神道の歴史2(星)
パンフレットの裏面に掲載された一文に共感を覚えましたので、一部をご紹介させて頂きます。
通信教育で
むなしく終えることのない人生を
西本願寺の通信教育生募集
開講 9月1日 募集期間 4月〜6月
み教えに学んで 「感謝」と「共感」を子供たちに伝えたい
一部略
仏教を勉強しなくちゃ、と思ったのは弁護士として少年事件を担当するようになってから。人を傷つけた子に「手をつねってごらん、痛いやろ」と諭すと、「自分は痛いけど相手のことは知らん」という反応に出会うことが多くなったのです。以前の不良は私も含めて、少なくとも人の痛み(心も身体も)はわかったいました。ケンカしても、刃物を振り回しても、それ以上はダメという一線を知っていたように思います。ブレーキが利かないどころか、相手が死んでしまうことにも全く意識が及ばない子を前に、「何がこうさせたのか」と首をかしげる日々が続きました。
そんな時、ある企業のトップの方がおっしゃった「敗戦後、宗教教育が取り払われて、日本人の"心の柱"がなくなっりましたね」という言葉にハッとしました。子どもたちに心を取り戻すには、自分自身が心を学ばなければ・・・・・・。
子どもはいろいろなことを吸収しながら育っていきます。だからこそ、大人は良いこと、正しいことを伝えていく義務があると思います。「おかげさま」「ありがたいさま」、そんな感謝と共感の心がわかる子どもが増えていくことを願っています。
大平 光代(おおひら みつよ)
大阪府在住 2007(平成19)年専修課程卒業
弁護士。波乱の人生を綴った『だから、あなたも生き抜いて』(講談社刊)は200万部を超えるベストセラーに。2003年から2005年大阪市助役。2006年結婚、出産。
(本願寺出版社「大乗」2007年6月号より転載)
浄土真宗本願寺派
中央仏教学院 通信教育部 こちらから
それはさておき・・・・
前回に続き、伊勢神道について少しご紹介させて頂きます。
今回の話は、少しばかり難しい話となりますので、難しいと思われたならば、読み飛ばしてまとめをお読みください。
今回も「神道の逆襲 菅野覚明著」から引用させて頂きながら話を進めようかと考えていたのですが、この本は一般の方には少し難しい内容となっています。そこで解説を入れながら紹介しようかと考えていましたが「神道とは何か 鎌田東二著」に分かりやすく解説されていましたので、今回はこちらから引用させて頂きます。
伊勢神道の思想運動
その新仏教の創造的展開を横目に見つつ、神道においてもより根源的な思想の形成がはかられることになる。それが伊勢神道である。
外宮(げぐう)の祠職(しょく)を務める渡会(わたらい)氏の度会家行(いえゆき)、度会延佳(のぶよし)などがその神道を主導したために、外宮神道とも度会神道とも言う。伊勢神道の中心をなす典拠は『神道五部書』である。これは度会家行などによる偽書とされるいわくの書であるが、思想的にはきわめて重要な意味がある。
そこでは、内宮(ないぐう)の神、天照大御神(あまてらすおおみかみ)よりもより根源的で普遍的な究極の神の観念が措定(そてい)されていた。その外宮の祭神である宇宙の根源たる豊受大神(とようけのおおかみ)を伊勢神道では国常立尊(くにとこたちのみこと)、あるいは天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とし、水徳の神であると位置づける。内宮の神天照大御神は日の神であるがゆえに、火の徳を持つ神であるのに対して、水徳の外宮の神、豊受大神は国の根源神であり、また宇宙の根源をなす元の神、元元本本の神であるとし、その最も根源的な神が外宮に祭られていると主張し、内宮と外宮の位置を反転させたのである。
こうして外宮の神の位置を高らしめようとする伊勢神道の思想運動が起ってくる。その中で、宇宙根源の神としての豊受大神=国常立尊=天御主神という、天照大御神に先行する神の探求が、儒教や道教や密教の思想を援用(えんよう)しながら主張されることになる。
PHP新書113 神道とは何か 鎌田東二著 P109-110
祠職(しょく) 神事祭祀に奉仕(従事)する人の総称
措定(そてい) ある事物・事象を存在するものとして立てたり、その内容を抽出して固定する思考作用
内容としては簡潔にまとまっているとは思いますが、一般の方には聞きなれない神様の名前が登場しますので、少し解説します。
