先入観の危うさ9(星)
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慌ただしいだけの日が続いております。
α~ (ー.ー") ンーー
仕事以外の雑用ばかりで忙しいような・・・・
それはさておき・・・
今回も戦国時代の話を投稿します。
その1 武田信玄の信仰
上杉謙信が毘沙門天を信仰していたのは有名な話なのですが、上杉謙信のライバルと言える武田信玄が毘沙門天を信仰していたのはあまり知られていないのではなかと思います。
甲斐の武田信玄は毘沙門天王を信仰していました。彼の所用した軍配には、毘沙門天王を表す種字(しゅうじ)が印されています。信玄は当山※の毘沙門天王に深く帰依し、上洛を計画した折、わざわざ信貴山にお供えを奉納しました。当山には今なおその書状が残っています。
一目でわかる 毘沙門信仰の手引き 信貴山千手院 P43
※信貴山 朝護孫子寺
引用させて頂いた本は、信貴山真言宗大本山千手院が監修された本です。
参考サイト 武田信玄の館 武田信玄の信仰 こちらから
毘沙門天は夜叉を率いるとされていることから戦いの神と考えられました。そのため、上杉謙信だけが毘沙門天を信仰していたわけではなく、多くの戦国武将が毘沙門天を信仰していたようです。
武田信玄は、武田不動尊を造らせたことや諏訪神号旗と呼ばれる諏訪明神の名を記した軍旗を使用していたことから、上杉謙信に対抗して不動明王と諏訪明神を信仰していたと思われやすいのですが、諏訪の満蔵院に毘沙門堂を建立しています。
その2 戦国時代の軍師は占い師
映画やドラマの合戦に占い師が登場することを見たことがありませんが、戦国時代においては占い師が重要な役目を担っていました。
●戦国時代に「軍師」はいない
古今東西にかかわらず、歴史に名を残す大将の側には必ずと言っていいほど優秀な"知恵者"がおり、その者たちには「軍師」という肩書が付く。戦国時代もののドラマや小説に登場する「軍師」は、自らも大将の器を持ちながら主君に仕えることを選び、策を練って百発百中、主君が暴走するようなことがあれば身をもって制する━━こんな調子で、忠臣のお手本のような存在として、戦国大名の雄飛(ゆうひ)を助けていく。
まず「軍師」という呼称は戦国時代にはなく、強いて言うなら「軍配者」なる者たちがいた。手にした軍配で何をするのかといえば、大軍の指揮ではなく陰陽道などの理論に「占術」。軍配は優秀な"占いアイテム"であり、方位磁石が埋め込まれていたり、邦楽の吉兆を示す文字が記されたりしていた。
戦国時代の大誤解 熊谷充晃著 P118-119
■軍師は占い師■
今度は合戦と易学の取り合わせを奇妙に感じる人もいるだろう。そこで、合戦にとっていかに易学が重要だったか、合戦の流れに従って説明しよう。
まず、開戦の前の段階では、占星術などで開戦日時の吉凶を占わなければならない。もちろん相手の動向も考慮するが、できれば悪日(あくにち)を避けたいと考える武将が多かった。また作戦会議でも攻める方角や戦陣の決定に占いの判断を参考にした。
いよいよ開戦目前となると、観天望気(かんてんぼうき)※すなわち雲や風を占わなければならない。これは吉凶の判断だけでなく、気象予報の役にも立つ。気象の変化をタイミングよく利用すれば、軍の実力以上の戦いをするとができた。たとえば、桶狭間の戦い(一五六〇年)で若き織田信長(おだのぶなが)が少ない兵で今川(いまがわ)氏の大軍を破ることができたのは、戦いの最中の豪雨によるところが大きい。
このような占いを行うのは、軍配者の仕事だった。つまり軍配者とは戦場の占い専門家だったのである。戦場で武将が用いた軍配団扇(ぐんばいうちわ)に、表裏に十二支、二十八宿(にじゅうはっしゅく)、日月星辰(じつげつせいしん)かどが書き入れられていたのも、軍配が占いと深い関わりを持っていたことを示す。
すぐわかる日本の呪術の歴史 武光誠著 P95
観天望気(かんてんぼうき)は、あまり聞きなれない言葉ですが、通常は空模様や生物の行動から天気を予想する方法ですが、軍配者が行った観天望気は、戦場の気を読む少しばかりオカルト的な観天望気です。これは、戦場においては、城の上に気が立つとされ、その気を読み取る術のことです。
このように書いても具体的にイメージすることが困難なことから参考になりそうな図を掲載します。
上記の図は、承応2年(1653年)に軍学者の小笠原昨雲(さくうん)がまとめた「軍法侍用集」に掲載されている図です。
東洋の魔術書 藤巻一保 岡田明憲著 P75
以前に気を見る方法は、気功の専門書にも掲載されていたことは覚えているのですが・・・・
話を戻しますと、「東洋の魔術書」によれば、構成は第1巻が総論の「武勇問答の次第」、第2巻〜4巻「備え勝負の巻」、第5巻「道具軍礼の巻」、第6巻〜第8巻「窃盗(しのび)の巻」、第9巻〜11巻「日取り方位文段の巻」、第12巻「気の巻」と占い関係の記述が4巻にも及ぶことから占いが重視されていたことに間違がないようです。
蛇足ながら現代は、方位術として活用されている奇門遁甲(きもんとんこう)も合戦に有利な方位と時間を選ぶための術であったようです。奇門遁甲はあまり知られていない方位術ではありますが、気学の元になったと言われている方位術であり、個人的には方位術としては優れた術だと考えています。
三国志などでは、諸葛孔明が軍略に用いたとされていますが、実際のところは謎ですが、海戦や水上戦に有利とされる「龍遁」や奇襲に効果があるとされる「鬼遁」など特殊などの用語がありますので、合戦に利用されていると思われます。
星
at 23:59, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康
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