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中道について1(星)

モクレンの花が咲いていました。

 

 

 

 

 

春の訪れを感じさせる花であり、好きな花の一つです。

 

それはさておき・・・・

 

中道は仏教の基本的な教えではありますが、あまり詳しく語られることは少ないと思います。一般的には、お釈迦様は渇愛に基づく快楽や、極端な苦行のどちらにも偏っても、真理には到達できないことを悟られたことから、中道は極端な概念や姿勢に偏らないあり方とされていますが、あまりにも漠然としています。

 

少し参考になりそうな話を探しましたところ、下記の様な話がありましたので引用します。

 

【正見】(しょうけん) あるがままを見据える正しい見解

 もし人が見解(けんげ)(概念化された誤った固定観念)によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が知識によって苦しみを捨てるのであるならば、それは煩悩(ぼんのう)にとらわれている人が(正しい道以外の)他の方法によって清められることになるであろう。

 

何をもって正しいとするのか? われわれの日常生活は概念化された固定観念に支配されている。仏陀はこうした見解を誤った見方とした。初転法輪(しょてんほうりん)において説かれた中道論(ちゅうどうろん)とは、あるがままの姿を見きわめる見解であった。正見(しょうけん)はこの中道観を得るための智慧(ちえ)である。

 

Books Esoterica - 9 釈迦の本 学研 P143

 

※概念

思考において把握される、物事の「何たるか」という部分。抽象的かつ普遍的に捉えられた、そのものが示す性質。対象を総括して概括した内容。 あるいは、物事についての大まかな知識や理解。

 

※概念化

まだ概念的に説明されていなかったり、それを言い表すちょうど良い表現がないような特定の現象やものごとなどについて、新しい概念や用語などを作り出して言い表すこと。

 

 

極端な概念や姿勢に偏らないあり方との説明よりは、分かりやすいのですが、大半の方は、自分が概念化された固定観念に支配されているとの自覚もなければ、自分は現実をあるがままに見ていると考えているだけでなく、周囲からするならば、極端な考え方を持っていると思われる場合でも、自分は常識的な人間であると考えている場合が少なくありません。

 

特定の団体を中傷する気持ちはありませんが、市民運動出身の政治家は、落選しても落ち込まないと聞いたことがあります。市民運動の活動家は、社会から自分たちの意見が受け入れられなくても気にしていないだけでなく、社会から自分たちの意見が受け入れられなければ、社会を変えなければならないとの使命感を燃やすことから落選しても、次はもっと頑張らなければとしか考えないとの話でした。

 

勿論、すべての市民運動の活動家がこのような考え方をするとは限りませんが、極端な思想の持ち主にありがちな傾向ではあると思います。新興宗教の熱心な信者は、家族や友人などに反対されても、自分の信仰心が足りないから周囲に反対されると考えたり、自分がもっと熱心に信仰することで家族や友人を目覚めさせなければならないと考えることが少なくありません。

 

そのため、この概念化された誤った固定観念を捨てることは、実践しようとしますと簡単な話ではなく、何が中道かを理解するための理論的な説明にはなっていないと言えます。しかし、お釈迦様は中道についてあまり多くを語られなかったようです。

 

そのことについて参考になりそうな話をご紹介します。

 

そして、いま、ブッタ・ゴータマの場合にも、初期の経典の関する限りにおいては、さきの二つの極端な実践的立場に対する批判のほかには、「中道」に関する理論的な説明を試みた形跡は、まったく見当たらない。これは少しも不思議なことではない。けだし、この師は、伝道者として起って以降は、あまりおおく理論的なことは語らなかった。ことに、この「中道」のような実践的な原理は、それを理論の領域にまでひきもどして、その基礎づけを説くというようなことは、もつともその必要性のすくないことと考えらていたにちがいないのである。

 だが、この人は、「私が証(さと)り知って、しかも汝らに説かないことはおおく、説いたことはすくない」と語って憚(たばか)らなかった人である。理論的な基礎づけを説き示さなかったということは、けっして、それがそのまま、理論的な基礎のない、単なる体験であることを意味するわけではない。では、その理論的根拠はいかに。わたしもまた、理屈っぽい現代人の一人であるから、そのように追及してみることがある。そのとき、思いおよぶのは、とうぜん、縁起の法のほかにない。けだし、縁起の法こそは、ブッタ・ゴータマのよって立つ思想の基底であるとともに、また、この「中道」の理論的基礎づけとしてまことにふさわしいものである。

 

仏教の思想1 知恵と慈悲<ブッタ> 増谷文雄・梅原猛著 角川ソフィア文庫 P177-178

 

※ブッタ・ゴータマ お釈迦様のことです。

 

この本の著者である増谷文雄氏は、続いて縁起の法は流動的な存在論であり、中道も固定的なものではないことを指摘されています。つまり、中道は優れたバランス感覚であるとの主張なのではないかと思われますが、理論的な根拠とするには、話があまりにも掘り下げられていないと思われます。この本の著者の増谷文雄氏は優れた宗教学者ではありますが、どうしてこのような内容を書かれたのかと少しばかり疑問を抱きます。

 

実は、大乗仏教中観派の祖であり、日本では、八宗の祖師と称される龍樹菩薩の代表的な著書である「中論」で、縁起と中道の関連が説かれています。しかし、縁起の教えを解説するだけでも大変であり、「中論」の内容となりますと、恐ろしく難解な話となります。そのため、どこまで解説できるか不安に感じてはおります。

 

いずれにしても縁起の話だけでも長くなりますので、次回に持ち越しとさせて頂きます。

 

 

ご相談は こちらから

at 02:21, 星 良謙・子授け地蔵, 仏教

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両極端な考え(星)

白ギツネ様コメント有難う御座います。

 

これ、モンティフォール問題じゃないですか?・・・以下省略

 

数学は苦手ですので、貴重な情報を有難うございます。

 

オッカムの剃刀ではありませんが、この世界のあらかたは、神や仏、或いは霊的な存在を前提にしなくとも説明できます。そうであるならば、超越的なもの一切を否定する世界観=「無神論という宗教」が成り立つのもわかります。D・ブラウン氏が無神論者かどうかは知りませんが、限りなく無神論に近く、彼のビジネス自体が無神論プロパーとして成立していることも確かでしょう。よって、彼のショーで拍手喝采をする人たちも「無神論という宗教」を確信したい「在家信者」の集まりではないでしょうかね。・・・・以下省略

 

