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理想と現実6(星)

うーん・・・・・

深く考えることもなく、軽い気持ちで取り上げた教育勅語ですが・・・α~ (ー.ー") ンーー

このブログで取り上げるには少しばかり、重すぎる話であることに気付き、悩んでおります。

 

教育勅語に書かれた内容を現代の価値観で批判するのは簡単ですが、明治初期の時代背景や当時の天皇の役割などを理解していませんと、教育勅語の歴史的な意味を理解できるはずもありません。しかし、教育勅語を批判している方の多くは、明治初期の時代背景すら理解していないようであり、明治天皇が果たした役割など認める気持ちなど全くないようです。これは教育勅語に限られた話ではなく、自分たちの価値観だけですべてを判断しようとすることに無理があります。

 

さて、前回の続きを書く前にどうしても読み返したいと思った本がありました。

「天皇恐るべし―誰も考えなかった日本の不思議 小室 直樹  (著)」 

1986年11月に発売された本であり、今から31年前の本ですので、既に紙の黄ばみも目立っていますが、捨てられない本の一冊です。念のために、アマゾンで調べたところ、古本ではありましたが、何冊か出品されていました。それだけ、人気のある本と言うことでしょうか。

 

本題に入る前に、この本から少し引用させて頂きます

 

一片の勅令で済んだ廃藩置県

他国なら数百年の戦争必至

 「日本の天皇は神である」−明治4年(一八七一年)におこなわれた廃藩置県をみて、英国の駐日公使パースクは歎(たん)じてこういった。ヨーロッパにおいて、こんなことをおこなおうとすれば、何十年、いや百年以上の血腥(ちなまぐさ)い戦争の後にはじめて可能であろう。それを一片(いっぺん)の勅令によって、一気に断行してしまうなんて、日本の天皇は、まさしく神である。

 これはほぼ同じ頃、一八七一年、ドイツ帝国の統一がなされた。

 ドイツ帝国(das Deutshe Reich ダス ドイチエ ライヒ)は成立したが、二十五の邦国(Stadtシュタット)はそのまま残った。解消してドイツ帝国の郡県となったのではなかった。諸邦国は依然(いぜん)として半(なか)ば独立し、それぞれに各自の内閣を有し、いくつかの邦国は、平時には独立した軍隊を備(そな)え、固有の議会と法律と勲章をもち、ドイツ帝国の首邦プロセイン王国と帝国外のヨーロッパ諸国に外交使節を派遣していた。

 これはほんの一例。

 

天皇恐るべし―誰も考えなかった日本の不思議 小室 直樹  (著) P14

 

※邦国(ほうこく) 国家のこと

 

学校で習う歴史では、大政奉還や廃藩置県などは習いますし、江戸末期を舞台にした時代劇は比較的多いのですが、英国の駐日公使パースクの言葉は、この本以外で紹介されていたことはありません。その意味では、もっと紹介されるべき話ではないかと思います。これは何も明治天皇を賞賛することが目的ではなく、歴史的な史実として明治維新における明治天皇の役割、当時の日本人が天皇の存在をどのように考えていたことを知ることは大切ではないかと思います。

 

 天皇は神である。

 しからば、いかなる神か。

 すでに、結論を先取りして、その神は"キリスト教的な神である"とのべた。

 廃藩置県から民法制定を中心とする法体系の確立、その頂点としての憲法発布。近代的軍隊の創設、資本主義経済の帝王切開的誕生、近代的教育制度の整備・・・・。

 どれひとつとってみても、伝統主義的社会における制度改革としては奇蹟である。

 これが奇蹟であることは、右のごとき近代化が、ヨーロッパ諸国においては、どれほど歳月(としつき)を要したか、清国、朝鮮などのアジア諸国において、ことごとく失敗したことだけを見ても容易に納得されよう。

 天皇は神である。

 天皇=神は、日本に、新しい規範を制定した。是非善悪の基準、ものごとのよしあしの判定条件は、天皇の意思決定による。

 大日本帝国憲法、教育勅語、軍人にたまわりたる勅諭(ちょくゆ)がそれであるが、ここではまず、教育勅語の神学的、宗教社会学的分析から始めたい。

 

天皇恐るべし―誰も考えなかった日本の不思議 小室 直樹  (著) P59

 

この本の中で小室 直樹氏は、明治維新の当時の天皇の存在は神とも言えるような存在であり、それだけ国民に対して絶大な影響力を持つ存在であったと結論付けています。確かに天皇の絶大な影響力がなければ、短期間での社会制度改革はなし得なかったと言えると思われます。そのことを前提にするならば、教育勅語の意味も見えてくるのではないか思います。しかし、そのことを無視するならば、教育勅語の歴史的な意味を理解することは困難となります。

 

そのことを歴史的な制約と考えるか、封建社会の名残りと考えるかは、個人の主観ではありますが、少なくとも明治維新の当時の天皇の存在は神とも言えるような存在であり、それだけ国民に対して絶大な影響力を持つ存在であったとの意見は正鵠を得ている指摘ですが、教育勅語を批判される方は、明治維新の当時の社会的な背景や時代的な背景を無視されるか、封建社会の名残りと切り捨てているのではないかと思われます。

 

しかし、明治維新の当時の社会的な背景や時代的な背景を理解しなければ、下記の部分の意味を理解することは絶望的となります。

 

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」 

※天壌無窮 天地とともに永遠に極まりなく続くさま

※皇運 皇室の運命。天皇の勢威。

※扶翼 助け守る事

※臣民 一般に君主国において君主の支配対象とされる者のこと。日本では,通例大日本帝国憲法下における皇族以外の国民

※爾 なんじ

※遺風 後世に残っている先人の教え

※顕彰 隠れた善行や功績などを広く知らせること

 

この部分が左翼系の方々から目の敵にされている理由は、素直に読みますと危機の際には天皇のために戦うべきであり、それが先祖からの教えを守ることであるとされているからではないかと思います。しかし、戦前の日本は、立憲君主制ではあっても専制君主の国ではありませんでした。明治憲法においても天皇の権限は大きく制限を受けていましたし、天皇が独断で政策を決定する権限はなく、国政を動かしていたのは、内閣でした。

 

その意味では、戦前の天皇も現在の天皇と同じく、国の象徴であったと言えます。そのため、天皇のために戦えと言っているとしても、天皇には開戦する権限もなければ、戦争を遂行する権限もありませんでした。そのことを前提に考えるならば、国のために戦えと言い換えても同じではないかと思えます。しかし、教育勅語を批判している方々は、天皇の事を独裁者のように考えているのではないかと思えてしまいます。これは見当はずれな話であるだけでなく、大事なことを見落とすことになります。

