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浄土真宗の教え3(星)

花水木の花が咲いていました。



最近は街路樹でも見かけるようになったことから比較的馴染みのある花ではないでしょうか。





それはさておき・・・

今回は前回の続きです。
観無量寿経では、生前の行いによって九種類の異なる往生が説かれていますが、親鸞聖人は真仏土往生と化身土往生の2種類の往生を説かれました。また、親鸞聖人は生前の行いによって真仏土往生と化身土往生が決まるのではなく、純粋な他力、つまり自力を捨てて一心に阿弥陀仏を念じた者は、真の極楽浄土である真仏土に往生し、自力で念仏を称えた者は、辺地である化身土に往生すると説かれています。

少し補足しますと、念仏を称えるのは、浄土真宗だけでなく、天台宗や浄土宗、時宗、融通念仏宗などでも称えますが、浄土真宗においては念仏を称える功徳で往生が決まるとは考えません。阿弥陀経などに説かれている往生を願って称える自力の念仏は方便の教えであり、自力を捨てて、阿弥陀如来の本願に乗じ、まかせきることが大切であると説きます。

そしてこの2種類の往生は、更に2種類の廻向の考えとなります。尚、一般的に廻向とは、自分自身の積み重ねた善根功徳を相手にふりむけて与えることですが、浄土真宗においては阿弥陀仏の衆生に対する働きかけのことです。

さて、2種類の往生とは、往相廻向と還相廻向ですが、初めて聞かれる方も多いのではないかと思います。
往相廻向とは、阿弥陀仏のお力で極楽に往生することであり、還相廻向とは浄土に往生した者が衆生を巧みに救う力を得て現世に再び生まれ変わって衆生を教化することです。

少し解説しますと、極楽に往生する者は、阿弥陀仏のお力で等正覚の悟りを得ることができるとされ、等正覚(平等の真理を悟った者)の悟りとは、弥勒菩薩と同じ位の悟りとされてます。極楽に往生して衆生を救済できる力を得た者は、極楽浄土に安住することなく、現世に生まれ変わり、衆生を救うとの教えです。

往相廻向と還相廻向の参考サイト

真宗大谷派 東本願寺HP 真宗の教え こちらから

浄土真宗本願寺派総合研究所 こちらから
HOME > 教えて! > 布教伝道の基礎 > 讃題の例と解説


前回に続き、「誤解された歎異抄」から2種類の往生に関する和讃を引用します。
 

先に述べた『正像末和讃』には、こうゆう文句がある。

如来二種の廻向を
深く信ずるひとはみな
等正覚(とうしやうがく)にいたるゆへ
憶念の心はたへぬなり

また、あるいは、

南無阿弥陀仏の廻向の
恩徳広大不思議にて
往相廻向の利益には
還相廻向の廻入(えにゅう)にり

往相廻向の大悲より
還相廻向の大悲をう
如来の廻向なりせば
浄土の菩提はいかゞせん


誤解された歎異抄 梅原猛著 光文社 p126-128


この「誤解された歎異抄」の著書 梅原猛氏は、この往相廻向と還相廻向こそが親鸞聖人の教えの神髄であると結論付けていますが、個人的はこの意見に賛同できます。浄土真宗の教えと言えば、悪人正機や絶対他力ばかりが取り上げられますが、あまりにも現代人の感覚でとらえた見方であり、現実社会の枠でとらえた見方ではないかと思われます。

親鸞聖人の生きた時代背景やその生涯を考えるならば、来世の存在や輪廻転生は疑う余地のない常識であったと考えるべきではないかと思われます。そのため、親鸞聖人にとって何よりも優先すべきは、極楽往生することであったと考えるべきであり、来世の存在や輪廻転生を無視して親鸞聖人の教えを理解しようとするならば、親鸞聖人の教えを理解することはできないと思います。

