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供養と城攻め(星)

車で郊外を走っていると水仙が咲いているのを時々見かけます。

春本番が近いと言ったところでしょうか・・・



それはさておき・・・

供養を戦(いくさ)にたとえますと不謹慎とお叱りを受けるかもしれませんが、霊障の解消を目的として供養をしていますと、戦をしている気分になります。本来の供養とは、亡くなられた方が成仏されることを願って追善供養をすることであり、自分の功徳を亡くなられた方々に廻向することで亡くなられた方々の成仏を願う事なのですが、不成仏霊の頑固さにうんざりすることの方が多いと言えます。

それでもご先祖が供養を求めて子孫に障りを起こしている場合には、子孫がそのことに気付き、供養を始めるならば、障りは次第に解消することが少なくありません。これは戦にたとえるならば、百姓一揆とも言えます。つまり子孫がご先祖の苦境に気付かないためにご先祖が強硬手段に訴えるしかなかった状況にあったと言えます。そのため、子孫が先祖供養を始めるならば、障りを起こす必要もなくなり、障りは解消に向かいます。

しかし、ご先祖の中には生前の間違いを認める気がなく、神仏の指導を受け入れないご先祖もいます。また、何十年と供養されることもなく、忘れ去られた水子は、親に対する反発心と親に甘えたいとの気持ちが複雑にまじりあい、容易には成仏しない状態になることが珍しくありません。このようになりますと砦に立てこもったような状態となり、先祖代々の供養を継続していても障りが解消しないと言った事例が出始めます。

それでも早い段階で子孫が先祖供養を継続する場合には、障りが深刻化することは少ないのですが、先祖供養に全く関心がない方が数代続きますと、迷われているご先祖の数も多くなり、供養する困難さは砦攻めから城攻めの困難さに変わります。それでもこの段階ならば、本丸だけの小さな城の段階であると言えますが、ご先祖に対して恨みを抱く不成仏霊が多いと本格的な城攻めの段階となります。

また、ご先祖が高利貸しをされていたり、多くの使用人を抱えていた豪商などがいる場合には、自分たちを苦しめたご先祖に恨みを抱くだけでなく、子孫に対しても深い恨みを抱く不成仏霊がいる場合があります。このような不成仏霊が求めているのは、復讐であり、供養ではありません。このような不成仏霊が数多くいますと二の丸・三の丸がある本格的な城となります。

この段階になりますと、自分の家は呪われた家系ではないかと思う方が多くなり、霊能者を頼られたり、新興宗教に入信される方が多くなりますが、そのことが更に霊障を深刻化させる場合が少なくありません。勿論、すべての霊能者や新興宗教を同一に語ることは出来ませんが、霊能者や新興宗教を指導している指導霊は、霊格の低い指導霊が多く、霊障を解消するはずが、霊障を悪化させている場合が少なくありません。

更に最悪の場合には、転落した行者や僧侶の霊が指導者気取りで居座り場合があります。このような状態にまで陥りますと簡単に不成仏霊に憑依されるようになり、通常であれば憑依されないような不成仏霊まで集まるようになり、霊障は更に悪化します。この段階にまで悪化した霊障となりますと、ご相談を受けても何から手を付ければ良いのか分からない状態となります。城にたとえますと天守閣、二の丸、三の丸だけでなく、○○曲輪(くるわ)と言った防衛拠点を備えた難攻不落の城となります。

実際のご相談では、この他にも色々な事情が複雑に絡んでいることが大半ですが、大まかな流れとしてはこんな状況です。このような状況に陥ってしまいますと、実生活でも難病奇病を患っていたり、家庭内に様々な問題があったりされる場合が少なくありません。また、経済的にも困難な状況に陥っている場合も多く、問題の解消がより困難となっている場合が大半です。

