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困った上司7(星)

前回は「部下の意欲を奪う上司」を取り上げましたが、今回は「部下の仕事を奪う上司」を取り上げたいと思います。どちらのタイプも管理職としては失格であり、管理職に求められる能力が欠落している上司と言えますが、前回の「部下の意欲を奪う上司」とは少し違うタイプとなります。管理人が会社勉めをしていた頃の印象として「部下の意欲を奪う上司」は、曲がりなりにも実績を残して管理職になっていることが多いのに対して「部下の仕事を奪う上司」は人材不足から管理職になっているのではないかと思います。

 

従業員数が100人以下の中小企業の経営者が抱えている共通する悩みの一つが優秀な人材が不足していることです。勿論、中小企業にとっては、優秀な人材を確保することは至難の業であり、優秀な人材を確保できないことが企業の成長を阻害していることが少なくありません。そのため、従業員の社員教育を充実させる必要がありますが、大手企業とは異なり、社員教育をするだけのゆとりがないことも人材が育たない要因でもあります。しかし、優秀な人材が不足しているとしても一定数の管理職は必要となることから本来であるならば、管理職としては能力不足と思われる人材を管理職にしなければならないことになります。

 

能力以上の役職に就くことは、本人にも不幸であり、会社にとっても損失になりますが、企業が組織である以上は避けられない事であると言えます。このような矛盾とも言える状況の中で管理職となった場合に起きるのが今回取り上げる「部下の仕事を奪う上司」となります。役職としては課長・課長代理・係長・主任など色々ありますが、部下として抱える人数は会社規模で大きく異なります。そのため、企業の規模を無視して同一に語ることはできませんが、「部下の仕事を奪う上司」は自分の部下の仕事を奪うことは共通しています。

 

課長や課長代理ならば係長の仕事を奪い、係長ならば主任の仕事を奪い、主任は平社員の仕事を奪います。本人は、忙しいからとか任せていられないからとか理由を並べますが、本当は役職に見合った能力がないことが理由です。本来ならば、部下に任せるべき仕事は任せて役職に見合った仕事をすべきなのですが、それができないことから部下の仕事を奪うことで自分の仕事を確保していると言えます。能力のない管理職は、自分に能力がないことを自覚していることから仕事量を増やすことで管理職としての立場を守りたいと考えることもできますし、自分に管理職としての能力がないことを自覚したくないことから仕事量を増やすことで現実逃避しているとも考えることもできます。これは本人にとっても不幸な話であり、哀れと言えば哀れな話ではありますが、こんな上司を持つ部下とっても哀れな話となります。

 

自分の上司が役職に見合った役割を果たさない場合には、部下が上司の役割の一部を果たさなければならなくなります。例えば、本来であるならば、上司が決済しなければならない事案でも上司が頼りにならないとなれば、部下が自分の判断で決済しなければならなくなり、責任の所在が曖昧となります。こうなると形式上は組織であっても個々の社員が自分の判断で仕事をしなければならなくなり、組織が組織として機能しなくなります。

 

これは中小企業や零細企業に多く見受けられることであり、形式上は会社組織にはなっていますが、権限や責任が曖昧であり、何か問題が起きても責任の所在が曖昧となり、結局誰も責任を問われないことになります。このような状態に陥りますと、会社としての方針は無視されるか、明確な会社の方針は存在せず、掛け声だけの方針となります。つまり会社と言っても個人商店の集まりのような状態となり、個々社員が好き勝手に動くようになります。これは無能な管理職にとっては非常に居心地のよい環境であると言えます。形式上は会社組織ではあっても実質は個人商店の集まりてあるならば、管理職は明確に責任を問われることもなく、好き勝手にやっていられることになります。そのため、このような会社では責任の所在や権限の範囲を明確化することを非常に嫌う傾向があります。

 

責任の所在や権限の範囲を明確化することは、会社組織の前提ではありますが、常に人材不足に悩む中小企業においては非常に難しいことではないかと思います。管理職としては能力不足ではあっても取り敢えずは、実績を残してくれる社員を頼らざるを得ないのが中小企業であり、経営者が中堅社員の顔色を窺うことはよくある事です。しかし、部下としては誰に許可を求め、誰に判断を仰げば良いのかすらも明確ではなくなります。取り敢えずは上司にと思って話をしても上司の個人的な考えはあっても会社としての考えはないことになることから優秀な人材が育つ可能性は低くなり、いつまで経っても能力不足の管理職に頼らなければならない状況が続くことになります。

