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先入観の危うさ4(星)

あらゆる既成概念にとらわれることなく、ありのままに物事を見ることが仏教の根本の教えとも言える中道ではありますが、このあらゆる既成概念にとらわれないと言うのが実に厄介です。自分では意識していなくても実際には何らかの既成概念を持っているのが普通です。以前のことですが、海外で暮らしている日本人の方が日本で暮らしているときには、自分は無宗教であると考えていたが、海外で暮らしていると日本人的な宗教観を身に着けていると感じると言われていました。

これは普段何気ない生活の中に宗教が溶け込んでいることから自覚できないだけで、多かれ少なかれ神道や仏教の説く、死生観や世界観の影響を受けているではないかと思います。このように考えますとあまりに話が広がり過ぎて何が排除すべき既成概念かが分からなくなりますので、今回は「原始仏教 その思想と生活 中村 元著 NHKブックス」を参考にお釈迦様が生きた時代に説かれていた異端の思想をご紹介したいと思います。勿論、これは仏教徒が異端として扱った思想です。

 

二 異端の思想家たち

(一)道徳否定論(プータナ)
 当時の社会には道徳を否定するのみならず、その否定を公然と表明する思想家がいた。その代表はプーラナ・カッサパである。プーサラは奴隷の子であり、その主人の牛舎で生まれ、主人のもとから逃れ、そのとき衣を取られて以来裸形でいたといわれる。当時のインドには裸形の行者が多勢いたから、かれもその一人であったのであろう。

中略

 ここでは世間一般に美徳として賞賛されていることを否認しているのである。かれは、善悪の区別は人間がかりに定めたものであり、真実においては実在しないものであり、業に対する応報もあり得ないと考えて、道徳観念を否定したのであった。
 道徳否定論は、かれにつづく幾多の思想家によって公然と唱えられたが、この事実は当時の都市文化の爛熟(らんじゅく)と、それにともなう道徳頽廃(たいはい)の現象に対応するものであった。


(二)七要素説(パクダ)
 唯物論者は霊魂と身体を一体と見なしたのであるが、一部の思想家は霊魂という独立の原理を認めるとともにそれを物質的なものとみなして、身体を構成している物質的要素と同じ資格のもと解した。物質的な五元素(地・水・火・風・空)のほかに、アートマンを第六の要素と見なす説が当時行われていたということを、ジャイナ教の聖典は伝えている。こういう思想傾向の一つの発展形態としてパクダの七要素説が現れたのである。

中略

 そこで実践の問題に関して異様な結論がみちびき出される。−故に世の中には、殺す者も殺さしめる者もなく、聞く者も聞かしめる者もなく、識別する者も識別せしめる者も存在しない。利剣(りけん)を以(もっ)て頭を断つとも、これによって何人も何人の生命を奪うこともない。ただ剣刃が七つの要素の間隙(かんげき)を通過するのみである-と。
 かれは霊魂というものを認めているから、その思想は純粋の唯物論または感覚論ではないけれども、著(いちじる)しく唯物論的である。そうしてこう立場の哲学説は実践(じっせん)論的には道徳を否定するものであり、その点はプーラナやのちにのべるアジタの場合と同様である。

(三)宿命論(ゴーサーラ)とアージヴィカ教
 宿命論または決定論はインド一般に異端説の一つとみなされているが、特にゴーサーラを開祖とするアージヴィカ教によって唱導(しょうどう)されたものである。

中略

このように、かれは自由意志にもとづく行為を否定し、したがって個人の因果応報を否定し、徹底的な決定論あるいは宿命論を説いたのである。意志の自由を否定した最初の思想家であったと言えるであろう。

(四)唯物論(アジタ)
 プーラナなどに見られるような道徳否定論は、哲学的には唯物論によって基礎づけられる。おそらく道徳否定論を基礎づけるために、唯物論がやや遅れて現われたらしい。その代表的理論家はアジタである。

中略

 アジタによると、人間が死ぬと、人間を有制していた地は外界の地の集合に帰り、水は水の集合に、火は火の集合に、風は風の集合に帰り、もろもろの機官は虚空に帰入する。人間そのものは死とともに無となるのであって、身体のほかに死後にも独立する霊魂なるものはあり得ない。愚者も賢者も身体が破壊されると消滅し、死後には何も残らない。したがって現世も来世も存ぜず、善業あるいは悪業をなしたからとて、その果報を受けることもない(仏教ではこのような見解を「断見」すなわち断滅論とよんでいる。)。施しも祭祀(さいし)も供犠(1)も無意義にものである。世の中には父母もなく、また人々を教え導く「道の人」(沙門)・バラモン(2)も存在しないと主張した。
 ここにプーラナの主張した道徳否定論が哲学的に基礎づけられたことになるのである。したがって、かれは哲学的に唯物論であり、認識論の上では感覚論、実践生活の上では快楽論の立場にたっていたと考えられる。