当然のことながらご相談される方からするならば、一刻も早い解決を希望されますが、重度の霊障であっても先祖供養からお勧めしています。勿論、必要があれば水子供養や有縁無縁之霊の供養もお勧めしています。先祖供養からお勧めしている理由は、先祖の多くが供養を求めて障りを起こしていることから他の不成仏霊に比べますと比較的成仏が容易となります。

霊障の解決で厄介なことは、目の前の問題を一つずつ解消するしかないことです。 根底の問題を解消出来れば、一気に問題が解消すると思われる方が多いのですが、 いきなり根底の問題を解消しようとしても力を消耗するだけに終わる可能性が高い傾向があります。そこで、先祖が迷っていたならば、先祖を供養し、水子が迷っていたならば、水子を供養しなければらないことです。霊障鑑定をさせて頂いていても、先祖や水子の供養が進みますと、それまで分からなかった原因が分かることは少なくありません。

霊障の原因は、色々な要因が複雑に絡み合っていることが多く、何かの問題を解決すれば、すべて解決することはほとんどありません。何かの問題を解消すると隠れていた問題が見つかることは少なくありません。そのため、重度の霊障の場合には、次々と見つかる問題にウンザリするしますが、これは城攻めで本丸が見えていながらも本丸にたどり着けないのに似ています。魔法のように一気に問題を解消できる方法でもあれば良いのですが、難攻不落の城を簡単に落城させることは難しいように重度の霊障の場合には、簡単には解消しないと思います。

これが霊障が深刻化する前の段階ならば、障りの解消は比較的容易なのですが、多くの方は霊障が深刻化して手に負えない状態になるまで、霊障を疑われない傾向があります。



ご相談は こちらから

at 12:44, 星 良謙・子授け地蔵, 追善供養

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宗教消滅(星)

今回は、本の紹介となります。

著者の島田 裕也氏は、オウム真理教を擁護したことがある人物ですので、購入を少しばかり迷いましたが、帯の「創価学会でさえ信者激減!?」「天理教63万人減・立正佼成会324万人減」のコピーにひかれて購入しました。

内容としては、本のサブタイトルに「資本主義は宗教と心中する」とあるように経済活動と宗教の関連がテーマです。この本では、日本の宗教事情だけてなく、欧米や東アジア、中東などの宗教事情を取り上げています。それほどのページ数もない割には、各国の宗教事情などを取り上げていることから内容に少しまとまりがない気がしますし、問題の掘り下げも充分ではない気もしますが、幾つか面白い話も取り上げられていました。

1.経済格差が新宗教を育てる
このことは、他の本でも取り上げられていたことがあり、新説とは言えませんが、この本の中では創価学会や立正佼成会、霊友会などの日蓮宗系の新宗教の躍進の背景には、高度成長期の農村部からの集団就職があったとしています。集団就職で集まった人々の多くは、労働組合のしっかりした企業に入ることは出来ず、社会的に恵まれない人々であり、それらの人々を入信させることで信者数が飛躍的に増大させたとあります。

当然のことながら集団生活で故郷を離れた人々は、新たに人間関係を構築しなければならず、また見知らぬ都会での孤独感から逃れるために入信することで仲間を得られることや教団内部での資格を得ることで精神的な充実感を得られると言ったメリットがあったようです。

2.韓国のキリスト教は偽キリスト教

韓国のキリスト教、とくにプロテスタントの宣教師のなかには、説教壇で神懸(かみがか)りするような、日本で言えば新宗教の教祖にあたる人間たちも少なくない。あるいは、宣教師の熱狂的な説教によって、信者たちが神懸り状態に陥ることもある。そうしたシャーマニズムと習合したキリスト教は、病気治療などの現世利益の実現を約束して庶民の信仰を集めていったのである。

要するにそれは、日本の戦後社会において、日蓮系・法華系の新宗教団体が、現世利益の実現を掲げ、病気治しなどによって信者を増やしていったのと同じ現象である。そうした信仰でなければ、庶民層にまでキリスト教が浸透することは考えられない。したがって、知識階級に所属する韓国人のキリスト教徒は、韓国のキリスト教の大部分は、「偽キリスト教」であるといった考えをもっていたりするのだ。