 

それでも売り上げが伸びている状況ならば、大きな問題はなく過ぎていくことが多いのですが、社会情勢が変化するなどの理由で従来の方法が通用しなくなった場合には、企業は衰退することになります。そのため、管理職としての能力が不足している人間を管理職にすることの弊害は大きいと言えます。

 

 

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at 11:58, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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困った上司6(星)

霊障の話ばかり書いていると気が滅入りますので、気分転換に仕事の話を書こうかと軽い気持ちで「困った上司」について書き始めましたが、今回で6回目となりました。何回まで続けるのかも決めていませんが、暫くは続けようかと考えています。何分にもコメントが滅多にないブログですが、ご希望があればコメントでお知らせください。

 

さて、今回は「部下の意欲を奪う上司」を取り上げたいと思います。経営能力のない人間が経営者になることは、本人にも従業員にも悲劇ですが、管理能力のない人間が管理職になることも負けず劣らず本人にも従業員にも悲劇となります。管理人は会社勤めが長かった人間ではありますが、幸か不幸か部下を持ったことがありません。同世代の仲間が何らかの肩書きを持つようになった年齢の頃に働いていた職場は、小規模な営業所であり、上司だ部下だと言うような職場ではありませんでした。その後も同じ様な状況が続き、今の仕事を始めましたので、部下を持ったこと機会はありません。

 

そのため、部下を管理することに関して偉そうなことを言える立場ではなく、自分自身も人に干渉することも人に干渉されることが苦手な人間ですので、何人もの部下を抱え、管理する立場になったならば、悩んでいたと思います。その意味では、部下を持つことなく過ごすことができたのは幸せであったと思います。しかし、占い師の仕事は、占いだけでなく、アドバイスも重要なことですので、指導と言えば指導と言えますが、上司と部下の関係ではありませんので、別の意味での苦労はあります。

 

話を戻しますと、管理職に求められる能力は、部下に適切な指示を与えて部下を管理することではないかと思いますが、一番大切なことは部下を育てることではないかと思います。しかし、世の中の多くの管理職は、部下を指導しているつもりでも部下の意欲を奪うだけでなく、部下の才能を潰している印象があります。その理由を考えると管理職の人間としての器の問題ではないかと考えるようになりました。器の問題と書きますと、あまりに漠然としているので、もう少し具体的に書きますと。部下の才能や実績に対して嫉妬することなく、部下の活躍を喜べるか、部下の才能や実績に対して嫉妬するかの違いです。

 

このように書きますと、部下の才能や実績に対して嫉妬して優秀な部下を潰す器の小さい人物となりますが、部下の才能や実績に対して嫉妬することなく、部下の活躍を素直に喜べる管理職の方が珍しい印象があります。大半の管理職は、部下が優れた実績を残すようになりますと、最初は喜んでいても次第に部下の実績に嫉妬するようになります。そして部下の仕事の粗探しを始め、部下の意欲を削ぎ、その才能を潰すことに全力を傾けるようになります。そして部下が仕事に対する意欲を失い、平凡な実績しか残せないようになると安心します。

 

部下を潰す管理職の理由をもう少し考えますと、嫉妬心の裏には自分の立場を脅かされる恐怖心が隠れていると思われます。これは多くの方が持つ心理であり、経営者であっても例外ではないようです。経営者ならば、社員が優れた実績を残すことを素直に喜びそうなものなのですが、従業員が期待以上の実績を残すと、その実績に嫉妬して難癖をつけ、仕事に対する意欲を失い、平凡な実績しか残せないようにする傾向があります。特に自分が正しいと信じている方法とは異なる方法で実績を残すと、この傾向は一層顕著になります。

 

これは企業にとっては大きなマイナスであり、企業の発展を大きく阻害する要因ではありますが、当事者には自分が部下の才能を潰しているとの自覚が全くなく、部下を指導していると信じ込んでいることが多いようです。もっとも、自分が部下の才能に嫉妬しているだけでなく、自分の立場を脅かされることに恐怖を感じていることを自覚できるならば、部下に嫉妬することもないと思われます。いずれにしても対応が難しい上司となります。

 