 

このことに関する考察を「天皇恐るべし―誰も考えなかった日本の不思議」から引用します。

 

 

教育勅語は、天皇イデオロギーの一つの中核を成している

 これまでの議論を要約し、説明を補足したうえで、先に進むことにしたい。

 現人神(あらひとがみ)としての天皇、その「神」とは、キリスト教的意味における神であった。

 キリスト教的神とは、権威(authority)を有する神である。ここに「権威」とは、正当性(legitmacy)のの創造のことをいう。天と地と、その間にあるすべてのものを創造した神は、「正しさ」もまた創造した。何が正しくて何が正しくないのか。その判定基準(規範)もまた、神の創造による。「これが正しい」とは、かくのごとく神が意思決定したがゆえに正しいのであって、神の意思とは独立に、いわば客観的な是非善悪があるわけではない。

 この点、キリスト教(ユダヤ教も同じだが)は、仏教や儒教とは、根本的に異なる。

 天皇による正当性創造の一例として、教育勅語をあげた。

 教育勅語は、儒教的思想に基(もと)づく、教育勅語は儒教思想の延長である。教育勅語は、儒教思想と近代西欧思想との混合ないしは統合である。等々と言われる。が、これらの諸説は妄説であることを論じた。

 教育勅語およびそれを一つの中核とする天皇イデオロギーは、全く新しい正当性の創造であり、本質的に、儒教イデオロギーとは、異質的なものである。

 すでに強調したように、教育勅語においては、儒教における絶対的規範たる「孝」(父子の親[しん])を第二規範に落とし、儒教にはなかった「忠」(臣民の天皇に対する義務)を、絶対規範として、「孝」を超えて第一位にもってきた。

 このような根本規範の変更は、儒教イデオロギーにおいては、あり得べかざることである。かかる変更は、キリスト教的権威(オーソリティ)を有する神であってはじめて可能である。伝統主義的神は、かかる力を有しない。

 

天皇恐るべし―誰も考えなかった日本の不思議 小室 直樹  (著) P122-P123

 

少し補足しますと、儒教においては臣と民では義務が大きく異なります。家臣は大きな特権を持ちますが、背負う責任も大きく、戦争となれば、命を捨ててでも皇帝のために尽くすことが求められますが、庶民にはそのような義務はないとされています。庶民に求められる義務は、納税と決められた労働力の提供とされています。

 

「論語」では、「君主」と「小人」が明確に区別され、守るべき規範も異なります。日本では「君主」は正しい人、「小人」は良くない人と解釈されていますが、本来は支配者と被支配者との関係であり、「君主」は支配者階級のことであり、「小人」は被支配者階級です。支配者階級である家臣は、命を捨ててでも皇帝のために尽くすことが求められますが、庶民にはそのような義務はなく、求められるのは、納税と労働力の提供だけです。これは江戸時代以前の日本でも同じであり、戦で戦うのは武士だけに限られた話であり、庶民にとっては支配者が交代しても為政者が入れ替わるだけの事であり、社会制度や階級などは変わりませんでした。

 

そのため、教育勅語が画期的であるのは、江戸時代までは支配者階級である「臣」と被支配者階級である「民」の二重規範を一元化して「臣民」としたことです。そして更に絶対的規範である「孝」よりも儒教にはない臣民の天皇に対する義務である「忠」を絶対規範としたことです。

 

このことをどのように考えるかは、別として、それまでは支配者階級だけの責任であった国を守る義務であった国防の義務がすべての国民の責任になったと言えます。つまり国民皆兵制の導入であり、近代的な軍隊の創設のための指針となったと言えます。このように考えるならば、教育勅語の意義も明確になるのではないかと思います。国民皆兵制度を悪と考えるならば、この教育勅語も悪となりますが、当時の日本を近代国家とするためには、国民に国防意識を持たせ、国民皆兵制度を導入すべきであったと考えるならば、この教育勅語の果たした役割は非常に大きいと言えます。

 

しかし、当時の列強諸国は当然のことながら国民皆兵制を導入しており、列強諸国に対抗するためには、日本も国民皆兵制度を導入しなければならない状況でした。そのため、教育勅語に対して嫌悪感を抱くのは自由ですが、教育勅語の果たした役割や教育勅語の意味を知ることは難しくなります。

 

 

ご相談は こちらから

 

 

at 03:01, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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理想と現実5(星)

先日のことですが、神社でご祈祷を受けましたところ、控室に教育勅語のポスターが貼られていました。神社の控室に皇室関連の本や資料が置かれていることは珍しくなく、過去にも他の神社の控室で見かけたことはありますが、教育勅語をまともに読んだことはありませんでした。しかし、この神社のポスターは、教育勅語の内容の紹介でした。ご祈祷を待つ時間の退屈しのぎもあって読んでみましたが、内容としては特に問題もない気がしました。

 

自宅に帰ってから教育勅語の原文と現代語訳を読みましたが、当時の政治体制を反映している箇所を除けば、現代でも通用する内容でした。しかし、教育勅語は、管理人の若い時代には時代錯誤の極みであり、戦前の軍国主義の象徴のように言われていた記憶があります。そこで教育勅語の何が問題視されているのかを少し調べてみました。

 

その結果は・・・(;° ロ°) ナンジャコリャ

 

教育勅語を批判しているブログは幾つかありましたが、見事なまでに左翼思想に染まっていました。特定の政治思想を否定する気持ちはありませんが、ここで事実関係を歪曲されていますと、怒る気を通り越して呆れました。この人たちの頭の中は、左翼思想しかなく、歴史的な事実をまともに調べる気持ちもないのかと呆れました。

 

左翼思想の方々の批判をご紹介する前に、先ずは教育勅語からご紹介します。

 

朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス 
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ 
是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン 
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス 
朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 
明治二十三年十月三十日 
御名 御璽

 

一応、手元に現代語訳はありましたので引用させて頂きますが、この現代語訳に関しては、左翼系の方々から問題点の隠蔽であるとの批判があります。

 

 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 

 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。 

 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

国民道徳協会訳文による

 

 

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」

※皇祖皇宗 天皇の始祖と当代に至るまでの歴代の天皇

※肇(ハジ)ムルコト

 