補足
供犠(くぎ) 供物やいけにえを神霊に供えること
沙門(しゃもん) 僧となって仏法を修める人 
バラモン インドの4つのカーストのなかで最上位の階級。司祭者階級で,『リグ・ベーダ』以下の4ベーダその他の聖典を伝承し,祭祀を司り,その祭祀によって神々を動かす力をもつとされ,他の階級を指導した。

(五)懐疑論(サンジャヤ)
 真実をあるがままに認識し、叙述することは不可能であるという主張、すなわち不可知論(無知論)は、インドにおいても古くからあらわれた。その代表的な思想家はサンジャヤである。

中略

ゴータマ・ブッタ(1)の二大弟子サーリプッタ(舎利弗・しゃりほつ)と大モッガラーナ(大目犍連・だいもくけんれん)は初めはこの人の弟子であったが、ゴータマ・ブッタがさとりを開いた翌年に王舎城(2)に来たときに、同門のもの二百五十人とともにゴータマの弟子になったので、サンジャヤは「血を吐いた」と伝えられている。これは、歴史的にみて、仏教はサンジャヤの懐疑論をのりこえたところに現れ出た新しい思想運動であったことを示している。

中略

かれの立場は「鰻のようにぬらぬらして捕え難い議論」と呼ばれ、また形而上(けいじじょう)学的問題に関して確定的な知識を与えないと言う点で「不可知論」とも称せられる。ここにインド思想史上初めてまた形而上(けいじじょう)学的問題に関する判断中止の思想が明らかにされた。

補足
ゴータマ・ブッタ お釈迦様のこと

王舎城(おうしゃじょう) 古代インド、マガダ国の首都。現在のビハール州南部のラージギルはこの旧跡。釈尊に非常に関係のある都城で、王舎城の東にある霊鷲山 (りょうじゅせん) や郊外の竹林精舎は、釈尊が長く住んで国王の供養を受け、民衆の教化を行なったので知られている。

形而上学(けいじじょうがく) 世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根本原因)や、物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考える。

(六)原始ジャイナ教

 ジャイナ教は独自の哲学体系を発展させたが、それはやや年月を経過してからのことであるらしい。ジャイナ教の特徴は、そのきびしい修業である。
 ジャイナ教によると、霊魂は業に束縛されて、このような悲惨な状態に陥っているが、それから脱し、永遠のやすらぎである至福の状態に達するためには、一方では苦行によって過去の業を滅するとともに、他方では新しい業の流入を防止して、霊魂を浄化し、霊魂の本性を発揮せしめるようにしなければならない。この修業を徹底的に執行することは、世俗的な在家の生活においては不可能である。そこで、出家して修行者(沙門)となり、妻子と離れ一切の欲望を捨て、独身の遊行(ゆぎょう)生活を行うことを勧めている。このような修行者はビク(乞う者の意)とも称せられ、托鉢乞食の生活を行っていた。仏教でも修行僧のことをビク(比丘)というが、それはジャイナ教などからとり入れたものである。またその修業はバラモン法典に説く「遍歴」に対応する。

中略

 かれらのためには多数の戒律が制定されているが、まず第一に遵守(じゅんしゅ)すべきものは、不殺生・真実語・不盗・不婬・無所有の五つの大戒である。すなわち、
1 生きものを殺すなかれ。
2 真実のことばを語れ。
3 盗むなかれ。
4 婬事を行うなかれ。
5 何も所有するなかれ(=執着するなかれ。)
というのである。
 ジャイナ教の修行者は戒律を厳格に遵守(じゅんしゅ)し、実行している。戒律を破るよりはむしろ死を選んだほどである。

中略

ジャイナ修行者はさらに断食・禅定など種々(しゅじゅ)の苦行を修めなければならない。ものすごい苦行の実情が叙(じょ)せられている。

中略

 ところでジャイナ教は不殺生の戒律の実行を世俗の人々に対しても要求する。それを徹底的に実行すると、生産に従事し得ないことになる。木樵りにはなれない。木を伐ると、樹上の鳥の巣を害(そこな)うからである。干拓してはならない。水中の虫が死ぬからである。田を耕すのもこのましくない。みみずなどを傷つけるからである。そこで残る職業は、小売業と金貸行だけである。

