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不成仏霊の気持ち8(星)

伊勢神宮の式年遷宮の記録DVDが発売されています。

第六十二回 神宮式年遷宮 記録DVD 税込2,000円
パンフレットらは、御神木編・御木曳遍・御装束神宝編・建築編・遷御編・総集編が記載されていましたが、建築編・遷御編・総集編に関しては、神宮会館のHPで購入できるようです。

第六十二回 神宮式年遷宮 記録DVD こちらから
神宮会館 TOP > 参宮記念品のご案内 > DVD・書籍

それはさておき・・・・・

今回は前回の続きです。特に補足することもありませんが、この心霊は依頼者のご先祖に捨てられたことを怨んでいた心霊です。

 

私だって最初からこんなんじゃなかったよ。自分が悪いことぐらいわかっていたさ。だから神様や仏様にも謝ったよ。来る日も来る日も私は悪い女だったと謝ったよ。だけど、誰も助けには来てくれなかった。誰一人、私の何が悪かったのかも教えてもくれなかったのさ。

だから謝るのをやめたのさ。それが今の私さ。虫けらは虫けらでしか生きられないのなら、虫けらとして生きるより仕方がないのさ。笑うなら笑うがいいさ。私は私だよ。それが良く分かったよ。私がある日突然に仏さまになれるはずもなく、神さまになれるはずもない。だってそうだろ、私は反省すらできなかったんだよ。そんな人間が成仏できるはずもないだろ。

私だってあんたのやっていることは分かっているよ。私の苦悩が解消するようにと神さま仏さまにお願いしているってことは、だけど、どうして、私があんなに神さまや仏さまに助けを求め続けた時に、誰一人として助けに来てくれなかったのかと言いたいよ。

あんたは、どんな極悪人でも阿弥陀様は助けてくれると言っているけど、私が懸命に助けて欲しいと願った時には来てくれなかったよ。なのに、どうしてあんたが願っただけで、大勢の仏さまが迎えに来てくれるのさ。不公平じゃないか。まあ、私とあんたちじゃ違うと言ってしまえば、それまでだけど、どんな極悪人でも助けてくれると言うのは嘘なのかい。

それとも極悪人が念仏を称えても救われないから、偉いお坊さんに頼んで念仏を称えてもらわなければ救われないのかい。もっとも、あんたはお坊さんじゃないから違うかもしれないけど、あんたと私は何が違うのかね。わたしゃにゃ分からないね。だってどんな極悪人でも救って下さるのが阿弥陀様だろ。

あんたにゃ負けたよ。大概の坊主なら狼狽するか、偉そうな説法でもするだろうに何も動じない。だけど、本当はすべて分かっている。しかし、それを偉そうに説く気持ちもない。それは、あんたが救われない人間の気持ちを分かっているからだろうね。分かっているからこそ慰めや同情はしない。だけど、誤解されるよ。

私も自分が苦しいとつい甘い言葉を言われたり、優しくされると騙されていると分かっていても騙されてしまう馬鹿な女だよ。分かっていても直せない。本当は自分が悪いことは分かっているけどそれを認めたくないんだろうね。

あんたにゃ、どうして私が神さま仏さまに助けを求めても、神さま仏さまが助けて下さらなかった理由が分かるんだろうね。あんたは何も言わないけど、あんたの心は私には分かるよ。だけどそれを言葉で伝えても伝わらない。それがあんたの言いたいことだろ。

あんたは自分を捨てた。だが私は自分を捨てられなかった。それが違いなんだろうね。そして、それができるからあんたが願っただけで、私のような者のために神さま仏さまが迎えに来て下さるんだろうね。

私も好きな人のために自分を捨てたつもりだったんだよね。好きな人のためならば、自分の命なんかいらないと思っていたんだよね。だけど、本当はそうじゃなかったことをあんたに教えてもらったよ。だけど、あんたも馬鹿だよね。私も馬鹿だけどあんたは大馬鹿だよ。こんな金にもならないことばかりしてほんとに馬鹿だよ。

少しばかり話を戻すと、神さま仏さまに助けを求め続けても誰も来てくれなかったから、私は自分の好きなように生きることを決めたのさ、もちろん、私を苦しめたやつらに復讐したい気持ちも少しはあったけどね。だから言ったろ、生きている人間に自分の気持ちに正直に生きることができるように手助けしてやっただけだとね。

みんな偽善者づらして生きている。私にはそれが許せなかったのさ。口では偉そうなことを言いながら本当は下心を持って私に近づいて来た男ばかり、散々遊んでおいて陰では悪口を言いやがる。そんな男たちが私には許せなかったのさ。



 

at 17:13, 星 良謙・子授け地蔵, 不成仏霊の気持ち

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不成仏霊の気持ち7(星)

α~ (ー.ー") ンーーと冒頭から悩んでおります。
暫くお休みを頂き、投稿を再開しましたが、自動書記ばかりが続いております。
戦没者関係が5回、それに伴う動画の紹介が1回、そして不成仏霊の関係が既に5回

