スーパーの売り場は既にクリスマスの飾りつけが・・・・・
暫く前のハロウィンよりは良いのですが、一年が早いと言うか、少しばかり焦らされている気がします。
蛇足ながらハロウィンのお祭りは好きになれないと言うよりも頼むから止めてくれと言った気分です。
売り上げが伸びるならば何でも利用しようとする魂胆が見え見えと言った気分です。
それよりも日本の伝統的な文化を大事にしてくれと言いたいのですが、日本の伝統的な文化は忘れ去られてしまっている気がします。
冬至のかぼちゃや柚子湯もすっかり忘れ去られているような気が・・・・
それはさておき・・・・
白か、黒かの二者択一の考え方は、差別主義の根幹ではないかと思う事があります。二者択一型の考え方は、正しいか、間違いか、正義か、悪か、の考え方であり、そこには多様性を認める考えはありません。現実の社会では、正しいか、間違いか、正義か、悪かと分けることができない問題は数多くあります。
確かに善か、悪か、正しいか、間違いかで考えることは多いのですが、個人的には善か、悪か、と言った考え方はあまりしていません。その原点を考えますと大学時代まで遡ることができるのではないかと思います。大学時代は美術部で油絵を描いていました。文科系の倶楽部と言いますと仲良しグループの印象を持つ方も多いのではないかと思いますが、雰囲気は体育会系の少しばかり変わった倶楽部でした。今はアニメが全盛であり、絵をかく人間も昔に比べますと大幅に増えている気がしますが、当時は少数派でした。それが原因かどうかは分かりませんが、良く言えば個性が強い人間の集まりでした。
集団生活と言った意味では、上下関係が厳しい倶楽部ではありましたが、絵画技術に関しては厳しい指導はありましたが、技法や表現方法に関しては自由でした。具象画であろうが、抽象画であろうが、静物画であろうが、風景画であろうが、人物画であろうが基本的にテーマは自由であり、技法に関しても自由でした。そこには価値観の多様性がありました。また、先輩から後輩を指導する際の注意として特定の表現を押し付けるべきではなく、本質的なことだけを指導しろと言われました。絵画の世界においては正解は一つではありません。正解は無数にあると考えることもできる世界です。
そのため、どのような表現方法を選ぶかは本人が決めることであり、他人が決めることではありません。つまり多様な価値観を認めた上で指導なければ、その絵の良さを殺すことになります。また、働き始めてからは主に営業の世界にいたことも大きいかも知れません。営業の世界も正解は一つではなく、人によって営業の方法は異なります。ある人が成功した方法でも別の人がやって失敗することもあります。管理職は夜討ち朝駆けの高度成長期の営業方法を言うばかりでしたが、既に時代遅れであるといつも思っていました。そのため、最終的には自分のスタイルの営業を模索しなければなりませんでした。
しかし、その真逆が宗教の世界ではないかと思います。宗教においては、教えに忠実なことが求められます。そのことが本来は寛容と慈悲を説くはずの宗教が排他的な考え方になるのではないかと思われます。今でも一部の宗旨では、神社への参杯は禁じられていたり、他の宗旨のお寺への参拝が禁じられていたりします。個人的には、これも宗教は寛容性を失うと弊害が目立つようになるのではないかと考えています。
話の趣旨は少し異なりますが、以前からご紹介したかった話をご紹介します。隠れキリシタンについて調べていたところ、日本に来た宣教師が日本人女性を奴隷として売っていたとの記事を見つけました。
日本の歴史教科書はキリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事は教えないのはなぜか?
詳しくは こちらから
この記事の中で宣教師が日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいていたとの話を紹介しているだけでなく、高山右近、大友宗瞬などキリシタン大名が神杜仏閣の破壊、焼却をしていたとの話が紹介されています。
念のために検索してみましたが、1560年代以降、イエズス会の宣教師たちは、ポルトガル商人による奴隷貿易が日本におけるキリスト教宣教の妨げになりると考えたていたようです。そしてポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を求めており、1571年には当時の王セバスティアン1世から日本人貧民の海外売買禁止の勅令を発布させることに成功しています。また、1596年(慶長元年)、長崎に着任したイエズス会司教ペドロ・マルティンスは、奴隷貿易に関係するキリシタンがいれば、例外なく破門すると通達していることから当時の宣教師が積極的に奴隷貿易に加担していたとは言えないようです。
しかし、秀吉が日本人が奴隷として売買されていることに激怒して1587年(天正15年)にバテレン追放令を発布しています。結論としては、一部の宣教師の行為であったのではないかと思われますが、一部ではあっても聖職者が奴隷貿易に加担していたとは驚かされました。
日本人女性を奴隷として売買することに罪悪感はなかったのかと疑問を感じますが、異教徒を人間扱いしていなかったのではないかと思えてしまいます。また、高山右近、大友宗瞬などキリシタン大名が神杜仏閣の破壊、焼却をしていたとするならば、当時のキリスト教徒は非常に排他的な考えであり、仏教や神道を信仰している日本人は、悪魔手先としか考えていなかったのではないかと思えてしまいます。
悪魔の手先であるならば、人間扱いする必要もなく、家畜同然に扱って何が悪いとの話となります。勿論、これは推論であり、奴隷貿易に加担した宣教師や奴隷商人の考えは分かりませんが、異教徒や有色人種に対して激しい差別意識がなければ、一部であっても宣教師が人身売買に加担するようなことはなかったのではないかと思われます。
自分たちの教えを信じない者は悪魔の手先と考えるべきではないと思いますが、根底にあるのは白か黒かの考え方ではないかとおもいます。この考え方は、敵か味方か、上か下かの考え方に陥りやすく、寛容さが欠落しています。つまり寛容さとは多様な価値観が前提にあるのではないかと思います。
星
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