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霊界理論の危うさ16(星)

本題に入る前に、催事のお知らせです。

NHK BS プレミアムで「空海 至宝と人生」が放映されます。

8/7.8.9 三夜連続放送となります。 

8.7(日) PM 7:30 ~ 8:59 仏像革命
8.8(日) PM 8:00 ~ 9:29 名筆の誕生
8.9(日) PM 8:00 ~ 9:29 曼荼羅の宇宙

詳しくは こちらから

それはさておき・・・・

前回の投稿で邪気に関する考察を紹介しましたが、邪気と言っても色々であり、今回は少し特殊な事例をご紹介したいと思います。

鬱積した不満や怒りの想念が邪気となり、運気を低迷させることは前回にご紹介しましたが、これは何も個人だけの話ではなく、集団や組織においても同じことが起きます。例えば、開発派と自然保護派、行政と住民、経営者と社員などのように集団間の激しい対立がありますと、激しい怒りや不満が邪気となり、運気を低迷させることになります。

このような集団や組織から発生した邪気は、地域や組織の運気を低迷させる原因となりますが、個人の場合と異なるのは、邪気の総量の違いではないかと思います。怒りや不満の想念を数値化することは困難な話ではありますが、一人の人間が生み出す怒りや不満の想念の量よりも、数百人の人間が生み出す怒りや不満の想念の量の方が大きくなります。

集団や組織と言っても家族従業員だけの経営する小規模な会社から数千、数万の集団や組織までありますので、同一に論じることはできないのですが、集団によって生み出された邪気は、個人が生み出した邪気の影響力よりも大きく、また対処も困難となると言えます。小さい村や小さな町であるとしても住民を二分するような激しい対立となりますと、生み出された邪気も非常に大きな影響力を持つことになります。

これは地域社会に限られた話ではなく、会社組織や学校など人間が集まる場所ならば、どのような組織にも起こることです。これは、国家や国家間の話でも例外ではなく、国民の大半が自国の政治に怒りや大きな不満を持った場合には、革命や大きな社会変革の気運になることが多いのではないかと思います。また、これが外国に対して怒りや大きな不満を国民の大半が持つならば、外交的な対立や戦争に突き進む気運になると思われます。

勿論、革命や社会改革の価値を一概に否定する気持ちはありませんが、革命は現状の体制を破壊して再建する行為であり、社会改革は現状の体制を修正する行為であることから自国の政治に激しい怒りや不満が国民の間に充満していなければ成り立たないことではないかと思われます。

このように考えますと、集団や組織が生み出した怒りや不満は、集団や組織が大きくなればなるほど、怒りや不満の原因を解消することでしか、生み出された邪気を解消することは困難であり、邪気を解消するためには、現実の問題を解決するための努力と優れた指導者が必要であると言えます。そのため、前回の投稿や開運の方法でご紹介した邪気の対策には限界があると言えます。

しかし、部分的な効果であるならば、集団や組織においても前回の投稿や開運の方法でご紹介した邪気の対策は有効となります。例えば、商店街などで落書きを放置するならば、治安が悪化する傾向があり、小さな落書きでも見逃すことなく消すことで街の治安が良くなると聞きます。また似たような事例では、学校でも割られた窓ガラスを放置すると学校が荒れることから、割れた窓ガラスはすぐに修理することが大切であると教育学者の方が言われていました。

これらのことは、前回の投稿や開運の方法でご紹介している負の要因の排除と同じであり、基本的には同じことであると言えます。ただ、集団や組織が大きくなればなるほど、負の要因を排除することが難しくなり、経済的な負担や人的な負担が増大すると言えます。

次にご紹介する事例はあまりにも特殊な事例となりますが、敷地に大量の墓石が埋められていたことから運気が低迷していたとの話を聞いたことがあります。これはあるお寺のご住職から聞いた話ですが、そのご住職が知り合いの僧侶の方と非常に強い法力を持ち、多くの方の相談に応じていた僧侶の方に相談に行かれたところ、お寺の建物の下に大量の墓石が埋められていると指摘されたそうです。しかし、その方は半信半疑でそのまま忘れていたそうですが、建物を改築した際に敷地から大量の墓石が見つかり、あわてて再度相談され、対策を相談されたそうです。

