2011.05.27 Friday
霊界理論の危うさ8(星)
霊界理論の危うさとの題名で書き始めた記事ではありますが・・・・・・
題名と記事の内容が乖離しております。(- .-)ヾ ポリポリ
ただ、霊能者が語る霊界理論には少しばかり、疑問を感じることが少なくないことから、分かっている範囲のことを書き始めたのですが、いつも書いていることの繰り返しとなってしまいました。
本当は、別の話を書きたいとも思うのですが、最近の読者もいらっしゃることから話を整理する意味もあって順を追って書いております。今までの繰り返しが終りましたら、これまで投稿していない話も投稿したいと思っていますので、暫くお待ち下さい。
それはさておき、以前にご紹介した「教祖様にツッコミを入れるページ」にリーマン式供養を辞められた方からのメールが紹介されています。リーマン式供養の危険性を知るには貴重な体験談てあることから再度ご紹介させて頂きます。
教祖様にツッコミを入れるページ こちらから
TOP > 目が覚めた方からの連絡集
さて前回は、霊格の低い心霊は生前の意識のままであるのではないかと思われると書きましたが、このことは心霊現象を理解する際に重要な鍵となるのではないかと思います。管理人は自宅の宗旨で供養されることを基本的にお勧めしていますが、故人が自宅の宗旨とは異なる宗旨を信仰されていた場合には、故人が信仰されていた宗旨で供養されることをお勧めしています。これも亡くなられた方の生前の意識が大きく影響していると言えます。
管理人は一般の方に比べるならば、各宗旨のお経を聞いている人間だと思いますが、日蓮宗の法要に参列したときには、非常に違和感を感じました。法華経は他の宗旨でも読まれていることからリズムの違いは少し気なりましたが、戸惑うことはありませんでした。しかし、法要の雰囲気は何か独特の雰囲気があり、何とも居心地の悪い気がしました。特に信者の方々がうちわ太鼓を打ち鳴らし始めたときには、管理人のような部外者が参列すべきではないとの気持ちになりました。
これは、管理人が日蓮宗の法要に初めて参列したことから感じた違和感であると思います。そのため、日蓮宗の信者の方が浄土真宗の法要に参列されたならば同じことを感じるのではないかと思います。また、同じ浄土真宗であっても宗派が異なりますと、お経の読む早さなどが異なります。菩提寺のご住職とお話をさせて頂いていた際に檀家の方が各宗派のお経の読み方の違いを「歌うお西、跳ねるお東、眠りの高田」と表現されいたと言われていました。
これは少し解説が必要ですが、浄土真宗の常用経典に「正信偈」があります。これは親鸞聖人が浄土真宗の教えを要約された漢文であることから浄土真宗以外の宗旨で読まれることはないお経ですが、浄土真宗では非常に重視されるお経です。このお経をお西(浄土真宗本願寺派)は歌う様に読み、お東(真宗大谷派)は語尾を跳ね上げるように読み、高田(真宗高田派)は眠るように静かに読むことを表現した言葉です。
また、真宗大谷派では、大きな法要の際には南無阿弥陀仏を「なーーーーーーむーーあーーみーだーーーぶー」と語尾を非常に伸ばす読み方をする場合があります。自宅の宗旨が真宗高田派の知り合いは、真宗大谷派はやたらと語尾を延ばすからいらいらしてくると話をしていました。そのため、宗旨が同じでも違和感があることがあるようです。蛇足ながら菩提寺のご住職のお話では、法要の格式によって語尾の延ばし方が決まっているとの話です。
一般の方がお経を聞く機会はそれほど多くなく、親族の葬式や法事の席が大半ではないでしょうか。
これは亡くなった方にとっても同じであり、生前に聞きなれたお経は自宅の宗旨のお経の方が大半ではないでしょうか。また、自宅の宗旨を意識されていない方が多い反面、親から受け継いできた宗旨にこだわりを持つ方も少なくありません。そのため、自宅の宗旨で供養された方が他の宗旨で供養されるよりも戸惑いが少なく、ご先祖の成仏は早い傾向があります。
例外としては、生前に宗教に対して否定的な考えをされていた方や来世の存在を頑なに否定されていた方の場合には、どの宗旨で供養されても成仏するのに時間がかるのは同じであり、どの宗旨で供養されてもあまり変わらない傾向があります。また、生前に自宅の宗旨とは異なる宗旨を信仰されていた場合には、生前に信仰されていた宗旨で供養される方が成仏が早い傾向があります。