親鸞聖人は、他力の教えを説かれた高僧たちは、還相廻向で生まれ変わって他力の教えを説くために生まれ変わったと和讃にて説かれています。
 

命終その期(ご)ちかづきて
本師源空のたまわく
往生みたびになりぬるに
このたびことにとげやすし

源空みづからのたまわく
霊山會上にありしとき
声聞(しょうもん)僧にまじはりて
頭陀(つだ)を行じて化度(くゑど)せしむ

粟散片州に誕生して
念佛宗をひろしめむ
衆生化度のためにとて
この土にたびたびきたらしむ

阿弥陀如来化してこそ
本師源空としろしけれ
化縁すでにつきぬれば
浄土にかへりたまひにき


誤解された歎異抄 梅原猛著 p139-140

本師 宗祖や教祖のこと
源空 浄土宗の開祖、法然上人のこと 尚、法然は坊号
霊山 釈迦が説法をしたとされている霊鷲山(りょうじゅせん)のこと
粟散(ぞくさん)  あわ粒をまいたように細かく散らばっていること 古くは「そくさん」
片州 世界の片隅にある国ということ。

粟散片州 粟粒を散らしたように散らばっている小さな島国
卑下した言葉ではなく遇いがたくして遇い得たことの喜びを表している。

頭陀(ずだ) 僧が修行のために托鉢(たくはつ)して歩くこと
化度(けど) 人々を教え導いて迷いから救うこと。
化縁(けえん) 仏が衆生を教化(きょうけ)する因縁。人々を仏道に教え導くきっかけ。

現代語訳 こちらから
リンク先の111から114
浄土真宗本願寺派 長久寺HP 浄土真宗経典

まとめますと、親鸞聖人の教えとは、阿弥陀仏の救いを確信し、阿弥陀仏のお力で救われることが決定したことを心から喜び、阿弥陀仏への感謝の心で生きることであり、極楽浄土に往生して高い悟りを得たならば、その悟りに満足することなく、生まれ変わって、衆生を救うとの何ともスケールの大きな教えです。この何ともスケールの大きな教えを説かれた原点は、「磯長の夢告」と「救世観音の夢告」ではないかと思います。

at 09:29, 星 良謙・子授け地蔵, 仏教

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浄土真宗の教え2(星)

いよいよゴールデンウィークではありますが・・・・

何処へ行くこともなく・・・・

のんびりしていると言いたいところなのですが・・・・

中日ドラゴンズは四連敗・・・・o(>< )o o( ><)oジタバタ

しかも下位のヤクルトとDeNA・・・

何故だ・・・(ノToT)ノ ┫:・'.::・┻┻:・'.::・おらっ〜

当然のごとく、管理人は機嫌が悪い

というわけで、今回は少しばかり内容が難しくなっております。

それはさておき・・・

今回も浄土真宗の教えをご紹介させて頂きます。
前回ご紹介させて頂いた教行信証に関連している話です。今回は、以前にもご紹介した梅原猛著の「誤解された歎異抄」から引用しながら親鸞聖人の教えをご紹介したいと思います。
 

『教行信証』の特徴は、この真実の教えの教・行・信・証を説いた四つの巻に「真仏土(しんぶつど)の巻」及び「化身土(けしんど)の巻」が加わったことである。「真仏土の巻」と「化身土の巻」ははなはだ長くて、全体の約二分の一弱を占める。この真仏土、化身土の思想も法然の思想にはなく、親鸞独自の思想である。この思想は、源信の『往生要集』の中にそのヒントがあるが、それも親鸞のようにはっきりとした思想があるわけではない。

真仏土と化身土とはどういうことであろうか。簡単に言えば、極楽には二種類あるということである。極楽というのは、親鸞以前は、すべて同じものと考えられ、極楽に二種類あるなどということは考えられもしなかったのである。極楽に二種類あるということはいったいどういう極楽があるというのであろう。


誤解された歎異抄 梅原猛著 光文社 P106

真仏土、化身土と言ってもご存じの方は少ないのではないかと思います。浄土真宗の本を読んでいてもこの話はあまり見かけませんが、個人的にも親鸞聖人の教えの核心はこの二種類の浄土にあるのではないかと思います。

何分にも親鸞聖人の教えの核心と思われる教えであり、ブログで取り上げるにはあまりにも大きすぎるテーマです。そのため、本来ならば「誤解された歎異抄」をお読み頂きたいところですが、何分にも古い本であり、文庫本も既に絶版です。

そこで少しばかり要約させて頂きます。

観無量寿では、生前の行いによって上品上生・上品中生・上品下生・中品上生・中品中生・中品下生・下品上生・下品中生・下品下生と九種類の異なる往生が説かれています。しかし、親鸞聖人は生前の行いによって異なる往生ではなく、他力信仰の純粋性を基準とした往生を説かれています。