最初は、管理人が若い頃に読んだ霊能者の本の中に登場する不成仏霊が、魔界の帝王と言った印象を与えるような描かれ方をしていたことから、実際の不成仏霊の心情をご紹介したいとの気持ちからでした。今から考えるならば、霊能者の本の多くは、霊能者VS魔王と言った構図で描かれることが多いことから、悪の象徴に登場してもらう必要があったのかもしれません。

しかし、深刻な霊障になればなるほど、自分がどうしてこんなに苦労しなければならないのかとの気持ちになる方が多いと思います。管理人にしても本家でもなく、長男でもないのに、どうして先祖の尻拭いをしなければならないのかとの疑問が消えませんでした。家系の因縁だとか、前世の業だとか言われても納得できるはずもなく、その苛立ちは当然の如く不成仏霊に向かいました。

霊障に悩まされ続けいた当時は、何をどうしていたら良いのかも分からずに試行錯誤の連続でったこともあり、障りを起こしている不成仏霊の気持ちを考えるゆとりなどあるはずもなく、好き勝手やって迷っている連中をどうして自分が供養しにければならないのかといつも不満でした。これは霊障に悩まれている方ならば、誰しもが持つ気持ちではないかと思います。

その気持ちが何処まで解消できたのかは、今でも分かりません。生きている人間を惑わし、苦しめている不成仏霊に対して優しくは出来ませんが、不成仏霊と言っても生きている人間と大差がないと思うようにはなりました。

本当は、もうそろそろ「不成仏霊の気持ち」シリーズは、終わりにしようかと考えていたのですが、もう暫く続けようかと考え直しました。しかし、少しばかり生々しい話が多くなると思います。

さて、今回は生前に男で苦労された女性からの自動書記です。
本当は、神仏との縁が出来て落ち着かれた後の話の方が良いのかもしれませんが、恨みが消えていない時の自動書記をご紹介します。
 

あんたはつくづくお人好しだね。生きている時にあんたみたいな人に出会っていたならば、少しは私の人生も変わったかもしれないね。私なんぞは、所詮は、はみ出し者、皆の嫌われ者さ。何処に行っても嫌われる。だから優しくなんかされたくもない。優しくしてくれるのは、どうせ最初だけ、私の身体が目当てで優しくしてくるだけの話さ。

遊ぶだけ遊んだら捨てられるだけ、飽きたら捨てられるおもちゃみたいなものさ。だから優しい言葉なんぞかけられても嬉しくもない。どうせ私の身体が目的なんだろうからいちいち相手なんかしていたくもない。

○○の男なんぞは、そんな奴らばかりさ。この子の父親だって本当は遊びたかったんじゃないの、私は真面目な男とは見てなかったよ。心の奥底は女を見下していたんじゃないの。その意味では同類だよ。〇〇の男たちと一緒だよ。

だが、あんたは少し違うね。まあ、少なくとも優しくはない。浮いた言葉も言わないけど、女を見下してはいない。かと言って媚びる気持ちもない。つまり、淡々としている。やっぱり、あんたの過去世は仙人なんだろうね。私にはそう思えるよ。

私も仙人の真似事でもしていたら、少しは真っ当な人生を生きれたかもしれないね。勿論、冗談だよ。私にそんな人生を生きることができるはずもない。分かっているよ。自分の事なんだから、最初は山が綺麗だ、風が気持ちいいと浮かれていても、直ぐに寂しくなっちまうんだよ。

どうせ私の身体が目当てだと分かっていても、少し優しくされるとつい惚れてしまう。私の悪い癖だよ。分かってはいても、どうしようもない。いつも今度は本気かもと考えてしまう。そしていつも後悔する。その繰り返しさ、何度も痛い目にあっているはずなのに、なんでだろうね。

お坊さんにも聞いたことがあるよ。そしたら煩悩を断ちなさいと言われちまったよ。そんなことができるならば、誰も苦労しないよ。分かっていても止められないから悩んでいるのに、何を考えているんだろうね。そんなんでよく教えが説けるもんだ。

私だって念仏の一度や二度は称えたことはあるよ。念仏の意味も分かっていなかったと言われれば、それまでかもしれないか、救ってくれると言われれば、一度や二度は称えてみようと思うのが人情だろ。しかし、何一つとして変わりはしなかったよ。

それともあの時に称えた念仏の功徳で今頃になって阿弥陀様がお迎えに来てくれたとでも言うのかい。ならば、どうして私が苦しんでいた時に救ってくれなかった、どうして地獄の底で苦しんでいた時に迎えに来てくれなかったのかね。

これは恨み言じゃないよ。どうせ、私は地獄に堕ちて当たり前の人間なんだから、地獄に堕ちたことを恨んでいるのじゃない。どうして、今頃になって仏さまが迎えに来てくれているのかと聞きたいだけさ。あんなに苦しんでいた時には誰も助けもしてくれなかったのに、どうして今頃になって迎えに来るのさ。すべてが遅いのさ。