過去に読んだ本には、上司に花を持たせることを心掛けることを対策として書いてありましたが、大きな商談の際に話を詰めておいて上司に花を持たせることは可能ですが、実践するのは楽ではないと思います。有能な上司ならば、部下が花を持たせようとしていることを承知して立ち回ってくれることも期待できるのですが、無能な上司の場合には、下準備をすべてぶち壊して相手を怒らせてしまうこともあります。これは自分のやり方にこだわったり、自分が優秀であることを見せようと土壇場になって条件変更をしようとしたりすることが原因でした。

 

これに対して部下の能力を伸ばす上司は、部下と実績や能力で張り合うことのない上司であり、部下の意欲を高めることこそが管理職の仕事であることを理解している上司となります。しかし、こんな上司は少ないのが実情であり、素直に部下の活躍を喜ぶことができる上司は少ない印象があります。管理人の経験を書くならば、ほどほどの成績を残すように心掛け、上司をなるべく刺激しないようにする程度のことしかできませんでした。最後に付け加えるとするならば、部下の意欲を高め、部下の才能を伸ばすことが管理職に求められる能力ではありますが、理想の上司とは、自分よりも才能のある部下を使いこなすことができることではないかと思います。

 

 

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at 23:49, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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困った上司5(星)

前回の投稿では、自分のやり方に頑固にこだわり、時代の変化に対応できない経営者について書きましたが、今回は別の意味で決断できない経営者について書きたいと思います。一般的に決断できないタイプを優柔不断と表現しますが、管理人の経験では、ワンマンな経営者の跡取り息子である経営者に多いタイプでした。前回は、創業者の経営者と息子が経営方針を巡って対立する場合の話を書きましたが、ワンマンな親の意向に逆らえない息子が唐突に経営を引き継いだ場合に多いタイプでした。

 

会社を創業して小さいながらも成功した経営者の多くは、ワンマンな場合が多く、死ぬまで経営の実権を握り続け、跡取り息子にも何も経営に参加させない場合が少なくありません。このような場合の多くは、息子と言っても求められるのは、親である経営者の指示に従う立場であり、肩書だけは役員でも仕事内容は従業員と大差がありませんでした。そのため、このようなワンマン社長が急病なとで他界した場合には、跡取り息子は経営者としての準備もないままに経営を引き継ぐことになりますが、後を継いだ跡取り息子の経営者は、自分では何も決められない優柔不断な経営者となりやすい傾向があります。

 

これは何も経営者に限られた話ではなく、高圧的な親に育てられた子供や過保護な親に育てられた子供にも言えることです。つまり、親が子供の自主性を無視して子供は親に従っていれば良いと言った育て方をするならば、子供はいつも親の顔色を窺う子供となり、子供が自分の考えを持つ機会を失うことになります。また、親が子供を過保護に育てるならば、子供の人生は与えられたレールりの上を走る電車となり、自分で試行錯誤を繰り返す機会を失います。しかし、親が子供に対してお前も大人になったのだから自分の人生は自分で決めろと迫っても自分が何をしたいのかも分からず、混乱します。

 

いつも親の科顔色を窺い続け、親の期待に応える事だけを求められた子供やいつも親が敷いてくれたレールを走ることしか知らない子供が健全な自我を持つことは難しく、自分で決めろと言われても自分では何も決められません。これは、奴隷が突然「これからは自由だから自分の好きなところへ行け」と言われているのと同じであり、何の準備もないままに放り出されるのと同じことでしかありません。その結果が「産んでくれと頼んだ覚えはない」との言葉となります。

 

さて、話を戻しますと、経営者と従業員に求められる能力の違いは、決断力と結果責任ではないかと思います。勿論、どちらの道を選ぶか判断によって会社の命運が決まるような重要な判断が求められる際に安易な考えや本人の思い込みで決断するのは、論外となりますが、どちらの道を選んでも大きなメリットと大きなリスクが伴う場合には、考えれば考える程、決断できなくなるのが普通です。そのため、最終的には経営者が決断しなければなりませんが、最悪なのが決断できないままに結論を先延ばしすることです。

 

即断即決が良いとは考えませんが、経営においては、最悪の場合を覚悟して即断しなければならない場面が数多くあります。大手の会社ならば、日常的な仕事内容でも管理人が勤めていた零細企業の場合には、受注の際に不安が伴うことはいつもの事でした。特に新規の顧客を開拓をした際に担当者から「これできるか?」と言われた見本を見ながら様々な不安が頭をよぎりながらも受注していました。勿論、会社に帰ってから外注先との打ち合わせに奔走していました。

 

