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古神道の考察(星)

最近はテーマを決めて投稿しておりましたが、暫くはテーマを決めずに投稿しようかと考えています。別に宗教や心霊世界の啓蒙活動のために記事を投稿しているつもりもないのですが、取り上げたいテーマがブログで取り上げるには重すぎました。

前回の「神道の歴史」も最初の動機は、古神道とは何かを考えるには、神道の歴史を知ることから始めたのですが、改めて神道の歴史を調べていましたところ、神道の歴史自体が神道とは何かを模索する歴史ではないかと思えるようになりました。

つまり、日本に仏教や儒教、道教が伝来する前の日本人にとって神とは神道の神々であり、神とは何かについて深く考えることはなかったのかもしれません。勿論、古代日本人がどのような世界観や死生観を持っていたかも分かりませんが、少なくとも仏教や道教が伝来したことで、自分たちの信仰としての神道が意識されるようになったのではないかと思われます。

つまり神道の歴史とは、仏教が伝来することで宗教としての神道が意識されるようになったことは事実であり、また当時は新興勢力であった仏教が在来の信仰であった神道を積極的に取り込むことで勢力を拡大し、それに対する神道勢力の反発が宗教としての神道の発展を促したと言えるのではなてかと思われます。そのため、日本における神道と仏教の歴史とは、融和と反発の歴史であり、互いに影響し合った歴史と言えます。

このことは何も神道に限られた話ではなく、文化や芸術の世界においても同じことが言えます。例えば、日本の絵画は中国や西洋の絵画の影響を受けながら発展してきたことは否定できないことですが、日本の浮世絵が西洋の絵画に強い影響を与えたことも事実です。つまり、何処の国の文化や芸術であっても他の国からの影響を受けながら発展し、またその国の文化や芸術が他の国の文化や芸術に影響を与えることは珍しくありません。

また、他の国の文化や芸術の影響を強く受けているから自分たちの文化や芸術の独自性が失われたと考えるべきでもないと思います。例えば、フランスはギリシャやローマの文化や芸術、キリスト教の影響を強く受けているからフランスは独自の文化や芸術が存在しないとは誰も考えないのではないかと思います。フランスはギリシャやローマの文化や芸術、キリスト教の影響を強く受けながらも優れた文化や芸術を発展させたことは誰でも知っていることではないでしょうか。

もし、外国の文化や芸術の影響を受けることで独自の文化や芸術が損なわれたと考えるのであるならば、ヨーロッパの国々は独自の文化や芸術が損なわれていることになります。そのため、仏教や儒教、道教などの外国の思想や文化の影響を受ける以前の日本人の精神や宗教観を追い求めることに意味があるのだろうかと疑問を持ちます。

ではどうして仏教や儒教、道教が伝来する以前の信仰を取り戻そうとの宗教運動が起ったのかを考えますと、その背景には仏教勢力の神道支配に対する神道側の復権運動があったと思われます。そして江戸後期の復古神道の動きの背景には、神道に日本人としてのアイデンティティ(自己同一性)を求めことがあるのではないかと思われます。

さて、改めて古神道とは何かを考えますと、古神道の定義について考える必要があると思います。「神道の歴史」の記事で下記のような投稿をしました。

暫く前のことですが、「古神道」の本を読んでいましたところ、少し気になる話がありました。古神道の定義を江戸後期から明治期に成立した神道系の宗教であると考えていましたが、その考えを修正すべきであると思われる内容でした。

 神道の歴史を述べることは本書の意図ではないので省略するが、神道は時代とともに変遷してきた。仏教渡来以前の古型のものから、仏教の影響を受けた「習合神道」 、そしてさらに陰陽などを総合して作られた吉田神道、白川神道など、さらに伊勢・賀茂・出雲・宇佐・宗像なとの大社の神主家に伝承された「社家神道」などを経て、明治維新後は国家神道が作られ、さらに戦後には神社神道という呼び方をされる組織化したシステムが作られた。
 これらのうち、仏教の影響の濃い中世神道と近代の神道を除くものが、「古神道」と言われるもので、わずかな家系・道系によって伝承されている。また、江戸・明治期に独立の行法家が出て、古い伝承をのとめた「古神道」というものもある。