原始仏教 その思想と生活 中村 元 NHKブックス P16-30


長々と引用しましたが、基本的には道徳の否定論・唯物論・宿命論・不可知論・厳格な戒律の遵守と苦行を重視するジャイナ教が異端として排斥さていると言えます。最後のジャイナ教は今日もなおわずかながらも無視できない信徒数を保っています。

仏教の基本的な考え方にまで触れれたかったのですが、引用が長くなりましたので、次回に続きます。

at 14:50, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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先入観の危うさ3(星)

シリーズ化する気持ちもなく、「先入観の危うさ」で書き始めましたが、この問題は根の深い問題であることから、このテーマを少しばかり継続しようかと思っています。

さて、今回取り上げるのは、織田信長の話です。織田信長の躍進の原動力となったのが、鉄砲の活用・楽市楽座・農兵分離であると言われることか多いのですが、調べてみますと史実と異なることが多いようです。

 

根拠のない定説
 信長が三千挺の鉄砲を三段撃ちもさせて、武田の騎馬隊を撃滅したというのが「定説」目玉であるが、これは小瀬甫庵(1)の『信長記』という書物に出てくるもので、なんら根拠のある話ではない。たとえば信長の旧臣・太田牛一の著書『信長公記』の自筆本には、三千挺どころか、「千挺ばかり」という数値が挙げられているにすぎない。この点を最初に指摘されたのは藤本正行氏だが、甫庵の『信長記』と『信長公記』との資料としての信頼度を考えれば、後者に従うのは当然であろう。
 三段撃ちにしても同じである。この戦いに関係した者の書簡や覚書などには、そんなことはいっさい出てこないし、『信長公記』ももちろん触れていない。それだけでも否定されておかしくないし、信長がこうした戦法を考えついたとも思えない。仮に考えたとしても、信長にとっては実行の可能性もなければ、必要性もないものであった。
 もし三段撃ちをやってみようとすれば、予定された戦線をカバーできるほどの大量の鉄砲と複雑な運動をこなせる、よく訓練された兵士とそのような運動ができる空間が必要であるが、長篠の信長にはすべて欠けていた。鉄砲は千挺ほどしかなかったし、それを操る兵士たちは、共同訓練を経たことのない寄せ集めの連中だった。おまけに、もともと狭い所に何重もの障害物を設けたため、彼らが入れ替わりながら動けるよちなどなかった。
 一方、大勢の従兵を何段にも並べ、ひっきりなしに撃たせる必要があるのは、敵方も同じように横長に展開して、一斎とぎれることなく、攻撃をかけてきたような場合である。ところが、長篠の武田勢は、織田・徳川勢よりもずっと人数もすくなかったうえに、全軍が一斉に仕掛けてきたわけてもない。とすれば敵が目の前にいる、いないにかかわらず、絶え間なしに一斉射撃をかけるといった無駄なことをする必要はなにもない。
 三千挺の三段撃ちというのは、こういう具合にまったくのデタラメなのだが、陸軍参謀本部が明治三十六年(一九〇三)に編集した『日本戦史』が真説であるかのようにこれを取り上げた。それ以来、ネコもシャクシも主張するようになったものである。
 武田の騎馬隊とか騎馬軍団つかいうのも、同様に甫庵の記述などから生まれた勝手な妄想にすぎない。この時代には、騎馬武者だけを集めて一隊をつくるなどということはありえなかった。軍隊の構造が、そのようにできていなかったからである。また、騎馬武者も、戦闘にあたっては、ほとんどが下馬してしまうのが、長篠の戦いなどのずっと以前からの慣行であった。その点については、いくらもたしかな証拠がある。(2)

講談社現代新書 謎とき日本合戦史 鈴木眞哉著 P131-132


補足1
小瀬 甫庵(おぜ ほあん、1564年(永禄7年) - 1640年10月6日(寛永17年8月21日))
戦国時代から江戸時代初期にかけての儒学者、医師、軍学者。『太閤記』『信長記』の著者として知られる。

 