では、どうして不安を抱えながらも受注したかと言えば、その場で快諾しなければ次がないことは分かっていたことが理由です。発注する側としては、何らかのメリットがなければ、現在の発注先を変更する必要はありません。そのため、挨拶代りに打診した仕事で悩んでいるようでは次がありません。そこで不安を感じながらも不安を感じていないように装うことを心掛けていました。

 

これは逆の立場になれば嫌でも分かることでした。自社ではできない大きな仕事が決まり、外注先を探したことが何度かあります。電話で相手に仕事内容と数量、納期を伝え、外注の打診をしますが、当時は景気が悪かったことから納期までの時間がない急ぎの仕事でも2社か、3社に打診すれば、外注先は直ぐに見つかりました。その際に良く聞いた言葉は、「明日は無理だけど、明後日ならば大丈夫です。」と言った返事でした。

 

こちらとしては、納期がありますので、次の候補の外注先に打診します。相手もそのことが分かっていることから「明日は無理だけど、明後日ならば大丈夫です。」と何とも残念と言った返事となります。ことらは、相手にも仕事の予定があるのは当然であることから断られたからと恨む気持ちはなく、次回に同じような話があれば、再び打診します。しかし、考えさせてくれと言った返事の場合には、即断できない業者であるとの印象しか残らず、信用を失う結果となります。

 

しかし、決断できない人は、即断即決ができません。迷って迷って考えた末に返事をしようとするのですが、返事をする頃には既に発注先は決まってしまっていることになります。これは急ぎの仕事でなくても同じことです。外注に限らず、発注する側としては、何社かに打診しますので、相手はいつまでも待ってはくれません。そのことを繰り返し話しても決断できない人は、直ぐに結論を先延ばししようとします。

 

その理由を色々と考えてみましたが、決断できない人は、人生において自分で決断した経験がないことが理由ではないかと考えるようになりました。この様に考えるようになった理由は、決断できるかどうかは、年齢に関係なく、家庭環境にあると考えるようになったこと、決断することを恐れる人は、判断の結果の責任を問われることに怯えることでした。そして更に根底にある決断できない理由を考えた結論が、最初に書きました「息子と言っても求められるのは、親である経営者の指示に従う立場であり、肩書だけは役員でも仕事内容は従業員と大差がない」ことです。

 

つまり決断できない人は、常に誰かの指示に従って生きている人であり、自分の意志で自分の人生を生きていないことから自分の意志を持つことができず、自分の意志で生きていないことから自分の意志で判断することに対して極端に怯えるのではないかと考えるようになりました。簡単に書きますと、親離れできない子供と同じであり、中年であろうが、初老であろうが関係がないと考えるようになりました。勿論、心理学を深く学んだ経験もないことから心理学的な見解とは異なるのかもしれませんが、この考えを更に突き詰めますと、管理人の守護霊の教えとなります。

 

では、決断できない人がどうすれば決断できるようになるかが問題となりますが、必要以上に失敗を恐れないことが大切となります。しかし、それが分かっていてもできないで困っているとの声が聞こえそうですが、個人的には繰り返し訓練するしかないと考えています。勿論、心理カウンセラーならば、もっと適切なアドバイスをされるかもしれませんし、成功するイメージを繰り返しイメージトレーニングすることも良いのかもしれませんが、自分で考えて判断することに慣れることが大切ではないかと思います。

 

 

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at 15:40, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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困った上司4(星)

前回と前々回は、「突撃絶叫上司」を取り上げましたが、今回は真逆の「石橋を叩いても渡らない亀経営者」について取り上げたいと思います。石橋を叩い渡ると言う諺がありますが、このタイプの上司は、石橋を叩いても渡らないタイプであり、人の話を聞かない頑固さがあります。自分の信じる道を突き進むのは、本人の自由ですが、経営者となると話は違ってきます。人の話を聞かず、自分の信じる道を突き進むのは本人の自由ですが、その方針が間違っている場合には、企業の経営危機を招きます。

 

このように書きますと何か特別な事例のように思われるかもしれませんが、頑固一徹の職人気質の経営者と書けば、納得される方も多いのではないかと思います。「頑固一徹の職人気質」と書きますと褒め言葉とも言えますが、これは腕の良い職人だけに通用す言葉であり、長年その業種で働きながらも二流三流の技術しかないならば、ただの人の話を聞かない頑固でしかありません。何が違うのかを考えますと信念の違いではないかと思います。良い物を作るためには妥協しない信念を持つならば、「頑固一徹の職人気質」と言えるのでしょうが、実際には根拠のない思い込みとと劣等感の裏返しと思われる妙なプライドにこだわっているだけにしか過ぎない印象があります。