ただし、日蓮正宗などの一部の宗旨では、故人が生前に信仰していた宗旨であっても、施主が他の宗旨を信仰していますと供養を断られることがあるようです。これは僧侶は信者以外からの布施を受け取るべきではなく、信者は自分が信仰している宗旨以外のお寺に布施をすべきではないとの教えがあることが理由です。しかし、理由はどうあれ、その宗旨を信仰していない方が故人が信仰していたからとの理由で供養することはできません。このような場合には、同じ教えの流れを組む宗旨で供養されることをお勧めしていますが、どうしても供養の効率は悪くなることは避けられません。
また、水子の場合には生まれていないことから生前の宗旨は関係ありませんので、基本的にはどの宗旨で供養されても問題はありませんが、商業主義で水子供養を行っているお寺も少なくなく、水子供養に関しては何かと問題が多いようです。
それと理由は分かりませんが、水子は亡くなられて十年以上の歳月が流れていても幼稚園程度の幼い子供の意識のままでいることが少なくないようです。但し、これは一般論であり、小学生低学年の意識であったり、中学生に成長した意識であることもあるようです。しかし、共通しているのは、母性愛に飢えていることです。そのため、生まれることなかった子供ではありますが、母親が自分の子供として弔う気持ちを持つことで水子の成仏が早くなる傾向があります。
尚、浄土真宗の場合には、水子のために読経をお願いしても断られることがあります。いつも書いていることではありますが、浄土真宗では先祖供養を行いません。法事や葬儀で読まれるお経は、亡くなられた方を縁として阿弥陀仏に感謝するお経とされています。管理人からするならば、亡くなられた方を縁とするか、水子を縁とするかの違いだけに思えるのですが、お寺によっては先祖代々や故人を縁とする読経は良くても水子や有縁無縁之霊は断られることがありますのでご注意下さい。
星
題名と記事の内容が乖離しております。(- .-)ヾ ポリポリ
ただ、霊能者が語る霊界理論には少しばかり、疑問を感じることが少なくないことから、分かっている範囲のことを書き始めたのですが、いつも書いていることの繰り返しとなってしまいました。
本当は、別の話を書きたいとも思うのですが、最近の読者もいらっしゃることから話を整理する意味もあって順を追って書いております。今までの繰り返しが終りましたら、これまで投稿していない話も投稿したいと思っていますので、暫くお待ち下さい。
それはさておき、以前にご紹介した「教祖様にツッコミを入れるページ」にリーマン式供養を辞められた方からのメールが紹介されています。リーマン式供養の危険性を知るには貴重な体験談てあることから再度ご紹介させて頂きます。
教祖様にツッコミを入れるページ こちらから
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さて前回は、霊格の低い心霊は生前の意識のままであるのではないかと思われると書きましたが、このことは心霊現象を理解する際に重要な鍵となるのではないかと思います。管理人は自宅の宗旨で供養されることを基本的にお勧めしていますが、故人が自宅の宗旨とは異なる宗旨を信仰されていた場合には、故人が信仰されていた宗旨で供養されることをお勧めしています。これも亡くなられた方の生前の意識が大きく影響していると言えます。
管理人は一般の方に比べるならば、各宗旨のお経を聞いている人間だと思いますが、日蓮宗の法要に参列したときには、非常に違和感を感じました。法華経は他の宗旨でも読まれていることからリズムの違いは少し気なりましたが、戸惑うことはありませんでした。しかし、法要の雰囲気は何か独特の雰囲気があり、何とも居心地の悪い気がしました。特に信者の方々がうちわ太鼓を打ち鳴らし始めたときには、管理人のような部外者が参列すべきではないとの気持ちになりました。