墓石は精抜きをすれば、ただの石であると言えますが、迷っている心霊が長年宿っていた可能性が高いことから邪気が溜まっている可能性があります。また、一つ一つの墓石の邪気がわずかであるとしても大量にあるとなれば、話は別となります。敷地に負の要因となる物が大量に埋められているならば、運気は大きく低迷する要因なりますが、対策としては掘り返して処分するしかありません。
そのため、負の要因となる物はなるべく敷地内に埋められないことをお勧めします。

尚、邪気や負の想念に似た考え方として陰気があります。陽気は文字通り、明るく楽しい気であり、陰気は暗く陰湿な気であると考えられる方も多いのではないかと思いますが、中国の思想においては陰陽のどちらも大切であり、陰陽の調和が大切であるとされています。

住宅や職場の場合には、陽気が強ければ明るく活気に満ちた空間となりますが、陽気が強すぎますと安らぎのない空間となります。そのため、喫茶店や寝室などでは陽気よりも陰気がやや勝っている方が良いとされます。しかし、陰気が強すぎますと落ち着いた空間ではなく、寂れた空間となり、邪気を呼び込みやすくなります。

PS
前回の投稿で「開運の方法」のリンク先をブクログのパブーのTOPにしておりましたが、「幸せのメッセンジャー」の「開運の方法・改訂版」のページに変更しました。

「開運の方法・改訂版」はブクログのパブー(電子出版)から出版しておりますが、個別のページにリンクすることができないことからTOPにリンクをしておりましたが、ブクログのパブー(電子出版)は携帯電話に対応していないことに気付きましたので、リンク先を変更しました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

at 09:42, 星 良謙・子授け地蔵, 霊感・霊能力について

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霊界理論の危うさ15(星)

久々に二日続きの投稿となります。とは言っても、前回に投稿するの内容が長文になってしまったことから分割しての投稿になったと言うべきなのですが・・・・・(- .-)ヾ ポリポリ

それはさておき・・・・・

邪気とは、何かを考えますと、人間の持つ負の想念であり、具体的には不平不満や愚痴、悲しみ、怒り、憎しみ、嫉妬心などの心であると言えます。愚痴や怒りが運気を低迷させることなど管理人に言われなくても分かっているが、それができないから困っていると言われる方も多いのではないかと思われます。しかし、不平不満や愚痴、悲しみ、怒り、憎しみ、嫉妬心などの感情をどうしたなら持たなくなるのかと言った話は宗教家や心理学者にお任せしたいと考えています。

このブログで神仏のお言葉や各宗旨の教えを紹介はしておりますが、管理人の仕事は占い師であり、宗教家ではありません。もし、管理人が宗教家として活動するのであるならば、人の道を説かなければなりませんが、この人の道を説くことと占い師としての活動が相容れないことがあります。占い師であるならば、離婚や不倫などに関しても中立的な立場でご相談に応じることができますが、人の道を説く宗教家としてご相談に応じるならば、離婚や不倫を容認することは難しくなります。

また、自分のことを信仰に生きている人間ではなく、信仰を外側から眺めている人間だと考えています。そのため、信仰を外側から眺めているからこそ各宗旨の教えを解説できるのであり、自分が信仰に生きていたならば、各宗旨の教えを紹介することは難しいと思います。しかし、気付けば浄土真宗の教えの紹介が多くなっていると反省しております。

いずれにしても人に教えを説く立場にもないと思いますので、自分が過去に体験から得られた経験則の紹介にとどめたいと考えています。

さて、過去の経験では邪気には二つの特徴があると思います。その一つは負の想念を持ち続けますと負の想念を生み出した本人の意思とは無関係に負の想念が周囲の環境を悪化さます。これは愚痴を延々と聞き続けるならば、暗い気持ちになるのと同じであり、愚痴が多い家庭や職場は陰気な雰囲気となり、怒りや不満の多い家庭や職場は殺気立った雰囲気となります。また、負の想念は生み出した本人の運気も低迷させます。