 

このタイプの方は、自分を過大評価する傾向があり、自分は一流の仕事をしていると自負していることが多いようなのですが、客観的に見るならば、その仕事内容は二流三流の仕事でしかなく、本人は真面目に努力していることは分かってもただの不器用でしかないと思うことが大半でした。それでも仕事が真面目ならば、市場が拡大している時代には、それなりの実績を残すことが可能なためか、零細企業や中小企業の経営者に多く見受けられました。しかし、市場が成熟期を迎えたり、市場が変化したりするなど、従来の仕事内のやり方では通用しなくなると弊害が目立つようになります。

 

実は、高度成長期に創業した経営者には、このタイプの経営者が少なくありません。管理人は、今から20年から30年前には創業者の経営者と息子との間で経営方針を巡って対立しているとの話を何度か聞きました。その大半は、従来の慣習にこだわる経営者と時代に即応しようとする息子の対立でしたが、家族経営や同族企業ならばどこにでもある話でした。時代の流れに取り残された創業者と後継者の焦りと言うべき構図でした。その当時に度々耳にした話が、従来の手法を守っているならば、親父の代は経営は成り立っても将来は危ういとの話でした。

 

簡単に書きますと後10年は今のままでも経営は成り立っても、その先はないと焦る息子と経営者の立場に固執する親との対立でした。これはいつの時代にもある話であり、時代の転換期には頻繁に起こることです。また、真面目に努力していたとしても社会の変化で衰退する業種は数多くあり、従来の経営方針が通用しなくなることは、珍しいことではありません。例えば、今から40年前にはレンタルビデオ店が急成長している時代でしたが、今ではネットに押されて衰退しました。また、個人経営の薬局、酒屋、雑貨店、文房具店、魚屋、八百屋などのように街から消えた小売店は数多くあります。

 

これらの小売店が街から消えた理由は異なりますが、個人経営の薬局に替わって大型のドラックストアーが乱立していますし、個人経営の酒屋は激減しましたが、スパーやコンビニにはお酒が並んでいます。つまり取り扱われている商品の販売形態が変わったと言うべきではないかと思います。酒屋を経営していた知り合いは、いずれ従来の酒屋では経営が成り立たなくなるとコンビニに転業しましたし、薬局を経営していた知り合いは、整体院を併設しました。また、喫茶店を経営していた知り合いが3人ほどいましたが、2人は廃業し、1人は廃業はしないが、現状維持が精一杯との話です。

 

これは小売業に限られた話ではなく、製造業でも同じです。製造業に従事している知り合いからも同じ様な話は聞いていますし、職人の世界でも同じような話はあるようです。以前にテレビで塗り物の新しい可能性を模索している職人が名人と呼ばれる父は、仕事に困ることはないが、従来の商品の需要が減少していることから新しい分野の商品を開拓しなければ、経営が成り立たないと話をしていました。

 

いずれの業種も個人商店が経営努力しても資金力などの問題から状況を打開することは難しいことが少なく、思い切って業種転換をするか、廃業をするしかないことが大半ですが、どちらの道を選ぶかは難しい問題です。しかし、一番困るのは、どちらも選ばないことであり、現状維持です。廃業するのであるならば、資金的に多少なりともゆとりがある時に廃業しなければ、借金だけが残りますが、その決断ができずに借金を重ねる経営者も少なくないようです。

 

そのため、「突撃絶叫上司」も困った上司ではありますが、「石橋を叩いても渡らない亀経営者」は会社の経営を危うくする最悪の上司と言えます。堅実な経営を心掛けるのは悪い事ではありませんが、世の中が変化して従来の経営では通用しない現実から目を背け、亀のように自分の世界に閉じこもるだけでは会社を経営危機に追い込みます。

 

 

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at 06:21, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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困った上司3(星)

前回は、「突撃絶叫上司」について書きましたが、実際の戦闘において「突撃」や「総攻撃」を命令するタイミングを的確に判断することは非常に難しいと書かれていたことがあります。「突撃」や「総攻撃」は使い方によっては大きな成果を得ることはできますが、判断を間違えますと、成果の割には被害ばかりが大きくなります。敵が万全な備えをしている陣地に対して何の策もなく、突撃を繰り返すならば、被害ばかりが増えるだけであり、成果は期待できるはずもありません。前回取り上げました「突撃絶叫上司」は一年中突撃を命令している指揮官と言うべきでしょうか。