左翼の方が最初に問題にされるのがこの部分であり、天皇家が日本の国を建国したとあることを批判されています。日本が国して建国された時期は、歴史学者でも一定していないようであり、学者によっては初代・神武天皇以降を実在とする説、第10代・崇神天皇以降を実在とする説、第15代・応神天皇以降を実在とする説、第26代・継体天皇以降を実在とする説などに分かれるようですが、いずれにしても大和朝廷が国内を統一したことは歴史な事実として否定できないはずです。

 

そのため、明治天皇の「皇祖が我が国を作った」との言葉を問題はないと思いますが、左翼の方々は、日本の建国の歴史を否定したいようにしか思えません。少なくとも奈良時代までは天皇が日本の最高権力者であり、統治者であったことは歴史的な事実てす。そして日本が国としての制度を整えたのも天皇家であったことも歴史的な事実です。また、世界的に見れば、武力による国内の統一や建国が当然ですが、大和朝廷の成立の過程では、大規模な戦闘があまりなく、同盟関係の締結を基本として国内を統一した珍しい国です。

 

あるブログには、武家政権が長く続いたことを根拠に民衆が天皇の存在を意識することはなかったと書いている方もいましたが、これもどうかと思います。豊臣秀吉が近衛前久の猶子となって関白に就任し、徳川家康が家系図を改竄してまで征夷大将軍の官位にこだわったのは、それだけ世の中で朝廷の権威を認められていたからではないでしょうか。

 

これは何も豊臣秀吉や徳川家康に限られたた話ではなく、室町時代以降には大名が家臣に対して朝廷の正式な位階や除目の伴わない、非公式な官名を授ける風習が生まれました。これは受領名と呼ばれる制度であり、武家の場合には、土佐守△△とか、飛騨守〇〇と言った官名や刑部少輔、判官・主典など様々な官位が位に応じて使われてたようです。しかし、これらは正式な手続きを踏むことのない官位であり、すべて自称でした。

 

また、受領名は武家に限られた話ではなく、朝廷や門跡寺院は職人や商人、芸能関係者にも受領名を授けていました。金品と引き換えに受領名を授かることで商品に箔が付いたとされています。今でいうところの宮内庁御用達と言ったところでしょう。しかし、これも自称であることも多かったとされていますが、これも民衆が朝廷の権威を認めていた証と言えます。つまり、江戸時代においても朝廷の存在は庶民からかけ離れた存在ではなく、尊敬されていたからこそ官位を自称したのではないでしょうか。

 

長くなりましたので、次回に続きます。

 

 

ご相談は こちらから

at 09:57, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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理想と現実4(星)

理想と現実のタイトルで3回程記事を投稿させて頂きました。本当は、前回で終わるか、今回の投稿でまとめの記事を投稿して終わるつもりでしたが、このテーマは管理人にとっては大切なテーマであることに気付きました。管理人が20代の前半で精神世界を探求しようと考えた理由も今回取り上げたテーマの探求が目的でした。

 

いつも書いていることですが、20代の前半から霊障に悩み始め、宗教書や霊能者の本などの精神世界を取り扱った本を数多く読み漁りましたが、管理人の求めているものに巡り合うことはできませんでした。その当時は、自分が何を求めているかも明確に自覚することもありませんでしたが、後から考えますと人生の苦悩の原因を探し求めていた気がします。

 

仏教書には、人間の苦悩の原因を執着であると説かれていることは知っていましたが、執着を断ち切るためには、山にこもり、厳しい修業に明け暮れなければならないのであるならば、在家に生きる者に救いはないのかとの疑問しかありませんでした。勿論、他力の教えや他の宗旨の教えも勉強しましたが、自分が抱えている苦悩の解消には何の参考にもならない気がしました。その理由は、宗教書には、心の教えは説かれていても現実の問題の対処方法は説かれていませんでした。

 

管理人の両親は、重度の霊障であり、いつも家の中には重苦しい空気が漂っていました。そして自分では一生懸命に努力しているつもりでも、いつもその努力は報われない気がしていました。それは砂を握っている感覚に近いと言えます。今度こそと力を込めて砂を握るといつの間にか砂は手からすり抜けて、気付けば何も手の中に残っていない。そんな人生でした。その原因が心の持ち方であると言われても納得できませんでした。その原因が霊障ではないかと考えるようになったことが霊障解消の試行錯誤の始まりでした。

 

しかし、同時に両親を含めた周囲の人間の頑なさにも疑問を抱いていました。心霊世界の話ならば、そんなこと迷信であり、何を馬鹿な話をしていると切り捨てられるのは分かりますが、仕事の話をしていても全く話し合いにならない理由が分かりませんでした。

企業は利益の追求が目的であり、慈善事業ではありません。そのため、同じ企業の社員ならば、共に共通の目的を共有していることから仕事上の問題は、感情論を抜きにして話すことができると考えていましたが、それが大きな間違いでした。こちらが感情論抜きにして話をしても相手は感情的になります。それではと、資料を用意して具体的な数字を並べて話をしますと、逆切れするか、沈黙するかのどちらかでした。

 

こちらとしては、相手の仕事の内容を批判しているのではなく、仕事の効率を上げるための話をしたいだけなのですが、とにかく自分のやり方に干渉されることを極端に嫌うことが大半でした。管理人からするならば、別に会社の体制を根本的に変えるような内容ではなく、その気になれば今日からでも改善できる内容が中心でしたが、自分のやり方を変えることに対しては、とにかく抵抗する方が大半でした。

 

霊障と頑なさの2つの問題は、一見するならば全く無関係な問題とも見えますが、根本にある問題は同一であり、仏教の観点からするならば、共に執着でしかありません。しかし、当時はそんな考えに至れるはずもなく、霊障は霊障、現実の問題は現実の問題として切り離して考えていましたが、神霊からの自動書記が始まったことで、この2つの問題が同じ問題であると知りました。

 

管理人の守護霊は古代ギリシャの神霊ですが、守護霊の他に前世の縁のあった3人の古代ギリシャの神霊から人が頑なとなる理由を教えて頂きましたが、心理学に詳しい方から専門用語を使用していないだけで、内容は人格心理学であると言われました。しかし、天台宗の神霊からは縁起の教えであるとも言われました。同じ内容をどのようにとらえるかだけの違いではありますが、個人的には長年抱えていた謎が氷解したことには違いがありませんでした。

 

古代ギリシャの神霊の説かれた教えでは、人が頑なに自分の考え方に執着して人の意見を聞き入れない理由は、自分の存在価値を否定されることに対する恐怖心であり、自分の価値観が否定されるならば、自分の存在意義を認められなくなることが原因であると説きます。勿論、古代ギリシャの神霊の説かれた教えはそれだけでなく、全体を理解するのには非常に苦労しましたが、仏教の神霊からするならば、縁起の教えの一部でしかないとの認識のようでした。