鉄砲は天下を統一したか?
 鉄砲が天下と統一を促進したというのも、よく見かける主張である。それをいっている人たちは、例外なく信長を念頭においていて、彼は鉄砲を活用することによって、覇業を達成したとするのである。
 「信長」派の人たちが判で押したようにいいたがるのは、群雄たちの中でも、信長はとりわけ大量の鉄砲を使用したということである。そういうことを始めたのは信長であるとか、それができたのは信長だけであるとか強調している人も少なくない。
 それがあやまりであることは、すでに触れた元亀元年の摂津野田・福島両城での戦い(1)をみてもわかる。それ以前にも、永禄四年(一五六一)、豊後の大友宗麟(おおともそうりん)(義鎮)が、豊前門司城を毛利氏から奪い返すため、鉄砲千二百挺を用意したというような事例もある。
 これに対しては、『信長公記』や信長関係のたしかな文章を見ていった限りでは、さほど大量の鉄砲を集めたことはない。もっとも大きな数値が出ているのは長篠(ながしの)の戦いのときで、『信長公記』によれば別働隊に五百挺、主戦場に約千挺を配備している。ただし、前者は直属の鉄砲衆のものだが、後者の約千には、たまたま帰属していた諸将から提供させたむものが相当数含まれている。
 信長が鉄砲を活用したという戦例も、長篠以外には、ほとんどみられない。逆に、天正八年(一五八〇)まで、ちょうど十年間続いた石山合戦、その支作戦である二度の紀伊雑賀攻(きいさいかぜ)め(一五七七)では、相手方の鉄砲衆のため、しはしば苦杯を喫している。
 どうしてそのようになったかというと、そもそも鉄砲が統一を促進する(はずだ)という前提がおかしいのである。鉄砲の本場であり、歴史的な状況もかなり似ていたはずのヨーロッパでも、そんな現象は起こっていない。なぜかといえば、当時の鉄砲は、戦闘(battle)のレベルまでは、なんとか左右できたとしても、戦争(war)そのものを動かせるほど強力な武器ではなかったからである。
 仮に強力な武器であったとしても、それが天下統一に役立つためには、統一者側だけが大量の鉄砲を確保できるという前提条件が必要である。もし、他の勢力も、これに対抗できるだけの鉄砲を用意できれば、かえって割拠を容易にしてしまう。信長と、石山合戦の一方の主役ともいうべき紀州雑賀衆との間に起ったことは、そういうことであった。
 ヨーロッパには、火薬が平等をもたらしたというような考え方がある。誰でも火薬を手にすれば、領主たちと互角に戦えるようになったというほどの意味である。紀ノ川下流域の土豪集団にすぎない雑賀衆が、何十倍もの信長の大軍を迎え撃って負けなかったのも、まさにそれである。鉄砲の普及は、統一を促進したというよりも、かえってむずかしくしてしまったところがあった。

講談社現代新書 謎とき日本合戦史 鈴木眞哉著 P146-147


補足
野田・福島の戦い
元亀元年(1570)三好三人衆(三好長逸・三好政康・ 岩成友通)が動き出し、摂津(現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)に進出したとの知らせが、将軍、足利義昭から岐阜の信長のもとに入りました。信長は、岐阜を立ち京都に到着して京都の守りを固めて河内(現在の大阪府東部)へ行き、摂津に進軍。三好三人衆に籠る野田城・福島城の2つの城に攻撃をかけました。この戦いにおいて三好三人衆の援軍として根来衆(ねごろしゅう)・雑賀衆(さいかしゅう)・湯川衆および紀伊国奥郡衆約二万が来援し、住吉や天王寺に陣を張って織田勢へ鉄砲三千挺を撃ちかけたとされています。

この本は、日本の戦いの歴史の中で白兵戦が行われていた時代があったかをテーマとした内容の本であり、この本の中では映画や小説で描かれている合戦のように刀が主な武器として使用されていなかったことを検証した内容となっています。そのため、多くの方々が抱いてるイメージは、主に講談などの創作が元になっていると書かれています。その意味では、多くの人々の夢を打ち砕く内容となっているとは言えますが、非常に面白い内容であり、戦国時代に興味のある方ならば、お勧めの一冊です。

さて、長文の引用となってしまいましたが、これを読んで頂ければ、織田信長の活躍の原動力を鉄砲に求めるのには無理があることを理解して頂けるのではないかと思います。この本は2001年9月20日が初版となっていますが、三千挺の鉄砲の三段撃ちの俗説を信じている方は少なくなく、経営書などでは、その俗説を前提にして解説している本も少なくないようです。しかし、長篠(ながしの)の戦いの鉄砲の三段撃ちを否定しているのは、この本の著者だけではないことから資料の下調べをされていないのかとの疑問を感じます。また、楽市楽座や農兵分離にしても俗説とは異なっているようです。何分にも歴史の専門家でもないことから詳しく解説できるほどの知識もありませんが、鉄砲や楽市楽座の導入、農兵分離に信長の躍進の理由を求めるのは安直すぎると思います。

このようのうなことを書くのかを書きますと、経営書の執筆をした際に信長を取り上げたかったのですが、あまりにも俗説が多過ぎて断念した経緯があります。確かに信長は優れた戦略を持つ武将であり、信長の戦いに学ぶべきことは非常に多いのですが、調べれば調べるほど一般に信じられている信長の生涯と史実が異なり過ぎることが分かりました。そのため、織田信長を取り上げようとするならば、史実の検証から始めなければならず、史実の検証を書きますと経営書ではなく、歴史の本になってしまうことから断念しました。