また、人の想念はそれが祈りなどの人の幸せを祈る想念か、人の不幸を願う嫉妬などの負の想念であるかを問わず、物に宿ると思われます。修行の場として長い歴史を持つお寺の仏像は、霊格の高い神霊が持つお力だけでなく、僧侶の方々が人々の幸せを祈り続けた想念の力が宿っていると言えます。これとは逆に怒りや愚痴などの負の想念も物に宿るとことがあります。

これは本人の意思とは無関係に起きる現象であり、本人が全く自覚していなくても起こります。代表的な事例としては、小さくても負の想念を長期間溜め続けることで起きる場合があります。たとえば、念の強い人が不平不満を持ちながら仕事をしてるならば、毎日使用している道具に負の想念が宿ったり、働いている場所に負の想念が溜まることがあります。

そのため、従業員が強い不満を持つ職場には邪気が溜まり、霊感のない人であっても何となく活気のない職場や会社と感じるようになります。これは家庭でも事情は同じであり、家の中が陰気な雰囲気になり、家族が自宅にいても落ち着けないことになります。

この他にも、強い悲しみや怒りの感情を吐き出すように書いた日記、作家が悲しみや怒りを込めて描いた絵画などの作品なども負の想念が込められている場合があります。また、本人にとって辛い想い出がよみがえる品物にも負の想念が溜まります。

本人が自覚していなくても負の想念がこもった物に取り囲まれて暮らしていたり、邪気が溜まった職場で働く生活が続いていますと、次第に生気が奪われて運気が低迷し始めます。これを防ぐ対策としては、整理整頓と掃除、そして不用品の処分が有効となります。簡単に説明するならば、負の要因となる物を出来る限り排除することで影響を遮断できます。

過去の事例では、負の想念がこもっている品物を破壊しますと負の想念は消えますので、処分には神経質になる必要はないと思われます。しかし、辛い悲しみの想い出など詰まったような物は破壊して処分されることをお勧めしますが、心配ならば神社仏閣でお焚き上げをお願いして下さい。

参考図書 開運の方法・改訂版 こちらから

次回に続きます。

at 21:46, 星 良謙・子授け地蔵, 霊感・霊能力について

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霊界理論の危うさ14(星)

このところ、一週間に一回の投稿ペースになっております。(- .-)ヾ ポリポリ

それほど仕事が忙しいと言うわけでもないのですが、雑用に追われている日々が続いております。

何せ、このところの連日の暑さ・・・・

少し動けば・・・(@´_`@) チカレタ・・

当然のことながら能率が大幅に低下・・・・(-_-)ゞ゛ウーム

夏本番を前にして早くも涼しくなることを願っております。


それはさておき・・・

「霊界理論の危うさ」のタイトルを掲げながらも、これまでの投稿内容と重複しておりましたが、今回からこれまでご紹介しなかった話を投稿させて頂きたいと考えています。

さて、管理人が霊感を意識し始めたのは、二十代の前半でしたが、自分に霊感や霊能力があるとも考えませんでした。その理由は幾つかありますが、霊感を持つ方々の話を聞いていますと亡くなられた方の姿や考えていることを明確に語られましたが、管理人が感じるのは気配が中心であり、亡くなられた方の姿を明確に見ることはできませんでした。

そのため、自分に霊感があるとは考えていませんでしたが、何故か霊感の強い方からは、管理人の方が霊能力が強いと言われたことが何度かありました。しかし、当の本人にはそんな自覚はなく、どうしてそのような言われ方をするのかも分かりませんでした。また、三十代の前半に気功の本を読んでからは、自分が感じていたのは気の感覚ではないかと思うようになりました。

気の感覚としては、邪気と死霊と生霊はどれも似たような感覚であり、区別するのは難しいと感じていました。これは現在も同じような状態であり、邪気も生霊も死霊はどれも同じような感覚でしかありません。ただ、昔と異なるのは、感覚の違いから多少は区別がつくようになったことでしょうか。