 

さて、霊障と頑なさの2つの問題が同一である理由を少し解説しますと、不成仏霊が成仏できない最大の理由がこの頑なさです。つまり生前の自分の言動や考え方の間違いを素直に認めることができないことが成仏を阻む最大の要因であり、生前の自分の言動や考え方の間違いを素直に認めることができる場合には、供養するならば、比較的早く成仏する傾向があります。そのため、深刻な障りを起こしている不成仏霊の大半が頑なであると言えます。

 

また、深刻な霊障に悩まれている方にも頑なである傾向があります。これは単純に頑固と言う方は少なく、考え方に柔軟性がないと言うべき方の方が多いようです。どちらも同じであると言えるかもしれませんが、深刻な霊障が長く続きますと、理不尽と思えるような扱いを周囲から受けることが多くなり、世の中の理不尽さに対する不満や怒りを溜め込む傾向が強くなります。世の中の理不尽さに対する不満や怒りを溜め込み続けますと、「〇〇であるべきだ」との考え方が強くなる傾向があるようです。

 

そのため、障りを起こしている側と障りを受けている側の両方に頑なさが共通していると思われます。このことが障りの解消を難しくしている原因ではないかと考えるようになりました。しかし、深刻な障りに悩んでいる方に頑なな考え方が障りの原因であるから柔軟な考え方を持てば、障りが解消すると説教するつもりはありません。深刻な障りを受けている状況では、不成仏霊の影響を遮断することは難しく、本人が努力しても不成仏霊に足を引っ張られることが少なくありません。

 

これは激しい騒音の中で心を静めよと言っているのと同じであり、激しい騒音が引き金となり、心が乱れ、心の乱れが感情の不安定さを招き、感情的になって自分も怒鳴り声で話すようになるのと同じです。しかし、静かな環境に身を置くならば、心が乱れることも少なくなり、穏やかに話すことができるようになります。そのため、自分が変わることも大切ですが、自分の住む環境を変えた方が問題の解決が早くなると考えます。それが管理人がお勧めしている「開運の方法」の趣旨です。

 

勿論、環境を整える事は大切ではありますが、自分の考え方を変えることも大切となります。霊界は心の世界であり、現世も心を通して霊界に通じていることから良くも悪くも心霊世界に通じています。その心が常に神仏の世界に通じているならば、生き仏となり、多くの人々を救済することができますが、その心が常に修羅の世界に通じているならば、現世に生きながらも修羅の世界で生きているのと同じであり、その心が常に地獄の世界に通じているならば、現世に生きながらも地獄で生きているのと同じことになります。

 

そのため、常に神仏の世界に通じているならば、霊障はすべて解消することになります。しかし、それは悟りを得ることであり、凡人には遠い道のりです。そこで次善の策としては、少しでも執着から離れることが大切となりますが、凡人には何が執着であり、何が執着ではないのかが分かりません。金儲けが執着であると切り捨てることは簡単ですが、企業が利益追求をしなければ倒産します。倒産するならば、そこで働いている従業員も職を失い、多くの人が路頭に迷うことになります。

 

贅沢は執着であり、質素倹約すべきであると考えることはできますが、すべての人が質素倹約するならば、経済は停滞します。経済は停滞して企業の収益は悪化して失業者が増えることになります。別に贅沢な生活をすることが世の中のためになるとは考えてはいませんが、世の中に自粛ムードが蔓延するならば、経済が停滞することは事実です。

 

また、何が執着であり、何が執着ではないのかは、本人と第3者では判断が異なる場合が少なくありません。周囲の人間からするならば、何をそんなにこだわっているのかと思うことであっても、本人は当然なことであり、執着ではないと考えている場合が少なくありません。そのため、執着を断つと言葉で言うのは簡単でも実践することは、非常に難しいことです。

 

執着を断つことが困難であるならば、「〇〇であるべきだ」との考え方を修正することから始めるべきではないかと考えています。この「〇〇であるべきだ」との考え方を修正することも、それほど簡単ではありませんが、執着を断つことの入口になるのではないか思います。その理由は、執着を断ち切るとは、中道の教えを守ることであり、その実践は八正道となります。八正道は、悟りを得るための8つの実践徳目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことであり、その最初が正見となります。

 

そのため、「〇〇であるべきだ」との考え方を修正することは、仏道修行の入口でもあると言えますので、暫くはこのシリーズを継続しようかと考えています。

 

 

ご相談は こちらから

at 10:32, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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理想と現実3(星)

今回は、管理人の仕事である占いを取り上げさせて頂きます。

世の中には、占いを統計学として説明されようとしている方が時折いらっしゃいます。確かに占いの結果がどの程度的中しているかを実証しようとしますと統計学の力を借りる必要があると思います。以前に読んだ手相の本に手相がどの程度当っているかを数多くの学生の協力を得て調査した結果を掲載されていたこともありますし、医者が手相と病気の関係を調査した本もありました。しかし、占いの結果を統計学で検証することは有効ではあっても、占いを統計学であると考えるのには無理があります。

 

占いは、出生年月日と出生時間を利用して占う「命」と人相や手相などのように体の一部から占う「相」、易などの偶然を利用して占う「卜」の3種類に分類することができますが、統計学が利用できるのは、出生年月日と出生時間を利用して占う「命」と人相や手相などのように体の一部から占う「相」であり、易などの偶然を利用して占う「卜」に統計学を利用することは難しいと思います。管理人は、易とカードを得意にしていますので、主に「卜」に分類される占いを主にしています。その経験から書きますと、易、タロット・カード、トランプ占いの背景には、神秘思想があります。背景にある神秘思想は同じではありませんが、それぞれの意味や解釈は、背景にある神秘思想から導き出されています。

 

例えば、易の場合には、陰陽五行説が背景にありますが、詳しく解説しますと専門的な話の羅列となりますが、体形的な神秘思想と言えます。易経は儒教の四書五経の中の一冊であり、儒教で重視されています。そのため、少なくとも易経の解釈に関しては、儒教の影響を強く受けていると言えます。

※四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」

 

しかし、易経の易の歴史はとても古く、古代中国の神話までに遡るとされています。

 

易の作者については古来相伝えて伏羲が八卦を画(かく)し、文王がこれを演(の)べて六十四卦となし、文王と周公が卦爻の辞すなわち彖辞と爻辞を作り、孔子が十翼を作ったとされている。漢書藝(芸の旧字)文志にあっては「人は三聖を更(か)え世は三古を歴(へ)たり」とあるが、三聖三古とは、上古にあっては伏羲、中古にあっては文王と周公(父子であるから一とみなす)、近古にあっては孔子を指していうのである。