しかし、経営の本としては、史実とは異なるとしても俗説を前提とした方が、話は単純明快となり、分かりやすい話となります。逆に史実を重視しますと、信長の強さの秘密を解説するのは簡単ではありません。一般的に信じられている俗説を検証する作業から始めるだけでなく、当時の織田家の状況や周辺地域の状況、時代背景などを解説する必要があり、単純明快に説明することは出来ませんが、当時の織田家の状況や周辺地域の状況、時代背景などを調べますと、信長の優れた戦略に気付きます。

それらの事情を無視して話を単純化するならば、話は分かりやすくなりますが、本質が分からなくなるだけの話ですが、そんな話が氾濫しています。この背景にあるのは、根拠のない思い込みが独り歩きすることです。そしてその思い込みが世の中の常識となることも珍しくなく、一度定着してしまった思い込みの常識は、容易に解消しないようです。

今回引用させて頂いた「謎とき日本合戦史」のテーマも日本の戦いの歴史は主に刀を使用した白兵戦であったとの考えが単なる思い込みでしかなかったことの検証がテーマです。この著者によれば、日本の合戦の歴史において刀が主役であったことは一度もなく、常に弓矢・鉄砲などの飛び道具が主役であったことを検証されています。

これは何も日本に限られた話ではなく、西洋の軍隊においても鉄砲や大砲などによる攻撃よりも銃剣などを使用した白兵戦を重視した歴史がありました。しかし、その思い込みが打ち砕かれたのが、第一次世界大戦であり、余程特殊な場合を除き、鉄砲や大砲などの前には、白兵戦は成立しませんでした。そのため、西洋においては、白兵戦重視から火力を重視するようになりましたが、日本は第一次世界大戦に参戦はしたものの、ヨーロッパ戦線には参戦しなかったことから白兵戦を重視し続けたとあります。

本職の軍人ですら大多数の人が正しいと信じた思い込みを解消することは難しいことであり、現実を客観的に見ることは容易ではないと言えます。

at 07:57, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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先入観の危うさ2(星)

昨日から雨が降り続いていますが・・・・

買い物程度しか外出することもなく過ごしております。( ̄。 ̄)ボーーォ

このところ、少し時間があれば、以前に読んだ架空戦記を読み返しています。
架空戦記は、現実から離れた架空の小説ではありますが、作家によっては史実を少し修正することで、その後の歴史がどのように変わったかのシュミレーションの姿勢を貫いています。作品によっては荒唐無稽な新兵器を登場させ、日本軍が大活躍する小説もありますが、それよりも史実を少し修正することで、その後の歴史がどのよう変えることが出来るかに興味があります。これは一種の遊びなのですが、昔からはまっています。

しかし、考えてみますと、20年以上も第二次世界大戦を中心とした架空戦記の小説を読み続けていますので、最近では史実の記憶の方が曖昧になってしまいました。α~ (ー.ー") ンーー

それはさておき・・・・

前回の投稿で先入観を持つことの危惧について書きましたが、仏教の説く中道と先入観の関連について少しばかり考察してみたいとおもいます。中道は仏教の教えの根幹ではありますが、中道とは何かについて明確に説かれた本は非常に少ないと思います。一般的には中道とは、両極端を排除した考えと説かれることは多いのですが、両極端を否定するだけならば、折衷主義と同じではないかとの話となってしまいますが、仏教書に取り上げられている話は、折衷主義と受け取られかねない話が多い気がします。
 

中道
仏陀(ぶっだ)の境涯(きょうがい)。仏陀は渇愛に基づく快楽や、極端な苦行のどちらに偏っても真理には到達できないことを悟った。

Books Esoterica9 釈迦の本 P82


確かに間違いはないのですが、誤解を招きやすいと思います。しかし、この本の中には八正道の解説の中で下記のような表現があります。
 

【正見】(しょうけん) あるがままを見据える正しい見解
もしも人が見解(けんげ)(概念化された誤った固定観念)によって清らかになりうるならば、あるいはまた人間が知識によって苦しみを捨て得るのであるならば、それでは煩悩(ぼんのう)にとらわれている人が(正しい道以外の)他の方法によって清められることになるであろう。(スッタニパータ/中村元訳)