宗教消滅 島田裕巳著 P83


韓国のキリスト教は、キリスト教と言っても韓国独自のキリスト教が主流のようです。

3.新宗教の衰退

 経済が急速に拡大する時代においては、都市化が進行し、都市では労働力が不足する。それを地方の農村部からの人口移動で補っていくことになるが、都市に移った人間たちは、地方の共同体から切り離されてしまったために、都会で孤独な生活を送らざるを得ない。
 かくして新宗教教団は信者数を伸ばし、大きく発展していく。ところが、一時期に急速に信者数が増えることは、かえって後に問題を生むことになる。
 まず経済状況が変わることで、新しい入信者がそもそもいなくなる。しかも、特定の世代の人間たちが教団の中心を占めているために、その後の世代はその輪の中に入りにくい。たとえ入ることができたとしても、役職は上の世代に独占され、自分たちには重要な役が廻ってこない。それでは、教団の組織に加わるメリットも生まれない。
 これによって、新宗教教団の年齢構成は、ある特定の世代だけが突出するいびつなものになってゆく。組織としの新陳代謝は進まず、運動は停滞し、よけい新しい世代が入信してくることはなくなる。そうなれば、やがては信者の高齢化という事態に直面せざるを得ないのである。

宗教消滅 島田裕巳著 P183-184


う・・・ん、それなりに説得力があるような・・・・
この本の中では、新宗教の信仰は、一代限り終わることが多く、子供へと信仰が受け継がれないことを取り上げています。

この本の中では、新宗教だけでなく、伝統的な宗教の衰退と地域社会の崩壊との関係が取り上げられています。
いずれ取り上げたいとは思っていますが、維持することが困難なお寺が非常に多いことが問題になっています。
高度成長期以前ならば、地域社会でお寺を維持することが可能であったと思われますが、地方の人口減少や地域社会との関係の希薄化などからお寺の数が減っているそうです。

神社仏閣は信仰の場であり、金儲けが目的ではないと言っても収入がなければ、建物を維持管理することは不可能であり、宗教も経済の影響が大きいと言えるようです。

at 01:07, 星 良謙・子授け地蔵, 本の紹介

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梅まつり(星)

やっと確定申告が終わりました。(V^−°)イエイ!

最近は確定申告もネットで出来るようになり随分と楽になりました。

□_ヾ(・_・ ) カタカタ

ネットでの申告ではなく、窓口で書類を提出していますが、確定申告の会場に行き、分からないことを尋ねながら書類を書いていた頃を思えば、かなり楽をさせて頂いています。(^-^ ) ニコッ

売り上げや経費の計算、領収書の整理をする手間は変わりませんが、確定申告の会場で順番待ちをしなくても済むだけでも楽になりました。

それはさておき・・・・

愛知県犬山市にある大縣神社の梅まつりに行って来ました。
大縣神社は通称姫宮と呼ばれる神社であり、尾張国二の宮とされています。

10年程前に境内の一画を枝垂れ梅ばかりの梅林が出来ました。出来たばかりの頃は、苗木ばかりでしたが、見事な梅林になりました。











梅の枝にうぐいすがとまっていましたが、何分にも動きが早すぎてとらえきれませんでした。

本当はもっと早く投稿する予定でしたが、確定申告に追われて下書きのままになっていました。m(_ _)m

at 11:13, 星 良謙・子授け地蔵, 神道

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往生礼賛(星)