確かに「無神論という宗教」は、根強い人気があるようです。この著者も無神論と思われるような書き方をされていますが、10代の後半には熱心なキリスト教徒であったと書かれていますので少し引用します。

 

 80年代の終わり頃には「ニュー・エイジ運動」が流行り始め、それは過激な牧師とその仲間たちから忌み嫌われる対象となった。私たちは水晶やサイキック・ヒーリングを推奨するのはサタン自身で、私が生まれ住んでいたクロイドン地区にオルタナティブ系の書店が突如急増したのは、魔女の仕業に他ならないと忠告された。私はすっかり説得され、タロットカードの類(たぐい)は非常に危険なのだと信じていた。

 この話をバカバカしいと思ったきみ、「悪魔は実在する」とか「目に見えない生物は、学生の寝室やヘビメタショップのような罪深い環境に生息する」なんてことを自信満々に説く教会なんて現代にはもう存在しないだろうなどと思ってはいけない。

 

メンタリズムの罠 ダレンブラウン著 P21

 

明確には書かれていませんが、第一章の冒頭に聖書は歴史ではないことを受け入れることは容易ではなかったと書かれていますので、10代の後半は、キリスト教原理主義者であったと思われます。しかし、催眠術に興味を持ったことを「おまえは人に催眠術をかけることで悪魔のエネルギーを呼び入れているのだ」と非難されたことから疑問を抱き始めたそうです。そして興味は催眠術からマジックへと移り、そしてどうして人々は超常現象を簡単に信じてしまうのかとの疑問を抱くようになったとなります。

 

管理人は仏教徒ではあり、同時に氏子ではありますが、お経に書かれていることが歴史的な事実だとも考えたことはありませんし、古事記や日本書紀が歴史的な事実だとも考えていません。しかし、キリスト教原理主義者の人々は、聖書に書かれたことを歴史的な事実だと考えているようです。そのため、宇宙や人間などの全ての生物を作ったのは神でると信じ、進化論も否定します。現代の日本人からすると信じ難い話ではありますが、キリスト教原理主義は根強い人気があります。

 

キリスト教原理主義から無神論者に宗旨替えするとは何とも極端とは思いますが、このような極端から極端に走ることは珍しい話ではありません。特定の思想を盲信している方が、自分が信じていた思想に対する信頼性が失われた場合、何を信じれば良いのか分からない状態に陥ります。この著者の場合には、催眠術に興味を持ったことを非難されたことで、それまで考え方の根底にあったのはずのキリスト教原理主義が崩壊したのではないかと思われます。

 

自分が判断の基準にしていた根幹の価値観が崩壊しますと、それまでの人生の意味が分からなくなるだけでなく、何を信じて生きてゆけば分からなくなることから精神的に非常に不安定に状況に陥ります。その不安定な状況から抜け出すための一番簡単な方法は、それまで信じていた価値観とは真逆な価値観ではあっても、それまでの価値観を崩壊させた原因となった価値観を受け入れることや全く別の価値観を受け入れることです。

 

あまり政治問題を取り上げたくはありませんが、日本でも終戦時に世の中の価値観の崩壊がありました。それまで軍国主義一色であった世の中の価値観が敗戦で崩壊しました。軍国主義から世の中から民主主義の世の中に替わりましたが、世の中は大きな混乱に陥りました。その1つが左翼思想の流行や政治に対する無関心です。政府は信用できない、権力は必ず腐敗すると言った政府に対する不信感が根底にあると思われます。特に終戦時に学生であった世代やその少し後の世代である団塊の世代にこの傾向が顕著であると思います。

 

管理人が大学に入学した頃には、大学紛争は既に終焉したした時代でしたが、世の中は大学紛争の余韻が残っていた時代でした。当時は左翼思想がインテリの証であるような風潮でした。個人的には、革命を鼓舞するような絵ばかり描かされるような体制など悪夢でしかないことから左翼思想には共感を覚えませんでした。また、戦前の軍国主義の反動からか国防について語るならば、軍国主義者のレッテルを張られそうな雰囲気がある時代でした。

 

また、創価学会や霊友会などの巨大な新興宗教が勢力を拡大したのも終戦後の混乱期から高度成長期でした。これらの新興宗教の勢力拡大の背景にあったのは、政治体制の崩壊よりもそれまでの地域社会の崩壊であったと言われています。高度成長期に都会では深刻な労働者不足が起き、農村部から都会に多くの人々が就職しました。それらの人々は、それまでの村社会から都会へと移動したことから村社会の価値観が通用しなくなりました。これが全国規模で起きたことや世の中も個人主義の風潮が強くなったことなどから社会とのつながりを失った人々の心の隙間に入り込んだのが、新興宗教であると言われています。

 

いずれにしても極端な考えから極端な考えに替わることは珍しいことではありませんが、その根底には、思考停止があるのではないかと思います。「メンタリズムの罠」の著者であるダレン・ブラウン氏に限らず、マスコミで活躍されている解説者の方の多くは、聡明な方であるとは思いますが、仏教で言うところの中道の精神が欠けていると思います。では、その中道とは何かについて書きますと、非常に長くなりますので、次回とさせて頂きます。

 

 

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at 13:33, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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ホットリーデング(星)

「メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著」では珍しくホットリーディングの具体的な手口も紹介されています。コールドリーディングは比較的具体的なテクニックが紹介されていることは多いのですが、ホットリーディングの具体的な手口が紹介されていることは、あまりありません。この本の中で紹介されている話は、前回の投稿でご紹介しました霊媒師がステージ上で降霊するショーで実際に行われたホットリーディグと書かれています。

 

前回の投稿でご紹介しましたが、本題に入る前にホットリーディングとは何かをご紹介しておきます。

 

ホットリーディング

相談相手や調査場所に関する情報を事前に入手しておいて、あたかも特殊な能力で読み取ったかのように語るテクニック。あるいはそれを用いて相手を納得させる手法。一部の霊能力者、超能力者、占い師、詐欺師などはこの手法を用いて相手を信用させる。

 

さて、この本の中で紹介されている手口を紹介しますと、イベントを開催する前に開催地の地元紙を調べて事故死を調べたり、遺族から送られてくる膨大な数の手紙から情報を得ます。この本の中で紹介されている女性の場合には、事故で息子を亡くされていた遺族でしたが、霊媒師がこの方の息子からメッセージを受け取ったことから無料で招待してメッセージを伝えたいと電話があったとのことでした。遺族の女性は電話でメッセージを伝えて欲しいと依頼されましたが、できないと言われイベントに参加されました。そして目印になるように赤い物を身に着けるように依頼されたそうです。