内宮(ないぐう)の祭神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)は有名でも、外宮の祭神である豊受大神(とようけのおおかみ)はご存じない方も多いのではないかと思います。豊受大神(とようけのおおかみ)は内宮に祭られた天照大御神の食事である御饌(ミケ)の神として伊勢神宮外宮(豊受大神宮)に祀られる穀物女神とされています。
また、「その外宮の祭神である宇宙の根源たる豊受大神(とようけのおおかみ)を伊勢神道では国常立尊(くにとこたちのみこと)、あるいは天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とし、」とありますが、国常立尊(くにとこたちのみこと)や天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)に関しては神道に関心のある方でなれば、ほとんど知らないのではないかと思われますが、どちらも「古事記」と「日本書紀」の冒頭に登場する神様です。
「日本書紀」の冒頭の現代語訳
昔、天と地がまだ分かれず、陰と陽とが分かれていなかったとき、渾沌(こんとん)として形の定まらないことは鶏卵(けいらん)の中身のごとくであり・・・・・・
中略
それで、天地が開ける初めに、土壌が浮かび漂うこと、ちょうど魚が水にかんでいるようであったというのだが、そのとき、天と地とのあいだに一つの物が生じた。形は葦の芽のごとくで、それがそのまま神となつた。国常立尊(くにとこたちのみこと)と申す。次に国狭槌尊(くにのさつちのみひと)。次に豊斟渟尊(とよくむねのみこと)。あわせて三柱の神でいらっしゃる。
古事記と日本書紀 神野志隆光著 講談社現代新書 P115
引用させて頂いた文章には「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」の名前は登場しませんが、異伝承として登場します。これは少し解説が必要ですが、「日本書紀」の神話的物語の部分は、あるまとまりのある記事(本記)と、それに対する異伝が掲載されています。その異伝として天御中主神が登場します。
天御中主神は『古事記』や、『書記』の異伝承(第一段第四)では天地の神とされ、国常立尊(くにとこたちのみこと)と並び立つ位置を占めている。
神道の逆襲 菅野覚明著 講談社現代新書 P59
日本書紀の原文は こちらから 日本文学電子図書館 日本書紀(荒山慶一氏作成)
古事記の冒頭の現代語訳
天地が最初にあらわれ動きはじめた時に、高天原に成った神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすび)。この三柱の神は、みな独り神として身を隠した。古事記と日本書紀 神野志隆光著 講談社現代新書 P83
次に「水徳の神であると位置づける。」とありますが、これは御中主(みなかぬし)は水中主(みなかぬし)に通じることから中世においては天御主神は水の神とされていたようです。
「水徳の外宮の神、豊受大神は国の根源神であり」とありますが、これは豊受大神(とようけのおおかみ)が水と穀物を司る神とされていることから天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と豊受大神(とようけのおおかみ)は同一の神であるとの主張です。
まとめ
ここまで長々と書きましたが、伊勢神道では外宮の祭神である豊受大神(とようけのおおかみ)は古事記では最初に登場し、日本書紀の異伝承(第一段第四)では天地の神とされ、国常立尊(くにとこたちのみこと)と並び立つ位置を占めている天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と同一の神である説かれています。
つまり、豊受大神(とようけのおおかみ)は、日本書紀に最初に登場する国常立尊(くにとこたちのみこと)と並び立つ天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と同一の神であり、日本書紀の本記(本文)には掲載されていなくても天地の初めから存在していたことになり、外宮の祭神である豊受大神(とようけのおおかみ)が根源的な神であることになります。
長くなりましたので、次回に続きます。
星
at 00:12, 星 良謙・子授け地蔵, 神道
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