岩波文庫 易経(上) P18

伏羲(ふっき・ふくぎ) 紀元前3000年以上前の古代中国神話に登場する神様または伝説上の帝王

文王(ぶんのう、ぶんおう、紀元前1152年 − 紀元前1056年)は、中国の周朝の始祖

周公 中国、周の政治家。文王の子。名は旦。兄の武王を助けて殷(いん)を滅ぼし、武王の死後、幼少の成王を助けて王族の反乱を鎮圧。また、洛邑(洛陽)を建設するなど周王室の基礎を固めた。礼楽・制度を定めたといわれる。儒家の尊崇する聖人の一人。

 

何分にも三人の聖人によって作られたとされている本であり、人生の指南書としても永遠の輝きを放ち続けている古典ではありますが、占いの本としては、幾つもの落とし穴があります。これは易の考え方としては正しいも、現実は易の教えの通りにはいかないことが理由です。

 

具体例1

天地否 上爻変
易経には「否の時が傾いた。初めは塞がっていても、後には喜ぶことになる。」とあります。

 

この卦は八方塞の極みを表しますが、易の考え方は森羅万象は変化しづけると考えますので、八方塞の状態が続くならば、必ず状況は変化すると考えます。そのため、「否の時が傾いた。」とは、八方塞の状態が極まったことから状況が変化するとことを表します。続く「初めは塞がっていても、後には喜ぶことになる。」とは、始めは八方塞でも八方塞が終わることを説きます。

 

一つの状況が極まれば、状況が変化することは真理であっても何もしなくても八方塞が打開されるとは限りません。過去の経験では、この卦を得たならば、手の打ちようのない状況であることが大半であり、とても「後には喜ぶことになる。」とは言えませんでした。

 

具体例2
天沢履 四爻変
易経には「虎の尾を履む。怖れ慎んでいれば最終的には吉。」とあります。
 

この卦は、礼儀を心掛け、謙譲の精神を以って身の安全を計るべきことを表し、困難な状況に陥っても謙譲の精神を守ることで災いを避けるべきこと表しています。「虎の尾を履む。」とは、非常に危険な状態を表し、「怖れ慎んでいれば最終的には吉。」とは危機的な状況にあっても謙譲の精神を守り抜くならば、危機を回避できることを説きます。

 

確かに危機的な状況においても謙譲の精神を守り抜くことができるならば、危機を回避できるかもしれませんが、残念ながら過去の経験では、この卦を得たならば破綻寸前であることが多く、「最終的には吉。」とは言えませんでした。

 

具体例3

坤為地 五爻変
易経には「黄裳を身にまとう。大いに吉である。」とあります。
黄裳の黄は中央の色、従順さの象徴
裳(現在のスカートのようなもの・下ばかま)

 

この卦は、「大いに吉である。」とあることから大吉の卦であると思われる方も多いと思います。易の解説書の中にも大吉の卦であると書かれている本もありますが、実際の鑑定では、手放しで喜べるような大吉とは言えない場合が大半です。

 

ではどうしてこのような意味となるかを解説しますと、この坤為地は柔軟や謙虚さを表す陰の徳を表す卦であり、「黄裳を身にまとう。」とは、従順の徳に満ち溢れているならば、大吉であることを表します。しかし、従順さを忘れるならば、凶となることを表しています。そのため、謙虚に人の意見に従い、自己主張をしなければ大吉となると言った意味となります。

 

具体例4

雷火豊 上爻変

易経には「屋根を大きくして家に日除けをかけた。戸口から覗いて見ても人の気配がなく、三年たっても人と顔を会わせようとしない。凶である。」とあります。

 

この卦は一般的には、破産破滅を警告する大凶の卦なのですが、勝負運として解釈するならば、大吉として解釈すべきであると書かれた解説書がありました。この解説書は易の大家の書かれた著書であり、その内容も説得力がありました。

 

この卦を解説しますと、雷火豊は表面的には盛大に見えても実情は苦しく、苦難が多いことを表し、現状維持に専念して衰運に備えるべきことを表しています。そして上爻変は盛運を過ぎて衰運に入った状態を表していますので、極力慎重に事を進めなければならないことを表す大凶の卦とされています。

 

しかし、勝負事のように短期間で決着が着くことを前提にしますと、事情が少し異なります。盛運を過ぎて衰運に入った状態とは、将来的には下降線に入ることを表していますが、現時点に限るならば、最強の運気と言えます。そのため、当日の試合結果を占った場合には、大凶ではなく大吉と解釈すべきと書かれていました。

 

勝負事は滅多に占いませんので、雷火豊 上爻変が勝負運として最強かどうかは分かりませんが、確かに正論であり、内情が苦しくても客観的には侮れないと考えるべきであり、管理人も鑑定の際には気を付けようにしています。

 

まとめますと、易経に書かれた内容は正しいとしても現実にそのまま適用できるかとなれば話は別となります。易の内容を十分に理解するだけでなく、依頼者の置かれた状況を見極めませんと、誤った判断をすることになります。つまり占いにおいても柔軟な考え方は必要であり、硬直した考え方に囚われますと現実を見失うことになります。

 

 

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at 10:58, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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理想と現実2(星)

前回は、霊障の解消が遅い理由についての考察をしましたが、引き続き同じテーマの考察となります。

霊障の解消が難しい理由として頑なさについて怨みと政治思想を取り上げましたが、3番目の理由として考えなければならない理由に宗教があります。宗教は本来人間の心を苦悩から解放して自由にする教えであるとも言われますが、寛容性を失いますと、カルト的な狂信に陥る場合があります。これは何もカルト教団に限られた話ではなく、伝統的な宗教においても狂信に危険性があります。

 

特定の宗旨に深く帰依して自分が帰依している宗旨以外には何の関心も持たないだけでなく、団体の観光旅行であっても自分が信仰している宗旨宗派以外の神社仏閣の敷地には足を踏み入れない方もいるようです。管理人の家の宗旨である真宗大谷派の教えを忠実に守るならば、阿弥陀仏だけを拝むべきであり、他の仏や神を拝むべきではないとされています。更に占いやまじないの類は信じるべきではないとされています。

 