 

ここまで書けば、後はお分かりになると思いますが、後の展開を引用させて頂きます。

 

その女性は赤いセーターを着て会場へ行き、席に着いた。ストークスが舞台に出てきて、数人の観客のリーディングを行った。途中でリーディングが何度かはずれ、やや雰囲気が悪くなると、ストークスは客席のほうを向いてその女性を指差した。「あそこに女性がいます。赤い服を着た女性です。幼い男の子が来て、その女性はママだと言っています。そこにいますね?」女性は仕方なく手を上げ、立ち上がった。

「息子さんを失いましたね・・・・溺れたんだと、息子さんは言っています。そうですね?」

「名前はジャックだと、息子さんは言っています」

 はいジャックです。

「息子さんはあなたを愛しているし、あなたにできることは何もなかったと言っていますよ。ありがとう。もう座っていいですよ。神の祝福がありますように」

 我ん張りの拍手。

 

※ストークス このイベントを開催した霊媒師の名前

 

メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著 P437-438

 

この女性が自分が利用されたと知り、激怒されたのは当然ですが、自分のプライベートなクライアントを観客の中に紛れ込ませておく手法もあるようです。この場合は、クライアントに故人からのメッセージが来るかもしれないからスタジオに来るようにと指示され、霊能者は、観客にクライアントが抱えているトラブルを既に知っていることを隠してリーディングします。

 

これらの場合には、既に分かっていることをリーディングしたかのように見せかける手法ですが、仮に本当に亡くなった方からのメッセージであるとしても、伝える意味がない程度の内容である気がしてしまいます。どうせ言うならば、天国にいるから安心してと言う方がまだ気が利いている気がしますが、観客は事故死した息子からメッセージがあったと確信して拍手喝采したと言うことになります。

 

日本でも亡くなられた方を呼び出してメッセージを伝えることを仕事にされている方はいるようですが、何を伝えているのだろうかと疑問を抱きます。コールドリーディングやホットリーディングを駆使している可能性もあります。特に亡くなられた方からのメッセージとして、誰にでも当てはまるような一般的な話を話し続けていた場合には、疑われた方が良いと思います。

 

さて、話を戻しますと、この本の中では、著者のダレン・ブラウンがイギリスにある霊能者の教室に番組の企画として潜入取材したときの話が紹介されています。イギリスに霊能者の教室があることにも少し驚かされましたが、イギリスでは霊能者が一般向きに霊能力を磨くための教室を開催しているようです。番組の企画として潜入取材をしたものの、霊能者の霊視があまりにも見当はずれであったことから企画ばお蔵入りしたそうですが、この話に続き、霊能者の教室の実態が紹介されていました。

 

 こうした「正直な」な霊能者を見ていると、彼女たちがコールド・リーディングのテクニックを何も知らないことがハッキリわかった。彼女たちはむしろ、毎週あつまってお互いのエゴを愛撫し合いながら(彼女たちは実際のクライアントよりもお互いの指摘を積極的に「当たり」にしようとしていた)、曖昧な話し方、直感を神格化する術、失敗を正当化するテクニックを学んでいた。他人が時間とお金を費やして偽りのテクニックを学びたがっても私がとやかく言う筋合いではないが、明らかな自己欺瞞を目(ま)の当たりにするのは悲しいものた。

 

メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著 P455

 

以前にも書きましたが、不成仏霊とは無縁な人生を生きたいと願っていましたが、霊能力を磨きたいと考えたこともない人間ですので、お金を払って霊能力を高めたいと思い方の気持ちが分かりません。霊能力に憧れる方は多いようですが、霊能力を持つとは、不成仏霊の影響を受けやすくなることにもなりますので、個人的にはお勧めしません。道義的な責任を別にするならば、コールド・リーディングのテクニックを覚えて霊能者を装っていた方が安全ではありますが、お勧めはできません。

 

そういえば、以前にテレビに頻繁に出演されていた霊能者もイギリスで勉強されていたとか・・・・

これ以上は、控えます。

 

 

ご相談は こちらから

at 20:05, 星 良謙・子授け地蔵, 本の紹介

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コールドリーディング(星)

「メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著」を4回にわたって取り上げましたが、今回で終わりにさせて頂こうかと考えています。繰り返しとなりますが、この本の内容は雑多です。しかし、メンタリズムの技術が心理学や誤認誘導、記憶術、トリックなど幾つかの技法の応用であることからメンタリズムについて語ろうとするならば、内容が雑多になることは避けられないと思われます。また、もう一つの理由としてこの本の著者のダレン・ブラウン氏が、超能力や霊能力に対しては懐疑的であり、否定的な立場であることも要因の一つと思われます。

 

しかし、著者は超能力や霊能力の否定論者の急先鋒として祭り上げられることに対しては快く思っていないことを書かれています。超能力や霊能力に対しては懐疑的ではあってもマスコミの取材では、可能な限り、批判的な言葉を避け、慎重に言葉を選んでインタビューに答えても、紙面では超能力者や霊能者に対する挑戦的な言葉が並び、超能力や霊能力の否定論者の急先鋒と祭り上げられていると書かれています。

 

これは分かる気がします。個人的には新興宗教や霊能者に対して懐疑的であり、超古代文明や陰謀説に対しても懐疑的ではありますが、超能力や霊能力、超古代文明、陰謀説の否定論者ではありません。理由は、すべての新興宗教に詳しいわけでもなく、数多くの霊能者を知っている訳でもありません。限られた数の新興宗教や霊能者を知っているだけであり、その限られた体験だけで語るのは決めつけでしかありません。また、超古代文明や陰謀説にしても噂程度の知識しかないだけでなく、それが都市伝説であると断定できるだけの知識もありません。

 

そのため、新興宗教や霊能者の批判の急先鋒に祭り上げられたくもありませんし、果てしない論争を繰り広げる気もありません。しかし、新興宗教や霊能者の実態に関しては、一般の方よりは詳しいと思いますし、霊能力の危険性についても承知しています。新興宗教や霊能者とは、密接な関係がありますので、霊能力について語ることが新興宗教や霊能者について語ることができるのではないかと思います。

 

