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ファンシーショップと霊能者(星)

最近、野球のことを考えないようにしております。
負け続けているときこそ応援するのが本当のファンだと言いますが・・・
( ̄〜 ̄;)ウーン・・・
そこまでの気持ちはないと言うか?

後は、山本昌が200勝して名球界入りすることをだけを楽しみにします。
o( _ _ )o ショボーン

この話はこっちにおいといて\(-_\)(/_-)/

それはさておき・・・・
管理人は昔、ファンシー文具の業界にお世話になっていた時期があります。
今では、すっかり見かけなくなったファンシーショップですが、当時はファンシーショップが全盛期の時代でした。

そんな時期ではありますが、へそ曲がりな管理人は、ファンシーショップがいずれ廃れるのではないかと考えていました。この理由は、当時のファンシーショップのあり方を考えたときにその品揃えに抱いた疑問からでした。

当時のファンシーショップの商品構成は、主にキャラクター商品と呼ばれる文房具や雑貨であり、キャラクター商品がなくては成り立たない店が大半でした。しかし、キャラクター商品と言われる商品はなくならないとしても、ファンシーショップが生き残れるのだろうかとの疑問を抱いていました。

キャラクター商品とは何かを考えますと、一般的な文房具や雑貨にキャラクターを加えた商品が大半でした。そのため、キャラクターに人気がなければ、キャラクター商品としての価値はなくなります。また同じキャラクターのゴミ箱でも、ファンシーショップに並んでいれば、キャラクター商品となり、ホームセンターに並べば、雑貨となります。

では現実に何が起きたのか、ファンシーショップが衰退し始めた時期には、管理人は業界を離れていたことから詳細な理由は分かりません。少子化やブームの終焉、百円ショップの登場など幾つかの理由は考えられますが、その理由の一つにキャラクター商品の一般化があるのではないかと思います。

その背景を少し解説しますと、ファンシーショップの全盛期には、市場にはキャラクター商品やファッション雑貨と言われる商品が取り扱う小売店があまりない状況でした。そのためファンシーショップが繁盛したと言えますが、一般の市場にキャラクター商品やファッション雑貨が溢れるとファンシーショップの存在意義は薄れました。

つまり量販店や専門店にキャラクター商品やファッション雑貨が、当たり前のように並ぶようになると価格や品揃えで見劣りのするファンシーショップが競争力を失ってしまったのではないかと思います。

管理人は、職業としての霊能者もファンシーショップと同じではないかと思うことがあります。ただファンシーショップの場合には、量販店や専門店にキャラクター商品やファッション雑貨が、当たり前のように並ぶようになったことで衰退したのに対して、僧侶、神職、祈祷師などの宗教家が心霊現象を否定するようになったことで、職業としての霊能者が活動できるようになったのではないかと思います。

職業としての霊能者の活動内容を考えますと一般的に霊視や除霊や浄霊、ヒーリングなどですが、除霊や浄霊を供養や祈願、ヒーリングを病気平癒や身体健全の祈願に置き換えて考えるならば、僧侶、神職、行者、祈祷師などの宗教家の活動とかなり重複するのではないかと思われます。

しかし、僧侶、神職、行者、祈祷師などのすべてが心霊現象を否定されているわけではなく、また強い法力を持たれている方も少なからずおられます。そんな方々を霊能者とお呼びすることは失礼かと思いますが、実質的には霊能者と言えることから、霊能者をどのように定義すべきかといつも悩みます。

at 00:56, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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本物の霊能者(星)

暫く前のことですが・・・・・
本当の霊能者はいるのだろうかとの話となりました。
え、誰との話していたか?
そんなことは聞かないで下さい。f(^^;) ポリポリ

それはそれとして・・・・
世の中では90%以上の霊能者は危ないと言われています。
人によって99は%の確率で危ないと言う人もいるようです。
しかし、誰かが統計調査したとも思われず、風評でしかないと言えばそれまでなのですが、それだけ世の中の霊能者は信用されていないと言うことでしょうか?

管理人は別に霊能者として除霊や浄霊・霊視などは行っていませんが、怪しげな占い師と言うところでしょうか。
怪しげな占い師も怪しげな霊能者も大差ないような( ̄〜 ̄;)?? 

それはさておき・・・
では「本当の霊能者はいるのだろうか?」との質問にどう答えたのかと言いますと・・・
「本物の霊能者は霊能者ではない」と何とも禅問答のような答えとなりました。
「?」が頭の中に山積み状態になった方も多いのではないかと思います。

少し解説をしまますと、霊能者とは何かとの疑問から書かなければなりません。
心霊世界で当然のように使われている言葉は、非常に曖昧であり、言葉だけのイメージが独り歩きしている気がします。

例えば、憑依と言う言葉がありますが、実に曖昧な気がしています。医学的な見地や民俗学などの見地から定義されているようですが、心霊現象として何が起きているのか明確な定義もなければ、各種の精神疾患や薬物の影響から起きる幻覚との区別すら明確ではないと感じています。

勿論、霊能者の大半が精神疾患の患者であると言うつもりもありませんが、各種の精神疾患を患っている可能性があるのではないかとの疑ってしまう人もいます。また実際に何らかの心霊現象を体験しているとしても悟りの段階の低い心霊の影響を受けている可能性もあります。

更に心霊と話ができることや霊視ができるだけならば、霊媒体質に悩む人も霊能者となってしまいますので霊能者とはどのように定義すべきなのかが明確ではないと言えます。そのため、このブログを立ち上げるときに霊能力を心霊現象に対応する能力と勝手に定義しました。そしてその能力を持つ人間を霊能者と定義してみました。