何をもって正しいとするのか? われわれの日常生活は概念化された固定観念に支配されている。仏陀はこうした見解を誤った見方としたむ。初転法輪(しょてんぽうりん)において説かれた中道論(ちゅうどうろん)とは、あるがままの姿を見きわめる見解であった。正見(しょうけん)はこの中道観を得るための智慧(ちえ)である。

Books Esoterica9 釈迦の本 P142


こちらの話の方が分かりやすいのですが、固定概念を捨て去り、あるがままの姿を見きわめるとは、先入観を捨て去り、あるがままの姿を見きわめると言い換えることが出来るのではないかと言えます。しかし、これは言葉で言えば簡単な事ですが、実践することは容易ではなく、固定概念を捨て去り、あるがままの姿を見きわめるための方法論が、正見から始まる八正道の教えです。これは仏教の根本的な修業方法であり、正思惟(しょうしゆい)・正語(しょうご)・正業(しょうごう)・正命(しょうみょう)・正精進(しょうしょうじん)・正念(しょうねん)・正定(しょうじょう)を実践することで悟りを目指します。

当然のことながら八正道を日々実践しても簡単に悟れるはずもなく、それだけ固定概念や先入観を捨て去ることは非常に難しいことであると言えます。禅問答の難解な問いもこの固定概念を打ち破ることを目的にしているのではないかと思います。既成概念や常識を打ち破るためには、常識で考えていては答えを得られない問いが禅問答と言えるのではないかと思います。

at 09:01, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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先入観の危うさ(星)

久しく投稿していなかったことから何となく( ̄。 ̄)ボーーォとしております。

どうも、調子がつかめないと言うか・・・・・

暫くは、投稿を再開したことに気付かれない方も多いのではないかと思いますので、のんびり投稿しようかと考えています。

それはさておき・・・・

暫く前のことですが、週刊誌に疑い深い嫁を持ったご主人のボヤキが掲載されていました。記事の内容は、外出先でお腹をこわしてしまい、下着を汚してしまったことから新しい下着にはき替えて帰ったところ、浮気を疑われた話でした。更にスーツのポケットに喫茶店のレシートが入っていたのを奥様が見つけ、奥様は浮気していたに違いないと喫茶店にご主人が若い女性と一緒ではなかったかと店に電話したそうです。真相は仕事の打ち合わせでお客さんと喫茶店に行ったときのレシートでした。別にどこの誰かも分からない内容の記事ですが、ご主人は気が滅入るでは済まない話だと思います。

どこまで信用できるかも分からない週刊誌の話ですが、世の中には些細なことでご主人の浮気を疑う奥様は多いようです。もし、このご主人が仕事の打ち合わせで喫茶店に入っていたならば、浮気の証拠だとでも騒がれるのかと限りない同情をしてしまいますが、これに似た話は過去に聞いたことがあります。浮気の話は珍しくないとも言えますが、浮気しているに違いないと疑い始めたならば、何気ない仕草も浮気しているのではないかとの疑うことは出来るのではないかと思います。

以前の事ですが、テレビで奥様がご主人が浮気をしていると疑って夫婦関係を破綻させてしまった事例を紹介していました。その奥様が浮気を疑い始めたきっかけは、ご主人が自宅にいるときに携帯電話がかかって来た電話を家の外で話していたことでした。その奥様は、女からの電話に違いないと思い込み、ご主人の浮気を疑い始めました。ご主人は、奥様の浮気疑惑の追及に愛想を尽かし、家を出ましたが、今度は浮気相手を突き止めるべく探偵に依頼してご主人の行動を調査しましたが、浮気の事実は何も見つかりませんでした。しかし、奥様は探偵の調査に納得せず、浮気しているに違いがないと信じ込んでいました。

「ある事実・現象が『全くない(なかった)』」というような、それを証明することが非常に困難な命題を証明することは悪魔の証明であると言われますが、浮気の証拠をつかむことは可能でも浮気していないことを証明することは不可能に近いことです。しかし、浮気していないご主人が浮気をしているに違いないと頑なに信じている奥様を納得させることは非常に難しいと思います。

これと似たような話ですが、ある男性から似たようなご相談を受け、自分が浮気しているかどうかを奥様の前で占って欲しいと少し変わった依頼を受けたことがありました。この依頼者もテレビの話と同じような状況であり、奥様に何を話しても浮気しているに違いないと何を言っても聞き入れられず、困り果てての末のご相談でした。鑑定結果は、ご主人の浮気の兆候はなく、奥様にも詳しく鑑定結果を解説しましたが、奥様は納得されていない様子でした。