確定申告に追われていましたので、書きかけのままで終わってしまっていた記事が幾つか溜まっておりました。

m(_ _)m

別に投稿が遅くなっても問題があるような内容でもありませんが、今回の記事も今月の上旬に投稿を考えていました。

(- .-)ヾ ポリポリ

それはさておき・・・・・

浄土真宗本願寺派名古屋別院に参拝させて頂きました際に報恩講のパンフレットが置かれてありました。
報恩講の日取りは宗派によっても異なることから今月に開催されるのかと思い持ち帰りました。
しかし、家に帰ってから見直しますと、2月13日〜16日・・・・

う・・・ん、既に終わっている。

気を取り直して中身を拝見しましたところ、晨朝(じんじょう)勤行に「往生礼賛」の文字が・・・・
※晨朝(じんじょう)勤行 現在の午前6時頃に行う勤行(ごんぎょう)。朝の勤め

「往生礼賛」は、浄土真宗でも中興の祖である蓮如上人以前には重視されていたお経でしたが、蓮如上人が親鸞聖人が作られた正信偈を日常のお勤めの経典とされて以降は、あまり重視されなくなったようです。浄土真宗本願寺派の本山 西本願寺では、歴代門主の祥月命日など各種法要で随時用いられているようですが、真宗大谷派の法要では一度も聞いたことがありません。

また、「般舟讃」も浄土真宗本願寺派名古屋別院の法要で一度だけ、聞いたことがありますが、真宗大谷派の法要では一度も聞いたことがありません。菩提寺のご住職にお聞きしたところ、お経は知っているが、法要で読むことはないとのお話でした。

どちらも浄土宗や浄土真宗では重視されている経典ですが、詳しいことは下記のサイトを参考にして下さい。

◆京都生まれの気ままな遁世僧、「今様つれづれ草」。◆
『往生礼讃偈』の旋律−盂蘭盆会の季節 4−  こちらから

◆京都生まれの気ままな遁世僧、「今様つれづれ草」。◆
讃念仏行道。−『般舟讃』−  こちらから

実は、この「往生礼賛」は懇意にさせて頂いている僧侶の方が重視されているお経であり、管理人も法要に参列させて頂いた際に拝聴させて頂いたことがあります。お経を聴いていると言うよりも声明を聴いていると言う方が正確であり、哀愁をおびた歌を聴いているような気分になるお経です。

懇意にさせて頂いている僧侶の方が動画を配信されていますので、興味のある方はご覧ください。

真宗浄興寺派 歓喜山 浄光寺 こちらから
※TOPページに動画があります。

少し補足しますと、真宗浄興寺派は非常に小さな宗派ではありますが、本山の浄興寺は非常に由緒あるお寺です。
元々は、戦前までは真宗大谷派の別格本山でしたが、戦後に独立して真宗浄興寺派となりました。

at 02:26, 星 良謙・子授け地蔵, 仏教

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負のループ(星)

毎年の事ですが・・・・

確定申告に追われています。今年こそは早く片付けようと、準備していたのですが・・・・

あたふた (((^^;)(;^^) ))あたふた

今年もぎりぎりの提出になりそうです。

ウーム (; _ _ )/

それはさておき・・・・

管理人が大学を卒業したのは、遠い昔の話ですが、当時は厳しい就職難の時代でした。大手企業はコネでもなければ、採用されるのは難しく、地方公務員に至ってはコネがあるのが当たり前であり、採用されるかどうかは、コネの強さが物を言うような状況でした。管理人には親の七光りも何のコネもありませんでしたので、ある企業に営業として就職しましたが、配属された営業所の所長は、高度成長期の夢を抱き続けていたような人物でした。

経済が拡大し続けている時期は、黙っていても市場は拡大し続けていることからまじめに働いてさえすれば、売り上げはついて来ますが、低成長期の時代になれば、まじめに働いていても売り上げが伸びるとは限りません。しかし、所長は「まじめに働いてさえすれば、売り上げはついて来る」の思考から抜け出せない人物であり、これは配属先の所長だけでなく、会社全体に蔓延している空気でした。