次回に続きます。

at 18:23, 星 良謙・子授け地蔵, 不成仏霊の気持ち

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不成仏霊の気持ち6(星)

祭事のお知らせです。

東寺で「東寺宝物館開館五十周年記念」として「東寺名宝展 −国宝 両界曼荼羅図と祈りのマンダラ−」などが開催されています。

東寺名宝展 −国宝 両界曼荼羅図と祈りのマンダラ−
会期 2015年3月20(金)〜5月25日(月)

小子房(しょうしぼう)「堂本印象画伯障壁画」公開
会期 2015年3月20(金)〜5月25日(月)

国宝 五重塔 初層の特別拝観
会期 2015年4月29(水)〜5月25日(月)

詳しくは こちらから

それはさておき・・・・

今回は、前回のストーカーの不成仏霊に対して真言宗の神霊が説かれた教えであり、あるお寺の水掛け不動に宿られている神霊のお言葉です。
 

愛欲の炎に身を焦がし、千年を超える時を苦しむ者よ。汝の抱く心は、愛欲であり、淫らな欲望でしかない。汝がどれほど弁明しようとも、汝は女人に激しい執着をしているに過ぎない。その激しい執着が愛欲の炎となり、汝の身を焼き焦がしていることを知らなければならない。

汝は、女人に敬愛と尊崇の念を抱き続け、遠くから見守るだけで満足していると語ったが、それは汝の建前であり、本心では女人を我が物として誰にも渡したくないのではないだけでなく、誰にも触れさせず、誰にも見せたくないと考えている。そこには女人に対する尊崇もなければ、女人に対する情愛もない。あるのは、己の欲望のままに生きたいとの我欲しかない。

汝は、その邪悪な心に気付きながらも本心を偽り、女人に対する敬愛と尊崇の念を抱いていることを装い続けた。しかし、汝の心には、敬愛の心もなければ、尊崇の念もない。あるのは、邪悪な執着と嫉妬の心である。その執着と嫉妬の心が汝の苦しみの全てである。そのことは阿弥陀仏の慈悲を説く者も汝に説いたはずである。

汝に執着を断てと説いたとしても、執着の塊である今の汝には、理解できるはずもないであろうが、汝は自分がなしていることを今一度顧みなければならない。汝のなしていることは、敬愛と尊崇の念を抱く者と言えるのであろうか。女人に付きまとい、女人に男を近寄らせぬようにすることが敬愛と尊崇の念を抱く者がすることであろうか。女人が女人として幸せに生きようとすることを阻むことが、尊崇と敬愛の念を抱く者がすることであろうか。

女人に対して敬愛の念や尊崇の念を抱くのであるならば、どうして女人が女人としての幸せをつかむことを阻むであろうか。そこにあるのは、女人を我が物にしたいとの欲望でしかない。汝には自分にとって大切な者を守りたいとの気持ちもなく、自分にとって大切な者の幸せを願う気持ちもない。そこにあるのは、自分の欲望を満たしたいとの気持ちしかない。それが執着である。

それは女人を自分の思い通りに支配したいとの気持ちであり、女人を奴婢のように扱いたいとの気持ちである。そのような気持ちを我らが黙って見守るとでも考えているのであろうか。汝に僅かでも女人の幸せを願う気持ちがあるならば、我らも穏やかに汝を導くであろうが、今の汝は剣と索と炎で導くしかない。

女人を愛するとは何かについて説くことは、我は適役ではないが、自分にとって大切な者を思う気持ちは仏の心と同じである。大切な者を守りたいと思う心は、大切な者の幸せを願う心であり、それは仏が全ての衆生の幸せを願う心と同じである。我らは日々仏の願いを実現するために働くことを使命とする者である。

そなたは、自分にとって大切な者を守りたいと語りながら、自分の大切な者を自分の思い通りに支配することを望み、自分の思い通りにならなければ、災いを起こし、女人を支配しようとしているに過ぎない。それを執着と言わずして何と言うべきか。その心を恥じよ。その心がある限り、汝の苦しみに終わりはない。


特に解説の必要もない内容と思いますが、​この不成仏霊は、何分にも約1,300年のストーカー歴を持つ不成仏霊であり、執着も半端ではありませんでした。そのため、この不成仏霊の障りを解消するのには、非常に苦労しました。

女の執念は、恐ろしいと言いますが、恋愛に関しては男も女も変わらないようです。

at 23:11, 星 良謙・子授け地蔵, 不成仏霊の気持ち

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不成仏霊の気持ち5(星)

今回のお言葉は、前回の神霊と同じ神霊のお言葉ですが、今回は神霊と不成仏霊のやり取りです。
最初は、真宗の神霊がストーカーと言えるような不成仏霊に対して、どのような教えを説くのかと心配しましたが、自動書記を書き終わって、真宗の教えも仏教であると改めて感じました。

 