この依頼者の場合には、奥様が妄想性人格障害であったことが分かり、通院治療されたそうですが、先入観から判断を誤ることは少なくありません。元監督の野村克也氏がヤクルトの監督をしていた時代の話ですので、随分昔の話となりますが、当時野村監督は茶髪を嫌っていましたが、ある選手がシーズンオフに茶髪にしていたことにシーズンオフだからと茶髪に染めたと怒ったことがありました。しかし、真相はシーズンオフになって茶髪に染めていたのではなく、生まれつきの茶髪であったことからシーズン中は黒く染めていたことを野村監督が知らなかっただけのことでした。

これらの話に共通しているのは、思い込みが原因で問題を起こしている事です。前回の投稿では、現実を無視した空理空論に陥ることの危うさについて取り上げましたが、思い込みのもたらす危うさも同じ様な危険があります。先入観を持つことで柔軟な思考が出来なくなり、自分で苦悩の原因を作り出していることもあります。確かにすべての先入観を排除して考えることは難しいのですが、出来るだけ先入観を持たないようにすることは大切なことではないかと思います。

しかし、多くの人は人は先入観で判断してしまう傾向があります。占いの場合には、極力先入観を排除しなければ、無意識に先入観で答えを導き出してしまうことから、柔軟な思考を心掛けていますが、それでも常識の枠にとらわれていたと痛感させられることが何度もありました。それだけ先入観を捨てることは難しいと言えます。

at 11:40, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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報恩講のお知らせ

祭事のご案内

今年も報恩講が各地の開催されます。
真宗教団では、報恩講が一年の中で一番大きい法要となります。
西本願寺や専修寺は年明けの一月に開催されるようです。

東本願寺 
2015(平成27)年 11月21日(土)〜28日(土)
詳しくは こちらから

仏光寺(真宗仏光寺派本山)
2015(平成27)年 11月21日(土)〜28日(土)
詳しくは こちらから

錦織寺(真宗木部派本山)
2015(平成27)年 11月21日(土)〜28日(土)
詳しくは こちらから

築地 本願寺
2015(平成27)年 11月11日(水)〜16日(月)
詳しくは こちらから

真宗大谷派名古屋別院(東別院)
詳しくは こちらから
2015(平成27)年 12月13日(土)〜18日(金)

at 01:56, 星 良謙・子授け地蔵, 仏教

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専門家の疑問(星)

なんやかんやで久しく投稿できませんでした。m(_ _)m

最初は春先から少しばかり体調を崩したことが始まりでしたが、経営書の執筆を依頼されたことから時間があれば、執筆していました。(- .-)ヾ ポリポリ

何分にも依頼された経営書でしたので、依頼者の意向に沿った内容にしなければならない制約がありました。また、依頼者が戦国大名の話が好きだったことから戦国大名の逸話を引用したのですが、戦国大名の逸話には小説や講談で創作された話が多いことから史実の確認作業に思わぬ時間をとられました。また、苦労して調べても一般に信じられている話が後世に創作された話であることが分かり、使えないと分かった話も幾つかありました。例えば、通説では織田軍は鉄砲を3,000丁も用意しただけでなく、三段撃ちを実行して当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊を打ち破ったとされていますが、地形などを考えると三段撃ちは現実的ではないとの異論も多いようです。

結局、半年以上かかってしまいましたが、区切りがつきました。( ̄。 ̄)ボーーォ
ただ、自分が書きたい内容よりも依頼者の意向を優先していましたので、ストレスが溜まります。
執筆に入る前に出版の許可を得ていますので、書き直して電子出版しようかと考えています。

さて、いつも精神世界の話ばかり書いている人間が、経営書を書いていることに疑問を抱かれる方も多いのではないかと思いますが、自分の中ではこちらの方が表の顔と考えています。つまりこのブログで書いている内容は、裏の顔とも言うべき話ばかりなのですが、いつしか裏表が逆転してしまったような・・・・α~ (ー.ー") ンーー

それはさておき・・・・

精神世界に足を踏み入れたのは、20代の頃から身の回りに起きる怪奇現象に悩まされ続けたことから精神世界の本を読み漁っていたことが始まりでしたが、精神世界の本ばかり読み続けていると心霊現象が悪化する傾向があることに気付きました。そのため、精神世界の本を何冊か読んだ後には、精神世界とは無縁な本を読むことにしていました。その頃に経営に関する本も数多く読み漁っていました。執筆に入る前にも改めて経営を書購入したり、経営コンサルタントのサイトを幾つか閲覧しました。私のような人間が批判するのもおこがましいのですが、漠然とした違和感を感じました。