勿論、現場の実情を熟知している係長クラスは、まじめに働いていても売り上げが伸びるとは限らないことは知っていましたが、会社の方針を変えるような力はありませんでした。その結果がどうなったかと言えば、営業成績を残せない社員に対しては、所長の罵声が吹き荒れていました。これは管理人が配属された営業所に限られた話ではなく、どの営業所も同じ様な状況でした。そのため、春に30人近く採用された新入社員も夏のボーナス(寸志)を支給されると半分に減り、冬のボーナスを支給されと更に半分に減りました。

そして3年目の春に残っていたのは、片手にも満たない人数でした。しかし、その数少ない人数の中には、最初から別の部門に配属が決まっていた人間と役員のコネで入社した人間がいましたので、実力で生き残った人間は皆無にも近い状態でした。そんな会社でしたので、管理人も転職する事ばかりを考えていました。更に家族の中にも問題があり、自宅に帰っても気が休まることがない日々が続いていたことや父はとにかく我慢しろといか言わない人間であったことからノイローゼ気味でした。

そんな頃に、ある方から自分の思考を図式化することを勧められました。自宅に帰り、早速思考を図式化することを試したところ、出口のないことに悩んでいることに気付きました。出発点は当然のことながら転職ですが、不況のため新卒でも就職先も見つけるが大変な状況でしたので、直ぐ就職先が見つかるはずもない、これと言った資格も特技もない、安月給でしたのでこれと言った貯金もないことから家を出ることも出来ない、紙に書き出してみますとあれもだめ、これもだめの連続となり、結局は今の仕事を続けるしかないとの結論となりました。

これでは振出しに戻っただけなのですが、悩んでいるときには、この負のループとも言うべき思考から抜け出せなくなっていました。自分では何とかしたいと色々と考えているつもりでしたが、これでは同じ悩みを繰り返しているだけであり、解決策など見つかるはずもないことにやっと気づきました。

では、どうしたかと言えば、悩みのループから抜け出すことでした。自分には出来るはずもないと考えていたことをやってみました。これがドラマの世界ならば、成功して「やれば出来るじゃないか」と拍手喝采のハッピーエンドですが、実際は、実力もないのに上手く行くはずもありません。当然、失敗して挫折しましたが、取り敢えずは失敗しても挑戦しました。挑戦して分かったことは、挑戦して失敗するのと、失敗を恐れて何もしないのでは、周囲の見る目が違うことです。挑戦して失敗して怒られたとしても、変わろうと努力していることは周囲の人間も分かります。

今考えるならば、そのことが一番大切ではなかったかと思います。誰でも最初は素人であり、出来なくて当然と開き直ることが出来れば良いのですが、人に出来て自分に出来なければ誰もが悩みます。まして日々売り上げのノルマに追われ続ける営業の世界では、罵声が飛び交うのは日常茶飯事でした。そんな生活に耐えきれずに多くの人間が退社しました。管理人もその会社には4年間勤めましたが、別の会社に転職しました。転職した理由は、管理職になってもノルマに追われ続ける実態が分かったことや経理や人事などのノルマとは無縁に思えるような部署の社員の愚痴を聞くようになったことでした。

転職先の仕事もやはり営業でしたが、前の会社ほどはノルマに追われ続ける事もありませんでした。しかし、一般事務に比べるならば、定着率が低いのは同じでした。営業の世界は、売れれば天国、売れなければ地獄と言った世界でしたが、懸命に努力している人間に罵声を浴びせる管理職はいませんでした。これはどの世界でも同じではないかと思います。悩んで何も出来ずに立ちすくんでいるのは、周囲の人間を苛立たせるだけですが、失敗しても変わろうと努力しているならば、成果は残せなくてもその努力は認められます。その努力が周囲から認められるならば、結果は残せなくても道は開かれると書けば楽観的と言われるかもしれませんが、出口のないことで悩んでいるならば、失敗を恐れずに挑戦することが大切だと思います。



ご相談は こちらから

at 10:03, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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