しかし、この定義ですと少しばかり厄介なことが起きます。この定義では霊能者として活動されていない方も霊能者の範疇になってしまいます。そのため、「本物の霊能者は霊能者ではない」との言葉になってしまいます。管理人は過去に何人かの霊能者と呼ばれる人に会ったことはありますが、本当に凄い能力を持つ霊能者は霊能者として活動して活動されていませんでした。また凄い霊能力を持ちながらもご本人は霊能力とは無縁であると考えられている方も少なくありませんでした。

前置きばかりが長くなりましたが、管理人がこの人は凄いなと感じる力を持っておられると感じた人々の大半は、各宗旨の僧侶の方や神職の方ばかりです。それらの方々はお話をさせて頂く機会があっても心霊のことについて語られることもなく、逆に憑依などの心霊現象について否定的な意見をお持ちの方が少なくありませんでした。

しかし、それらの方々の話を聞いていますと憑依などの心霊現象について否定的な意見をお持ちではあっても神仏の存在を否定されているのではなく、先祖の因縁や不成仏霊などの言葉に踊らされることを嫌っている方々であるとの印象がありました。そのため、霊能力と言うよりも法力を持つ人々と言うべきではありますが、さすがは本職と感じた方々が何人かおられます。

それらの方々は、霊視をされて病気や家庭不和の原因は何々の霊ですとか、亡くなられた誰々がこんなことを言われていますとかは言われません。しかし霊障の問題を解決することが目的であるならば、その原因を知ることは大きな問題ではないと思います。

at 00:08, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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霊能力と劣等感(星)

ルーキーではありませんが・・・・
中日ドラゴンズの川井投手が初勝利・・・・V(^-^) ヤッタ♪
まさか、巨人の内海投手に投げ勝つとは・・・(^−^)//"" パチパチ
これで巨人戦は2連勝です。┌( ̄0 ̄)┐ウオーホッホッホッホ
と威張ってみても仕方がないのですが・・・

が、しかし・・・・
そう言えば、山本昌投手はどうなっているか?
200勝に手が届かぬままに終わってしまうのか、少しばかり心配しております。

それはさておき・・・・
本題に入る前に業務連絡を少しさせて頂きます。
「開運の扉」に掲載しております「開運の方法」に関する「よくある質問」を加筆やリンク切れの訂正などをしています。またタロット・カードとトランプ占いに関しては料金体系を変更しました。

尚、今後は鑑定例の掲載して占いに興味を持って頂けるように工夫したいと考えていますので機会があれば、アクセスしてみてください。

さて、このところ心霊関係の話題や霊能力の話題をほとんど取り上げていないためか、アクセス数が一時期から比べますと半減しました。ブログを立ち上げた頃は、アクセス数も気にしていたのですが、最近ではほとんど気にすることもなくなりました。

管理人は霊能力は感受性の強さや肉体と精神のバランスなどが大きく影響しているのではないかと考えていますので、霊能力と悟りは密接な関係があるとしても表裏一体の関係であるとは考えていません。そのため、霊能力自体にはさほどの意味はないのではないかと思うことが数多くあります。

霊能力を持つならば特別な人間になれると考えられているのではないかと思うことは多いのですが、霊能力自体は一つの能力でしかないと言えます。例えば心霊の言葉を聞くことができる能力を持つとしても管理人からするならばそれは語学に堪能であることと大差がありません。

語学に堪能であり、外国人と不自由なく会話ができ、外国語で書かれた本を不自由なく理解できるのは有益ではありますが、それで誰も神に近い人間だとは思わないのではないでしょうか。管理人からするならば心霊と話ができることも外国人と話ができることも大差がないとしか考えていません。むしろ外国語に堪能な方が有益ではないかと考えます。

外国語に堪能であることが原因で人生を破綻させる危険性は非常に低いと思いますが、霊能力を持ったがために人生を破綻させた人間は数多くいます。そのため一定の悟りを得なければ霊能力に振り回されて人生を破滅させてしまう危険性が非常に高くなります。

そして多くの霊能者が自分は世のため人のために働いていると言いながら現実には人生を破綻させたり、不成仏霊に翻弄されています。その原因を考えますと本人に何らかの強い劣等感を抱いていることが原因ではないかと思われます。

別に霊能者になったとしても偉くなるわけでもないのですが、自分は特別な人間であり、神仏に選ばれた人間であるとの誘惑には勝てないようです。そのため言葉では慈悲を説きながらも激しい偏見や差別意識を持つ霊能者は多いようです。

これは何も霊能者に限られた話ではなく、現代の日本社会に蔓延している心の病気ではないかと思うことがあります。最近、話題になっているモンスター〇〇にしても強い劣等感の裏返しではないかと思えます。強い劣等感を穴埋めするために相手に無理難題を押し付けて自分の存在感を誇示しようとするのではないかと思われます。

逆に強い劣等感を自覚しいるがために心に壁を作り、現実から逃避して自分の世界に安住しようとする人も数多くいます。それが心の壁だけでなく、実生活に及ぶならば引きこもりとなり、精神世界に逃げ込み、世の中の価値観とは別の価値観の世界に安住するならばカルトになるのではないかと思われます。

また引きこもりやカルトとは無縁に生きる人でも心の中に要塞のような不幸と言う煉瓦の壁を築いて生きている人もいます。更に心の壁と言うよりも現実と空想の入り混じった世界に閉じこもっている人もいました。