勿論、管理人も霊視の経験はありますが、過去の経験を考えますと管理人の意思で霊視していると言うよりも神仏にお姿を見せて頂いていると考えるべきではないかと思われることが大半です。そのため、自分では霊視をしているとの自覚はほとんどありません。また神仏だけでなく、一般の故人を霊視したことも何度かありますが、その多くは故人が何かを伝えるために姿を見せているのではないかと思われます。そのため、一般的な霊能者の方のような霊視能力はないと考えています。

尚、霊視の出来る方とお話をしていて気付いたこととして、明確に心霊の姿や考えを霊視できる方は、高い霊格の神霊や非常に低い霊格の心霊の霊視が困難な傾向があることがあります。つまり、一定の幅の霊格の心霊に関しては詳細に霊視できても、高い霊格の神霊や非常に低い霊格の心霊の霊視は難しい傾向があるようです。

話を戻しますと、生きている人間の運気を低迷させる意味においては、邪気も死霊も生霊も同じですが影響力も異なりますし、対処の方法も異なります。一般論として語るならば、対処しやすい順番は邪気、死霊、生霊となります。勿論、これは一般論であり、邪気と言っても死霊以上に厄介なときもありますし、生霊と言っても比較的簡単に対処できる場合もあります。

この理由を解説しようとしますと、邪気とはなにか、死霊とは何か、生霊とは何かについて解説する必要があります。勿論、これらは科学的に解明された事実ではなく、管理人の経験則から得られた推論でしかありませんので、一つの仮説してお考えください。

次回は邪気に対する考察を取り上げます。

at 22:45, 星 良謙・子授け地蔵, 霊感・霊能力について

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催事のお知らせ


東京国立博物館 平成館で「空海と密教美術展」が開催されます。

会  期    2011年7月20日(水)〜9月25日(日)
会  場    東京国立博物館 平成館(上野公園)

詳しくは 空海と密教美術展 公式サイト こちらから 


名古屋市博物館で「甚目寺観音展」が開催されます。

会  期     2011年7月16日(土)〜8月28日(日)
会  場    名古屋市立博物館

特別出品として国宝「一遍聖絵(いっぺんひじりえ)」が7月29日(金)まで展示されるようです。

詳しくは 名古屋市博物館 公式サイト こちらから



at 00:26, 星 良謙・子授け地蔵, 仏教

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霊界理論の危うさ13(星)

若い方であるならば、良縁祈願をされる方も多いのではないでしょうか?
どんな祈願であっても同じですが、同じように祈願をされても祈願が成就することもあれば、どんなに熱心に祈願をしても全く成就しない場合もあります。これは良縁祈願でも同じであり、比較的簡単に祈願が成就する場合もあれば、全く成就しない場合もあります。

良縁祈願に限らず、一般的な祈願でも結果にこだわりますと祈願の成就が困難な場合があります。例えば意中の人と何としても交際や結婚できることを祈願されますと場合によっては、祈願すればするほど、意中の方との交際や結婚が困難になることがあります。

これは祈願する方が意中の方との交際や結婚を真剣に神仏に願われたとしても、神仏が意中の方との交際や結婚が二人の幸せにならないと判断されるならば、祈願することは祈願をする方にとって逆効果となります。そのため、祈願などしない方が良かったとの結果になります。

そのことを承知して、神仏に意中の方と交際や結婚することが二人にとって幸せになるのであるならば、意中の方と交際や結婚できるようにとお願いされるならば良いのですが、それができる方は限られているのではないでしょうか。大半の方は意中の人と交際や結婚を願って祈願をされると思われます。そのため、こんなに真剣に祈願したのにと神仏を怨む方も少なくないのではないかと思われます。

管理人の知り合いに押しかけ女房同然に意中の人と結婚された二人の女性がいましたが、一人は十年後には家庭内別居の状態であり、もう一人の方は十数年後に離婚されました。そのため、意中の方と結ばれることが二人の幸せになるとは限らないと言えます。勿論、意中の方と結婚され、幸せな夫婦生活を過ごされる方もいらっしゃいます。また相性の悪さや考え方に違いがあるとしても、結婚後の二人の努力で問題を解消できると言えます。