一般的に極楽浄土と言いますと美しい池や木があり、美しい鳥が飛ぶ素晴らしい世界であると考える方が多いと思います。これは阿弥陀経や観無量寿経に描かれた世界であり、一般的に仏画で極楽浄土として描かれる世界です。しかし、親鸞聖人は、このような浄土を化身土の浄土と説かれています。

では親鸞聖人が考えられた真仏土の浄土とは何かを書きますと、光の国です。この本の中では、「この無碍光如来のことを、親鸞はまた無量光、無辺光、・・・などと名づけて、光をもっぱら礼賛している。」とありますが、これらの名前は、親鸞聖人が勝手に名づけた名前ではなく、無量寿経に登場する名前です。
※無碍光如来も阿弥陀仏の別名です。
 

このゆゑに無量寿仏(むりょうじゅぶつ)をば、無量光仏(むりょうこうぶつ)・無辺光仏(むへんこうぶつ)・無碍光仏(むげこうぶつ)・無対光仏(むたいこうぶつ)・焔王光仏(えんのうこうぶつ)・清浄光仏(しょうじょうこうぶつ)・歓喜光仏(かんぎこうぶつ)・智慧光仏(ちえこうぶつ)・不断光仏(ふだんこうぶつ)・難思光仏(なんじこうぶつ)・無称光仏(むしょうこうぶつ)・超日月光仏(ちょうにちがっこうこうぶつ)と号す。


浄土三部経(上)無量寿経 中村元・早島鏡正・紀野一義訳注 岩波文庫 P171
※無量寿経は浄土真宗では大無量寿経と呼ばれています。

また、阿弥陀仏の光の礼賛は、無量寿経の中にもあります。
 

それ衆生ありて、この光に遇うもの、三垢(さんく)、消滅し、身心、柔輭(じゅうなん)にして、歓喜(かんぎ)勇躍(ゆうやく)し、善意生ず。もし三塗(さんず)の勧苦の処に在りて、この光明を見たてまつれば、みな、休息をえて、また苦悩なく、寿(いのち)終りて後、みな解脱を蒙る。

無量寿仏、光明顕赫(けんかく)にして、十方の諸仏の国土を照耀(しょうよう)するに、(光明の偉大なる特性の)聞えざることなし。ただ、われいま、その光明を称(たた)えるのみならず、一切のもろもろの仏、声聞、縁覚、もろもろの菩薩衆も、みなともに歓喜したもうこと、またかくのごとし。

もし、衆生ありて、その光明の威徳功徳を聞きて、日夜、称説して、至心に断えざれば、意(こころ)の願うところに随って、その国に生るることをえ、もろもろの菩薩・声聞の大衆に、ともに歓喜せられ、その功徳を称えられん。それしかしてのち、仏道をうる時に至りて、あまねく十方の諸仏・菩薩に、(仏身に具えし)その光明を歎(ほ)められんこと、またいまのごとくならん。」

仏、いいたもう、「われ無量寿仏の光明、威神巍巍(いじんぎぎ)として殊妙(しゅみょう)なるを説かんに、昼夜一劫すとも、なおいまだ尽すことあたわず。」


浄土三部経(上)無量寿経 中村元・早島鏡正・紀野一義訳注 岩波文庫 P171-172

参考サイト 妙念寺 HP 仏説無量寿経・現代語訳
該当する箇所は 50-52 です。 こちらから

リンク先の現代語訳をお読み頂ければ分かりますが、阿弥陀仏の光に遇うだけで、煩悩は消滅し、地獄や餓鬼や畜生の世界にいても苦悩が解消すると説かれています。そして最後にお釈迦様が阿弥陀仏の光の徳を気の遠くなるほどの長い期間、昼夜を問わず説き続けても説き尽くせないと説かれています。

そのため、親鸞聖人が美しい池や木があり、美しい鳥が飛ぶ素晴らしい世界は、真の極楽浄土ではなく、化身土であり、真の極楽浄土は光の世界であると説かれたのは、決して根拠のない話であるとは言えないと思われます。

長くなりましたので次回に続きます。

at 08:33, 星 良謙・子授け地蔵, 仏教

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