 

「突撃」や「総攻撃」で大きな成果を得る条件は、敵の勢力が破綻寸前であり、辛うじて戦線を持ちこたえている場合です。このような戦況の場合には、一気呵成に責め立てることで敵の戦線は総崩れとなり、大戦果を得ることが可能となります。しかし、判断を誤り、必要以上に慎重となり、攻撃を控えて戦力の温存を優先しますと、敵が戦線の建て直しを図ったり、援軍が到着したりと弱っていた敵の勢力が強化されてしまうこともあります。

 

これは戦闘行為に限られた話ではなく、仕事にも言える話ではないかと思います。前回取り上げました「突撃絶叫上司」は一年中突撃命令だけを命じている指揮官と同じと言えます。勝機もないのに突撃を命令するならば、戦果を得られたとしても被害が大きくなるのと同じように上司が叱咤激励しても成果を残すことが難しくなります。このような「突撃絶叫上司」が成功できるのは、高額な成功報酬が約束された営業だけではないかと思います。

 

高額な成功報酬を約束された営業の場合には、部下は成功報酬を得るために自分で考えて働きますので、上司のやるべきことは限られていると言えます。但し、営業成績が残せない社員は退職するしかありませんが、高額な成功報酬が約束されているならば、人は集まりますので、企業としては成り立ちます。今から40年以上前ならば、こんな会社は数多くありました。30人・40人採用されても半年を過ぎる頃には、半分は退職して20人以下となり、1年後に残っているのは、10人以下とあり、2年後に残っているのは5人以下が当たり前でした。

 

入社後の初めての賞与が支給されると新入社員の半分は退社、そして冬の賞与が支給されると更に半分が退社、つまり半年毎に同期の社員が半分となるのが営業の世界でした。こんな話が珍しくないのが40年以上前の営業の世界であり、30年前位から徐々に変わり始めた印象があります。これは消費者との対面での営業の世界においては、高度成長期を経験した管理職が引退し始めたことが大きいと思われますが、ルートセールスの世界においては通信や物流にコンピューターが導入され、受注や物流が大きく変化したことの影響が大きいのではないかと思います。

 

ルートセールスの場合には、在庫管理や受注管理にコンピューターが導入され始めたことで、昔ながらの営業が通用しなくなったのですが、消費者との対面での営業の世界においては、高度成長期の生き残りのような「突撃絶叫上司」がまだまだ残っているようです。このタイプの上司の営業活動は、良く言えば熱意と言えるのでしょうが、実態は押し売り同然の営業が多い印象があります。これは強引とも思えるような営業こそが熱意と努力であると考えていることが理由と思われますが、それでも売り上げさえ残してくれるならば、企業にとっては優秀な営業となります。

 

私の知り合いが、このタイプの営業を焼畑農業と言っていました。焼畑農業は、林や森林を焼き払い、焼いた灰を肥料として作物を育てるため、1年から数年間は耕作した後、数年以上は耕作ができなくなるのと同じように、一つの職域などで強引とも言える売り方をすることから常に新しいお客を探さなければならないと言っていました。この営業方法は、ルートセールスのように固定された顧客を相手にする場合には、あまり使えない営業方法ではありますが、人によってはこの方法で営業成績を残している場合もあります。

 

押し売り同然の強引な押し売りをするならば、短期的には売り上げは伸びますが、売り上げは頭打ちとなります。しかし、受け上げが頭打ちになったならば、担当地域を変えてもらうにならば、次のお客に押し売り同然の営業をすることで営業成績を残すことは可能です。勿論、自分の都合で担当地域を変更することが可能な立場になければ、こんなやり方は通用しませんが、要領よく立ち回ることができる立場ならば、可能な方法です。当然のことながら後を引き継いだ営業は、強引な営業の尻拭いをさせられることになり、売り上げを伸ばすのに四苦八苦となりますが、会社は数字しか見ていないことから意外と社内の評価は高いことが多いようです。

 

しかし、営業の世界は正解は一つでなく、強引な営業であろうとも優秀な成績を残すことができるならば、それが正解と言えます。また、強引とも言える営業で成長した企業も数多くありますので、一概に批判はできませんが、管理人には馴染めない営業です。

 

 

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at 13:14, 星 良謙・子授け地蔵, 経営

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