先入観の危うさ4(星)
これは普段何気ない生活の中に宗教が溶け込んでいることから自覚できないだけで、多かれ少なかれ神道や仏教の説く、死生観や世界観の影響を受けているではないかと思います。このように考えますとあまりに話が広がり過ぎて何が排除すべき既成概念かが分からなくなりますので、今回は「原始仏教 その思想と生活 中村 元著 NHKブックス」を参考にお釈迦様が生きた時代に説かれていた異端の思想をご紹介したいと思います。勿論、これは仏教徒が異端として扱った思想です。
二 異端の思想家たち
(一)道徳否定論(プータナ)
当時の社会には道徳を否定するのみならず、その否定を公然と表明する思想家がいた。その代表はプーラナ・カッサパである。プーサラは奴隷の子であり、その主人の牛舎で生まれ、主人のもとから逃れ、そのとき衣を取られて以来裸形でいたといわれる。当時のインドには裸形の行者が多勢いたから、かれもその一人であったのであろう。
中略
ここでは世間一般に美徳として賞賛されていることを否認しているのである。かれは、善悪の区別は人間がかりに定めたものであり、真実においては実在しないものであり、業に対する応報もあり得ないと考えて、道徳観念を否定したのであった。
道徳否定論は、かれにつづく幾多の思想家によって公然と唱えられたが、この事実は当時の都市文化の爛熟(らんじゅく)と、それにともなう道徳頽廃(たいはい)の現象に対応するものであった。
(二)七要素説(パクダ)
唯物論者は霊魂と身体を一体と見なしたのであるが、一部の思想家は霊魂という独立の原理を認めるとともにそれを物質的なものとみなして、身体を構成している物質的要素と同じ資格のもと解した。物質的な五元素(地・水・火・風・空)のほかに、アートマンを第六の要素と見なす説が当時行われていたということを、ジャイナ教の聖典は伝えている。こういう思想傾向の一つの発展形態としてパクダの七要素説が現れたのである。
中略
そこで実践の問題に関して異様な結論がみちびき出される。−故に世の中には、殺す者も殺さしめる者もなく、聞く者も聞かしめる者もなく、識別する者も識別せしめる者も存在しない。利剣(りけん)を以(もっ)て頭を断つとも、これによって何人も何人の生命を奪うこともない。ただ剣刃が七つの要素の間隙(かんげき)を通過するのみである-と。
かれは霊魂というものを認めているから、その思想は純粋の唯物論または感覚論ではないけれども、著(いちじる)しく唯物論的である。そうしてこう立場の哲学説は実践(じっせん)論的には道徳を否定するものであり、その点はプーラナやのちにのべるアジタの場合と同様である。
(三)宿命論(ゴーサーラ)とアージヴィカ教
宿命論または決定論はインド一般に異端説の一つとみなされているが、特にゴーサーラを開祖とするアージヴィカ教によって唱導(しょうどう)されたものである。
中略
このように、かれは自由意志にもとづく行為を否定し、したがって個人の因果応報を否定し、徹底的な決定論あるいは宿命論を説いたのである。意志の自由を否定した最初の思想家であったと言えるであろう。
(四)唯物論(アジタ)
プーラナなどに見られるような道徳否定論は、哲学的には唯物論によって基礎づけられる。おそらく道徳否定論を基礎づけるために、唯物論がやや遅れて現われたらしい。その代表的理論家はアジタである。
中略
アジタによると、人間が死ぬと、人間を有制していた地は外界の地の集合に帰り、水は水の集合に、火は火の集合に、風は風の集合に帰り、もろもろの機官は虚空に帰入する。人間そのものは死とともに無となるのであって、身体のほかに死後にも独立する霊魂なるものはあり得ない。愚者も賢者も身体が破壊されると消滅し、死後には何も残らない。したがって現世も来世も存ぜず、善業あるいは悪業をなしたからとて、その果報を受けることもない(仏教ではこのような見解を「断見」すなわち断滅論とよんでいる。)。施しも祭祀(さいし)も供犠(1)も無意義にものである。世の中には父母もなく、また人々を教え導く「道の人」(沙門)・バラモン(2)も存在しないと主張した。
ここにプーラナの主張した道徳否定論が哲学的に基礎づけられたことになるのである。したがって、かれは哲学的に唯物論であり、認識論の上では感覚論、実践生活の上では快楽論の立場にたっていたと考えられる。
補足
供犠(くぎ) 供物やいけにえを神霊に供えること
沙門(しゃもん) 僧となって仏法を修める人
バラモン インドの4つのカーストのなかで最上位の階級。司祭者階級で,『リグ・ベーダ』以下の4ベーダその他の聖典を伝承し,祭祀を司り,その祭祀によって神々を動かす力をもつとされ,他の階級を指導した。