管理人も数多くの神霊から色々な事を教えて頂いていますが、自動書記や霊視などの能力は実に不安定であり、無意識に先入観で作り上げられた妄想の可能性、低級霊の惑わしなどの危険性が常にあります。また、本人は無自覚ではあるとしても自己愛型人格障害や妄想性人格障害などの妄想を伴う病気を疑わなければならない可能性もあります。そのため、人によっては、自動書記などの心霊世界からの言葉の大半は、妄想であると断言する方もいます。

 

しかし、すべてが妄想の産物かと言えば、そうとも限らないと言えます。いずれは自動書記の信頼性について書きたいと思っていますが、潜在意識の妄想だけでなく、低級霊の惑わしの問題があることから霊能力について語ることは容易ではありません。また、厄介なことは、霊格の高い神霊か、低級霊かの見極めが簡単ではないこともあります。そして一番厄介な問題は、相手が考えていることや相手の経歴などを読み取る能力が霊能力と考えている方が多いことです。

 

これまでに数多くの神霊と話をさせて頂いた経験から書きますと、霊格が高くなればなるほど、教えについて語られることはあっても、心霊現象に関しては語られなくなります。不成仏霊の正体やどこで何をすれば良いのかなどを具体的に教えて頂けることは皆無に近いと言えます。稀に深刻な霊障に悩まれている方の対策を教えて頂ける場合もありますが、その大半は明確な言葉ではなく、気付きです。その経験がありますので、当て物的な霊能力に関しては、少しばかり疑問を抱いています。

 

ある霊能者は、当たると評判の占い師には、狐や蛇の動物霊が占い師に教えていると断言されていていました。個人的には、この占い師は霊障が酷いと思う場合には、可能な限り関わりを持たないことにしていますので、狐や蛇の動物霊が占い師に教えているかどうかは分かりませんが、霊格の高い神霊ならば、相手を驚かすようなことを指導されないのではないかと思います。

 

さて、これらの話は霊能力の存在を前提にした話ですが、この本の著者のダレン・ブラウン氏は超能力や霊能力に関しては否定的な立場であり、相手の心理状態や経歴などを読み取るリーディグのトリックを紹介されています。その具体的な方法論が過去にこのブログでも取り上げたことのあるコールドリーディングとホットリーディングです。

 

コールドリーディング

相手に気づかれずに相手からあらゆる情報を引き出すメンタリズムのテクニックです。

メンタリストや心理学者、心理カウンセラー、占い師など人の心理に意図的に入り込む人たちが活用されている。

 

ホットリーディング

相談相手や調査場所に関する情報を事前に入手しておいて、あたかも特殊な能力で読み取ったかのように語るテクニック。あるいはそれを用いて相手を納得させる手法。一部の霊能力者、超能力者、占い師、詐欺師などはこの手法を用いて相手を信用させる。

 

著者は、コールドリーディングの一例として霊能力に懐疑的な学生ばかりを5人集め、番号のついた封筒と片方の手の輪郭ほなぞって書き、生年月日と生まれた時間を書き添えた上で、各自が普段からよくの使っている小さな持ち物を封筒に入れて無記名で提出してもらいました。そして各自の人物像を宣言して2時間後に結果を渡しました。そして同じことをスペインとアメリカで行った行い、リーディグの観想を求めたところ、5人に1人は40〜50%当っていると答えましたが、残りの人々は90%台当たっていると評価したそうです。

 

しかし、学生に渡したリーディングの結果はすべて同一の内容であり、思春期の人間ならば誰しもが考えるような内容を書いていただけでした。著者はこれがコールドリーディングの基本的なテクニックであると学生に渡した文章を本に紹介されています。残念ながら管理人がこの文章を渡されたならば、あまりの見当外れな内容に怒る気もなくなるであろうと思いました。ただ、対象が学生であることを考えれば、当然かと思い直して学生の頃の自分に戻った気持ちで読み直しましたが、結果は同じでした。

 

う・・・ん、管理人は学生の頃から変わっていたのでしょうか?

 

ただ、著者が使ったテクニックは分かります。思春期の若者は自分自身の矛盾した側面に悩むことから「内向的」「外交的」と矛盾した2つの性格の間で揺れ動いているを書いておけば、反論できないこと指摘しています。誠実そうな口調や言葉遣いとは裏腹に、どんな意味にもとれるように書くことで、読み側が自分に都合よく解釈するように仕向けるテクニックであると書いています。具体的なテクニックは、この本の中に書かれていますし、検索されてもすぐにテクニックを紹介されているサイトが見つかると思いますが、少し紹介させて頂きます。

 

著者は、霊能者に相談に訪れる人は、霊能力を受け入れいるだけでなく、奇跡的な解決策を求めていることから騙す側としては、非常にだましやすい相手である指摘しています。更に霊能者はいつも核心を突く情報を得られるとは限らず、得られた情報を伝えるだけであると最初に逃げ道を用意するすることで逃げ道を用意します。

 

具体的には、ある言葉を口にして相手の反応を待ち、その情報を付け加えるように促し、付け加えられた情報を最初から知っていたかのように装うのが基本的なテクニックである。そのため、霊能者が最初から知っていたような印象を与えても、実際には相談者が与えた情報であり、霊能者が表現する情報は、多くの人に当てはまる情報でしかないとしています。

 

この本の中では、具体例として霊媒師が会場に人を集め、降霊するイベントの手口が紹介されてます。最初に霊媒師が「年配の紳士が来られました。ここにおられる方と話したいとおしゃっています。名前はジェイムズ、あるいはジミーと言う名前です。」と呼びかけ、会場に来ていた婦人が私ですと舞台に上がり、霊媒師とのやり取りが始まります。

 

亡くなった男性の事を知っていた。

ジェイムズ、あるいはジミーと言う名前しか言っていない。

40代の女性から亡くなったのは、父親と推測

もし、父親でなかった場合には、父親の様な存在と切り抜ける。

 

腰痛があったことを言い当てる・・・年寄りに多い一般的な症状

 

「整理されていない写真があるはず。」

写真は良く使われる小道具・・・・片付けられていない写真のない家の方が珍しい

「廊下に動物の写真を飾っていたのではないか?」

犬を飼ってました。

飼っていた犬を言い当てる・・・・イギリスではよく飼われている犬種

雑種かも知れないと付け加える

 

※指摘が当たらなかった場合には、未来に起きることや相談者が気付いていないことにする。

 

本当にコールドリーディングを用いたショーなのかどうか確認することはできはずもない話ですが、ショーとしては成立しているようです。

 

