2012.06.19 Tuesday
古神道の考察(星)
最近はテーマを決めて投稿しておりましたが、暫くはテーマを決めずに投稿しようかと考えています。別に宗教や心霊世界の啓蒙活動のために記事を投稿しているつもりもないのですが、取り上げたいテーマがブログで取り上げるには重すぎました。
前回の「神道の歴史」も最初の動機は、古神道とは何かを考えるには、神道の歴史を知ることから始めたのですが、改めて神道の歴史を調べていましたところ、神道の歴史自体が神道とは何かを模索する歴史ではないかと思えるようになりました。
つまり、日本に仏教や儒教、道教が伝来する前の日本人にとって神とは神道の神々であり、神とは何かについて深く考えることはなかったのかもしれません。勿論、古代日本人がどのような世界観や死生観を持っていたかも分かりませんが、少なくとも仏教や道教が伝来したことで、自分たちの信仰としての神道が意識されるようになったのではないかと思われます。
つまり神道の歴史とは、仏教が伝来することで宗教としての神道が意識されるようになったことは事実であり、また当時は新興勢力であった仏教が在来の信仰であった神道を積極的に取り込むことで勢力を拡大し、それに対する神道勢力の反発が宗教としての神道の発展を促したと言えるのではなてかと思われます。そのため、日本における神道と仏教の歴史とは、融和と反発の歴史であり、互いに影響し合った歴史と言えます。
このことは何も神道に限られた話ではなく、文化や芸術の世界においても同じことが言えます。例えば、日本の絵画は中国や西洋の絵画の影響を受けながら発展してきたことは否定できないことですが、日本の浮世絵が西洋の絵画に強い影響を与えたことも事実です。つまり、何処の国の文化や芸術であっても他の国からの影響を受けながら発展し、またその国の文化や芸術が他の国の文化や芸術に影響を与えることは珍しくありません。
また、他の国の文化や芸術の影響を強く受けているから自分たちの文化や芸術の独自性が失われたと考えるべきでもないと思います。例えば、フランスはギリシャやローマの文化や芸術、キリスト教の影響を強く受けているからフランスは独自の文化や芸術が存在しないとは誰も考えないのではないかと思います。フランスはギリシャやローマの文化や芸術、キリスト教の影響を強く受けながらも優れた文化や芸術を発展させたことは誰でも知っていることではないでしょうか。
もし、外国の文化や芸術の影響を受けることで独自の文化や芸術が損なわれたと考えるのであるならば、ヨーロッパの国々は独自の文化や芸術が損なわれていることになります。そのため、仏教や儒教、道教などの外国の思想や文化の影響を受ける以前の日本人の精神や宗教観を追い求めることに意味があるのだろうかと疑問を持ちます。
ではどうして仏教や儒教、道教が伝来する以前の信仰を取り戻そうとの宗教運動が起ったのかを考えますと、その背景には仏教勢力の神道支配に対する神道側の復権運動があったと思われます。そして江戸後期の復古神道の動きの背景には、神道に日本人としてのアイデンティティ(自己同一性)を求めことがあるのではないかと思われます。
さて、改めて古神道とは何かを考えますと、古神道の定義について考える必要があると思います。「神道の歴史」の記事で下記のような投稿をしました。
暫く前のことですが、「古神道」の本を読んでいましたところ、少し気になる話がありました。古神道の定義を江戸後期から明治期に成立した神道系の宗教であると考えていましたが、その考えを修正すべきであると思われる内容でした。
神道の神秘 古神道の思想と行法 山蔭基央著 春秋社 P26
ここでは、『仏教の影響の濃い中世神道と近代の神道を除くものが、「古神道」と言われるもので、わずかな家系・道系によって伝承されている。』とありますが、家系・道系に伝承されている内容自体がすでに仏教の影響を受けているのではないかと思われます。更に「古神道」が海外の文化や思想の影響を受ける前の日本人の宗教観に立ち返ることを目的としているのであるならば、失われたユートピアを探し求めるのと同じ行為ではないかと思われます。