管理人は心理学者でもなければ、精神科の医者でもありませんので心のメカニズムまではわかりませんが、心に壁を築いている人たちにアドバイスをしてもあまり意味がありませんでした。これらの人たちから相談を受けたとしても求めているのは同情や同意であり、意見ではありませんでした。つまり自分が築いた心の壁を壊すような考えを受け入れる気持ちはなく、自分の心の壁をより強固にする意見を求めているのではないかと考えます。

その意味においては霊能力は非常に危険です。心の中の世界であり、誰にも検証できない世界の話ですのでどんな聖人君子の生まれ変わりにでもなれれば、どんな偉大な使命を持つ人間にでもなれます。更に神仏として崇められたいと願う霊格の低い心霊が指導霊となることが非常に多いと言えます。

at 16:05, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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霊能者の落とし穴(星)

お彼岸も今日で終わりと言う事で、昨日は参拝に出掛けました。
途中、木蓮の花が咲いているのを見かけました。あまりにもきれいでしたので写真を写しました。とっても駐車スペースもない場所でしたので彼女に頼みました。(- .-)ヾ ポリポリ








木蓮が咲き始めると春を実感します。
管理人は桜よりもこの木蓮の花が好きなのですがへそ曲がりと言われそうな・・・・

ヽ(^^ヽ)ワダイヲカエテ(/^^)/

一般の方からするならば御神仏と云われる神霊から直接に言葉を聞けることは特殊な能力であり、限られた人間にだけ与えられた力であると思われているのではないかと思います。現実の問題としてはどんなに偉大な神仏がそこにおられても何も感じない方が大半であり、意識が朦朧とするほどの強烈な神霊スポットであるとしても大半の方は何も感じることもなく、日常の暮らしをされています。

すべては心の世界であることから何処にいても神仏に心は通じることも事実ではありますが多くの人々が信仰の対象としてきた聖地や修行の場所として受け継ぎ守られてきた聖地は神仏に心が通じやすい何かがあります。それが何かは管理人にも明確に分かるわけではありませんが参拝する意義もそこにあるのではないかと思います。

ただ前提として神仏に心が通じなければ何も感じることもなく、参拝しただけで終わりますが何かを感じなければ参拝する意義がないと考えるべきでもないと思います。参拝することで特に神仏のお力を感じることがなくとも継続することで自分の中で何かが変わり始めることは多いのではないかと思います。

参拝したときに何も感じなくとも日常の中にて神仏の働きを実感できるようになることの方が大切であり、日々の生活の中で神仏の働きを実感したときにこそ本当の感謝の気持ちを持つことができると思います。それができるならば神仏の言葉が聞けることにそれほどの意味はないのではないかと思ってしまいます。

こんなことを考えてしまうのは御神霊からの言葉に安易に頼ってしまうことの危険性を感じるからです。確かに御神霊のお言葉は的確であり、納得せざるを得ない内容です。もっともいい加減な内容ならば追い返してしまいますが(笑)

最初の頃は常に本当に御神仏の言葉なのだろうかと常に不安を感じていました。そのため以前は専門書を読み、その内容を検証していたのですが会話の中で唐突に降りてくることばの場合には検証しているゆとりもなく、言葉にしています。確かに言われている内容は高い見識を感じますので納得してしまうのですがこんなことを繰り返していたならば自分が慢心してしまうのではないかとの危惧を感じます。

ある著名な霊能者は神仏がすべて教えてくれるから何も学ぶ必要がないと言われてがその時には漠然とした疑問を感じましたが今考えると非常に危険な気がします。これは多くの霊能者が陥る落とし穴ではないか思います。

神霊の言葉を検証していたときには、宗旨の教えと神霊の語られた内容に矛盾がないかを調べていましたが、これは宗旨の教えと矛盾するならば神霊のお言葉を公開することで多くの人を惑わすことになってしまうのではないかと危惧したからでした。

しかし、宗教や心霊世界においては何が正しく、何が間違いであるかと決めることができない問題があまりにも多いと考えます。また心の問題においても正解を求めたとしても正解はなく、また百人いれば百通りの正解がある問いも多いのではないかと思います。そのため法然上人のお言葉であるから間違いがないとか、日蓮上人のお言葉であるからと間違いがないと考えるべきでもないと考えます。

神仏の働きは融通無碍であり、言葉で表すことができることができることには限界があります。しかし言葉にするならば言葉が独り歩きして言葉に囚われて本質を見失う危険性が常にあると考えます。同じ内容のことを異なる宗旨の神霊がそれぞれの立場から教えを説かれたことは何回かありました。

それはどの宗旨も本質的には同じ内容であり、その説き方が異なるだけであるとの実感は得られましたが言葉で教えを伝えることの難しさも痛感します。迷いの中にある人に対して説かれた神霊の教えは確かに適切であり、悩みの核心を突く言葉であるといつも感心します。しかし心の問題の多くは、答えを知ることが大切なことではなく、自分が気づくことが大切であると思われます。そのため神霊の教えもその気づきための言葉ではありますが、それを語っている自分はどこまで理解できているのだろうかと考えてしまいます。

神霊の語られた言葉はどれも悟りの言葉であり、貴重な教えではありますが、いつしか自分は神の代理人であるとの慢心となり、自分の説く教えに間違いがあるはずがないとの考えに陥り、転落する危険があると思います。その危険性を自分で説きながらもそのことに気づくことなく、慢心した新興宗教の教祖は数多くいます。そのため自分は神の代理人であるとか、神に選ばれた人間であるとか考えは持たないことにしています。

at 15:30, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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素朴実在論と霊能力信仰2