神霊
阿弥陀仏の慈悲を知らぬ者が何と多いことよ。阿弥陀仏が救いの手を差し伸べながらも、阿弥陀仏の慈悲に気付く事もなく、現世利益を求める。

不成仏霊
私があの者の心を支配していると言いたいのでしょうか。しかし、私はあの者の心を支配はしていません。また、私の絶望感があの者を苦しめていると言いたいのでしょうか。しかし、私はあの者の心を支配はしていません。私は、ただあの者の心の中にいる、あの方の側に居たいだけなのです。それなのに、どうして私が責められるのですか。

神霊
そなたに罪があるとするならば、神仏に救いを求めることなく、煩悩のままに生きたことであり、死後の世界においても、神仏に救いを求めなかったことである。そなたは、神仏に救いを求める気持ちもなく、煩悩のままに生きた。それがそなたの罪である。

不成仏霊
確かに、私は神仏に祈る気持ちはありませんでしたが、神仏に祈って、私の望みが叶えられたのであるならば、寝食を忘れて祈ったでしょう。しかし、私が祈り続けたところで、何も変わりません。その程度のことは分かっていました。だからこそ、私は苦しみ続けたのです。

神霊
それが煩悩である。そなたとて女人にこだわり続けることの苦しさを自覚していたはずである。ならば、どうしてその苦しみから逃れようとはしなかったのか。神仏の慈悲とは衆生の苦しみを解消することであり、衆生の願いを叶えることではない。

不成仏霊
私は確かに苦しみ続けましたが、私の願いはあの方の側に居続けることだけでした。それが私の願いであり、私の願いはそれ以外にありません。

神霊
そなたは、女人の側に居続けることで心が満たされたであろうか。そなたの心は何一つとして満たされなかったはずである。その理由は何か、そなたは女人の側に居続けることが唯一の願いであると語りながら、そのことに満足していないはずである。それが叶わぬと知るがために、そのように言っているだけのことであり、そなたの心は不満に満たされている。

それがそなたの煩悩である。遠くから見ているだけでは満足できず、近寄ることができるならば、寄り添うことを願い、寄り添うことが出来るならば、手を触れ、言葉を交わすことを願い、手に触れ、言葉を交わすことが出来たならば、娶(めと)りたいと願うのではないか。娶(めと)ることが出来たならば、独占したいと願い、他の男を近づくことを嫌い、嫉妬に狂うのが世の常である。

それが煩悩であり、その煩悩から衆生を救うのが仏の慈悲である。その仏の慈悲に背を向け、煩悩に苦しみ続けることをよしとしているのが、今のそなたである。そなたの苦しみが、断ち切れぬ煩悩であることを知るならば、煩悩のままに救われることを願え、煩悩のままに救われるのが阿弥陀仏である。

不成仏霊
私は出来ない。あの方を忘れることなど出来ない。

神霊
まずは念仏を称えよ。救われぬ我が身を知るならば、念仏を称えよ。念仏を称えさせて頂けるのも仏の慈悲である。

平成二十七年一月二十八日


次回は、同じ不成仏霊に対して真言宗の神霊が説かれた内容を投稿させて頂きます。

at 14:43, 星 良謙・子授け地蔵, 不成仏霊の気持ち

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不成仏霊の気持ち4(星)

今回も少し変わったご神霊のお言葉を投稿させて頂きます。
不成仏霊と言っても生きている人間と同じであると書きましたが、男女間の苦悩は現世に限られた話ではなく、あの世に関しても同じ悩みを抱えている不成仏霊は多いようです。

今回ご紹介するのは、浄土真宗のご神霊がストーカーとも言うべき不成仏霊に対して、説かれた説法です。この不成仏霊は奈良時代に高貴な身分のお姫様に恋い焦がれながらも、身分の差から近づくことも出来ず、ストーカーになった男です。

この不成仏霊があの世でストーカーをしているだけならば、生きている人間には関係のない話となるのですが、高貴な身分のお姫様の生まれ変わりの女性に障りを起こしていました。
 

吐き続けても終わりのない苦しみ、際限のない心の闇、あまりにも深い絶望、それこそが地獄であると言えよう。その苦しみと心の闇を解消しようとしても容易ではない。その深すぎる心の闇を破るには、大きな慈悲の光が必要となろう。この者にそれを求めることは酷なことではあるが、その巨大な慈悲の光が必要である。

苦悩の海に沈み、絶望の闇を生きる者よ。一縷の希望を持つこともできず、耐え難き苦しみの中で生きる者よ。そなたにも救いの道はあり、他の仏が見捨てようとも阿弥陀仏は見捨てず、塗炭の苦しみの中にあろうとも阿弥陀仏の救いはあり、そのことに気づくならば、そなたは無為に歳月を過ごすこともなかったであろう。

そなたは一人の女人を忘れられぬがために地獄に墜ち、その苦しみに身を焦がす。断ち難き煩悩に苦しむのであるならば、煩悩のままに救われることを求めよ。女人への想いは断ち難し、忘れようとすれば女人への思いが募り、嫉妬心に身を焦がす。それが煩悩である。その煩悩を消滅させようと苦行を重ねても煩悩の火が消えることはなく、心に安らぎを得ることは難しい。