管理人は、神道から仏教各宗旨の教えを学んでいる人間であり、占いを仕事にしています。更に依頼があれば旅行や移転の吉凶などの方位術や風水、相性なども鑑定させて頂いていますので、真宗大谷派の門徒の風上にも置けない人間です。そのため、浄土真宗の教えについて語るべき立場にはありませんが、一応は浄土真宗の教えを少しは学んでいます。浄土真宗の教えに限られた話ではありませんが、どの宗旨の教えも理路整然とした理論体系があります。そのため、一つの宗旨の教えを学んでいますと、その教えの枠の中だけで自己完結する傾向があります。

 

それは学んでいる教えが緻密な理論体系を具えていることの証明とも言えますが、現実から乖離していても気付かない危険性が生じると思います。例えば、浄土真宗の教えにおいては、一度でも念仏を称えるならば、極楽往生は決定するとされています。これは浄土真宗の教えの根幹であり、最初に称えた念仏で極楽往生が決定しないとするならば、浄土真宗の教えは根幹から崩壊することになります。

 

しかし、管理人が知っている現実は、生前に念仏を称えていたと思われる故人の多くが成仏することができずに苦しまれていました。つまり浄土真宗の教えの根幹が否定される現実がありました。そこで浄土真宗の神霊からの自動書記が始まった際に、そのことを尋ねたことがありました。その回答をご紹介しても良いのですが、話が長くなるだけでなく、今回の話の趣旨から逸脱しますので、触れませんが、現実に即した教えを説かれました。

 

そのことを詭弁と言うことは可能かもしれませんが、個人的にはその方が健全な考え方であると思います。現実と教えが食い違っているのであるならば、現実を踏まえて教えを説くべきだと考えます。しかし、現実よりも教えを優先して現実を否定する宗教家も少なくない気がしています。つまり、浄土真宗の教えの場合ならば、阿弥陀仏のお力は偉大であり、人智を超えた不可思議な力である。その偉大な阿弥陀仏が念仏を称える者は必ず救うと説かれているのだから、念仏を称えた者はすべて極楽往生するはずであり、念仏を称えたのに極楽往生できないはずがないとの話となります。

 

これは何も浄土真宗に限られた話ではなく、他の宗旨でも同じようなことが言えます。どの宗旨の教えでも「〇〇すれば〇〇になる」と言った内容の教えが説かれています。それが念仏なのか、お題目なのか、真言なのかなどの差はありますが、どの宗旨の教えでも根本的な教えがあります。その根本的な教えがどうして正しいのかの根拠、どうしてその教えが他の教えに比べて優れているのかについて説かれているのが宗旨の教えとも言えます。

 

浄土真宗も例外ではなく、親鸞聖人も色々な経典を引用されて浄土真宗の教えがどうして優れているかを説かれていますが、これは何も親鸞聖人に限られたはなしではなく、法然上人や日蓮聖人、道元禅師などの各宗旨の開祖は、それぞれの教えがどうして優れているのかを色々な経典を引用されて説かれています。ここでは各宗旨の教えの内容に立ち入ることはありませんが、各宗旨が緻密な教えの体系を具えていると言えます。

 

勿論、緻密な教えの体系があることは優れた教えの証明と言えますが、その教えが緻密であり、膨大であればあるほど現実から遊離しやすくなるのではないかと思うことがあります。世俗の苦悩から衆生を解放する心の教えが仏教のはずですが、衆生の苦悩から乖離した教えだけを追い求めるならば、仏教の本来の役目が忘れ去られることになります。しかし、現実の苦悩の解消よりも教えの整合性ばかりが追い求められている気がしています。

 

どうしてこのようなことが起きるのかを考えますと、この世の中の仕組みや神仏の働きは理路整然としているはずであるとの思い込みがあるのではないかと思います。また、この世の中の仕組みや神仏の働きを理路整然と理解することを求めているのではないかとも思えます。しかし、如何に緻密な理論であっても理路整然と説明できることの方が少ない気がしています。経済学の専門家であるはずの経済学者が資金の運用や株式投資をしても失敗することが多いと聞いたことがあります。現実の経済は、経済の理論通りには市場は動かないことが理由であるとの話でした。

 

理論と現実との食い違いは、何も宗教の世界に限られた話ではなく、理論通りには動かないとか言えるのではないかと思いますが、「AはBである」「BはCである」だから「AはCである」と言った考え方をする方が多いようです。それが思い込みや決めつけとなり、硬直した考え方になっているようです。それだけ、現実をありのままに見ることは難しいと言えますが、実はこれがお釈迦様の説かれた中道の教えです。

 

中道とは、あらゆる偏見を離れた考え方であり、その実践が八正道です。そしてその中道とは、縁起の教えであるとされていますが、縁起の教えとは何かを説き始めますと、実に難解な話となります。その難解な教えを理解しようとしますと実に複雑で難解な理論体系が待ち構えていますので、話は振出しに戻ってしまいます。

 

しかし、お釈迦様の説かれた中道の教えである全ての偏見を離れることは非常に大切なことであり、柔軟な考え方をするためには非常に大切なことです。そして全ての偏見から離れることができたならば、人生の苦悩の大半は解消するのでしょうが、管理人の様な凡人にとっては、遠い道のりとなります。

 

次回も同じテーマで占いを取り上げたいと考えています。

 

 

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at 20:44, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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理想と現実1(星)

今朝のことですが、「楽天市場と東京ディズニーランドの共催によりご提供した無料のプレゼント」のメールが届いていました。

管理人は楽天の会員でもないのにと少しばかり疑問を抱き、ネットで検索しましたところ、悪質なフィッシング詐欺のメールのようでした。

 

詳しくは こちらから

 

暫く前にヤマト運輸の名前を騙るフィッシング詐欺とYahooサポートセンターの名前を騙るフィッシング詐欺のメールも届いていました。いずれも大手企業の名前を騙る詐欺メールですので、皆様もご注意下さい。

 

ヤマト運輸の社名もしくは類似名称を名乗る迷惑メールについて 詳しくは こちら

 

ヤフー、ヤフー総合窓口、ヤフー総合受付、Yahooなどの名前を騙るメール 詳しくは こちらから

 

それはさておき・・・

 

管理人は、霊能者として活動はしていませんが、このブログで霊障や心霊現象について投稿しているためか、数多くの方から霊障のご相談を受けています。暫く前から霊障の深刻さと霊障の解消の期間は必ずしも同一ではないと感じていました。その理由を考えますと、相談される方の考え方の違いにあるのではないかと思うようになりました。

 