大和朝廷が成立した時期には既に海外との交易があったことを考えるならば、海外の文化や思想の影響を受けていたと思われます。更に稲が日本の固有種ではなく、海外からの伝来であることを考えるならば、海外の文化や思想の影響を受けていない時代とは、縄文時代の前期にまで遡ることが必要になります。
そのため、この本の著者は古神道の定義を『仏教の影響の濃い中世神道と近代の神道を除くものが、「古神道」と言われるもので、わずかな家系・道系によって伝承されている。』としていると思われます。しかし、古事記と日本書紀が成立した時点で既に中国の文化や思想を受けています。そのため、仏教の影響の強い神道を排除するのであるならば、道教や儒教の強い影響を受けている神道も排除すべきではないかとの話になります。
しかし、神道から中国の思想や文化の影響を完全に排除することは難しく、仮に神道から中国の思想や文化の影響を完全に排除したならば、現在の神道とは別物の神道になるのではないかと思われます。別に古神道の価値を否定する気持ちはありませんが、古神道が中国などの外国の文化や思想の影響を受ける前の日本人の精神や信仰の姿を伝承していると考えることには無理があると思われます。
ここまであれこれと書いてきましたが、最初の疑問に立ち返って、古神道とは何かを考えることや神道とは何かを考えますと、何が正しく、何が間違いかは自分の判断で決めるしかないと言う何とも曖昧な結論になります。長々と書きながら、最後は逃げるのかと怒られそうですが、何を書いたとしても一つの意見でしかなく、古神道こそが本来の神道であると考えを否定することに意味はないと思います。
最後に個人的な意見を書きますと、古神道よりも真摯に神と向かい合う空間と時間を持つことができる神社神道に親しみを感じています。
星
前回の「神道の歴史」も最初の動機は、古神道とは何かを考えるには、神道の歴史を知ることから始めたのですが、改めて神道の歴史を調べていましたところ、神道の歴史自体が神道とは何かを模索する歴史ではないかと思えるようになりました。
つまり、日本に仏教や儒教、道教が伝来する前の日本人にとって神とは神道の神々であり、神とは何かについて深く考えることはなかったのかもしれません。勿論、古代日本人がどのような世界観や死生観を持っていたかも分かりませんが、少なくとも仏教や道教が伝来したことで、自分たちの信仰としての神道が意識されるようになったのではないかと思われます。
つまり神道の歴史とは、仏教が伝来することで宗教としての神道が意識されるようになったことは事実であり、また当時は新興勢力であった仏教が在来の信仰であった神道を積極的に取り込むことで勢力を拡大し、それに対する神道勢力の反発が宗教としての神道の発展を促したと言えるのではなてかと思われます。そのため、日本における神道と仏教の歴史とは、融和と反発の歴史であり、互いに影響し合った歴史と言えます。
このことは何も神道に限られた話ではなく、文化や芸術の世界においても同じことが言えます。例えば、日本の絵画は中国や西洋の絵画の影響を受けながら発展してきたことは否定できないことですが、日本の浮世絵が西洋の絵画に強い影響を与えたことも事実です。つまり、何処の国の文化や芸術であっても他の国からの影響を受けながら発展し、またその国の文化や芸術が他の国の文化や芸術に影響を与えることは珍しくありません。
また、他の国の文化や芸術の影響を強く受けているから自分たちの文化や芸術の独自性が失われたと考えるべきでもないと思います。例えば、フランスはギリシャやローマの文化や芸術、キリスト教の影響を強く受けているからフランスは独自の文化や芸術が存在しないとは誰も考えないのではないかと思います。フランスはギリシャやローマの文化や芸術、キリスト教の影響を強く受けながらも優れた文化や芸術を発展させたことは誰でも知っていることではないでしょうか。
もし、外国の文化や芸術の影響を受けることで独自の文化や芸術が損なわれたと考えるのであるならば、ヨーロッパの国々は独自の文化や芸術が損なわれていることになります。そのため、仏教や儒教、道教などの外国の思想や文化の影響を受ける以前の日本人の精神や宗教観を追い求めることに意味があるのだろうかと疑問を持ちます。