(五)懐疑論(サンジャヤ)
真実をあるがままに認識し、叙述することは不可能であるという主張、すなわち不可知論(無知論)は、インドにおいても古くからあらわれた。その代表的な思想家はサンジャヤである。
中略
ゴータマ・ブッタ(1)の二大弟子サーリプッタ(舎利弗・しゃりほつ)と大モッガラーナ(大目犍連・だいもくけんれん)は初めはこの人の弟子であったが、ゴータマ・ブッタがさとりを開いた翌年に王舎城(2)に来たときに、同門のもの二百五十人とともにゴータマの弟子になったので、サンジャヤは「血を吐いた」と伝えられている。これは、歴史的にみて、仏教はサンジャヤの懐疑論をのりこえたところに現れ出た新しい思想運動であったことを示している。
中略
かれの立場は「鰻のようにぬらぬらして捕え難い議論」と呼ばれ、また形而上(けいじじょう)学的問題に関して確定的な知識を与えないと言う点で「不可知論」とも称せられる。ここにインド思想史上初めてまた形而上(けいじじょう)学的問題に関する判断中止の思想が明らかにされた。
補足
ゴータマ・ブッタ お釈迦様のこと
王舎城(おうしゃじょう) 古代インド、マガダ国の首都。現在のビハール州南部のラージギルはこの旧跡。釈尊に非常に関係のある都城で、王舎城の東にある霊鷲山 (りょうじゅせん) や郊外の竹林精舎は、釈尊が長く住んで国王の供養を受け、民衆の教化を行なったので知られている。
形而上学(けいじじょうがく) 世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根本原因)や、物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考える。
(六)原始ジャイナ教
ジャイナ教は独自の哲学体系を発展させたが、それはやや年月を経過してからのことであるらしい。ジャイナ教の特徴は、そのきびしい修業である。
ジャイナ教によると、霊魂は業に束縛されて、このような悲惨な状態に陥っているが、それから脱し、永遠のやすらぎである至福の状態に達するためには、一方では苦行によって過去の業を滅するとともに、他方では新しい業の流入を防止して、霊魂を浄化し、霊魂の本性を発揮せしめるようにしなければならない。この修業を徹底的に執行することは、世俗的な在家の生活においては不可能である。そこで、出家して修行者(沙門)となり、妻子と離れ一切の欲望を捨て、独身の遊行(ゆぎょう)生活を行うことを勧めている。このような修行者はビク(乞う者の意)とも称せられ、托鉢乞食の生活を行っていた。仏教でも修行僧のことをビク(比丘)というが、それはジャイナ教などからとり入れたものである。またその修業はバラモン法典に説く「遍歴」に対応する。
中略
かれらのためには多数の戒律が制定されているが、まず第一に遵守(じゅんしゅ)すべきものは、不殺生・真実語・不盗・不婬・無所有の五つの大戒である。すなわち、
1 生きものを殺すなかれ。
2 真実のことばを語れ。
3 盗むなかれ。
4 婬事を行うなかれ。
5 何も所有するなかれ(=執着するなかれ。)
というのである。
ジャイナ教の修行者は戒律を厳格に遵守(じゅんしゅ)し、実行している。戒律を破るよりはむしろ死を選んだほどである。
中略
ジャイナ修行者はさらに断食・禅定など種々(しゅじゅ)の苦行を修めなければならない。ものすごい苦行の実情が叙(じょ)せられている。
中略
ところでジャイナ教は不殺生の戒律の実行を世俗の人々に対しても要求する。それを徹底的に実行すると、生産に従事し得ないことになる。木樵りにはなれない。木を伐ると、樹上の鳥の巣を害(そこな)うからである。干拓してはならない。水中の虫が死ぬからである。田を耕すのもこのましくない。みみずなどを傷つけるからである。そこで残る職業は、小売業と金貸行だけである。
原始仏教 その思想と生活 中村 元 NHKブックス P16-30
長々と引用しましたが、基本的には道徳の否定論・唯物論・宿命論・不可知論・厳格な戒律の遵守と苦行を重視するジャイナ教が異端として排斥さていると言えます。最後のジャイナ教は今日もなおわずかながらも無視できない信徒数を保っています。
仏教の基本的な考え方にまで触れれたかったのですが、引用が長くなりましたので、次回に続きます。
星
at 14:50, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康
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