神道の神秘 古神道の思想と行法 山蔭基央著 春秋社 P26

ここでは、『仏教の影響の濃い中世神道と近代の神道を除くものが、「古神道」と言われるもので、わずかな家系・道系によって伝承されている。』とありますが、家系・道系に伝承されている内容自体がすでに仏教の影響を受けているのではないかと思われます。更に「古神道」が海外の文化や思想の影響を受ける前の日本人の宗教観に立ち返ることを目的としているのであるならば、失われたユートピアを探し求めるのと同じ行為ではないかと思われます。

大和朝廷が成立した時期には既に海外との交易があったことを考えるならば、海外の文化や思想の影響を受けていたと思われます。更に稲が日本の固有種ではなく、海外からの伝来であることを考えるならば、海外の文化や思想の影響を受けていない時代とは、縄文時代の前期にまで遡ることが必要になります。

そのため、この本の著者は古神道の定義を『仏教の影響の濃い中世神道と近代の神道を除くものが、「古神道」と言われるもので、わずかな家系・道系によって伝承されている。』としていると思われます。しかし、古事記と日本書紀が成立した時点で既に中国の文化や思想を受けています。そのため、仏教の影響の強い神道を排除するのであるならば、道教や儒教の強い影響を受けている神道も排除すべきではないかとの話になります。

しかし、神道から中国の思想や文化の影響を完全に排除することは難しく、仮に神道から中国の思想や文化の影響を完全に排除したならば、現在の神道とは別物の神道になるのではないかと思われます。別に古神道の価値を否定する気持ちはありませんが、古神道が中国などの外国の文化や思想の影響を受ける前の日本人の精神や信仰の姿を伝承していると考えることには無理があると思われます。

ここまであれこれと書いてきましたが、最初の疑問に立ち返って、古神道とは何かを考えることや神道とは何かを考えますと、何が正しく、何が間違いかは自分の判断で決めるしかないと言う何とも曖昧な結論になります。長々と書きながら、最後は逃げるのかと怒られそうですが、何を書いたとしても一つの意見でしかなく、古神道こそが本来の神道であると考えを否定することに意味はないと思います。

最後に個人的な意見を書きますと、古神道よりも真摯に神と向かい合う空間と時間を持つことができる神社神道に親しみを感じています。

at 12:18, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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神道の歴史13(星)

神道の歴史について投稿してきましたが、神道の歴史については今回で最終回とさせて頂きます。そこで神道のまとめとして最後に神社神道と教派神道の違いを取り上げたいと思います。
本来であるならば、現代の神社神道の教えについて投稿すべきなのかもしれませんが、神道の教えとは何かについて紹介できる自信もありません。

そこで大宰府天満宮宮司の西高辻 信良氏の書かれた「いま知っておきたい神さま神社祭祀」から「神社神道と教派神道の違い」の一節を引用させて頂きながら神社神道について考えてみたいと思います。
 
神社神道と教派神道の違い
 組織という面から見ますと、まず教祖が存在することが大きな違いです。そして、その教祖の教えをもとにした経典があります。また、神社はなく、教会や布教所が布教や修行の場としておかれています。神社神道には定まった形で教義や教典といったものは特にありませんが、教派神道の各派には教義が教典の中におさめられています。それらは、いずれも教祖となった人が、神さまから受けた啓示などやみずからの体験によって特色づけられています。各派によって教義内容が異なりますが、類似している点もあります。それらをご紹介しておきましょう。