前回の記事を少しばかり補足しておきます。
引用した記事は長い文章の抜粋ですので引用した文章の趣旨が不明確になっていることは避けられないと思います。本当は全文を引用できれば一番良いのでしょうがそれでは著作権の問題が発生してしまいます。もっとも全文を入力できるほどの根気もありません。

既に絶版となっているようですが古本が流通しているようですので興味のある方は入手してみてください。割と面白い本です。

さて本題に戻りますと引用した文章は精神科医の斉藤環(さいとうたまき)氏が書かれた文章であり、記事のタイトルは『知の超訳にファック!もうやめよう「なんでも前頭葉」』です。そして紹介記事が【『精神と物質』で利根川博士から何を学んだの?脳内物質の働きさえちゃんと理解していないのに、なんで「私は、脳に相当くわしい」なんて言えるの?あなたの好きなヴィトゲンシュタインは/そんなこと言っていないって!知の翻訳家の駄法螺、誇大妄想、知的怠慢!】です。

またこの本のサブタイトルが「こんな仕事ぶり、なぜまかり通る!?/事実歪曲、知的怠惰、デタラメ解釈の証拠!」とのサブタイトルが示すような内容の本です。

前回も書きましたが管理人は立花隆氏にそれほど関心もないのですが唯物論の考え方と管理人の考えが非常に近いと感じたことから印象に残っていました。そこで以前から取上げたいと考えていましたが一部を抜粋したことから管理人の意図が今一つ不明確になったかと考えています。

実は前回、引用した文章の前にてこんなことが書かれています。
立花氏が時々言及するヴィトゲンシュタインについて、たとえば彼はこんなことを書いている(本の帯にまで記されている)。
「私は、ヴィトゲンシュタインの『語りうるものはすべて明確に語りうる』(『論理哲学論考』)という言葉の信奉者で、自分の特性は、むずかしいことをわかりやすく語ることにあると思って、この仕事を続けてきた」(『宇宙・地球・生命・脳 100億年の旅2』八頁、朝日新聞社)
 もちろんこの言葉は、「語りえないものについては、沈黙しなければならない」というヴィトゲンシュタインの有名な言葉と対になっている。しかしそれにしては、立花氏は、精神医学の項目でふれたように、あまりにも多くの「語りえない」たちについて饒舌すぎるのではないか・・・・といった批判はここではしないでおく。

立花隆「嘘八百」の研究 宝島社 P185

本ではここから暫らくヴィトゲンシュタインの有名な言葉の解説が続くことになります。そして引用した文章が続きます。そして究極の知への欲求の話が続いた後にこんな文章が続きます。

 そこでは科学が方法論ではなく、超越的な哲学の体系と化してしまう。未知の、しかし究極の知性がどこかに存在しうるという確信。科学は、その合理性ゆえに、必然的に未知の領域を伴う。その空白こそが、ボバーなんかが言う「反証可能性」の領域だ。その意味で科学は常に、暫定的な真理でしかない。つまり、科学は本来、「究極の知性」を必要としない。その意味で「わかればわかるほどわからない」が、正しい科学者のあり方のはずだった。

立花隆「嘘八百」の研究 宝島社 P189

これらのことは管理人がこのブログにて書き続けてきた立場に非常に似通っているとお気付きではないでしょうか。

「自分の特性は、むずかしいことをわかりやすく語ることにあると思って、この仕事を続けてきた」との言葉と同じようなことを言っている新興宗教の教祖は多いのですが管理人の過去の経験では良く言えば釈迦の教えを誤解しているだけであることが多かった気がしています。

また自分は神霊から教えを学んでいるのですべてを知ることができるとか言っている人や自分は六大神通力を具えているからすべてのことが分かると断言していた教祖もいましたが現実には教団内部で何が起きているのかすらも把握できなかったようです。

管理人はどんなに優れた霊能力を持っていたとしても分かることは一部でしかなく、またその分かることですら人に伝えることは難しいと考えています。管理人はお釈迦様が死後の世界のことについて多くを語られなかった真意は分かりませんが、「語りえないものについては、沈黙しなければならない」と同じお考えではなかったのではないかと思えます。

at 23:10, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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素朴実在論と霊能力信仰


久々の投稿ですが記事に入る前にブログのタイトルを変更したことについてご報告します。

最初は管理人が一人で始めたブログであり、また世の中の霊能者に対するイメージを少しでも変えたいとの気持ちもあって「霊能者のひとりごと」とのタイトルにしたのですが投稿者も増えたことや記事の内容も当初とは少し異なってきましたのでタイトルを変更することにしました。

他の投稿者とも色々話し合いましたが「半聖半俗」のタイトルにしました。聖職者と言うわけでもなく、また俗人と言うわけでもなくと何とも中途半端なタイトルではありますが、ぴったりかなと考えています。

それはさておき、既に絶版の本とはなってしまいましたが『立花隆「嘘八百」の研究』との題名の本がありました。別に立花隆氏を批判したくてこの本を紹介したのではなく、この本の中に面白い記事がありましたので紹介したいと思います。