管理人は、一度だけ亡くなれた直後の方から残された家族への伝言を預かったことはありました。その方は生前によく知っていた方であり、残された家族の方も良く知っている方でしたので、葬儀の際にお伝えしましたが、結果的にお伝えした方の家庭内の事情を知ることになりました。これは決して気分の良い話であるだけでなく、後日に聞いた話では、残されたご家族がどうて夢枕に立ってくれないのかと嘆かれているとのお話をお聞きしました。また、本当に本人からの言葉かの確認が困難なことから基本的にお断りすることにしています。

 

追記

「メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著」の話は、今回で終わる予定でしたが、話が長くなりましたので、次回に続きます。

 

 

ご相談は こちらから

評価:
ダレン・ブラウン,メンタリストDaiGo (訳者)
扶桑社
¥ 1,728
(2013-02-27)

at 16:01, 星 良謙・子授け地蔵, 本の紹介

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科学的な考え方(星)

「メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著」を2回連続取り上げましたので、他の話題を取り上げようと思ったのですが、どうしてもご紹介しておくべきと思う話が幾つか残っています。そのため、2回か、3回程、この本の話を取り上げさせて頂きたいと思います。

 

この本の著者は、「第6章 反科学、疑似科学、まずい考え」の中で人間の陥りやすい思考について取り上げています。前回の記事もこの第6章の中の話です。著者は前回の話に続き、科学的な思考についての考察を「科学と相対主義」のタイルで取り上げていますが、ポスト・モダニズムの話から始まります。話としては面白いのですが、唐突に哲学の話から入られますと、読者としては少しばかり戸惑います。感想としては、哲学の話から入る必要のない内容ではないか思います。

 

 

 

 次に、科学的手法は誤解されている。ニュー・エイジや非科学的な思考はほぼすべて、ある考えから出発し、ある考えを裏付ける証拠のみに着目している。そんなことをすれば、どんな信念でも確固たるものになるし、人がどうして奇妙キテレツなことを信じるのかという謎の核心が、これで説明できる。科学は今、同じ理由で責められている。ホメオパシーという"代替"療法は効果があるという事実があるという事実に静かな喜びを覚えるホメオパスがいるにもかかわらず、科学は、そのホメオパスがいるにもかかわらず、科学は、そのホメオパスが数々の治療を成功させてきたことを無視し、ホメオパシーの有効性を認めようとしない人と思っている。科学者は、確かに彼らなりのやり方で世界を見て、彼らなりの方法ですべてを説明しようとしている。科学者は科学者なりのやり方でアロマセラピーを理解し、アロマセラピストはアロマセラピストなりの"ホリスティックな"方法で理解しているのかもしれない。

 

メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著 P359

 

※ニューエイジ

宇宙や生命という大きな存在と自己とのつながりや、人間のもつ無限の潜在能力を強調し、個人の霊性・精神性を向上させることを目指す思想・実践で、一種のサブカルチャーとして広く社会に存在する。

 

※ホメオパシー

「症状をおこすものは症状を取り去る」という原則(類似の法則)のもと、ある成分を極端に希釈し、もとの成分がほとんど残っていない状態まで薄めた液体を砂糖玉に組み込んだ丸薬(レメディ)を服用しつづけると、その成分に関連する疾患を緩和する薬効があると治療法のこと。

 

※ホリスティック

「全体とは部分の総和以上のなにかである」という表現に代表される還元主義に対立する考え方で、一固体は孤立に存在するのではなく、それをとりまく環境すべてと繋がっていると考え方。

 

管理人の仕事は、占いですのでニュー・エイジと言うことになるのでしょうか。別に占いや風水、方位術などが科学的であると主張する気もありませんが、ニュー・エイジに分類されるのは、何か違和感を感じるのは、「ニュー・エイジ」と言う言葉にあまり良くない印象を抱いているためでしょうか。しかし、ホメオパシーに関しては試したこともなければ、身近に試している人もいませんので何とも言えませんが、病気になれば病院に行くと思いますし、現代医学で治らないと思うならば、漢方薬などの東洋医学を頼ることになるとは思いますが、民間療法に頼ることはないと思います。

 

この著者からするならば、管理人のやっている占いや風水、方位術などはすべて非科学的であり、奇妙な話となると思います。また、「ニュー・エイジや非科学的な思考はほぼすべて、ある考えから出発し、ある考えを裏付ける証拠のみに着目している。そんなことをすれば、どんな信念でも確固たるものになるし、人がどうして奇妙キテレツなことを信じるのかという謎の核心が、これで説明できる。」との主張には説得力があります。

 

ニュー・エイジは、民間療法や代替医療、自己啓発、自己実現、臨死体験、心霊主義、占いなど実に様々な分野を含むことであり、一概に語ることは難しいのですが、占いを仕事にしている管理人でも疑問を抱く事柄も含まれているようです。もっとも、占いにしても実に様々な占いがあり、信頼できる占いばかりではないことは事実だと思います。胡散臭いと思いながらも自分で楽しんているならば、問題はないのでしょうが、それを仕事にするとなれば、話は異なります。

 

占う人間の思い込みや信頼性に欠ける占いで得られたアドバイスを相談者が信じて人生の重大な決断をされた場合には、取り返しのつかないことになります。そのため、一つの占いを覚える前に、その占いが本当に信頼できる占いかどうかをできる限り、調べることにしています。そうして信頼できると判断した占いや方位術だけを勉強していますが、少なくともある考えから出発し、ある考えを裏付ける証拠のみに着目するようなことはしていないつもりです。

 

占いの勉強で一番勉強になのは、外れた場合だと思います。占いが外れた理由として考えられるのは、1.その占いの理論体系が信頼できない、2.鑑定結果は正しくても解釈が間違っていた、3.先入観を持って判断したなどです。勿論、占いの勉強になるのは、解釈の間違いであり、先入観を持って占ったとするならば、占い師としての心構えができていないと言えます。しかし、その占いの理論体系が信頼できないことも意外に少なくありません。占い師になろうと考えた際にタロットやトランプ、易だけでは相談者からの依頼に対応できないと考えましたので、幾つかの占いを勉強しようと考ええたのですが、占いの理論体系に疑問を持ったことから勉強しなかった占いが幾つかあります。

 

その占いの中の一つに気学があります。気学は運勢の鑑定だけでなく、相性や家相、方位術なども占えることから非常に便利な占いではあります。資料として何冊かの専門書は持っていますし、すべてを否定する気持ちはありませんが、少しばかり疑問を抱きました。管理人の占いのサイトには、掲載していませんが、相性や家相、方位術などは、別の鑑定方法を覚えました。家相に関しては、風水を覚えましたが、現地を見なければ分からないことが多いことから対面での鑑定が可能な方に限られせて頂いています。しかし、相性と方位術に関してはいずれサイトにも掲載したいと考えています。

