信仰について(星)
結局、大晦日に年賀状を書いておりました。(- .-)ヾ ポリポリ
元旦には、届かないだろうとも思いながらも地域で一番大きな郵便局まで投函しに行きました
駐車場に机を前にした職員の方が・・・・・
(@_@) パチクリ
大晦日なのに年賀状を販売していました。
最近は、年賀状を書く人が減っているとか・・・
郵便局も懸命と言ったところでしょうか?
それはさておき・・・
間もなく年が明けようしていますが、今年の最後の記事として浄土宗の神霊のお言葉を紹介します。
私たちはあなたが如何なる教えを学ばれたのかは知りません。しかしあなたはその学びから何を得たのでしょうか。あなたがその教えから学ばれたのは人生の目的なのでしょうか。それとも人生の喜びであったのでしょうか。それとも神仏の慈悲を学ばれたのでしょうか。
私たちは、あなたが学ばれた教えを批判するつもりもなれば、あなたが学ばれた教えを否定しようとしているのではありません。ただ、私たちは、あなたがその教えから人生の目的や喜び、あるいは神仏の慈悲を学ばれたのであるならば、あなたの今の悩みは、既に解決されているのではないかと思えてしまうのです。
信仰とは、人々の心を酔わせる言葉に酔いしれることが信仰ではないのです。ある意味、信仰とは残酷な一面もあることを知らなければならないのです。神仏の前に立つならば、自分の一番醜い姿をさらけださなければならなくなってしまうからなのです。自分の一番醜い姿をさらけだすとは、利己主義の自分や虚栄心に満ちあふれた心を恥ずかしいことであると自分を責め苛むことではありません。
あなたが利己主義とは無縁な自分の姿を追い求め、あなたが虚栄心とは無縁な自分の姿を追い求めたとしても、それは無限の階段を上り詰めた、その先にしかないことなのです。それはあなたが学ばれた教えを否定していることではありません。人間は何の罪もなく生きることもできなければ、完全無欠な慈悲の心にて生きることなどできないことなのです。
すべての教えとは、人間は完全無欠な人生を生きることができないことを前提に説かれているのです。あなたが学ばれた教えとはだからこそ反省が必要であると教えているかもしれません。しかし、私たちからするならば、何を基準に反省しようとしているのかがわからないのです。
あなたにとって善とは何ですか。あなたにとって悪とは何ですか。ある人は自分の正義を振りかざして相手を傷つけながらも、それが自分が神仏から与えられた使命であると考えています。また、別の人は自分たちの信仰を強要することが自分たちの使命であるかのように考えています。しかし、それが本当に神仏の心なのでしょうか。
神の心とは愛であり、仏の心とは慈悲であると言うことは簡単なことではあるとしても、その神の愛とは仏の慈悲とは如何なることを意味するのかと問われるならば、そのことあなたにを説明するのは大変なことなのですがあたながそのことを知ることはもっと大変なことなのです。
私たちは、あなたに特定の神仏の教えを説くつもりはありません。残念なことではありますが、今のあなたにどんな神仏の教えを説いたとしても、あなたには、その教えの意味を知ることはできないとしか思えないのです。それはあなたが自分の心の奥底に眠る心と向き合うことができないからなのです。自分の心の奥底に眠る心と向き合うには善悪を離れて考えなければならないのです。
法然上人は苦悩する衆生を救う教えを求め続けられました。法然上人にとっては、悟りとは無縁に生きなければならぬ衆生の苦悩が自分の苦悩でもあったからなのです。そして、親鸞聖人は自分の罪深さに苦悩しました。それは自分の心の中にある煩悩の炎を消し去ることなどできないことを知っていたからなのです。
そのことは、どの宗門の開祖であるとしても同じなのです。また仏教だけでなく、神道にしても修験道の者たちにしても皆、同じなのです。多くの者たちが自分の苦悩を解消することを求めて修行したのです。そして、その修行にて得られた悟りにて多くの者たちを救うことを願ったのです。
それが宗教の本質なのです。あなたが自分の心の奥底に眠る心と向き合うことなく、自分の考える善悪にて自分の心を考えている限りは、如何なる教えを学んだとしても、あなたは本当の神仏の心を知ることはできないのです。私の言葉を書き留めているこの者も、あなたの話を聞いて、すぐにそのことに気が付きました。
しかし、この者はそのことを何も話さなかったはずです。それは話をしたところで、簡単には説明できることでもなければ、また自分が宗教家ではないと考えているからなのです。
中略
そして、この者があなたにとって必要なのは教えではなく、神仏に手を合わせることの実践であると考えました。それはあなたにとって御利益信仰でしかないとしても、この者は信仰とは神仏に手を合わせる心からしか始まらないと考えているからなのです。
その言葉の意味を知るときはあなたがあなたが自分の心の奥底に眠る心と向き合うことができるようになったときなのです。
星
at 21:11, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉
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