心霊現象は謎が多く、まだまだ解明されていないことが大半ではありますが、霊障鑑定の結果や不成仏霊の言い分などから成仏が難しい不成仏霊に共通していることの一つに頑なさがあります。つまり神霊の指導を受けても容易に自分の考え方を改めることがないことから長期間の供養が必要であったり、個別に供養しなければならなかったりすることになります。これは単純に頑固と言ってしまえば、それまでなのですが、現実を受け入れることができないことが理由と思われます。

 

現実を受け入れられないと書きますと話が難しくなるかもしれませんが、容易に成仏しない不成仏霊の多くは、何らかのこだわりを抱えています。そのこだわりの理由は、怨みもあれば、政治思想、宗旨の教えなど千差万別ですが、自分が間違っていると認める気持ちがないことは共通しています。例えば、怨みを抱いている不成仏霊は、お前の先祖は自分を苦しめたのだから子孫も苦しんで当然であると考えている不成仏霊も少なくありません。

 

子孫からするならば、自分の先祖とは言っても自分が全く会った事もない遠い先祖の怨みで不運の連続の人生にされたならば、たまったものではありませんが、障りを起こしている不成仏霊は憎しみの塊になっていることから当事者だけでなく、子孫も苦しめなければ気が済まない気持ちになっています。その怨みが深ければ深い程、神仏の指導に反発することから成仏は容易ではなくなります。

 

しかし、自分がどんなに苦しめられたからと言っても相手に対する怒りや憎しみの心を抱き続けているならば、自分の心の中に不の想念を溜め続けることになり、自分も成仏できません。どんな相手でも許すことが正しいことであるとは思いませんが、相手に怨みを抱き続けることは、自分が成仏できないことになります。何とも理不尽なことであるとも言えますが、心霊世界は心の世界であり、浄土が怒りや憎しみとは無縁な世界である以上は、怒りや憎しみの心を抱いていたならば、浄土に生まれることはできません。

 

死後の世界では、現世において修羅の心を持つならば、修羅に生まれ変わり、地獄の心を持つならば、地獄に堕ちるとされていますが、地獄絵図に描かれているような地獄を霊視したことはありませので、本当のところは良く分かりません。しかし、死後の世界では、本人の心境に応じた世界に帰ることは間違いがないようです。そのため、怒りや憎しみに心が覆われた方は、怒りや憎しみで覆われた世界に帰り、穏やかな心の方は穏やかな世界に帰ることになります。

 

昔から人を呪わば、穴二つと言いますが、誰かを憎むならば、自分も苦悩しなければならないことは、亡くなられた方も分かっている場合が少なくありません。自分も苦しいのであるならば、怨みを忘れた方が自分の為になることは分かっていても、自分の怒りや憎しみを抑えることができないがために、相手を恨み続けていると言えます。頭では分かっていても感情が納得できないと言うところでしょうか。

 

これは、感情をコントロールできない事例と言えますが、思想信条から成仏が困難な場合も少なくありません。例えば、生前に社会主義思想に深く傾倒して、死後の世界を頑なに否定していた方は、成仏が非常に困難となります。自分が死後の世界に帰ったならば、死後の存在が存在を認めるしかないと思うのですが、生前の政治思想の間違いを認めることができないようです。これは何も政治思想に限られた話ではなく、宗教など生活信条においても言えることです。

 

では、どうしてこのようなことが起きるのかを考えますと、そこには現実よりも理論を優先する気持ちがあるからではないかと思われます。現実よりも理論を優先すると書きますと難しい話のように聞こえますが、分かりやすく書きますと、柔軟性のない硬直した考え方です。例えば、一般論としては、健康に気を使っているならば、病気になる筈がないと言えるかもしれませんが、健康に気を使っていても病気になる場合もあります。しかし、柔軟性のない考え方にとらわれていますと、病気になったのは、健康管理をしていなかったからだとの決めつけとなります。

 

また、予防接種をするならば、感染する可能性は低くなりますが、皆無ではありません。しかし、予防接種をしたのにどうして発病したのかと医者に怒ってみたところで意味はないのですが、予防接種をしたのにどうして感染したのかと医者に文句を言う人もいるのではないかと思います。これと同じように一般論として「〇〇をしたならば、〇〇になる」と言えることはありますが、世の中には例外も数多くあります。つまり一般論としては通用しても絶対的な法則ではないことが大半と言えます。

 

実際の世の中は、数式で何もかも説明できるような世界ではなく、不確定要素の多い曖昧な世界です。このことを忘れますと、柔軟性のない硬直した考え方となりますが、多くの方が柔軟性のない考え方をされている気がします。何の本だか忘れましたが心理学の本に硬直した考え方の方が脳の負担が少ないと書かれていたと記憶しています。確かに決めつけや先入観であっても「〇〇は〇〇である」と単純化して考えた方が楽なことは確かです。

 

長くなりましたので、次回に続きます。m(_ _)m

 

 

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at 09:38, 星 良謙・子授け地蔵, 心の健康

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平和主義の誤算(星)

念仏平和主義(ねんぶつへいわしゅぎ)と言う言葉があることをご存知の方は少ないのではないかと思います。念仏平和主義とは、歴史作家の司馬遼太郎が新聞のコラムの中で用いた造語であり、念仏を称えるように「平和」を唱えていれば平和になると信じる戦後日本の風潮を皮肉った言葉とされています。管理人がこの言葉を本で知ったのは、今から30年以上前の事でしたが、平和運動のあり方に関しては、あの当時と何も変わっていない気がするのは管理人だけでしょうか? α~ (ー.ー") ンーー

 

管理人は、学生の頃からジェット戦闘機に興味を持つようになり、ジェット戦闘機からジェット戦闘機の運用に興味が移り、ジェット戦闘機の運用から戦術や戦略に興味が広がりました。そして20年程前に架空戦記に出会ってからは架空戦記の愛読者になりました。そんな経緯もあり、戦争とは何かを考えることは、普通の方に比べるならば、多いのではないかと思いますが、戦争反対や平和を叫んでいるだけでは、平和になるとは信じていませんでした。

 

ただ、管理人が若い頃にも戦争や兵器に興味を持っていることを話しますと、タカ派のレッテルを貼られる傾向はありました。しかし、戦争について知ることにタカ派もハト派もなく、戦争について語るのであるならば、戦争とは何かを知ることから始めるべではないのかと疑問を抱いていましたが、世の中の風潮は、戦争について学ぶとは、戦争がどれだけ悲惨なことかを学ぶことに終始しているだけで、戦争の本質を知ることを避けているように思えます。戦争について学ぶことにタカ派もハト派もなければ、政治思想も関係ありません。軍隊を持ち、兵器を製造しているのは、欧米諸国だけではなく、共産主義国にも軍隊はあり、武装しているだけでなく、積極的に武器を輸出しています。そのため、右翼も左翼も関係ないと言えます。