これは経営書に限られた話ではありませんが、宗教書や心理学の本などにも言えることですが、読んでいるときには、何となく分かった気分になれても読み終わって実生活で役立つかとなれば別の話です。本も数多く読むことで知識は得られますが、日常の生活の中で役立てることは難しいことが多い気がします。心霊現象に悩んでいた頃から宗教書や心理学の本も数多く読みましたが、本の内容としては素晴らしくても自分の悩みに答えてくれるような本に出会うことはありませんでした。また経営書や営業の本も読みましたが、仕事にどれだけ役立ったかとなると非常に疑問が残りました。

その理由を考えてみますと、宗教や心理学は人々の苦悩を解消するために生まれたと言えますし、実社会の人間の苦悩から遊離した宗教や心理学では意味がなく、経営学も現実の企業経営から遊離していたのでは意味がありませんが、学問となった瞬間から現実社会から遊離してしまうのではないかと思います。つまり宗教と宗教学は異なり、経営と経営学は異なると言ったところでしょうか。どの分野にも言えることですが、師が残した教えを研究していますと緻密な理論体系の構築に向かう傾向があります。

緻密な理論体系を構築することは悪い事ではありませんが、人間関係や経営の悩みは千差万別であり、すべての人々の悩みに応えることは困難であり、すべての悩みを解消する答えを用意することには無理があります。状況によっては、真逆とも言えるような方法が解決策となることは珍しくありません。そのため、すべてを網羅しようとしますと膨大な教えの体系となることは避けられなくなります。しかし、実際には著者の体験や主観が大きく影響します。その無視して緻密な理論を組み立てても現実の問題から遊離してしまいます。

その極端な例が心霊世界の話ではないかと思います。心霊世界の話の大半は、個人的な経験談であり、客観的に検証できることは皆無に近いことからどんな空理空論も成り立ちます。神は宇宙人であると言う霊能者がいましたが、私には間違いであると否定できるだけの客観的な事実を提示することも出来ませんし、神は宇宙人であると証明出来るだけの客観的な事実を提示することも出来ません。つまり心霊世界に関しては、誰がどんな意見を言ったとしても荒唐無稽な話であると否定出来ません。

その対極にあるのが兵法や軍事学ではないかと思います。戦闘行為は命のやり取りであり、作戦の間違いは兵士の命が代償となるだけでなく、国の存亡にも影響しますので、空理空論に頼っていたならば、国の滅亡にもつながります。その意味では、空理空論に陥りやすい心霊世界の話の対極にあると言えます。そのため、経営書においては、軍事学や兵法などが参考にされることが多くあります。しかし、経営と戦争は似ている点は多くても同一ではないことから経営に軍事学や兵法を全面的に取り入れることには無理があのではないかと思います。

また、経営の専門家が軍事学や兵法を取り入れている場合に目立つのが軍事学や兵法について十分な理解出来ないままに経営に取り入れていることです。勿論、管理人も軍事学や兵法の専門家ではありませんが、若い頃から戦術や戦略に興味があったことや架空戦記が好きでしたので、いつのまにか初歩的な軍事学の知識ならば覚えてしまいました。そんな軍事学の初心者ですら経営書に書かれている軍事学や兵法の引用には疑問を抱くことがありました。つまり経営の専門家ではあっても軍事学や兵法の専門家ではないと言うことです。

話を戻しますと、精神世界などのように実体のない事柄に関しては、空理空論に陥りやすいだけでなく、著者の体験や主観に大きく影響されやすい傾向がありますが、経営書にも同じ傾向があります。書店には成功者と言われる経営者の著書や著名な経営コンサルタントの著書が並んでいますが、やはり著者の成功体験が元になっているのではないかと思われます。これは成功された経営者とお話をさせて頂いていても感じることですが、その方が一つの方法で成功されたことは間違いがないとしても、それが全てではないと思います。

例えば、飲食店で成功した方法論が、物流で成功するかとなれば、成功するとは限らず、大企業で成功した方法論が、中小企業で成功するとは限りません。また都市部で成功した方法が過疎の地域で成功するとは限らないように前提条件が異なれば、結果も異なることは少なくありません。そのため、一つの成功事例から学ぶことは大切ではありますが、それがすべてであると考えるべきではありません。

これは経営に限られた話ではなく、恋愛でも教育でも同じではないかと思いますが、世の中には、正解は一つではないことは数多くあります。宗教などの精神世界の話に限らず、正解は一つではないことの方が多いのですが、多くの人は何が正解かを求める気がします。一つの正解があるとしてもそれがすべてであると考えると現実から遊離した空理空論に陥るのではないかと思います。そのため、一つの正解があったとしても、それは数多くの正解の中の一つでしかないと考えるべきと思います。

at 12:35, 星 良謙・子授け地蔵, 管理人のひとりごと

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