そのため、結婚前に既に二人の運命が決まっていると考える必要はありませんが、意中の人とどうしても結ばれることを願われている方には、縁結びの祈願はあまりお勧めできないと言えます。しかし、特定の相手を前提としない良縁祈願の場合には、事情が異なります。この場合には、祈願された方にふさわしいお相手と出会う傾向があるようです。但し、祈願された方にふさわしい相手が祈願された方が期待されるような方であるかは別の問題となります。

過去の事例では、運気の低迷されている方は出会うお相手も運気の低迷されている方となり、運気の強い方は運気の強いお相手と出会う傾向があります。また、深刻な霊障がある場合には、婚期が遅れる原因となる場合があります。特に女性の場合には、結婚後に他家に嫁がれることが多いことからご先祖供養が供養してくれる人間がいなくなることを恐れて、結婚を妨害する事例があります。

男性の場合でも怨みを抱く有縁無縁之霊が家系を絶えさせるために結婚を妨害する場合などもあります。そのため、良縁を願われるならば、遠回りに見えても開運の方法を実践されることが結果として近道になると言えます。


at 19:11, 星 良謙・子授け地蔵, 霊感・霊能力について

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霊界理論の危うさ12(星)

このところ、連日暑い日が続いております。

(^^;;;;;; アセガトマラン

まだ七月の初めなのに、この暑さ・・・・・・

八月になったならば、どんな暑さになるのかと考えると目まいがしそうです。

(−−; ゲソ〜

節電に協力したいと思っていても、クーラーの誘惑に負けそうです。

それはさておき、本題に入る前に・・・・・・

さして深く考えることもなく始めたブログではありますが、このブログを立ち上げた際に管理人が一つだけ決めたことがあります。それは政治問題を取り上げないことでした。宗教も同じですが、何が正しく、何が間違いであると決められないのが政治の世界であると考えています。管理人は果てしない論争が続ける気持ちもなく、また自分の考えを押し付ける気持ちもないことから、政治に関する事柄は取り上げないことを決めました。

しかし、前回の投稿で取り上げました原理主義の弊害の事例として毛沢東の事例が参考になると思われますので、ご紹介したいと思います。勿論、これは原理主義の弊害の事例としての紹介であり、政治的な意図はありません。

国際派日本人養成講座
中国の失われた20年(上) こちらから
中国の失われた20年(下) こちらから
さて、このところ神仏の働きについての考察を投稿していますが、今回は神仏の生きている人間に対する働きかけの考察をご紹介したいと思います。

生きている人間からするならば、困難な状況に陥っている人間だからこそ、強い力を持つ神霊の応援を求めたくなりますが、過去の経験では困難な状況に陥っているからと高い霊格の神霊のお力をお借りすることで問題が解決するとは限らない傾向があると思われます。

現在は対面での鑑定はほとんどしておりませんが、占い師として活動を始めた初期の頃は、知り合いから頼まれれば、霊域の改善の具体的な指導や参拝の同行をしていた時期がありました。蛇足ながら、その頃に指導していた内容をまとめたのが「開運の方法」です。そのため、管理人が相談を受けたとしてもアドバイスできる内容は、基本的には「開運の方法」に書かれた内容でしかありません。

さて、霊域の改善の具体的な指導をさせて頂く際には、当然のことながら負の想念が溜まっている場所がないかの確認と対策の指導、神棚や仏壇の確認と対策の指導などをさせて頂いていました。また古いお札やお守りなどがあれば、お札やお守りのお返しを兼ねて、参拝の同行をさせて頂くこともありました。

その頃の経験では、困難な状況に陥っている方であるからと出来る限り高い霊格の神霊やお力の強い神霊をお迎えしても、状況を打開することは容易ではありませんでした。その理由の一つが依頼者の依存心でした。困難な状況に陥っているからこそ、助けを求める気持ちや誰かを頼りたい気持ちがあるのは当然なのですが、依頼者が問題の解決に積極的に取り組む意欲が欠落しているのではないかと思われる場合には、問題の解決は困難でした。