それが煩悩具足の我々である。我も生前には断ち難き煩悩に苦しみ、厳しき修行に明け繰れども煩悩の火が消えることはなかったが、お聖人様(親鸞聖人)の教えに出会うことで、我が魂は救われた。それが煩悩のままに救われることである。煩悩のままに救われるとは何か。それは阿弥陀仏の慈悲を信じて念仏を称えることである。

それがすべてである。そなたは自分の苦しみの原因を承知しているはずである。忘れようとしても忘れられぬ。手に入れようとしても手に入れられぬ。だが、どうしても諦め切れぬことがそなたの苦悩のすべてであることは承知しているであろう。そのことを知りながらも煩悩に苦しみ続けているのではないか。

千年を超える歳月を苦しみ続けていたのであるならば、阿弥陀仏に救いを求めよ。女人への想いが断ち切り難いと知るならば、煩悩のままに救われることを願え、女人への想いを断ち切ることなく救われることを願え、それがそなたの苦しみが解消される教えである。

阿弥陀仏を信ぜよ。阿弥陀仏の慈悲を信じることがすべての始まりであり、阿弥陀仏の慈悲を信じぬくことこそが救われる道である。その心があるならば、そなたの千年の苦悩も氷解するであろう。

平成二十七年一月二十八日


次回に続きます。




 

at 07:26, 星 良謙・子授け地蔵, 不成仏霊の気持ち

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不成仏霊の気持ち3(星)

今回も不成仏霊の自動書記をご紹介します。

かなりの罵詈雑言(ばりぞうごん)とも言える内容ですが、障りを起こしている心霊の気持ちを知るには、貴重な自動書記ではないかと思います。
 

お前たちには私たちの気持ちなど分かるまい。
お前が土下座しようが、お詫びにと自殺しようが、嬉しくもない。
その程度のことで、私たちの恨みや怒りが消えるはずもない。
満足な食事も与えられずにこき使われ続けた挙句に、捨てられた人間の気持ちなど分かるはずもない。
僅かばかりの麦飯でも、食べられるならば幸せ、そんな生活を想像できるのか。
お前が当たり前のように飲んでいるお茶など、私たちにとっては夢のような飲み物
お前が本当に詫びたいと思うならば、私たちと同じ苦しみを味わってみろと言いたい。

問い
あなた方は○○家の子孫に何をさせていのでしょうか?

私たちの人生を返せ。ただそれだけだよ。それ以外は何もないよ。
繰り返し、言っとくよ。○○家の家系が、死に絶えようと一家離散しようが、嬉しくもない。
○○家の人間が地獄の苦しみを味わったころで、私たちの人生が戻ってくるとでも言うのかい。○○家の人間が死に絶えて私たちの人生が戻るならば、とっくに根絶やしにしているさ。そんなことをしても何にもならない程度のことは分かっているよ。

問い
毎月供養させて頂いていますが、供養は届いていないのでしょうか?

何の話だい。私たちには縁のない話だよ。
朝から晩まで働き詰めに働いて、病気になれば放り出され、野垂れ死に同然に死んだ人間には、関係のない話さ。
お金があれば、お参りも出来ただろうけど、人間扱いされることもなかった私たちには、仏様なんぞに縁はないよ。
それとも何かい。仏様とやらは、死んでからしか救ってくれないのかい。馬や牛だってもっと大事にされたよ。私たちは馬や牛並みにも扱ってもらえなかった人間だよ。
だから供養してもらったって届くはずもないよ。

平成26年12月23日 

神霊の解説
やり場のない怒りが、この者たちの心を支配している。
それは南方戦線の戦没者の怒りや悲しみと同じであるとも言えるが、南方戦線の戦没者たちには、国の為に戦うと言う大義名分があった。しかし、この者たちにはそれすらもない。口減らしのために僅かな金と引き換えに女中として働きに出されたが、その実態は悲惨であった。

その積年の怒りだけが、一人歩きしていることが、話を複雑にしている。この者たちは何かをして欲しいのでもなければ、何かが欲しいのでもない。ただ、何もかもが不満であり、何を言われても怒りが、治まらない状態にある。また、神仏に対しても強い不信感を抱いているがために、神仏の慈悲すらも拒絶しているがために、そなたが供養していても容易には届かない状態にある。

平成26年12月24日

あたしたちは、あんたたちに文句を言いたいんじゃない。あんたたちを苦しめる気もない。
こうでもしなけりゃ、あんたたち何も気付きゃしないからさ。
あんたたちが貧乏していることは知っているさ。
のうのうと暮らしているやつらが、わんさかいるのも知っているさ。

だがね、あんたのご先祖にこき使われた末に、死んでいった者がどれだけいるのか分かっているのかい。
あんたの先祖は墓もあるけど、あたしたちは墓もなければ、戒名もなく、忘れられただけだよ。
言っとくけど、あんたが死んだって誰も喜びゃしないよ。