 そうじゃないんだ。立花隆は、現代では珍しいくらいの「素朴実在論者」だ。そして素朴実在論と唯物論は、まったく異なる概念なのだ。
 これにはいろいろな理解の仕方があるけれど、僕の考えでは、そのいちばんの差は「物自体」を認めるか否か、という点に尽きると思う。唯物論者は「物自体」の存在から出発する。もっと言えば、物自体について不可知論から出発する。物自体はたしかに存在けれど、僕らは、それについて真実を知ることは決してない。僕らにできることは、物自体によって触発されたり、それが及ぼすさまざまな効果の幻影を見ることだけ。それが唯物論者の出発点だ。ここでは立花氏がおそらく目指しているような「究極の知」の決定的な不可能が、正しく唯物論を根拠づけることになる。
 そして、だからこそ唯物論者は、実体を持たない「こころの働き」について多くを知り、語ることができる。僕がふだんから頼りにしているラカンの精神分析にも、そういう意味では唯物論的な側面がある。
 しかし立花氏のような素朴実在論者は、そうは考えない。彼はこの世界が、名付けられたとおりに存在すると信じている。リンゴはリンゴだし、猫は猫だ。ものごとにはすべて、目で見たり手で触ったりできるような、つまり意識し知覚できるような実体がある。だからこそ立花氏は、知について無根拠なまでに楽観論者でいられるのだ。彼はいかなる未知の存在についても、いずれ理解したり所有したりすることができるもの、という考えを捨てられない。だから、人間が言葉を持つゆえに原理的に知りえないこと、語りえないことが存在しうることなど、思いもよらないのだ。

立花隆「嘘八百」の研究 宝島社 P187−188

管理人は別に立花氏にさして関心もなかったのですが題名が何とも挑戦的であったことから買った記憶があります。ただ今回、この記事を取上げたのは素朴実在論者と唯物論者の違いについて書かれてはいますがこの内容は霊能力の世界でも同じではないではないかとの印象があります。

つまり上記の文章はそのまま霊能力信仰者と霊能者に置き換えられるのではないか思います。ためしに上記の文章をそのまま言葉を少し置き換えてみます。

立花氏→〇〇氏 素朴実在論者→霊能力信仰者 唯物論者→霊能者 物自体→心霊自体
唯物論→心霊主義

 そうじゃないんだ。〇〇氏は、現代では珍しいくらいの「霊能力信仰者」だ。そして霊能力信仰者と霊能者は、まったく異なる概念なのだ。
 これにはいろいろな理解の仕方があるけれど、僕の考えでは、そのいちばんの差は「心霊自体」を認めるか否か、という点に尽きると思う。霊能者は「心霊自体」の存在から出発する。もっと言えば、心霊自体について不可知論から出発する。心霊物自体はたしかに存在けれど、僕らは、それについて真実を知ることは決してない。僕らにできることは、物自体によって触発されたり、それが及ぼすさまざまな効果の幻影を見ることだけ。それが霊能者の出発点だ。ここでは〇〇氏がおそらく目指しているような「究極の知」の決定的な不可能が、正しく心霊主義を根拠づけることになる。
 そして、だからこそ霊能者は、実体を持たない「こころの働き」について多くを知り、語ることができる。僕がふだんから頼りにしているラカンの精神分析にも、そういう意味では心霊主義的な側面がある。
 しかし〇〇氏のような霊能力信仰者は、そうは考えない。彼はこの世界が、名付けられたとおりに存在すると信じている。リンゴはリンゴだし、猫は猫だ。ものごとにはすべて、目で見たり手で触ったりできるような、つまり意識し知覚できるような実体がある。だからこそ〇〇氏は、知について無根拠なまでに楽観論者でいられるのだ。彼はいかなる未知の存在についても、いずれ理解したり所有したりすることができるもの、という考えを捨てられない。だから、人間が言葉を持つゆえに原理的に知りえないこと、語りえないことが存在しうることなど、思いもよらないのだ。

言葉を差し替えただけなので文脈がおかしくなる箇所が生じることはさけられませんが管理人が書きたいことはご理解いただけるのではないでしょうか。

管理人は霊能力があればどんなことでも分かるとは考えていませんが霊能者や新興宗教の教祖の中には天地創造の秘密とは言いませんが人類創造の秘密や霊界の法則を詳細に語られている方が少なくありません。

唯物論者が物自体の存在を前提とするように心霊自体の存在を前提とはしますが心霊の働きや影響は経験にて語ることはできるとしても心霊自体について語ることはできません。霊界の法則にしても法則について詳細に語るにはあまりにも経験が少なすぎると考えています。

もし数多くの霊視を経験したとしても心霊現象は個人の体験に帰属することであり、多くの人が追体験ができないことに関してはそれを検証する方法もないと考えます。しかし死後の世界などについて詳細に語る人々は数多くいます。管理人はそれらの方々が語る霊界の法則に関しては否定も肯定もしないのが基本的な立場です。

at 23:55, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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ある行者(霊能者)のサイト


ご無沙汰続きと言うか・・・
それそろ忘れ去られているのではないかと考えている管理人です。

相変わらず、貧乏暇なし状態が続いておりますが久々に投稿しようかと考えました。
実は暫らく前からある行者(霊能者)の方のブログを読ませていただいています。
本当は紹介したいのですが気軽に紹介するには、このブログはあまりにもアクセス数が増え過ぎてしまいました。そのため先方の管理人の承諾が得られれば紹介させていただきたいとは考えています。

しかし同じ霊能者と言っても悟りに対する考え方もやっていることも大幅に異なります。
第三者からするならば、立場こそ違うものの基本的には同じであると言えるのかもしれませんが、当事者としては大きく異なるとの印象があります。