いま知っておきたい神さま神社祭祀 大宰府天満宮宮司 西高辻 信良著 主婦の友社 P20

補足
一般論としては正しいと言えるのでしょうが、少しばかり疑問を持つ内容となっています。
教派神道と言っても天理教や金光教のように教祖に神が降りることで開宗された教団もあれば、御嶽教のように古くから存在していた御嶽山信仰がもとになっている教団もあります。また、出雲大社教(いずもおおやしろきょう)のように出雲大社と非常に密接な関係のある教団もあります。更に数は少ないのですが、教派神道の所属されている神社もありますので、教派神道には神社がないとは言えません。

引用させて頂いた文章に続き、神社神道と教派神道の違いについて触れられていますので、内容を要約してご紹介させて頂きます。

〇信仰の違い

神社神道
神のおぼしめすままに行うことが信仰の道
日常生活で正しいことを行えばよい
言挙(ことあ)げしない

教派神道
信仰によって神との結びつきを意識
教義や教典によって生活を律する
朝夕のお勤めや祈りといった精神的、肉体的な方法を重んじる

補足
この本では神社神道は「日常生活で正しいことを行えばよい」とされていますが、滝行の会を開催される神社や定期的に神道に関する勉強会を開催されている神社もあります。また、機関誌を配布されている神社もありますので画一的に考えることはできませんが、神社神道は、信者の主体性を重視される傾向があり、信者に積極的に信仰心を求めない傾向があると言えます。

また、この本では「言挙(ことあ)げしない」とは、「議論や理論を立てない」と言った意味で使用されていると思われます。しかし、「言挙(ことあ)げしない」とは、言霊を重視する思想であり、安易に言葉を発するべきではないことであるとの解釈もあるようです。

まとめ
批判のための引用ではないかと思われる方も多いのではないかと思いますが、それだけ神道とは何かを定義することが難しいと言えるのではないかと思います。

at 11:53, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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神道の歴史12(星)

今回は、明治期の神道の変遷を紹介させて頂きます。しかし、明治期の神道の歴史については、手元に参考となる資料が少ないだけでなく、神道は宗教ではなく国家的祭祀とされたことなどから、このブログで取り上げるべきかとなりますと、少し疑問を抱くことから歴史的な事実だけを紹介させて頂く事にしました。

慶応四年正月(明治元年) 神祇(じんぎ)事務科設置
同年二月 神祇(じんぎ)事務科設置と改められる
同年三月 神祇官再興の太政官布告が出される
同年三月 全国神社の別当・社僧に還俗が命じられる
神仏判然令の発布が廃仏毀釈へと発展
同年四月 神祇の菩薩号廃止
同年五月 石清水八幡宮の大菩薩号の廃止
同年九月 明治に改元
同年十月 法華経三十番神を祭り、曼荼羅に天照大御神の神号ことが禁止される

※別当 寺務を統括する長官に相当する僧職
※社僧 神社に所属して仏事を行った僧

明治四年五月 神官・神職の世襲制の廃止
同年八月 神祇官を廃して神祇省を設置 
明治五年 神祇省を廃止して教部省を設置・教導職を設ける
明治八年 神道教導職が組織した神道事務局が創設される
しかし、神殿に奉斎する祭神に関して論争が起き、神道界は二分される

明治九年 神道修正派と黒住(くろずみ)教が独立

明治十年 教部省が廃止
明治十五年 官社の神官は教導職を兼務することや葬儀に関与することが禁じられる

神官は教導職を兼務することが出来なくなったことから、神道を宗教として布教したい人たちは神官をやめて独自の宗派を作らなければならなくなり、大成(たいせい)教、神習(しんしゅう)教、御嶽(おんたけ)教、出雲大社(いずもたいしゃ)教、実行(じっこう)教、扶桑(ふそう)教の六派が生まれました。

明治十七年 教導職が廃止
神道事務局の教導職たちは「神道」という名前の宗派をつくる。
これが現在の神道大教となる。

明治二十三年 内務省の社寺曲が廃止されて宗教局となり、さらに神社局が設けられる

明治二十七年 「神道」から神理教が分離独立
明治二十九年 禊(みそぎ)教が分離独立
明治三十三年 金光教が分離独立
明治四十一年 天理教がが分離独立


at 10:21, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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