逃げ出したかったよ。だけど何処にも帰る家なんかなかったよ。
誰も助けても暮れなかったのさ。病気になったって、薬なんぞ、もらえるはずもなく、ただ怒鳴られて働かされただけだよ。
白いお米を供えてくれても、そのお米すら食べれないほど弱ってる仲間も大勢いるんだよ。

あんた、そのことが分かっているのかい。
煎餅布団と言うけど、煎餅布団が贅沢に感じるような薄っぺらに布団しかもらえなかったんだよ。
だからあたしゃ言いたいんだよ。
あたしらだって、人として扱って欲しかった。

平成26年12月24日



文中にもありますが、この方の場合には、お寺で有縁無縁之霊の供養を継続されていたのですが、この心霊には届いていなかったようでした。詳細は書けませんが、この方々の怒りが静まるように対処したところ、供養が届くようになりました。

改めて思うのは、迷っている心霊と言っても生きている人間と同じような喜怒哀楽があることです。
この心霊も依頼者の家系に障りを起こしていましたが、意図的に障りを起こしていたのではなく、生前に虐げられた者たちのやり場のない怒りや悲しみを理解して欲しいとの気持ちが強かったのではないかと思います。

at 21:53, 星 良謙・子授け地蔵, 不成仏霊の気持ち

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不成仏霊の気持ち2(星)

精神世界を扱うサイトなどでは、霊界の仕組みや生まれ変わりの仕組みなどを解説されていることが多いのですが、個人的には何が本当のことなのか分からないことが多く、分かることは極僅かなことだけではないかと考えています。

その僅かに分かることの一つが亡くなられた方の大半は、生きている意識の延長であり、生きている人間と同じように考えることです。生きている人間にも楽天的な性格の人もいれば、悲観的な考え方もいるように霊界においても楽天的な性格の心霊もいれば、悲観的な心霊もいるようです。これが一つの法則として成り立つのであるならば、心霊世界においても鬱病や統合失調症などの心の病気の心霊もいるのではないかとの話となります。

今回ご紹介する心霊の自動書記は、そんな心の病気の可能性を疑わせる変わった内容です。この自動書記は、前回ご紹介したお姫様と同一人物と思われる心霊の自動書記ではありますが、前回の自動書記の内容とは大きく異なります。詳しい経緯をご紹介することは出来ませんが、このお姫様は2つの顔を持っているのではないかと思われる兆候がありました。

それは高貴なお姫様としての顔と裏の顔とも言うべき抑圧された感情の顔です。但し、この2つの顔を持っているからと言ってもこのお姫様が統合失調症であると断言は出来ません。勿論、素人に病名を判断できるはずもありませんが、霊界は心の世界だからこそ人格が分裂したとも考えられます。いずれにしてもこの心霊は、2つの顔を持っているようです。
 

母はどうして私を産んだのか。どういう気持ちで産んだのだろうか。
栄耀栄華の生活をすることが幸せと考えたのか。
○○の娘として生きることが幸せだとの考えたのか。
私には分からない。

外の世界を知ることもなく、誰かに会うこともなく、屋敷の中で一日を過ごす。
私は誰からも望まれていない女人、私は誰からも必要とされていない女人
誰からも愛されることもなく、誰にも必要とされることもない者
産みの親に捨てられ、育ての親に利用され、嫁いだ相手からも無視された日陰者
どうして産まれたのか。どうして産まれなければならなかったのか。

愛されたい。この身が焦がれるような恋をしたい。
愛して欲しい。愛の言葉が欲しい。
私だけを愛して欲しい。

どうして私を捨てたのですか。どうして自分が育てると言ってはくれなかったのですか。
○○の娘として産まれたくはなかった。
○○の娘として育てられたくはなかった。

なぜ、どうして、私は○○の娘として生きなければならなかったのですか。
死ぬことすら許されなかったのに、都合が悪くなれば殺された。
あまりに理不尽な人生ではないですか。

私は悪くない。何一つとして悪くはない。
女人が恋をして何が悪いのか。
私は○○の娘なのにどうして私一人が忘れられ去られるのか
どうして私だけが孤独なのか
大仏殿を焼き払った者が救われたと言うのにどうして私だけが救われないのか。

どうして私を地獄へと連れ去ろうとするのですか。

平成二十六年十一月十七日



※大仏殿を焼き払った者
平 重衡(たいら の しげひら)のことと思われます。平安時代末期の平家の武将であり、平清盛の五男です。
平氏の大将の一人として各地で戦い、南都焼討を行って東大寺大仏や興福寺を焼亡させたましたが、平氏滅亡後、南都衆徒の要求で引き渡され、木津川畔で斬首されました。

平 重衡は、処刑前に法然上人より受戒を受けています。

参考サイト 平家物語のあらずじと登場人物 法然 こちらから

at 21:21, 星 良謙・子授け地蔵, 不成仏霊の気持ち

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不成仏霊の気持ち1(星)

お知らせです。

春日大社で春季祖先祭(しゅんきそせんさい)が行われます。

日時・・・3月21日(土)午前10時〜午後4時
場所・・・春日大社 祖先祭祈祷所(そせんさいきとうしょ)