もっともこの方は現在は職業としての行者はやめられ、普通の仕事をされているようですが過去にはプロの行者として活躍されていたようです。無論、この方が自分では体験した事もないことを書いていたり、ほとんど妄想とも言えるような自己陶酔の記事を書かれているならばすぐに分かります。

しかしこの方の記事に嘘があるとは思われず、またやってこられたことも納得できることが多いとの印象があります。ただあまりにも管理人とは歩んだ道が異なりすぎることから少しばかり考えてしまいました。

この方は密教系の行者の方であり、一般の方には耐えられそうにもない厳しい修行を体験されている方のようですが一般の方が霊能者に対して抱かれるイメージはこのような方であろうと納得していました。その意味では本当のプロであり、行者としてもかなり力のある部類の方ではあると思いますが、行者(霊能者)としての活動に疑問を抱かれてやめられたと書かれていました。

これと同じようなことを管理人も感じています。霊能者が一般の人には理解できない力を持っているとしても常に奇跡を起こせるわけでもなく、またすべてのことを知ることができるわけでありません。また管理人は過去に数多くの神霊からの言葉を聞きましたが神霊がすべてのことを教えてくれるわけでありません。

それだけでなく神霊から御言葉があったとしてもその大半は抽象的な内容であるだけでなく、肉体的な負担が少なくありません。言葉を選ばなければならないのですが、自分の精神的な境地に近い神霊の場合にはそれほどでもないのですが、自分が受けられる限界に近い高い精神的な境地に到達されている神霊の場合には、冗談抜きにして自動書記が終わった後は寝込みます。しかも神霊がこちらの質問に答えてくれるかどうかは神霊の意向であり、こちらがいくら尋ねたとしても回答がないことが回答となることもあります。

また過去には医者から見離された難病を御神仏の御力にて治していだいたことはありますが魔法の呪文を唱えるだけで簡単に治るわけでもなく、それなりの労力は必要となります。しかしそれでも100%完治する保証などなく、やってみなければ分からないのが現実なのです。

ボランティアで限られた人だけを対象にしてお世話しているならばお金のことを請求しなくても済むのですがそれを職業とするならばそんなことは言っていられなくなります。管理人は厳密な意味ではプロの霊能者として活動はしていませんが事情は同じです。

管理人が読んでいたブログの方は依頼がない限りは助けない方針を貫かれているようですが(無償では動かないとの意味かと思われます)金儲け主義と誤解されることも多いのではないかと思います。

心霊の世界は目に見えない世界であるだけに一般の方には理解されにくく、また過大な期待をされる方も少ないだけでなく、当事者である霊能者も自分の能力を過信することが多いようです。

霊能者にできることは苦難にある人をほんの少しばかりお手伝いをすることだけでしかないと考えています。また心の世界には何が正解であり、何が間違いであると決め付けることは困難であり、正解は無数にあるとも言えます。

管理人も含め、このブログの投稿者が投稿している記事は、無数にある正解の一つではあるとしても他にも沢山の正解があると思います。そして読者の皆さんが自分の正解を見つけ出すことを願っています。


at 21:50, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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職業としての霊能者3(星)


昨日、電子出版を予定している本の原稿を見直していたのですが・・・・
「あ゛っっ。。。。。見落としが・・・・」と落ち込んでおりました。

投稿はメモにて作成するのですが・・・
元の原稿はワードに幾つかに分けて保管しておりました。それをメモにコピペしていたのですがファイルを一つ見落としていることに気が付きました。orz

道理で話が中途半端な気がしていたのですが・・・
何分にも随分前の自動書記なので・・・・(- .-)ヾ ポリポリ

いずれにしてもこれで完成が遅れることは確実に・・・
o( _ _ )o ショボーン

唐突ではありますが・・・
競歩の試合を見ながら記事を書いていますが残念なことに日本人選手が係員の誤った誘導にて一周早くゴールしてしまいました。本人の責任はないのですが記録としては棄権になってしまうとのことです。今日は酷暑の中のレースであり、途中棄権する選手が続出する過酷なレースなので言葉もありません。

それはさておき・・・・
二・三年前のことでしょうか、安倍清明がブームになった時期がありました。その関係か陰陽師関係の本が随分発売されました。なかには一般の方には理解不能ではないかと思うような本も何冊か発売されました。

今回紹介する本もそんな本の一冊です。
現代・陰陽師入門―プロが教える陰陽道
高橋 圭也

何せ、実際に陰陽師として活動されている方が書かれていることから陰陽師の現実の姿を知るには貴重な資料だとは思いますがどれだけの人が内容を理解できるのだろうかとの印象があります。

この方は陰陽師として活躍されていますがその活動内容としては一般の方が霊能者に抱かれるイメージに非常に近いことから陰陽師や霊能者に興味を持たれている方にはお勧めの一冊です。

この本を取上げのは「職業としての霊能者」にて管理人が本当に伝えたいことがこの本に書かれているからではありますが、管理人は陰陽師ではなく、また除霊などを仕事にしているわけでもありませんので著者とは多くの点で異なる立場にあります。

管理人は呪術と言った方面には関心もありませんし、式神などを使役することもありません。また占いの術に関しても六壬式占に関しての知識もありません。入門書だけは本棚に眠ってますが・・・

前回の投稿でも書きましたが霊能者と言っても現実には何らかの宗教行為に関係するのである以上は霊能者である前に宗教家であるべきだと考えています。この著者も僧侶と神主でもあるようですが一流の陰陽師と思われる方であり、例外と言えるかも知れません。