ではどうして仏教や儒教、道教が伝来する以前の信仰を取り戻そうとの宗教運動が起ったのかを考えますと、その背景には仏教勢力の神道支配に対する神道側の復権運動があったと思われます。そして江戸後期の復古神道の動きの背景には、神道に日本人としてのアイデンティティ(自己同一性)を求めことがあるのではないかと思われます。
さて、改めて古神道とは何かを考えますと、古神道の定義について考える必要があると思います。「神道の歴史」の記事で下記のような投稿をしました。
暫く前のことですが、「古神道」の本を読んでいましたところ、少し気になる話がありました。古神道の定義を江戸後期から明治期に成立した神道系の宗教であると考えていましたが、その考えを修正すべきであると思われる内容でした。
神道の歴史を述べることは本書の意図ではないので省略するが、神道は時代とともに変遷してきた。仏教渡来以前の古型のものから、仏教の影響を受けた「習合神道」 、そしてさらに陰陽などを総合して作られた吉田神道、白川神道など、さらに伊勢・賀茂・出雲・宇佐・宗像なとの大社の神主家に伝承された「社家神道」などを経て、明治維新後は国家神道が作られ、さらに戦後には神社神道という呼び方をされる組織化したシステムが作られた。
これらのうち、仏教の影響の濃い中世神道と近代の神道を除くものが、「古神道」と言われるもので、わずかな家系・道系によって伝承されている。また、江戸・明治期に独立の行法家が出て、古い伝承をのとめた「古神道」というものもある。
神道の神秘 古神道の思想と行法 山蔭基央著 春秋社 P26
ここでは、『仏教の影響の濃い中世神道と近代の神道を除くものが、「古神道」と言われるもので、わずかな家系・道系によって伝承されている。』とありますが、家系・道系に伝承されている内容自体がすでに仏教の影響を受けているのではないかと思われます。更に「古神道」が海外の文化や思想の影響を受ける前の日本人の宗教観に立ち返ることを目的としているのであるならば、失われたユートピアを探し求めるのと同じ行為ではないかと思われます。
大和朝廷が成立した時期には既に海外との交易があったことを考えるならば、海外の文化や思想の影響を受けていたと思われます。更に稲が日本の固有種ではなく、海外からの伝来であることを考えるならば、海外の文化や思想の影響を受けていない時代とは、縄文時代の前期にまで遡ることが必要になります。
そのため、この本の著者は古神道の定義を『仏教の影響の濃い中世神道と近代の神道を除くものが、「古神道」と言われるもので、わずかな家系・道系によって伝承されている。』としていると思われます。しかし、古事記と日本書紀が成立した時点で既に中国の文化や思想を受けています。そのため、仏教の影響の強い神道を排除するのであるならば、道教や儒教の強い影響を受けている神道も排除すべきではないかとの話になります。
しかし、神道から中国の思想や文化の影響を完全に排除することは難しく、仮に神道から中国の思想や文化の影響を完全に排除したならば、現在の神道とは別物の神道になるのではないかと思われます。別に古神道の価値を否定する気持ちはありませんが、古神道が中国などの外国の文化や思想の影響を受ける前の日本人の精神や信仰の姿を伝承していると考えることには無理があると思われます。
ここまであれこれと書いてきましたが、最初の疑問に立ち返って、古神道とは何かを考えることや神道とは何かを考えますと、何が正しく、何が間違いかは自分の判断で決めるしかないと言う何とも曖昧な結論になります。長々と書きながら、最後は逃げるのかと怒られそうですが、何を書いたとしても一つの意見でしかなく、古神道こそが本来の神道であると考えを否定することに意味はないと思います。
最後に個人的な意見を書きますと、古神道よりも真摯に神と向かい合う空間と時間を持つことができる神社神道に親しみを感じています。
星
at 12:18, 星 良謙・子授け地蔵, 神道
comments(2), -, pookmark