初穂料 一霊につき1,000円
故人が逝去(せいきょ)されてから1年以上の方々より受付となります。

※通信での申し込みが可能です。

詳しくは春日大社にお問い合わせ下さい。

春日大社HP こちらから

それはさておき・・・・

今回は、迷っている不成仏霊の気持ちを神霊に解説して頂いた内容を投稿します。
このお言葉は、生前は高貴な身分のお姫様が供養をしていても成仏が難しく、そのことに悩んでいた際に降りたお言葉です。
お言葉を降ろして頂けたのは、かなり古い時代の神霊であり、古墳時代以前の神霊と思われます。
 

誰でも自分を認めて欲しい気持ちはあります。それが他人からするならばどんなに馬鹿げた言い分であろうとも、大半の者は自分の考えを正当化したり、相手に自分の言い分を認めさせようとしたりします。


そのことに身分の差などありません。権力の中枢にいる者は、自分が権力を握ろうと暗躍するのも自分の考えを周囲の者たちに認めさせることが目的なのです。それが権力争いの本質であり、政敵を陥れても自分が権力を握ろうと画策するからこそ、争いが起きるのではないでしょうか。

貴方はこれまで多くの不成仏霊を成仏に導くことが出来ましたが、彼らの多くは自分達の苦悩を理解して貰いたかったのです。自分達だけがどうしてこれほどまでに苦しまなければならなかったのか、自分達だけがどうしてこれほど悲惨な経験をししなければならなかったのか、そのことにとらわれ続けていたがために成仏が出来なかったのです。

それはこの不成仏霊も同じなのです。貴方はこの不成仏霊の苦悩を解消しようと試行錯誤を繰り返していますが、この不成仏霊が求めているのは、自分を認めて欲しいのです。そのことが分かるならば、この不成仏霊も成仏することが出来るのです。

この不成仏霊が求めているのは、財宝や官位でもなければ、魅力的な異性でもありません。それらは自分が高貴な人間であることや優れた人間の証として求めているだけであって本心から求めていることではありません。この不成仏霊が本当に求めているのは、ありのままの自分を認めて欲しいのです。

この不成仏霊は、生前に高い身分にある者ではありましたが、親の愛情に恵まれることもなく育ち、不遇な一生を終えた者であると言えます。貴方からするならば、恵まれた身分の家に育ち、何不自由なく生きた人生と思うでしょうが、誰からも愛されなかった者であると言えます。

言葉を替えて言うならば、誰からも一人の人間として接する者がいなかったのです。周囲の者からするならば、権力者の姫であり、この者を丁重に扱うのもすべては、親の権力や権威を恐れてのことでした。そのため、この者は、常に権力者の娘としてしか自分が扱われていないことに気付いていたのです。

そのことがこの者にとっては大きな苦痛であったのです。誰にも心を許すことが出来ず、誰も自分のことを理解してくれる者もなく、自分が何者であるかも分からずに生きていたのです。それがこの者が希薄な現実感しかもてなかった理由なのです。

また、この者の意識を幾ら探っても分からず、この者が何をしたいのかを幾ら探っても分からないのも、それが理由なのです。この者は自分が何者であるかも分からず、自分が本当は何をしたいのかも分からないことから、この者の意識を幾ら探っても何も分からないのです。

本人が何も分かっていないだけでなく、本人も自分が何をしたいのかの答えを探しているのです。そのため、貴方がこの者の意識を幾ら探っても深い闇しか感じることが出来ないのです。そこにあるのは、不安感と孤独しかありません。その不安感や孤独感が非常に強いことから貴方がこの者の意識を探ろうとするならば、何も考えられなくなる状態に陥るのです。

貴方は、この者が生きた時代には、権力者の姫は家族すら顔を見せることもなく、部屋の中でひっそりと暮らしていたことを知っているはずです。この者が権力者の姫であるとしても、この者は自分の部屋と屋敷の庭だけが自分の世界であり、限られた人間としか会話すらしない日々を生きていたのです。

それでもこの者が歌を詠むことに長けていたならば、少しは自分の気持ちを残すことが出来たかもしれませんが、この者は歌を詠むことに長けてはいなかったがために、自分の気持ちを残すことも出来ず、また自分の境遇に逆らうことも出来ませんでした。そのため、この者は日がな一日物思いにふけっていたのです。

その意味では、貴方がこれまでに成仏に導いてきた不成仏霊とは違いますが、自分を認めて欲しい気持ちは一緒なのです。そのことが分かるならば、解決策が見つかるはずです。

補足
私はあなたに力を与えたのではありません。私は自分が感じたことを少しお話させて頂いただけのことです。人間の心は時代が変わり、国が変わっても共通することは多いのです。

平成二十六年十二月十五日
太古の精霊より



特に補足する必要もないかと思いますが、迷われていたのは平安時代を生きた方であり、非常に身分の高いお姫様でした。この時代の高貴な身分のお姫様は、人生の大半を部屋の中で過ごしていただけなく、殆ど人に会うこともなく過ごしていたようです。そのため、生きる意欲も希薄であり、死後の世界においても時が止まったままの状態であったようです。