ただその分、厳しさも半端ではないことを窺わせる一文がありますのでご紹介しておきます。

本物・ニセモノの見分け方
 みなさんの中には、「自分も陰陽師になりたい」と思っている人もいるでしょうが、それは大変なことだということは覚えておいてください。私は「弟子にしてほしい」という人には必ず宿題を出します―もしも本当になりたいのなら、まず「大祓詞」という祓詞(これは1回唱えるのに早くて8分、遅ければ14〜15分はかかります)と「尊勝陀羅尼」という呪文(こちらは1回唱えるのに約10分)を寝言でもいえるようになりなさい。それができたら、次のステップに移ることを考えてあげましょう。と、それでもまだやる気があるならば、その時に、私はその人から指導料をいただきす。
現代・陰陽師入門―プロが教える陰陽道 高橋 圭也著 P54

「大祓詞」と「尊勝陀羅尼」を寝言でもいえるようになることが条件とは何とも凄まじいと言うべきか、もっともこの程度でしり込みをしているのならば最初から来るなという事なのでしょうが・・・

管理人はお勧めしませんが本当に心霊関係の世界にてプロになりたいと考えられるのであるならばこの程度の覚悟は必要なのかもしれません。

今のところ弟子を養成する気持ちもないのですが心霊世界は通常であるならば避けるような穢れを扱う世界ですので身を守る術を身に付けるなければ到底生き残れる世界ではありません。一つ間違うならば自分自身が危険になるだけでなく、家族などを巻き込む可能性があります。

また重症の霊障者を除霊する場合には激しく暴れる人間を押さえつけるために武術の素養が必要ともなると聞いています。管理人は武術の素養はありませんが色々な意味で心霊世界にて生きていくのであるならば格闘技を身に付けるべきであると考えています。

ただそれらは除霊など心霊世界の仕事を職業として生きる場合の話であり、そこまで深入りしないのであるならば術に頼るよりは悟りを高めることで身を守るべきではないかと考えています。

管理人は人助けをしたいのであるならば何も霊能力に頼る必要もなく、安易に頼るべきでもないと考えています。また人を導くことは簡単なことではなく、色々な人から相談を受けるたびにその難しさを痛感しています。



ps
以前の記事の方が文字が大きくて見やすいとのお話がありましたので久々に文字を大きくしておきました。最初の頃は記事にタグを挿入していたのですが記事を書くこと自体が負担になったことからやめていました。また暇があれば過去の記事にタグを入れて文字を大きくしておきます。

しかし携帯の場合には文字の大きさは同じのようです。

at 13:03, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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職業としての霊能者2(星)


この数日、朝からウロチョロ へ(^^へ)))(((ノ^^)ノウロチョロしているだけで一日が終わってしまっています。

気が付けば何もできていない・・・|ヽ(〜〜。) オチコミー
とは言うものの、何とか二冊目の電子出版の準備をしています。
昨日も校正と記事の抜粋、案内文の作成などをしていたのですが結構面倒な作業の連続であり、頭を痛めています。

しかし、だからこそ好き勝手書けますし、自費出版のように高額な費用を要求されることもないのですが・・・
ちなみに、本の原稿を募集していますと派手な広告をだされているとある大手自費出版の会社もありますが色々と問題も多いようです。
もっとも世の中には本を出版したい人は山ほどいるようですが持ち込まれる原稿の大半はくず原稿であるとある出版社の方が書かれていました。

お陰様で「開運の方法」は少ないながらもぼちぼちと売れているためか電子出版の中ではベストセラー著者の仲間入りさせていただいています。ただ今回の本は霊界通信の本なので売り上げはあまり期待していませんがどうしても世の中に出したかった本です。

出版社に原稿を持ち込んだ段階では今回出版予定の古代ギリシャの神霊からの霊界通信と神道の神霊からの霊界通信を本にしたかったのですが見事に却下されてしまい、他力門の神霊の本と天台宗の神霊の本になってしまいました。結構、出版社の意向に左右されてしまうんです。

それはさておき・・・
前回の続きですが、管理人は霊能力の裏づけとなるのは悟りであり、悟りの段階が霊能力の限界になっているのではないかと考えています。ただ実際には悟りの力だけではなく、その人の念の強さも関係することからそれほど単純な話ではありません。

しかし基本的には悟りの段位が低ければ低級霊に惑わされる可能性が高くなり、如何に超常現象を起こせる力を持つ霊能者であるとしても最終的には悲惨な末路を迎える方が少なくないようです。

これとは逆に自分では霊能力を持っていると自覚されないどころか、自分にはそんな能力など皆無であると信じている僧侶や神主の方でもこの人はご神仏の指導を受けていると感じることは過去に何度もありました。そのため管理人としては霊能力を高めることよりも自分の悟りを高めるべきであり、霊能力自体にはあまりこだわる必要もないのではないかと思います。

霊障にて苦悩されている方の悩みを解決するために霊能力を駆使するとしても現実にはご神仏の御力にて問題を解決しているのであって霊能者自身の力にて問題を解決しているわけではないと考えています。これは霊能者を名乗られる方の大半が何らかのご神仏を祀られていることも見ても否定できないのではないでしょうか。

例外としては他界された方の言葉を取り次ぐ霊媒としての行為や前世を調べる行為などがあります。しかし管理人としては他界された方の言葉を取り次ぐことの意義や前世を調べることに疑問を感じています。