 

話を戻しますと、占いに限らず効果があった場合だけを注目して効果がなかった場合を無視してはならないと考えています。その意味では、中国系の占いや術は、四柱推命(先天八字)と紫微斗数、風水の三合派と三元派などライバルとされる占いや術がお互いの技を競い合っていると書かれていますので比較的信頼できると思います。

 

非科学的(で危険をはらんでいる)思考は、まず前提から出発し、その前提を裏づけるものを探すが、科学的思考はまず前提をくつがえそうと試みる。これだけでも正反対だ。「AはBを引き起こす」という前提を科学者が立てたとしたら、AがBを引き起こすケースを探し、自分の前提を立証しようとするのではなく、AがBを引き起こさないことを証明しようとする。このように前提をくつがえそうと奮闘とたあげく、どうやらAは確かにBを引き起こすようだとなったら、その結果を発表する。他の科学者もその発見を何度も確かめる。独自に実験を行い、発表結果が再現されるかどうかを調べ、AがBを引き起こさないことを証明しようとするだろう。最初の科学者の実験に不備があったり、発表された結果が不完全であることが証明されれば、その科学者の評判には大きな傷がつくこととなる。

 

メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著 P360-361

 

科学では再現性が重視されますが、残念ながら占いや方位術、心霊世界の話は検証できないことばかりです。そのため、どうしても荒唐無稽と言えるような話も多いのですが、占いや方位術に関しては、当たったか、外れたか、効果があったか、効果がなかったかは確認不可能ではありません。その意味では、部分的ではありますが、検証が不可能ではありません。しかし、科学実験の様な再現性となりますと、無理があります。

 

ただ、科学における常に検証する姿勢は大切であると考えます。科学でも今の常識とされていることであっても、新しい発見で否定されることもありますが、検証し続ける姿勢は大切ではないかと思います。著者が書いているように、ニュー・エイジと言われる分野では、検証しようとの精神が欠落している気がします。特に民間医療や代替医療に関しては、人の命にもかかわることてすので、個人的には疑問を感じています。

 

民間医療や代替医療でなくても占いや除霊、自己啓発と言った精神世界に関することでも多額のお金と多くの時間を費やしながらも何一つとして成果がなかったとの話を依頼者からお聞きしています。また、新興宗教や霊能者に多額のお布施をしながらも何一つとして問題が解消しなかった方は、占い師に太鼓判を押された事業なのに失敗され、多額の借金を抱えてしまった方などもいました。そのため、精神世界に関わる者は、科学のように検証を重視する気持ちが大切ではないかと考えます。

 

 

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整理してみました(星)

今回も「メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著」の中の話を取り上げます。

この本の著者は、癖が強い方ではあるだけでなく、翻訳本、口述筆記ではないかと思われる文章などの理由から読みやすい本ではありません。また、本の文章量が多過ぎたことから翻訳者が内容を割愛されただけでなく、章立ても変更されているためか、内容にまとまりが欠けている気がします。そのため、お勧めしたい本かと言われれば、悩むところではありますが、面白い話も幾つか紹介されています。

 

その中の一つに3つの箱の中に一つに入った指輪を当てる話です。これはテレビなどでよく見かけるボールとカップを使用したテーブルマジックと同じです。但し、違うのは、マジックを前提にしていないことです。ゲストには分からな状態で3つの箱の1つに指輪を入れ、ゲストにどれか1つを選ばせます。そして選んだ箱の中に指輪がない場合、残りの2つの中の指輪が入っていない方の箱を開きます。その際に、最初に選んだ箱のままを選ぶよりも、箱を変更した方が当たる確率が2倍になるとの話が紹介されています。

 

ところが、この話は何度読み返しても良く分かりません。そこで整理してみました。

 

・箱は、A・B・Cとします。そしてゲストは最初にCを選んだと仮定します。

 

・変更しなかった場合

Aの箱に指輪が入っていた場合

指輪が入っていない箱はBとCですが、Cを選んでいることから開けるのはBとなります。

結果は外れ。

 

Bの箱に指輪が入っていた場合

指輪が入っていない箱はAとCですが、Cを選んでいることから開けるのはAとなります。

結果は外れ。

 

Cの箱に指輪が入っていた場合

指輪が入っていない箱はAとBであり、どちらかを開けます。

結果は当たり。

 

的中率は1/3となります。

 

・変更した場合

Aの箱に指輪が入っていた場合

指輪が入っていない箱はBとCですが、Cを選んでいることから開けるのはBとなります。

そのため、CからAに変更することになります。

結果は当り。

 

Bの箱に指輪が入っていた場合

指輪が入っていない箱はAとCですが、Cを選んでいることから開けるのはAとなります。

そのため、CからBに変更することになります。

結果は当り。

 

Cの箱に指輪が入っていた場合

指輪が入っていない箱はAとBであり、どちらかを開けます。

この場合には、どちらを選んでも外れることになります。

 

確かに確率は、1/3から2/3に上がりますので、確率は倍になると言えます。

この本の中では、次に箱の数を100にした場合が紹介されていますが、逆に分かりにくいと感じましたので、箱の数を4にして考察してみます。

 

・箱は、A・B・C・Dとします。そしてゲストは最初にDを選んだと仮定します。

 

変更しなかった場合

的中率は1/4となります。

 

変更した場合

Aの箱に指輪が入っていた場合

指輪が入っていない箱はB・C・Dですが、Dを選んでいることから開けるのはBか、Cとなります。

Bを明けた場合には、残りはAとC 結果はAを選べば当たり、Cを選べば外れ

Cを明けた場合には、残りはAとB 結果はAを選べば当たり、Bを選べば外れ

結果は当り2回 外れ2回

 

Bの箱に指輪が入っていた場合

指輪が入っていない箱はA・C・Dですが、Dを選んでいることから開けるのは、Aか・Cとなります。

Aを明けた場合には、残りはBとC 結果はBを選べば当たり、Cを選べば外れ

Cを明けた場合には、残りはAとB 結果はAを選べば当たり、Bを選べば外れ

結果は当り2回 外れ2回

 