これは、管理人が日蓮宗の法要に初めて参列したことから感じた違和感であると思います。そのため、日蓮宗の信者の方が浄土真宗の法要に参列されたならば同じことを感じるのではないかと思います。また、同じ浄土真宗であっても宗派が異なりますと、お経の読む早さなどが異なります。菩提寺のご住職とお話をさせて頂いていた際に檀家の方が各宗派のお経の読み方の違いを「歌うお西、跳ねるお東、眠りの高田」と表現されいたと言われていました。
これは少し解説が必要ですが、浄土真宗の常用経典に「正信偈」があります。これは親鸞聖人が浄土真宗の教えを要約された漢文であることから浄土真宗以外の宗旨で読まれることはないお経ですが、浄土真宗では非常に重視されるお経です。このお経をお西(浄土真宗本願寺派)は歌う様に読み、お東(真宗大谷派)は語尾を跳ね上げるように読み、高田(真宗高田派)は眠るように静かに読むことを表現した言葉です。
また、真宗大谷派では、大きな法要の際には南無阿弥陀仏を「なーーーーーーむーーあーーみーだーーーぶー」と語尾を非常に伸ばす読み方をする場合があります。自宅の宗旨が真宗高田派の知り合いは、真宗大谷派はやたらと語尾を延ばすからいらいらしてくると話をしていました。そのため、宗旨が同じでも違和感があることがあるようです。蛇足ながら菩提寺のご住職のお話では、法要の格式によって語尾の延ばし方が決まっているとの話です。
一般の方がお経を聞く機会はそれほど多くなく、親族の葬式や法事の席が大半ではないでしょうか。
これは亡くなった方にとっても同じであり、生前に聞きなれたお経は自宅の宗旨のお経の方が大半ではないでしょうか。また、自宅の宗旨を意識されていない方が多い反面、親から受け継いできた宗旨にこだわりを持つ方も少なくありません。そのため、自宅の宗旨で供養された方が他の宗旨で供養されるよりも戸惑いが少なく、ご先祖の成仏は早い傾向があります。
例外としては、生前に宗教に対して否定的な考えをされていた方や来世の存在を頑なに否定されていた方の場合には、どの宗旨で供養されても成仏するのに時間がかるのは同じであり、どの宗旨で供養されてもあまり変わらない傾向があります。また、生前に自宅の宗旨とは異なる宗旨を信仰されていた場合には、生前に信仰されていた宗旨で供養される方が成仏が早い傾向があります。
ただし、日蓮正宗などの一部の宗旨では、故人が生前に信仰していた宗旨であっても、施主が他の宗旨を信仰していますと供養を断られることがあるようです。これは僧侶は信者以外からの布施を受け取るべきではなく、信者は自分が信仰している宗旨以外のお寺に布施をすべきではないとの教えがあることが理由です。しかし、理由はどうあれ、その宗旨を信仰していない方が故人が信仰していたからとの理由で供養することはできません。このような場合には、同じ教えの流れを組む宗旨で供養されることをお勧めしていますが、どうしても供養の効率は悪くなることは避けられません。
また、水子の場合には生まれていないことから生前の宗旨は関係ありませんので、基本的にはどの宗旨で供養されても問題はありませんが、商業主義で水子供養を行っているお寺も少なくなく、水子供養に関しては何かと問題が多いようです。
それと理由は分かりませんが、水子は亡くなられて十年以上の歳月が流れていても幼稚園程度の幼い子供の意識のままでいることが少なくないようです。但し、これは一般論であり、小学生低学年の意識であったり、中学生に成長した意識であることもあるようです。しかし、共通しているのは、母性愛に飢えていることです。そのため、生まれることなかった子供ではありますが、母親が自分の子供として弔う気持ちを持つことで水子の成仏が早くなる傾向があります。
尚、浄土真宗の場合には、水子のために読経をお願いしても断られることがあります。いつも書いていることではありますが、浄土真宗では先祖供養を行いません。法事や葬儀で読まれるお経は、亡くなられた方を縁として阿弥陀仏に感謝するお経とされています。管理人からするならば、亡くなられた方を縁とするか、水子を縁とするかの違いだけに思えるのですが、お寺によっては先祖代々や故人を縁とする読経は良くても水子や有縁無縁之霊は断られることがありますのでご注意下さい。
星
at 19:22, 星 良謙・子授け地蔵, 霊感・霊能力について
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