他界された方が成仏されていないとするならば必要なことは供養であり、供養ならば霊能者に依頼されるのではなく、本職の方に依頼されるべきではないかと考えています。また他界された方が成仏され、子孫の方を心配されているとの言葉を聞くならば残された人々は安心感を得ることはできるとしてもそれが正しいことなのだろうかとの疑問を持ちます。

このように書きますと反発される方が多いのではないかと思いますが他界された方は現世に未練を持つべきでもなく、また生きている人間も他界された方が現世への未練を断ち切ることを願われるべきではないかと思います。非情な言葉と受け取られるかもしれませんが悟りの浅い人間が現世に生きる者を指導する事は生きている人間を惑わす結果になります。

そのため子孫を指導したいとの気持ちがあるならばそれだけの悟りを得られるように努力されるべきであり、またその時間がないのであるならば神仏にご加護を依頼されるべきなのです。事実、ご本人からの依頼と言うよりもその方の亡くなられた御先祖のお導きにて指導させていただいた方は過去に何人にもいます。

つまり亡くなられた御先祖が霊界の指導霊に子孫の指導を依頼され、それが回りまわって管理人を訪ねられる行為になります。ご神仏の指導と言ってもご神仏の言葉をそのまま受け取れる人間は少ないのですが、そうでなくとも様々なご縁にてご神仏との縁を深める機会を得ることは多いのではないでしょうか。

また前世を調べることの管理人の考えに関しては管理人の以前の記事(カテゴリー 前世治療と前世占い)を参考にしてください。

結論としては霊障に悩む人を助けることは悪い事ではないとしても本来は僧侶や神主の仕事ではないかと考えます。事実、密教系の僧侶や修験道の行者の中には霊能力を持たれている方は少なくありません。

管理人が何故、このような書き方をするかと言いますと専門家でもない人間が宗教のことについて語る場合には余程注意しないと多くの人を惑わすことになるからです。

参考記事 ある占い師の場合
http://www.j-cast.com/2007/03/01005851.html

at 13:35, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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職業としての霊能者(星)


巨人・阪神との六連戦は三勝三敗の五分にて終わりました。
うーん、良かったのか、悪かったのか・・・悩むところではありますが
スポーツ番組では野球の話題が取上げられることもなく、世界陸上、水泳、サッカーの話題で盛り上がり、一般のニュース番組では内閣改造が話題になっているようです。

それはさておき・・・・
以前、お笑い芸人が司会をしているトーク番組にて司会者が出演者の女性に職業をたずねたところ、「グラビア・アイドルです」と答え、司会者が「アイドルとは皆が言う事であって自分でアイドルと名乗ることはおかしい」と突っ込みました。それに対してその出演者の女性は「グラビア・アイドルと言う言葉があるじゃないですか」と反論していました。

これは言葉の定義の問題であると言えるのかもしれませんが「アイドル」を辞書にて調べますと「アイドル [idol] ゞ像、崇拝される人や物 ⊃裕ぜ圈廚箸覆辰討い泙后0貳姪な使い方となれば「人気者」と言った意味合いが強いのてはないかと思われます。そのため「グラビア・アイドル」との言葉が使われているとしても「グラビア・モデル」の世界にて人気のある人と言った意味に解釈すべきではないかと思われます。

世の中にはアイドルと呼ばれる芸能人が存在していますがではアイドルが職業を表す言葉とは言えないのではないかと思われます。アイドルと言われる芸能人にしても職業としては歌手や俳優などです。そのためやはり「アイドル」とは一種の称号であると考えるべきではないでしょうか。

これと同じようなことが「霊能者」との言葉にも言えるのではないでしょうか。「霊能者」を辞書にてしらぺますと「日常と非日常の世界を媒介する特異な資質をもった宗教的職能者。」とありました。この定義では職能者とうりますが管理人は霊能者とは霊能力を持つ者と考えていますのでその能力を仕事として利用するかしないかは別の問題であると考えています。

では職業として霊能者とはどんな人々であるかを考えてみたいと思います。結論から書きますと管理人はアイドルと呼ばれる職業が存在しないように霊能者なる職業は存在しないのではないかと考えています。

その理由として霊能力を利用して仕事としている人々の活動内容としては諸祈願、供養、除霊、霊視、他界された人の話の取り次ぎなどではないかと思われますがこれらの内容は二つに分けることができるのではないかと思われます。

諸祈願、供養に関しては宗教行為の範疇に入ることであり、除霊にしても神仏の御力をお借りすることを前提であることを考えるならばこれも祈願と同じであり、宗教行為の範疇に収まると言えます。

残るのは霊視と他界された人の話の取次ぎとなりますがこれらの分野にて有名なのは恐山のイタコではないでしょうか。職業としては霊媒師と言う事になりますが最近ではスピリッチュアルカウンセラーとの便利な言葉があります。管理人も心霊の相談を受けることがありましたのでスピリッチュアルカウンセラーとの肩書を以前は使用していましたが・・・

とここまで書いたのですが、放置状態になっている「霊界通信・脱新宗教」と「神様の書いた恋愛」のプロフィールに「スピリッチュアルカウンセラー」との肩書を使っていることを思い出して早速削除・・・
が、しかし、あまりにも長く放置していたことから「霊界通信・脱新宗教」にログインできなくなってしまいました。orz

と言う訳で「霊界通信・脱新宗教」のプロフィールには「スピリッチュアルカウンセラー」との肩書を使っていますが心霊相談は今後、お断りする方針で考えています。

話の途中ではありますが、長くなりましたので今回はここまでにしておきます。

at 15:01, 星 良謙・子授け地蔵, 霊能者について

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