


さて本題です。
中途半端にお蔵入りしていたものを何とか加筆修正し、ようやく出す気になりました。(-_-;)ゞ゛ウーム
何ヶ月か前の事ですが、ある大きな神社の本殿の前で、短い御言葉がありました。゜(-m-)パンパン
祝詞をあげた後、手を合わせ祈っていたら、いつの間にか力んで本殿を見つめていました。その時に御言葉があり、帰る時に忘れないようにと書き留めておきました。_((φ(-ω-)カキカキ
感覚的に言わんとしている内容が先に伝わってので、言葉で表現するには限界があるかもしれませんが、何かのヒントにでもなれば、と思いましたので、掲載します。

睨むのはやめなさい

睨む事は自分の中の奥底に眠る神の子としての光輝く自分、真の自分を睨むのも同じ

神を睨む目をやめれたならばおのずと自分の心に刃を向けるのも無くなるであろう



本殿に向かって睨んでいることもそうですが、この時の私の状態はあれこれと頭を抱えることが多く、心がきつくなっているのを見透かされて、その心について言われていたのだと思います。
o( _ _ )o ショボーン

私が感じたのは、この御言葉は、ご神仏は人間が自分たち(ご神仏)に対して睨むことを咎めているのでは無く、親である神を睨む事は、自分の中に眠る神の心の一部や神の子としての輝きをにらむ事と同じであり、とどのつまり本来の自分自身を睨んでいることになると言いたいのだろうと感じました。

これは神様だけなく仏様の場合でも同じだと思います。仏様を睨んで拝んでいるのは自分の心(仏心)を睨んでいるのも同じことになるのではないかと私は思います。

その自分自身の心を睨むことによって、本来の自分の輝きを曇らせてしまうことを悲しまれるのだと感じました。

蛇足とはなりますが、ある方にこの御言葉の事を話したら、睨んでものを見ることは筋肉が緊張していることなのだから、睨むのをやめたら肉体の緊張感もほぐれ、心の緊張感もほぐれると思いますよ、と言って下さいました。
言われる通りだと思いました。(⌒^⌒)b なるほど・・・
心と体は密接に関係しているのだから、体の力が抜けると心も緊張感が緩む(逆も然り)と言う事だと思います。

また、その方がこの御言葉は大神様のお心に背を向けてしまう人の事と同じ事を言っていると思うと教えて下さりました。
睨んでいたら、いつまでも自分を許せないのだと思います。
また、睨んでいるのが癖になって、自分を威嚇し、心は頑なになってしまい、知らず知らずに常に何かに対して緊張感や臨戦態勢、不安感や焦燥感になっているのかも知れません。
それが自分の心に壁になり、自分にも人にも優しくなれなかったり、人の優しさを感じにくくなったり、ご神仏が差し伸べている手や、自分は生かされているんだと言う事も気づきにくくなるのかな、と私は思いました。( ̄-  ̄ ) ンー

「神を睨む目をやめれたならばおのずと自分の心に刃を向けるのも無くなるであろう」とはそういう意味なのだろうと考えます。

ん〜毎回の事ながら、表現が下手なので、分かり辛かったらスミマセン。(;´д` ) トホホ

また何かの時にこの御言葉から何か気付くことがあるんだろうな、と思っています。
この御言葉から、様々なことを感じ取って頂けたら幸いに思います。(´ー`)



影武者

at 17:43, 影武者, 神仏の御言葉

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