Cの箱に指輪が入っていた場合

指輪が入っていない箱はA・B・Dですが、Dを選んでいることから開けるのは、Aか・Bとなります。

Aを明けた場合には、残りはBとC 結果はBを選べば外れ、Cを選べば当り

Bを明けた場合には、残りはAとB 結果はAを選べば外れ、Cを選べば当り

結果は当り2回 外れ2回

 

Dの箱に指輪が入っていた場合

指輪が入っているのはD、指輪が入っていない箱はA・B・Cなので、開けるのはA・B・Cとなります。

Aを明けた場合には、残りはBとC どちらを選んでも外れ

Bを明けた場合には、残りはAとC どちらを選んでも外れ

Cを明けた場合には、残りはAとB どちらを選んでも外れ

結果は当り0回 外れ6回

 

変更した場合のトータルは、当り6回 外れ12回 確率は1/2

 

変更しなかった場合の的中率は1/4、変更した場合の確率は1/2となりますので、確率は倍になっていました。

 

だから何だと言われれそうなのですが・・・・

この本の著者は、思い込みや感情で判断することの危険性の一例として紹介されています。

 

 

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ちょつと考えてみました(星)

前回に続き、「メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著」の中の話を取り上げます。

 

この本の最終章である第6章の冒頭に数字の印象の話があります。10,000人に1人しか発病しないが、確実に死に至る病気が流行しているとの仮定の話があります。この病気の感染の有無を99%の確率で調べることができる検査があり、その検査を受けたところ、その検査で感染しているとの結果を知らされた場合の話があります。結論から先に書きますと、著者は何もする必要がないと断言しいます。

 

その理由は、検査の確率99%ならば、10,000人が検査を受ければ、100人は感染していないのに感染しているとの検査結果となります。しかし、病気が10,000人に1人しか発病しないのであるならば、感染している可能性がある100人の中の1人しか発病しないはずです。そのため、発病の確率は1%であり、気にする必要はないとの話です。

 

著者としては、検査の確率が99%と考えると絶望的な気分になりますが、検査結果が悪くても発病する確率は1%と考えるならば、全く違った印象になることを言いたいのでしょうが、たとえ話としては、適切ではありません。他の問題ならば、1%の確率は無視できる程度の確率かもしれませんが、死に至る病気の確率となれば話が変わります。

 

これは交通事故の確率に置き換えると話が分かりやすいのではないかと思います。交通事故を起こす確率は1%に満たないかもしれませんが、大半の人は、万一の事故に備えて自動車保険に加入しているのではないかと思います。管理人にしても物損事故を起こしたのは30年近く前だけであり、人身事故は皆無です。そのため、30年程保険料を無駄に払っていると言えますが、無駄とは考えていません。

 

これはリスク管理の問題であり、重大な損失に関わる問題となれば、1%の確率は無視できる数字ではありません。極端な事例ではありますが、テレビ番組の中で福島原発の事故にしても数千年に一度にに起きる地震の可能性を無視して山を削って原子力発電所を建設したことで起きた災害であるとの話を聞きました。また、アメリカの原子力発電所の場合には、数千年に一度の確率で起きる災害に備えること常識であり、数万年に一度の確率で起きる災害に備えることもあるとの話でした。つまり、1%に満たない確率のリスクであっても甚大な被害が予想される場合には、無視すべきではないと言えます。

 

参考記事 東電の44年前の決断、福島第1原発の命運分けた可能性 こちらから

 

※原発事故を事例として取り上げたのは、低いリスクを無視して大災害を招いた事例であることが理由であり、他に他意はありません。尚。原子力発電所の存続に関しては、賛成反対と意見が分かれる問題ではありますが、個人的には、単純に二者択一で語れる問題ではないと考えています。

 

逆に高いリスクであっても無視することに問題がないこともあります。随分と前の事ですが、懇意にしていた衣料品店の店長がバーゲンの時には冒険することを勧められました。これまで着たことがないようなデザインの服や派手かなと迷っているならば、冒険してみることを勧められました。定価で買ってもバーゲンで買っても気に入るか気に入らないかの確率は同じですが、激安ならば気に入らなかった場合の損失額が異なります。そのため、冒険しやすいと言えます。

 

また、高いリスクの極端な事例が宝くじではないでしょうか。ジャンボ宝くじの一等の当選確率は1000万分の1てすので、確率としては話にならない程低いと言えます。しかし、多くの人が一等の当選を夢見て買われます。確率から言うならば、無駄としか言えないことは誰もが知っていながら宝くじを買うのは、夢を見たいからであり、確率は無視されます。

 

まとめますと、確率が低いから無視しても良いとは言えるかどうかは個々の事例で判断すべき問題であり、画一的に語ることができる問題ではないと言えます。その意味では、「メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著」の中で取り上げられた話はあまり適切な事例ではないではないと思います。

 

 

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やってみました(星)

やっと確定申告が終わりましたが、今年も例年のごとくギリギリとなってしまいました。

 

C= (-。- ) フゥッ 疲れた・・・と言ったところです。

 

何分にも慣れない事務仕事は、疲れます。


コキッ (。o゜)(゜o゜)(゜o。) コキッ

 

それはさておき・・・・

 

暫く投稿をお休みさせて頂きましたが、投稿したい話は幾つか溜まっています。

その多くは、掘り下げると難しい話になりそうな内容なのですが、今回は軽い話を取り上げます。

 

以前の記事で「メンタリズムの罠 ダレン・ブラウン著」を取り上げたことがありますが、その本の中にカード・トリックの解説がありました。その部分を引用しますと6Pの引用となりますので要約しますと、1組のカードを観客にシャッフルしてもらい、次に2つに分けたトランプの山の一番上のカードをマジシャンに分からないようにお客に見せた後に、1つの山にも戻し、再度シャッフルしてもらいます。そして1枚ずつめくりながら、次のカードがマジシャンに分からないようにお客に見せたカードであることを予言するトリックです。

 

このマジックの種は、トランプを2つの山に分けた際に、一番下のカードを見ておくことであり、一番下のカードがもう一つの山の一番上のカードと連続するようにすることです。つまり、お客に見せたカードの前に来るカードを覚えておくことで、次のカードがお客に見せたカードであることが分かります。しかし、再度のシャッフルをしているはずと思われる方も多いと思いますが、素人がハンド・シャッフルをした場合には、連続したカードがバラバラになることはほとんどないと書かれていました。

 

う・・・んと、ここで管理人は悩みました。

 