ある真言宗系の神霊が依頼者に「舞台の主役はあなたであり、神霊は脇役である。」、「舞台から主役が降りてしまったならば、脇役は舞台から降りるしかない。」と説かれました。これは依頼者が問題に立ち向かう気持ちがあれば、神霊のご加護はありますが、依頼者が問題に立ち向かうことを恐れて逃げ出すならば、神霊は助けようがないことを表しています。

つまり、助けて欲しいと神仏に懸命に祈願しても、神仏が依頼者に成り代わり、問題を解決して下さるのではなく、問題を解決するのは依頼者であり、神仏は問題の解決の手助けをして下さると考えるべきではないか思われます。これはコーチと選手の関係に似ているのではないかと思われます。コーチがどんなに優れた指導力を持っていても選手に成り代わって、試合に出場することはできないのと同じではないでしょうか。

そのため、依頼者が依存心が強く、問題から逃げたい気持ちが強いとせっかく高い霊格の神霊やお力の強い神霊をお迎えしても神霊は帰られてしまうことが続きました。勿論、この場合でも全く神仏のご加護がなくなるのではなく、依頼者の心の段階に応じた神霊がご加護されます。これは神仏に救いを求めると言っても神仏がすべてを解決してくれると考えるべきでなく、神仏のご加護を得るとは困難に立ち向かう勇気と力を授かることであると考えることができます。

しかし、聖道門(自力の教え)からするならば、神仏に救いを求めると言っても神仏がすべてを解決してくれると考えるべきでなく、神仏のご加護を得るとは困難に立ち向かう勇気と力を授かることであると考えるべきであるとしても、他力門の教えではすべてを神仏にゆだねることが大切であるとされていることから矛盾していると考えることができます。

この矛盾とは何かを考えますと、他力の教えにおいて説かれている救いとは何かを考える必要があります。他力門の教えにおいて説かれている救いとは極楽往生であり、死後の世界における幸せであると言えます。これは人生の最大の不安である死の恐怖の解消であると言えます。そのため、他力門で説かれている救いとは、現世利益ではありません。

若い頃に浄土真宗の教えを学んだ際に親鸞聖人の生涯には感銘を受けましたが、死後の不安の解消ばかりを説く教えに疑問を感じました。自分が悩んでいるのは、日々の生活の中の苦悩であって死後の不安であったことから、浄土真宗の教えに関心を失いました。つまり、自分の苦悩を解消できる教えであるとは思えませんでした。

これは誰でも感じることではないかと思います。親鸞聖人が教えを説かれた時代には、多くの人々が現世に希望を抱くことが難しかったことや多くの人々が地獄に落ちることを真剣に恐れていたこと時代であったことから、極楽に往生できることは非常に大きな意味があったと言えますが、現代社会においては、死後に地獄に落ちるのではないかと恐怖に怯える人は皆無に近いのではないかと思います。

そのため、他力門の神霊とお話をさせて頂く機会を得た際に、神霊にお尋ねしたところ、神霊は極楽往生が決定するとは、阿弥陀仏に罪を許されることであり、阿弥陀仏の許されていることを知ることであると説かれました。そして阿弥陀仏に許されていることを知るならば、心は既に極楽に通じていることから極楽に往生しているのと同じであると説かれました。つまり、他力門の教えの説く救いとは来世の極楽往生だけと考えるべきではなく、阿弥陀仏の慈悲を実感することで得られる安心感であると言えます。

このように考えますと他力門の説く阿弥陀仏にすべてをゆだねるとは、修行に耐えられない身であることを自覚してすべての言い訳や弁明を捨て去って阿弥陀仏の慈悲にすがることであると言えます。そのため、阿弥陀仏にすべてをゆだねるならば、阿弥陀仏が問題を解決して下さると考えるべきではないと言えます。つまり聖道門(自力の教え)でも他力門の教えでもご加護を得るとは困難に立ち向かう心を授かることであると考えることができます。

星                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

at 13:05, 星 良謙・子授け地蔵, 霊感・霊能力について

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