 

それぞれの国が自国の国力に応じた軍隊を持つのが当たり前であり、それが世界の常識ですが、その世界の常識が通用しないのが日本です。つまり日本の常識は世界の非常識と言うことになります。では、どうして自国の国力に応じた軍隊を持つことが世界の常識なのかについて書き始めますと、非常に長くなるだけでなく、今回の記事の趣旨からも逸脱してしまいますで、今回は取り上げませんが、いずれ機会があれば取り上げたいと考えています。

 

さて、テレビのコメンテーターと呼ばれる方々の意見を聞いていますと、とにかく戦争をすべきでなく、外交努力で問題を解消すべきであると力説されることが多いのですが、この方々は現代の戦争についてどれだけ知っているのか、戦争の歴史についてどれだけ知っているのかと疑問を持ちます。そのため、管理人には、冒頭に書きました念仏を称えるように「平和」を唱えていれば平和になると信じている念仏平和主義者にしか思えません。

 

当然の事ですが、戦争は可能な限り避けるべきではありますが、話し合いだけで平和が得られると考えるべきではありません。軍事関係に少しばかり詳しい人間には、クラウゼヴィッツの戦争論の「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」との戦争の定義はあまりにも有名ですが、外交交渉とは、軍事力を背景にして行われるのが世界の常識であり、戦争も政治の一部なのです。

 

また、日本では第二次世界大戦は、防ぐことができた戦争であるとの意見があることすら知られていないことも不思議です。テレビのコメンテーターと呼ばれる方々は、話し合いで戦争を避けるべきだと主張されていますが、イギリスの首相であったネヴィル=チェンバレンの失敗を知らないようです。日本が開戦に至る経緯については、比較的知られていると思いますが、ドイツとイギリスの開戦の経緯については、あまり知られていないことから一般の方が知らないのは分かりますが、少なくともコメンテーターとして戦争について語るならば、知っていて当然の話ではないかと思います。

 

第二次世界大戦に至る経緯については、下記のサイトが良くまとまっていることから紹介させて頂きます。

 

世界史の窓 ネヴィル=チェンバレン 元記事は こちらから

 

宥和政策
第一次世界大戦後のイギリスには、フランスが対ドイツの強硬策を主張したのに対して、賠償問題では敗戦国ドイツの復興を支援して負担を軽減し、あるいは軍備の平等化というナチス=ドイツの要求を正当なものと容認しようという意見が強かった。また一部にはナチス=ドイツの影響を受けたイギリス=ファシズムも台頭していた。またナチス=ドイツの台頭はボリシェヴィキのソ連を抑えるためには有効だという見方も強かった。イギリスの労働組合のストライキはコミンテルンが裏で糸を引いているという疑念を資本家階級は強く持っており、政権にとってもナチス=ドイツよりもソ連を危険視する見方が強かった。

 

ミュンヘン会談
ネヴィル=チェンバレンもそのような宥和政策を継承し、さらにナチス・ドイツの領土的野心が露骨になる段階においても、一定程度の妥協をすることによってヒトラーを押さえ込むことが出来ると考えた。ヒトラーがオーストリア併合を実行し、ズデーテン地方の割譲を要求すると、民族自決というヒトラーの掲げる大義名分に反論することなくそれを容認した。1938年9月のミュンヘン会談ではフランスのダラディエに働きかけ、宥和政策によってヒトラーの要求をのみ、それに以上の侵略行為を阻止出来ると判断した。ネヴィル=チェンバレンの判断は、当時においてはヨーロッパの平和を維持するための現実的で勇気ある判断として大いに評価され、ミュンヘン会談を終えてロンドン空港に帰ったチェンバレンはイギリス国民から大歓迎を受けたのだった。

 

※管理人の補足

補足しますと、「ズデーテン地方」とはチェコスロバキアの領土であり、チェコスロバキアの主権は無視され、ドイツ領となりました。その後、ドイツ軍はチェコ全域を占領し、スロバキアを独立させドイツの保護国になり、チェコスロバキアは解体されました。

 

チェンバレンの誤算

 しかし、ミュンヘン会談のチェンバレンの判断はドイツ人の民族自決を認める一方で、主権国家であるチェコスロヴァキアとチェコ人の民族自決を無視するという最大の誤りの上に成り立っていた。また、議会制民主主義の破壊、国内での人権や自由の無視というヒトラーの独裁政治にたいしても無批判であり、単なる国家間取引で平和を維持出来るという楽観的な誤りであった。その背景にはソ連を危険視する前提があったことは確かである。結果として、ミュンヘンでのチェンバレンの判断はヒトラーの野心を野放しにするという、決定的な誤算となって現れた。

 

結果論と言えるかもしれませんが、ナチス・ドイツの領土的野心が露骨になる段階においても、イギリスが一定程度の妥協したことが第二次世界大戦の原因であり、イギリスが戦争を覚悟してでもナチス・ドイツの要求を拒絶してならば、第二次世界大戦は防ぐことができたとされています。勿論、イギリスが強硬姿勢でナチス・ドイツの「ズデーテン地方」の併合を拒絶したとしても戦争になったかもしれませんし、イギリス国民が強硬姿勢を支持しなかったかもしれません。しかし、妥協すれば戦争を防ぐことができると考えた結果が国民を更に大きな戦争に巻き込む結果になったと言えます。話し合いでの解決は、耳触りの良い言葉ではありますが、それは理想論でしかないことを歴史は教えてくれます。

 

更に付け加えますと、当時のヨーロッパの情勢は、複雑であり、ここで簡単に要約できる話でありませんが、ナチス・ドイツに解体され、併合されたチェコスロヴァキアがナチス・ドイツに対抗できるだけの軍事力があれば、歴史は変わってたかもしれません。あまり知られていない話ではありますが、ナチス・ドイツがスイスに攻め込まなかったのは、攻め込んだ場合の自国の被害の大きさを考えたからであり、スイスが永世中立国であったことが理由ではありません。つまりスイスは武装中立であり、ナチス・ドイツに攻め込まれても自国を守るだけの備えを用意していたから独立を守ることができたのです。現代でもスイスはその伝統を守り、武装中立の国です。

 

参考サイト

永世中立国スイスの美しい景色にカモフラージュされた軍事施設の写真いろいろ こちらから

 

 

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at 09:46, 星 良謙・子授け地蔵, 管理人のひとりごと

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