このお姫様が生きた時代には、浄土信仰が盛んであったことから極楽浄土への憧れはあっても、何をどうすれば極楽往生できるのかが分からずにいたようです。

at 18:29, 星 良謙・子授け地蔵, 不成仏霊の気持ち

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戦没者の気持ち5(星)

前回の投稿で、「戦没者の気持ち」の投稿は終わりにしようと考えていたのですが、戦没者の救済に関して触れられているお言葉がありましたので、ご紹介させて頂きます。
 

多くの神霊がそなたに対して何も教えを説くことが出来なかった理由は、そなたに教えを説くことは、そなたに憑依している心霊に対して教えを説くことでもある。だが、そなたに憑依している心霊にとって必要な教えとは、理路整然として教えではなく、仏の慈悲そのものである。それは言葉を超えた悟りの力であるとも言える。

飢餓と恐怖の支配する絶望の中で死んでいった者たちに理路整然とした教えを説いたところで受け入れることが出来る者は少ないであろう。飢餓と恐怖の支配する絶望の中で死んでいった者たちに必要な教えとは、仏の慈悲そのものであり、言葉や理屈を超えた悟りであることから教えとして説くことは非常に難しい。それがために多くの神霊は教えを説くことなく、そなたが仏の慈悲に触れる機会を増やそうとしたのである。

では、そなたの身の周りに何が起きているかを説明するならば、その答えはそなたの心の中にあると言える。勿論、そなたの○○や○○の原因がそなたの心にあると言っているのではない。そなたの抱えている苦悩がそのままそなたに憑依している心霊の苦悩でもあると考えよ。

平成26年10月6日 月曜日


管理人が、改めて解説する必要もない内容ではありますが、『そなたに教えを説くことは、そなたに憑依している心霊に対して教えを説くことでもある。』と『飢餓と恐怖の支配する絶望の中で死んでいった者たちに必要な教えとは、仏の慈悲そのものであり、言葉や理屈を超えた悟りであることから教えとして説くことは非常に難しい。』は、重要なことではないかと思います。

『そなたに教えを説くことは、そなたに憑依している心霊に対して教えを説くことでもある。』とは、憑依霊は憑依している人間の意識を通して神仏の教えを学ぶ機会を得ると考えるならば、仏教の教えを学ぶことは、自分だけの学びではなく、迷っている心霊の供養ともなると言えます。

『飢餓と恐怖の支配する絶望の中で死んでいった者たちに必要な教えとは、仏の慈悲そのものであり、言葉や理屈を超えた悟りであることから教えとして説くことは非常に難しい。』を言葉で説明するのは難しく、神仏の圧倒的な慈悲を体験されなければ、理解することが難しいかもしれません。

しかし、これは日々の信仰の積み重ねを通して体験することであり、言葉で理解すべき内容ではないと思います。

at 02:06, 星 良謙・子授け地蔵, 神仏の御言葉

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戦没者の気持ち4(星)

3回連続で戦没者の自動書記をご紹介しましたが、迷っていると言っても同情すべき事情があることが少なくありません。
また、不成仏霊の多くは自分の苦悩を理解して欲しいとの気持ちが強い傾向があるみとから、亡くなられて迷っている方々の気持ちを理解することが出来ますと、成仏が早くなる傾向があります。戦没者の気持ちが変化したのも下記の動画を視聴したことが理由でした。

太平洋戦争の終戦放送 こちらから
※玉音放送は幾つか投稿されていますが、こののサイトは当時の放送内容に近く、玉音放送の前の国歌、玉音放送、国歌、アナウンサーが玉音放送の内容を拝読と解説、政治家の解説などが含まれています。


【国民を守ろうとした昭和天皇】御前会議・マッカーサー会談 こちらから

マッカーサーを心服させた昭和天皇 一杯のコーヒー The testimony of the interpreter こちらから

貞明皇太后の前で泣いた昭和天皇 1947 12 7 広島 こちらから

【涙腺崩壊】昭和天皇の涙 こちらから

昭和天皇の涙 二つの位牌を持つ少女 私は仏さまの子どもですから 昭和24年5月佐賀県巡幸にて 2 こちらから

日の丸とパラオの国旗の由来 こちらから

【KSM】親日国 パラオは今でも日本を愛している 「帝国軍人が貴様らごとき土人と一緒に戦えるか!」 こちらから

【日本最高】日本人の戦友に今も敬意を払うイント人とパキスタン人 こちらから

真実の戦後日本〜小野田寛郎少尉追悼 こちらから

勿論、上記の動画を視聴しただけで戦没者の方々がすべて成仏されたわけではありませんが、神仏の働きかけを素直に受け入れる気持ちになったと思われます。

番外
台湾で神になった日本人 漁民に寄り添い自決した巡査 森川清治郎巡査 謝謝!台灣 こちらから



 

at 00:08, 星 良謙・子授け地蔵, 心霊現象と神秘体験

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