ハンド・シャッフルは一般的に行われているカードの切り混ぜ方であり、管理人も占いの際に行っています。鑑定の際には、ハンド・シャッフルとリフル・シャッフルと呼ばれる方法も併用していますが、基本的にはハンド・シャッフルを使用しています。そのため、ハンド・シャッフルではカードが充分に混ざっていないとなりますと、鑑定の信頼性も問題となります。

 

そこで、カードの中から一組の同意札を選び、カードの山の中心辺りに差し込み、ハンド・シャッフルをしてみました。10回試してみましたが、カードが連続していたのは、2回だけでした。他に一組の同意札の間に他のカードが混じっていたのが1回ありましたが、他はバラバラでした。これでは、10回やったならば8回は失敗することになりますので、とても使えないマジックとなります。

 

同意札の間にあったカードの枚数

1回目 5枚 2回目 10枚 3回目 8枚 4回目 1枚 5回目 0枚 6回目 3枚 7回目 8枚 8回目 9枚 9回目 12枚 10回目 0枚

 

※鑑定の際には、最初にリフル・シャッフルと呼ばれる方法で2回から3回程カードをきり混ぜてからハンド・シャッフルをしていますので、連続する可能性は非常に低くなりますので、問題はないと思います。

 

勿論、普段から日常的にカードを使用していますので、一般の方に比べるならば、カードに慣れているとは言えますが、マジシャンやカード・ゲームのデーラーのようにカードを扱うテクニックは練習していませんので、少し丁寧にカードをきり混ぜるならば、この程度の確率になるのではないかと思います。

 

この本の帯には、「私のパホォーマンスは、トリック、暗示、心理学、誤認誘導、そしてショーマンシップでできている」とありますが、この本の内容も「トリック、暗示、心理学、誤認誘導、そしてショーマンシップ」で書かれているのでしょうかと疑ってしまいました。その意味では、この本は「メンタリズムの罠」との題名に相応しい内容の本ではないかと思います。

 

管理人がのように考えたのは、このトリックの話だけではありませんので、次回もこの本の内容を取り上げたいと思います。

 

 

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専門家と言う名前の素人2(星)

今年も確定申告の時期がやって来ました。

管理人も個人事業主ですので、毎年確定申告をしています。

それでも物品販売もせず、従業員もいませんので、比較的負担は少ないと思います。

ただ、それでもやはり面倒な仕事です。

 

毎年、なんだかんだで締め切り間際の提出になっていますので、今年は早めに提出したいと考えています。

 

う・・・ん、昨年も一昨年も同じことを言っていたような・・・・

 

それはさておき・・・・

 

前回は、マスコミや経営コンサルタントに対する疑問を書きましたが、具体的な内容にはあまり触れませんでした。その理由は、個人攻撃が目的ではないこともありますが、具体的な解説をしても専門的な話になるだけであり、話がつまらなくなることを危惧しました。しかし、今回はもう少し身近な話題を取り上げたいと考えています。

 

本の題名は忘れてしまいましたが、経営コンサルタントの方が書かれた本を読んでいたところ、部下が得意先の人事担当者から今年から女性のコンサルタントに社員教育を任せたいとの話があったときのことが書かれていました。その本の中で部下がとっさに「話を聞かない男、地図が読めない女」の話をして担当者を説得しようとしたとありました。この本の内容で覚えているのは、この話だけであり、他の話は全く覚えていません。この話だけを覚えている理由は、「話を聞かない男、地図が読めない女」を説得の材料としようとした程度の人間を部下に持つようでは、この著者も信用できないと思ったことでした。

 

「話を聞かない男、地図が読めない女」の正式な題名は、「話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く」であり、2002年の発売当時は書店の店頭に山積みになっていた本でしたが、科学的な根拠も希薄であり、男と女の考え方の違いを興味本位で取り上げているだけの内容との印象しかありませんでした。そのため、酒の席での話題作り程度の内容であり、この本の内容を真面目に話して担当者を説得できるはずもないと思います。

 

その程度の人間が社員教育を担当していると考えると幻滅したことを覚えていますが、その程度の人間が社員教育をしていることからス-パーなどで両肘を水平に伸ばし、手のひらを重ねて臍(へそ)の辺りに置く、おかしなお辞儀を指導しているのだろうかと思います。最初は変なお辞儀としか思いませんでしたが、何度もこのおかしなお辞儀をされていますと、誰かが意図的にはやらせているのかと疑ってしまいます。

 

礼儀作法と言えば、小笠原流の作法が本家と言えます。勿論、小笠原流の作法だけが正しいとは言えませんが、違和感を感じさせるようなお辞儀を指導することに関しては、疑問を抱きます。

 

参考サイト 作法の世界 おかしな女性の立礼 こちらから

 

これに似た話として、手紙の書き方があります。知り合いから「横書きの場合には、先方の名前を最初に書くべきか」と尋ねられ、そんな書き方はしないはずと答えました。しかし、ネットで調べるとおかしな手紙の書き方があふれていました。ちょっと待ってくれ、いつから手紙の書き方が変更になったのかと驚かされました。管理人が常識と思っていたことが非常識の扱いにされていました。

 

手紙の書き方は、縦書きが前提になっていますので、横書きにした場合には縦書きとは異なると言うことなのかと思いましたが、管理人が若い頃には、横書きであっても同じ様に書いていた記憶がありました。そのため、相手の名前を最初に書くことは、親しい相手でもない限りは、考えられないことでした。また、縦書きの場合にも「拝啓」で改行しなければならない、先方の名前と自分の名前が同一の大きさなことに疑問を抱きました。

 

自分の記憶が間違っているのだろうかと資料を探しましたところ、「他人に聞けない文書の書き方 矢島弥四朗著 日本実業出版社 昭和52年初版」が見つかりました。管理人が購入したのは、昭和57年の第115刷の本ですが、115回も増刷されているのですからかなり売れていた本と思われますので、当時はこの本の内容が受け入れられていたと言えます。

 

この本では、横書きの場合でも様式は縦書きに準じた書き方であり、先方の名前を最初に書くのは、報告書や誓約書、始末書、退職届などの書類だけでした。一般的な手紙の場合には、縦書き、横書きに関係なく、最後に相手の名前を書く形式でした。この本は、古い本であることから形式が変わったと言えば、それまでなのかもしれませんが、誰かが意図的に形式を変更したのでしょうか。

 

別に古くからの伝統を頑なに守るべきとは思っていませんし、常識は時代によって変わることはあります。しかし、時代背景や社会生活の変化によって変わるならば、納得できますが、今回ご紹介した話には疑問を抱きます。

 

 

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